統一のための闘争とマルクス主義的中心
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、党統一のために「中間派(中央派)」がなにをなすべきかについて体系的に論じた論文である。
この論文の中で、トロツキーは、レーニン主義(プラウダ主義)と解党主義の両者が、マルクス主義の一端を誇張することで一面的な誤りに陥っていると見なし、両者の中間にこそ本来のマルクス主義的立場があるとみなしている。そしてその上で、中間派に属する同志たちは、別個の分派をつくるのではなく、それぞれがボリシェヴィキやメンシェヴィキにとどまりつつも、それらの派の内部で党統一の立場を堅持し、両派を党の統一へと導いていくことを訴えている。
この論文の発表直後に第1次世界大戦が勃発したため、事態はトロツキーが描いていたような漸進的で有機的な統一の過程は不可能になり、まったく新しい基準にもとづいた革命的マルクス主義者の再編成が喫緊の課題になる。
Л.Троцкий, Борьба за единство и марксистский центръ, Борьба, No.7/8, 1914.7.6.
労働者運動を広大な歴史的道に引き出すことは、思想的に目覚めた先進的労働者にしかできない。したがって、次にとるべき彼らの道も明らかである。階級運動のあらゆる領域に力を結集すること、その統一の課題を提起すること、闘争の諸条件と発展過程に対する理論的認識でもって武装し武装させること、分派的狭量さとセクト的不寛容さを自分の意識から払拭すること、自発的な規律と自主的な自己規制を学び教えること、である。(『ボリバ』第1号、1914年2月22日)
われわれの課題は、ロシアの自覚的労働者の力を統合することにある。……マルクス主義組織の統一の問題は焦眉の問題になっている。(『エジンストヴォ(統一)』(1)第1号、1914年5月18日)
疑いもなく、プレハーノフ派とボリバ派は、分派闘争に労働者が飽き飽きしている事実を正しく考慮に入れている。(『ノーヴァヤ・ラボーチャヤ・ガゼータ(新労働者新聞)』(2)第23号、1914年5月31日)
現在、ロシア労働者の注意の中心にあるのは、疑いもなく、統一の問題である。
プラウダ派[レーニン派]のサークルによる迫害にもかかわらず、統一を支持する側の陣営は、かつてのプラウダ派の信奉者によって日に日に補充されている。そして、プラウダ派は、まさに最も価値のある、最も自覚的な労働者によって見捨てられつつある。(『ノーヴァヤ・ラボーチャヤ・ガゼータ』第32号、1914年6月11日)
労働者運動の統一の問題は、現在、労働者地区の中で最も熱心に論じられている問題の一つである。
この問題をめぐって、激烈な論争が行なわれ、しばしば、労働者の友情を、何年にもわたって一つの機械台の背後で活動して育んできた個人的関係をも破壊している。……多くの者が熱烈に統一について語っている。調停主義的な空文句が宙を漂っている。(プラウダ派の機関紙『ラボーチー』第5号、1914年5月28日)
われわれは全面的に『ボリバ』の見解に同意する。そしてこの見解が社会民主党の大部分を獲得するとき、分裂が克服され労働者軍が統合される日がやってくるのだ。(カフカースのマルクス主義者の指導的機関紙『アズリ』)
「われわれはみな社会民主党の統一に心を奪われている。われわれは、全体が個々の部分よりも広いことを知っている。
われわれは、社会民主党の課題と戦術に対する理解がいわゆる多数派と異なるグループや個人を社会民主党の隊列から放逐することは、プロレタリア組織の統一の重要性に対する途方もない無理解を示すものであることを知っている」――ジュネーブ、パリ、チフリスのマルクス主義的思想グループ『フペリョート』とサンクト・ペテルブルクの同意見者集団(『ボリバ』第5号、1914年5月16日)
……われわれ、ペテルブルク地区における組織されたマルクス主義者(ボリシェヴィキとメンシェヴィキ)の労働者代表は、マルクス主義的綱領とともに全マルクス主義者の大会(3)の決定を承認するすべての社会民主主義者をただちに統合する必要性に同意する。この立場は、27人の全員一致の投票で採択された。(『ノーヴァヤ・ラボーチャヤ・ガゼータ』第25号、1914年6月3日)
……われわれ労働者は、労働者運動とマルクス主義的労働者組織の経済分野のみならず政治分野においても、行動の統一のために単一の社会民主労働党に統合することを全員一致で決定した。われわれは、すべての工場労働者のさらなる統一のために、4人からなる委員会を選出し、他の工場労働者にもわれわれの行動の後に続くよう雷鳴のような大声で訴えることを決定した。――エリクソン工場のボリシェヴィキとメンシェヴィキのグループ (『ノーヴァヤ・ラボーチャヤ・ガゼータ』第26号、1914年6月4日)
われわれは、労働者を分派ごとの細胞に細分化する政策に抗議する。そして、明確なプロレタリア的意識の炎は、単一の社会民主主義組織の隊列においてこそ燃え上がることをすべての者に訴える。――ヴィボルク地区の社会民主主義グループ (『エジンストヴォ』第3号、1914年6月15日)
われわれ、ヴァス=オストロフ地区の組織されたマルクス主義者は、マルクス主義的綱領および1903年、06年、07年の全マルクス主義者大会と1908年の協議会の決定を承認するすべての社会民主主義者をただちに統合する必要性を支持する。(『エジンストヴォ』第3号)
同種の決議は以下の諸団体・有志によっても挙げられている。ヴイボルク地区の組織されたマルクス主義者、トルボツナ工場の57人の労働者、モスクワ地区の17人のボリシェヴィキ、モスクワ市街電車労働者と新綿紡績工場の21人の代表者、等々。
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1、統一の思想は力になりつつある
以上が、ロシアの先進的労働者の生活における基本的事実である。統一の問題は、彼らの注意の中心になっており、どんな勢力もこの問題をもはや日程からはずすことはできない――統一が「問題」であることをやめて、事実そのものになるその時までは。そしてこれは、わが国の労働者運動の巨大な成果であり、われわれが経過した好況の最初の時期全体の最も価値ある党内成果である。もちろんのこと、統一に対する主要な障害がすでに克服されたと考えるとすれば、それはまったくの誇張であろう。そうではなく、問題は基本的にまだ立てられたばかりなのだ。しかし、この問題を立てたのは、個々のイデオローグでもなければ、個々のグループでもない。それは「下から」立てられ、運動の全過程によって提起され、労働者地区に広がり、工場の機械台の背後で熱烈に議論されている。これはすべての者によって認識されている。このことをもはや否定することはできない。ある者は喜びをもって、別の者は怒りをもって、しかし誰もが、社会民主党の統一という思想が現在、先進的労働者の志向と感情の中で果たしている巨大な役割を認めないわけにはいかない。大衆の意識を捉えつつある思想は力になりつつある。そして、この思想が運動の拒否しえない要求から生まれている以上、それはあらゆる障害を越えて自らの道を突き進み、数千人のスローガンから、数万・数十万人の先進的労働者の真の統一という事実になるだろう。
現在もはや、統一がすでにプラウダ派の組織として実現しているとか、すべての潮流の社会民主主義者の統一というスローガンは、真の労働者運動とは無縁の無力な「インテリゲンツィア集団」によって提起されたものにすぎないなどと、主張することはできない。なぜなら、もしそうだとしたら、どうして「労働者運動の統一の問題は――とプラウダ派の同志は書いている――、現在、労働者地区の中で最も熱心に論じられている問題の一つである」ということになるのか? 統一がすでに実現されているのなら、どうして、先進的労働者がその職場で統一について「熱心に論じている」のか?
たしかに、ロシアの労働者、とりわけペテルブルクの労働者の多数派は、現在、『プラウダ』の旗の周囲に結集している。しかし、このことはまだ、何ら運動の統一という問題を解決するものではない。なぜなら、労働現場において、闘争において、工場において、プラウダ派の労働者は、非常に多くの有力な非プラウダ派カードルと顔を突き合わせざるをえないからである。これらの非プラウダ派のカードルは、プロレタリアートの階級運動から一振りで消し去ることのけっしてできない人々である。党内における先進的労働者の台頭、とりわけ労働者新聞デーでのそれは、非プラウダ派のマルクス主義労働者が、無視することのできる取るに足りない規模ではけっしてないこと、彼らなしには労働者政党を建設することなど考えられないほどの量的・質的勢力であることを、はっきりと物語っている。他方で、『プラウダ』の急進的な政治的立場に引きつけられている非常に多くの労働者が、分裂主義の紐帯によって内的に結びついていると考えるとしたら、それもはなはだしい誤解だろう。数万の労働者は『プラウダ』の紙面に――正しいか誤りであるかは別にして――自らの階級的非妥協性の反映を見出している。しかし、彼らは十分に自立しておらず組織化されていないため、この新聞を自らの統制下に置くことができず、その新聞から、12年間(4)におよぶサークル主義の痕跡を一掃することができない。そのため、彼らは、日々の分裂的宣伝に甘んじざるをえないし、多くの者が表面上その宣伝に伝染している事態に甘んじている。彼らは自覚的に戦闘的スローガンにしたがっており、その際、上から課せられた分裂主義の重荷を否応なしに背負っていかざるをえない。ますます耐えがたくなっているこの重荷を投げ出したいという要求が、彼らの階級的良心の中でなくなることはなかったし、なくなりえなかった。彼らが、階級意識に目覚めた後の最初の不均等な数歩を進めたばかりであるかぎり、また、プラウダ派の単純な分裂主義的急進主義か組織的・政治的に無定形な解党派かという選択肢しかないかぎりにおいて、彼らは自らの頭の上で分裂の分派的旗がひるがえるのを我慢してきた。しかし、彼らが、自分自身のささやかな経験のおかげで、より批判的に思考するようになり、もみがらから小麦の種を区別し始めたとき、また、インターナショナルの声が、すなわち50年におよぶ国際プロレタリアートの経験の声が、彼らに統一を訴えたとき、また、非分派主義的マルクス主義出版物
[『ボリバ』のこと]が、真のマルクス主義的立場は、思想的分裂主義とも組織的無定形さとも無縁であり、運動の統一のための闘争を排除するどころかそれを要求するものであるということの理解へと彼らを近づけたとき、その時には彼らの隊列に動揺を生まないわけにはいかなくなった。それ以降、いかなる分派主義的呪文ももはや彼らを後戻りさせることはできない。党的意識、愛党主義、党的モラルは、それ以降、抑えがたい勢いで、サークル的伝統と分派愛国主義とを犠牲にして力を強めていくだろう。
2、マルクス主義における解党主義とプラウダ主義の思想的克服
現在われわれの前にある統一のための闘争においては、二つの側面を区別しなければならない。思想的・政治的側面と組織的側面である。
運動の二つの極端な翼――プラウダ派と解党派――は、二つの非和解的な思想的・戦術的路線を打ち立てようとしている。この路線は、言うまでもなく、空想から生じているのではなく、労働者運動の現実の要求から生じている。しかし、この二つの分派は、これらの要求を分離し、戦術的に相互に対置し、理論的に絶対的に非和解的な表現を与えることに、その力を傾けている。マルクス主義の戦術は、プロレタリアートの闘争の改良主義的傾向と革命的傾向とを化学的に結合させた。解党派とプラウダ派は、労働者運動に対する影響力をめぐって闘争する中で、マルクス主義を、一方の極における労働者改良主義と、他方の極における俗流的で単純化された革命主義とに分割してしまった。わが党の意識は、この矛盾の中で悪戦苦闘している。主観的に二つの翼はマルクス主義にもとづいている。しかし、マルクス主義の理論は、戦術の諸問題に対する出来合いの回答を与えていない。それはただ、問題解決のための方法でもってわれわれを武装するだけである。西方においてマルクス主義は、労働者運動それ自身の中で繰り広げられてきた、マルクス主義に先行する長期にわたる思想闘争の完成形態である。だがわれわれは、マルクス主義をすでに出来上がった形で受け取った。それゆえ、われわれの運動は、自らのセクト的・前マルクス主義的発展段階を、マルクス主義の思想的旗のもとで通過している。解党主義とプラウダ主義は、部分的要求と切り縮められないスローガンとの矛盾(改良と「危機」)の線に沿って、その闘いを遂行している。解党主義はプラウダ派に対抗して改良を擁護し、プラウダ派は解党主義に対抗して「危機」を擁護する。こうして、主観的にはマルクス主義に立脚している両者は、その日常の思想的プロパガンダにおいて、相互に、労働者運動の改良的要求と急進的要求とを敵対的に対置させている。すなわち、事実上、党の思考を前マルクス主義的発展段階に押しとどめている。解党主義を労働者自由主義と同一視すること、そしてプラウダ主義をアナーキズムと同一視することは、許しがたい誇張に陥ることであり、あえて現実を分派的に戯画化することを意味する。しかし同時に、こうした戯画は恣意的なものでも、偶然的なものでもない。こうした双方の特徴づけのうちには、戦術的にプラウダ主義と解党主義とがそれでもやはりマルクス主義の左と右に位置しているというまぎれもない事実が表現されている。これこそが、運動の改良的課題と革命的課題とを弁証法的に結合することにもとづいた立場が、両派にとって、「調停主義」とか「黄金の中庸」に見える理由である。マルクス主義を各部分に分解することによって、両派は、マルクス主義が両者のあいだでその統合された形態にいたっていることに、まったくもって気づかないのである。
内部から組織されている現代の労働者運動は、戦術的課題のセクト主義的歪曲と単純化に対する有益な抵抗力をそれ自身のうちに内包している。しかし、この力は、それ自身が自らを認識し、運動の改良的課題と革命的課題とを全体的かつマルクス主義的に結合するすべを会得しないかぎり、半分の力しか発揮できない。こうした観点からのみ、統一の問題を真剣に提起することができる。統一は抽象的な原理でもなければ、敬虔な願望でもない。統一のための闘争は、無内容な調停主義ではない。民主主義的な規律、少数派が多数派に服することは、労働者組織の重要な原則であるが、それ自体は何ら問題を解決するものではない。階級的規律は、セクト主義の思想的土壌の上にとどまりつづけることはできない。それは前提条件として、全面的な階級的戦術を必要とする。統一のための闘争は、それぞれ一面的なプラウダ主義と解党主義を理論的・戦術的に克服すること、両者それぞれにある健全な傾向を結合すること、階級闘争の改良的課題と革命的課題とをマルクス主義のより高度な統一に高めることを必要とする。
3、マルクス主義的中心
統一のための闘争の思想的・政治的側面はまったく明白である。近い将来における社会民主党の発展がどのような道を通り、どのようなテンポで進もうとも、社会民主主義的な自己教育活動、党の意識からの過去の遺物の払拭は、当面する時期におけるマルクス主義的イデオロギー活動の基本的な内容を構成する。
しかし、問題の組織的側面がまだ残っている。現在すでに統一の旗のもとにある分子はどのような組織編成を遂げるだろうか? 彼らは旧来の分派的グループの枠組みにとどまることになるのか? それとも独自の道を歩み、第3の分派をつくることになるのか? 現在、実践において、および労働者出版物の分野において、この問題は、まさにこのような形で提起されている。
われわれにとって、組織的側面は完全に思想的・政治的側面から出てくる。われわれの課題は、統一の旗のもとに第3の分派をつくって、分派主義者たる他の二つの分派と組織的闘争を行なうことではない。このような機械的・組織的道によっては、社会民主党を分派主義から思想的・戦術的に解放していく過程を促進することはできない。統一のスローガンのもとに社会民主党の一部分を分離することは、社会民主党全体の統一に取って代わるものではない。これはまったく明白である。そして、われわれが、統一の支持者全員に与えることのできる一般的な助言があるとしたら、それは次のようなものである。自らの陣営、自らの組織ににとどまり、その中で、ジンテーゼ的な(総合的な)マルクス主義的戦術の精神にのっとって、倦むことのない思想的プロパガンダを遂行すること、この原理の周囲に自分の組織の世論を結集させること、そしてそれを自らの組織の枠内に閉じ込めておかず、隣の陣営に穴をうがち、競合しあう分派の党擁護分子と連絡をとり、党擁護分子の分派横断的なしかるべき協議の場を設定し、両陣営を内部から相互接近に駆り立てること、である。このような、旧来の二つの分派(解党派とプラウダ派)における思想的「地下道」――この地下道は舞台裏的なものでもなければ、秘密のものでもなく、公然たる、はっきりとした対抗思想である――は、分裂主義とセクト主義の完全な無力化をもたらさないわけにはいかない。なぜなら、運動そのものの客観的論理は、この方向にそって働いているからである。
このような道は文句なしに最も健全なものであろう。しかし、事態の発展がこのような道のみをとるわけではないということに目を閉じることはできない。プラウダ派と解党派との激烈な闘争は、しばしばまったく耐えがたい形態をとっており、戦闘部隊の一員でありつづけることがこれ以上できないしそう望まない分子がこの両陣営から多数脱走しつつある。これらの分子は、自然と自分たちで結束し、敵対的な両翼のあいだで緩衝装置たらんとするだろう。まさにこのような過程がペテルブルクで起こっている。そこでは、ボリシェヴィキと党維持派メンシェヴィキの合同グループが急速に成長してきている。これは良いことかそれとも悪いことか? この新しい現象に賞賛ないし非難をもって対するとすれば、まったく不毛なことだろう。それは何らかの悪意によって作り出されたものではなく、分派闘争の途方もない先鋭化の産物であり、それと同時に分派体制の崩壊の前兆なのである。「合同」グループが一時的にボリシェヴィキとメンシェヴィキを犠牲にして増大しているという状況は、両陣営において時代遅れの分派的結びつきが解体する同種の過程が生じていることを物語っている。そして、分派司令部が分派的規律をきつく引き締めれば引き締めるほど、この解体過程はますます急速に進むだろう。
この新しい「合同」グループが自らを古い分派から線引きし、敵対的に閉じこもるならば、言うまでもなく、それはこのグループにとって自殺行為だろう。このようなことをすれば、自分自身の目的と矛盾することになる。むしろ反対に、このグループは、両翼の党擁護派分子との恒常的な結びつきを維持し、彼らと手に手をとって、分派司令部が自派を人為的に中心から孤立させようとするあらゆる試みに立ち向かわなければならない。「右派」と「左派」の二つの戦術的路線を批判的に再評価する場合のみ、そして、両翼との最も密接な結びつきを維持する場合のみ、両派の内的生活と外的行動に積極的に働きかける場合のみ、合同派グループは、自らが組織的解体過程の新しい要素となってしまうのではなく、思想的に形成されつつあるマルクス主義的中心
[中央派]の重要な構成部分となりうるのである。このマルクス主義的中心なしには、統一に向けたあらゆる努力は実践的に結果なきままに終わるだろう。この点に関してはいかなる場合でも疑いない。われわれの発展のすべての経験は――そしてわれわれの経験だけではない――、統一というものが、二つの遠心的な分派の合意や抽象的な妥協にもとづいては維持できないことを物語っている。影響力獲得のための両派の闘争は不可避的にあらゆる妥協を破壊するだろう。少数派が多数派に服するという揺るぎない原則もまた、それ自体としては、問題を解決することはできない。それは単に、確固たる組織が存在しないもとでは、真の多数派と少数派とを容易に決定することができないからだけではなく、何よりも、多数派からの完全な疎隔と敵対によって孤立した少数派が、党の世論の圧力を受けないかぎり、常に自分の手が規律の破壊にとって自由になっていると感じるからである。真の統一は、二つの翼の他に、軸となる背骨が、すなわち、右派と左派の遠心的傾向を思想的に克服し党の世論と党規律の砦となるようなマルクス主義的中心が党に存在する場合のみである。もしドイツ社会民主党において、その日和見主義的翼(ベルンシュタイン、ダーフィット(5)等)とウルトラ急進的翼(ローザ・ルクセンブルク等)とが直接的に対峙しあっていたとしたら、ドイツ社会民主党はけっしてその統一を維持することができなかったろう。ドイツ・プロレタリアートの党における統一と規律の砦は、ベーベルとカウツキーのマルクス主義的中央派
[中心]である。これは、少なくとも党の3分の2を自己の周囲に結集している。それだけではない。この党的中心が存在する場合には、非和解的な両翼さえ、党生活に少なからず重要な貢献をすることさえできる。その批判、不満、厳しい要求、その戦術的探求によって、両翼は党の思考と党の戦術が一箇所で足踏みするのを許さないのである。解党派グループの提案、すなわち、二つの分派の連合によって党を統合することは、それがまさに党的中心の形成という救済的過程に真っ向から反するという理由からして、きわめて反動的である。われわれはこの形成されつつある中心を、『ボリバ』と『エジンストヴォ』のグループに見出すだけでなく、また「党維持派」の合同組織に見出すだけでなく、カフカースの社会民主党と、ラトビアおよびポーランドの社会民主党の多くの分子のうちに見出すだけでもない。いや、中心を構成する分子はもっとはるかに多い。これらの分子は、両翼の中にも分散して存在しているし、彼らの党内影響力は、両者が思想的に接近していくにつれて、今後、日をおってますます成長していくだろう。
二つの分派の連合をつくり出すことは、統一の問題を、分派司令部の善意に完全に依拠させることを意味する。これは、すべての社会民主主義分子を二つの陣営のどちらかに無理やり分解し、彼らを分派的規律で結合することを意味する。これは、各分派ごとの行動の統一を原則にまで高め、党としての行動の統一が幸運な例外としてのみ打ち立てられるということを意味する。これは最後に、マルクス主義的中心の構成部分になるべき諸分子を強制的に両派に分割することによって、形成途上の思想的なマルクス主義的中心にとって機械的な組織的障害をつくり出すことを意味する。統一のために闘争するわれわれは、連合制は、仮装され公認された分裂に他ならないものとして拒否する!
統一のための闘争に、すべての異論派を根絶するための十字軍を対置しているプラウダ派の指導グループに対して、われわれは静かな確信をもってこう言うことができる。「統一に対するさらなる闘争は、多くの災厄をもたらすことはできても、勝利をもたらすことはできない。統一に向けた動きはすでに諸君の隊列の中にも浸透し、その中で次々と新しい成果を獲得していくだろう。諸君は、同時に自分たちを現在の同意見者から切り離さずしては、浸透不可能な仕切りによって自分たちをわれわれから切り離すことはできない!」。
解党派の指導グループに対してはわれわれはこう言う。「諸君は、統一のための闘争を、連合制という偽りの絆で結びついた二つの分派の旧来の軌道に引き込もうとしている。この試みは、完全な組織的合同を支持する人々からの反抗にあって、不可避的に水泡に帰するだろう。社会民主党のすべての諸部分の統一を支持するわれわれは、解党主義的潮流に対する例外法ないし制限法を導入しようとするあらゆる試みにきっぱりと反対する。なぜなら、解党派を追い出すことから党建設を開始することは、統合の仕事を嘘の上に築くことを意味するからである。しかしそれと同時にわれわれは、党維持派(どの陣営に属して活動しているかにかかわらず)との密接な思想的結びつきが、統一の事業にとって、党維持派と解党派との8月の合意よりもはるかに重要で貴重であるとみなす。それゆえわれわれは、8月ブロックに参加した統一支持派が、連合制による分裂の定着に反対して自分の陣営の世論を打ち固めることができることを、信じて疑わない!」。
統一の道に立ちふさがっている障害はなお非常に大きい。しかし、それは克服されつつあるし、克服されるだろう。必要なのはただ、統一の支持者が、いっそう大きなエネルギーと忍耐力を発揮し、自分の力と自分の歴史的正当性、自分の事業の意義に対する確信をいっそう強めることだけである。そして、統合に向けたわれわれの努力が目標を達することに成功したあかつきには、勝利が生じることになるが、勝者も敗者もいないだろう。あるいは、敗者と勝者がいると言ってもいいが、その場合には、内紛、カオス、アナーキーが敗者であり、統一した社会民主党が勝者である!
『ボリバ』第7/8号
1914年7月6日
『トロツキー研究』第37号より
訳注
(1)『エジンストヴォ』……プレハーノフらメンシェヴィキ党維持派の合法機関紙。1914年5〜6月、1917年3月〜一1月発行。
(2)『ノーヴァヤ・ラボーチャヤ・ガゼータ』……メンシェヴィキの合法機関紙。『ルーチ』の後継紙。1913〜1914年にペテルブルクで発行。
(3)ボリシェヴィキとメンシェヴィキを含む合同大会のことを指している。1903年の第2回党大会、1906年の第4回党大会、1907年の第7回党大会。
(4)ボリシェヴィキとメンシェヴィキが分裂した1903年から、この論文が書かれている1914年までの12年間を指している。
(5)ダーフィット、エドワルト(1863-1930)……ドイツ社会民主党の経済学者。農業理論に関してマルクスを批判。第1次大戦中は排外主義者。
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