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シベリア流刑中のトロツキー

シベリア流刑中のトロツキー(1900年)

 「村には100軒ばかりの丸太小屋があった。私たちはそのはずれに住むことにした。周囲は森で、下には河が流れていた。レナ河をずっと北にくだったところに金の採掘所があった。かつての金の輝きの名残りがレナ河全体でゆらめいていた。ウスチ・クートには古き良き時代――激しいどんちゃん騒ぎ、略奪、強盗をも伴った時代――があったが、今では村はすっかり静けさを取り戻していた。もっとも、泥酔だけは残った。私たちの小屋の主人夫婦も酒浸りだった。この最果ての地では生活は陰気で、活気がなかった。夜になると、小屋中にゴキブリがかさかさ不気味な音をたて、テーブルやベッド、はては顔の上にまで這い上がってきた。そのため、時おり1〜2日ほど小屋を出て、氷点下30度の極寒に戸口を開けっぱなしにしておかなければならなかった。

 夏になるとブヨに悩まされた。ブヨは、森の中で道に迷った牛を刺し殺した。農民は、馬の毛でつくった網にタールを塗ったものを顔にかぶった。春と秋には村は泥に埋まった。

 その代わり、自然はすばらしかった。しかし、当時、私は自然には無関心だった。自然に注意と時間を奪われるのがもったいなく感じられた。私は森と河にはさまれて暮らしながら、それらに目を向けることはほとんどなかった。本と人間関係に心を奪われていた。私はページの上からゴキブリを払いながら、マルクスの勉強に打ち込んだ。」(『わが生涯』第9章「最初の流刑」より)

 

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