チヘイゼへの手紙

トロツキー/訳 西島栄

ニコライ・チヘイゼ

【解説】この手紙は、トロツキーが、党の統一のために国会議員団が積極的なイニシアチブをとることを議員団の指導者であったチヘイゼに要請したものである。(右の写真は演説するチヘイゼ)

 この手紙の中でレーニンについて「ロシア労働者運動のあらゆる後進性の職業的利用者」と呼んでいることがその後の党内闘争でもっぱら強調されたため、あたかもこの手紙の目的がレーニンを糾弾することにあったかのように受け取られているが、実際にはそうではない。この手紙は、むしろ、メンシェヴィキの側がレーニン派と同じような分裂主義に陥りつつあることに警鐘を鳴らし、統一した国会議員団をかろうじて維持していた社会民主党国会議員団の指導者に統一回復のイニシアチブの発揮を訴えることこそが、その主要な目的なのである。

 しかしながら、1920年代の党内闘争において、手紙の一部の文言だけが全体の文脈から切り離されて、スターリニストによって反トロツキー・カンパニアに利用された。その後の歴史研究者も、手紙の全体を考察することなく、一部の文言だけを取り上げた。こうして、トロツキーの党統一のための闘争に占めるこの手紙の意義も見失われることになってしまった。

Письмо Тов.Троцкого к Чхеидзе, К истории русской революции, Политиздат, М., 1990.


(ウィーン、1913年4月1日)

セント・ペテルブルク、タヴリーダ宮殿、国会議員ニコライ・セメノヴィチ・チヘイゼ宛て

 

 親愛なるニコライ・セメノヴィチ。

 まず最初に、あなたの演説、とりわけ暴力行為に関する演説を読んだことで得られた喜び――政治的であるだけでなく、美学的な――について、あなたに感謝を申し上げたいと思います。そもそも言っておかなければなりませんが、『ルーチ』編集部でわれわれの国会議員団の演説や労働者の手紙を読むときや、労働者運動の諸事実について記録するときに、私の心は喜びで満たされます。そして、くだらないいさかい――かかる仕事の達人であるレーニン、ロシア労働者運動のあらゆる後進性のこの職業的利用者が系統的に焚きつけるいさかい――が何か無意味な幻影のように思えてきます。まともに思考するヨーロッパの社会主義者なら誰1人として、クラクフ(1)でレーニンがでっち上げている偽りの意見の相違から分裂が可能になるとは信じていません。

 レーニンの「成功」それ自体は、それがいかにブレーキになろうとも、私にはそれほど大きな危険性を引き起こすとは思えません。今は1903年でもなければ、1908年でもありません。カウツキーとツェトキンから横取りした「黒い金」にもとづいて、レーニンは機関紙を創刊し、人気のあった新聞の表題を奪い、その旗の上に「統一」と「非公式性」を打ちたて、日刊の労働者新聞が発行されたことそのものを――当然のことながら――自分たちの巨大な成果とみなした労働者の読者を引きつけました。その後、新聞が地歩を固めると、レーニンは、それをてこにして、サークル的陰謀と無原則な分裂主義を推進しました。しかしながら、労働者を統一に向かわせる自然発生的な力は克服しがたく、レーニンといえども読者とかくれんぼ遊びをせざるをえず、上から分裂を推進しながら下からの統一について語り、階級闘争の概念をサークル的・分派的規定にもとづいて理解しています。一言でいえば、現在、レーニン主義の全建造物は嘘と偽造の上に建築されており、自分自身を解体させる有毒な原理をそれ自身のうちに内包しています。疑いもなく、もう一方の側が理性的な振る舞いをするのなら、レーニン派の中でごく近いうちに激しい解体が起こるでしょう。まさに、分裂か統一かという問題領域で。

 しかし、繰り返しますが、もう一方の側が理性的な振る舞いをするならば、です。そして、レーニン主義それ自体が危険を引き起こさないとしても、次のことは認めないわけにはいきません。すなわち、レーニンが再び立ち直ってしっかり足元を固めるのを、われわれの友人である解党派が助けるようなまねをしないという確信が私にはまったくないということです。

 現在、二つの政策が存在します。[一つは]時代遅れの分派的障壁を思想的かつ組織的に破壊すること、したがってまた、レーニン主義の基礎そのものを破壊することです。なぜなら、レーニン主義は、労働者の党的・政治的組織と共存しえないのに、分派的線引きの厩肥があれば大いに繁栄するからです。もう一つは、反対に、戦術的意見の相違を入念に掘り起こすことによって、反レーニン主義派(ないしメンシェヴィキ、ないし解党派)を分派的に選抜することです。メンシェヴィキの一部――最も保守的な部分――はまさにこの第2の戦術に向かいつつあります。そしてこの点にこそ、私の意見では、主要な危険性があります。

 国会議員団の多数派[メンシェヴィキ系議員団]の気分について私の知るところでは、現時点ではそれは党の発展にとって救いとなるように思われます。しかし、彼ら多数派は、党の危機に対する自分たちの見解を党に知らせるためにあまりにもわずかなことしかしてこなかったように思われます。議員団のしかるべき行動(両機関紙での協力に関する決定など)は非常に重要なものでしたが、やはりエピソード的なものです。『プラウダ』が議員団の周囲に起こしているカオスの中で、広範な層にとって(議員団の)顔がかき消されてしまっています…。

 議員団は断固とした、権威ある形で次のように宣言するべきです。議員団は、以前と同様、明確な内部課題(すなわち何よりも統一)を擁護すること、けっして分派的実験の受動的材料にはなるつもりはないこと、をです。議員団からのしかるべき宣言は、広範な労働者層からの最も生き生きとした反響に出会うでしょうし、議員団をたちまち、社会民主党のすべての進歩的で生命力ある分子にとっての中心点にするでしょう。

 しかし、他の恒常的な課題も主要な意義を持っています。それは、『ルーチ』に対する厳重な統制です。この2、3ヶ月間の『ルーチ』の活動は、瑣末なけちつけに終始しており、政綱を政治的に適用するのではなくその形式的な擁護に熱中しています。そして、8月協議会の権威によって過去の解党主義の全体を擁護し、さらには、『ルーチ』と議員団の多数派を解党派と同一視しさえしています。これは、党の士気阻喪と議員団の分裂という分野でのレーニンの仕事を著しく容易にしました(このごろは『ルーチ』もかなりこの欠陥を直してきましたが)。議員団多数派と『ルーチ』を自らの旗にしている労働者の意識の中にも、こうして、多くの混乱が持ち込まれました。そしてこの混乱は、新聞紙上だけでなく、議員団にものしかかっています。なぜなら、労働者は編集部のことを知らなくても、その新聞に責任を負っているのが、『ルーチ』の政綱との連帯を表明した8人の国会議員であることを知っているからです。以上述べたことを詳しく検討するならば、次のように言わなければなりません。社会民主党建設の事業において成功を収める上で最も重要な条件は、現在、国会議員団の多数派によるより積極的な「内部」政策であるということです。「積極的」というのは、瑣末ないさかいに介入するという意味ではなく(まさか!)、1、自らの「信条」を断固として提示すること、たとえば、『ルーチ』紙上での声明などの形で、2、議員団の機関紙とならなければならない機関紙上で、政策の「先祖返り」的方法を完全に根絶することを目的として、『ルーチ』を油断なく統制すること、です。なぜなら、明日かあさってには、新しい「後方への飛躍」が起こらないとは私にはまったく確信できないからです。もしこのような飛躍が起これば、それはレーニンにとっての救いとなり、われわれ全体にとって自殺的なものとなるでしょう。

 とりわけ、議員団は、ロシア社会民主党の統合に関するドイツの同志たちのイニシアチブを煽動上の目的に利用することができます。もしあなたが、復活大際のときにベルリンにやってくれば、それはあらゆる意味で非常に有意義なことでしょう(とりわけ、カフカースの社会民主党にとってはそうです)。

 あなたの成功を願うとともに、心からあなたに手をさしのべます。

 N・トロツキー

 アドレス エリ・ブロンシュテイン、]T] ロドレルハッセ、25丁目、ウィーン

『ロシア革命の歴史によせて』所収

『トロツキー研究』第37号より

  訳注

(1)クラクフ……ポーランド南部の都市。当時レーニンはそこに滞在していた。

 

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