ツィンメルワルト宣言

トロツキー/訳 西島栄

第1次世界大戦の戦闘風景

【解説】これは、社会主義派による初めての国際的な反戦宣言であるツィンメルワルト宣言である。(右の写真は第1次世界大戦の戦闘風景)

 1914年に第1次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ各国の社会民主主義政党は、支配層に屈服し、軍事公債に賛成投票し、排外主義的熱狂に取りつかれ、自ら政府に参加して、戦争政策を遂行した。これは、社会主義の歴史上、前代未聞の裏切りであった。レーニンを中心とするボリシェヴィキ(『ソツィアール・デモクラート』)、トロツキーを中心とする『ナーシェ・スローヴォ』派、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトを中心とするスパルタクス派など、ごく少数の革命的社会主義者だけが、戦争前に国際社会主義が公に宣言していた反戦の立場を堅持し、帝国主義戦争を革命に転化する方針を追及した。

 1915年9月にスイスのツィンメルワルトで開かれた国際会議には、ヨーロッパ中から、帝国主義戦争に反対する社会主義者、労働運動家が集まり、プロレタリアートの国際連帯と平和のための闘争を確認しあった。この会議の宣言を起草したのがトロツキーであった。この会議には、レーニン、トロツキーらのような革命的社会主義者とともに、中間主義的な立場の社会主義者も参加していたので、その宣言の内容はかなり一般的・抽象的なものにとどまった。しかし、それでもこの宣言が採択されたことは、国際主義者の世界的結集に向けた大きな一歩であった。

Л.Троцкий, Манифест интернациональной социалистической конференций в Циммервальде, Война и Реворюция, Том.1, Мос. 1922.


  ヨーロッパのプロレタリアート諸君!

 戦争が始まって1年以上がすぎた。数百万の死体が戦場をおおい、数百万の人々が一生消えぬ傷を負った。ヨーロッパは巨大な人間屠殺場と化した。多くの世代の労働によってつくり出された文化が無駄に浪費された。今や最も野蛮なバーバリズムが、人間の誇りとなってきたあらゆるものに対しその勝利を祝っている。

 戦争を引き起こした直接的責任に関して何が真実であろうと、一つのことだけは確かである。このカオスを引き起こした戦争は帝国主義の産物だ、ということである。すなわち、全世界の人間労働と天然資源を搾取することによって、自己の利潤欲を満たそうとする各国の資本家階級の衝動がもたらしたものである。

 その際、経済的に遅れた、ないし政治的に脆弱な民族は、この戦争において血と鉄でもってヨーロッパ地図を自国の利益に応じて書き直そうとしている列強諸国への隷属に陥っている。ベルギー、ポーランド、バルカン諸国、アルメニアのような一連の国民や国家は、補償の駆け引きにおける取引対象とされ、全体ないし一部分が併合されるという運命に脅かされている。

 戦争の推進勢力は、この間、そのあらゆる卑劣さを見せながら露わになりつつある。人民の意識からこの世界的破局の意味を隠さなければならなかったはずの覆いが、1枚また1枚と剥がれ落ちている。流された人民の血を金に鋳造しているすべての国の資本家どもは、この戦争が祖国を防衛するため、民主主義のため、被抑圧民族を解放するためだと主張している。彼らは嘘をついている! 実際には、彼らは、多民族の独立とともに自国民の自由をも、荒野に埋葬しているのである。新しい枷、新しい鉄鎖、新しい重荷が戦争から生じ、敗戦国と勝利国とを問わず、すべての国のプロレタリアートはそれを引きずらなければならないだろう。開戦の際、福祉の向上が宣言された。だが、貧困と欠乏、失業と物価高、飢餓と伝染病が、戦争のもたらした実際の結果である。戦争による出費は、今後何十年も人民の最良の力を食いつぶし、すでに獲得された社会改良を脅かし、前進する一歩ごとにその歩みを妨害するだろう。

 文化的荒廃、経済的衰退、政治的反動――これが、この恐るべき人民虐殺の麗しき果実である。

 この戦争は現代資本主義の真の本質を暴露している。それはもはや労働者大衆の利益と両立しないだけでなく、歴史発展の要求と両立しないだけでなく、人間が生存していく上での最も初歩的な条件とも両立しえなくなった。

 人民の運命をその手に握っている資本主義社会の支配勢力――君主制および共和制の政府、秘密外交、強力な企業家団体、ブルジョア政党、ブルジョア・マスコミ、教会――の全員が、この戦争に対する全責任を負っている。なぜなら、この戦争は、彼らを養い彼らによって守られてきた社会秩序から生まれ、彼らの利益のために遂行されているからである。

 

  労働者諸君!

 搾取され、権利を奪われ、落としめられた労働者たちよ――戦争が勃発し、諸君を死地に送りだす必要が生じたとき、彼らは諸君を同志、兄弟と呼んだ。だが、軍国主義が諸君に障害を負わせ、ズタズタに引き裂き、落としめ、殺害している現在、支配者たちは、諸君に、自らの利益、自らの理念、自らの理想を放棄するよう求めている。つまり、挙国一致なるものに奴隷的に服従するよう求めている。諸君は、自らの見解・感情・痛みを表明する可能性を奪われ、自らの要求を出したり、それを擁護することが許されない。新聞雑誌は抑圧され、政治的権利と自由はふみにじられた。軍事独裁が鉄拳でもって支配している。

 われわれは、ヨーロッパの全未来と人類を脅かすこのような状況に、これ以上黙従的に堪え忍ぶことはできない。何十年にもわたって、社会主義プロレタリアートは軍国主義に対する闘争を遂行してきた。しだいに高まる不安を抱きながら、彼らの代表者は、帝国主義から生じますます脅威となりつつあった戦争の危険性という問題について、国内の大会や国際大会の場で取り組んできた。シュトゥットガルト、コペンハーゲン、バーゼルにおけるインターナショナルの大会はプロレタリアートに闘争の道を指し示した。

 さまざまな国の社会主義政党と労働者組織は、こうした決議に賛成してきたにもかかわらず、戦争が始まるや、自らに課せられた義務を裏切った。これらの組織の代表者たちは、労働者に、プロレタリアート解放の唯一可能で現実的な手段である階級闘争を中止するよう訴えた。彼らは軍事公債に賛成投票して、それを支配階級の自由に委ねた。自分自身を政府の自由に委ね、実にさまざまな奉仕を行なった。その新聞や特別大使を通じて、中立国を自国政府の政策の側に獲得しようとした。社会主義大臣として、挙国一致のための人質を自国政府に提供し、こうして、労働者階級の前で、その現在と未来の前で、この戦争の責任を、その目的と方法の責任を引き受けた。そして、個々の社会主義政党と同じく、すべての国の社会主義者の公式の代表者たる国際社会主義ビューローも破産してしまった。

 こうした状況が一つの原因となって、国際労働者階級は、戦争の最初の時期には民族的パニックに屈していなかった、ないしそれを免れていたにもかかわらず、人民虐殺の2年目になってもなお、すべての国でいっせいに平和のための断固たる闘争に着手するいかなる手段も道筋も見出せないでいるのである。

 こうした耐えがたい状況に鑑みて、われわれ、社会主義政党と労働組合、およびその少数派の代表者は、われわれ、ドイツ人、フランス人、イタリア人、ロシア人、ポーランド人、ラトヴィア人、ルーマニア人、ブルガリア人、スウェーデン人、ノルウェー人、オランダ人、スイス人は、搾取階級との民族的連帯の基盤に立つのではなく、プロレタリアートの国際的連帯と階級闘争の基盤に立つわれわれは、引き裂かれた国際的結びつきを再建し、労働者階級に自分自身に対する義務を思い起こさせ、平和のための闘争に着手するために、ここに集まった。

 この闘争は、自由のための闘争、諸国人民の友好のための闘争、社会主義のための闘争である。無併合・無賠償の講和のための闘争を開始しなければならない。このような講和は、人民の権利と自由を抑圧しようとするあらゆる思惑を断罪する場合のみ可能となる。国全体ないしその一部分を強奪することによって、強制的に自国と統一することは許されない。公然たるものであれ、隠されたものであれ、どんな併合も、どんな強制的な経済的統一も許されない。それは、必然的に政治的無権利状態をもたらすがゆえに、耐えがたい状況をますます耐えがたいものにするだろう。民族自決は、民族問題に関する不動の土台とならなければならない。

 

   プロレタリア諸君!

 戦争の開始以来、諸君は、その真の力、その勇気、その忍耐強さを、支配階級の奉仕に委ねてきた。今や諸君は、自分自身の事業のための、社会主義という神聖な目的のための、被抑圧人民と勤労階級の解放のための闘争を開始しなければならない――プロレタリアートの仮借なき階級闘争を通じて。

 交戦諸国の社会主義者の課題と義務は、断固としてこの闘争に着手することである。中立諸国の社会主義者の課題と義務は、血塗られた蛮行に対する闘争を遂行している兄弟たちを、あらゆる実際的手段でもって支援することである。

 世界史において、これほど緊急で、これほど重要で、これほど高邁な課題はなかった。その実現は、われわれの共同の事業でなければならない。どんな犠牲を払っても、どんな困難に直面しても、この目的を達成しなければならない。諸国人民の平和という目的を。

 男女労働者諸君! 母よ父よ! 夫を亡くした妻、親を亡くした子供たちよ! 傷つき障害を負った人々よ! 戦争で苦しむすべての人々に、あなた方すべてに、われわれは訴える。

 国境を越え、硝煙たなびく戦場を越え、破壊された町や村を越えて訴える。

 万国のプロレタリアート、団結せよ!

ツィンメルワルト(スイス)、1915年9月

『戦争と革命』第1巻所収

『トロツキー研究』第14号より

 

トロツキー研究所

トップページ

1910年代前半