フランスにおける共産主義者と農民
統一戦線をめぐる討論によせて
トロツキー/訳 西島栄
【解説】この論文は、1921〜22年にコミンテルンの統一戦線政策をめぐってフランス共産党指導部とのあいだで繰り広げられた論争の一環として書かれたものである。とりわけ、この論文では、フランス国内で共産党が多数派になるための不可欠のモメントである農民を労働者階級の指導のもとに引き入れるための戦術として統一戦線が考察されている。トロツキーはとりわけ次のように述べている。
「フランスにおける労働者戦線の統一という問題は基本的な問題である。この問題を解決することなくしては、農民のあいだの活動は、それがどんなにうまくいっても、われわれを革命に近づけることはないだろう。農民の中でのプロパガンダや優れた農業綱領は、成功のための非常に重要な要因である。しかし、農民は現実主義的で疑い深い。彼らは口先の言葉を信じない。フランスではこれまでしばしば農民がだまされてきたのだからなおさらである。フランスの農民は――農村の中でも兵営の中でも――単なる綱領的なスローガンによっては本格的な闘争には引き込まれないだろう。彼らが重大な危険を犯すのは、成功を保証するような、あるいは少なくともそれをかなりの程度可能にするような諸条件が存在する場合のみである。彼らにとっては、大衆性と規律正しさによって自分たちに信頼感を起こさせる力をもった勢力が目の前に存在していることが必要である。労働者階級は、政治や労働組合の戦線で分裂しているかぎり、けっして、農民の目の前にこうした勢力として現われることはできない」。
この論文の最初の邦訳は現代思潮社版の『コミンテルン最初の5ヵ年』であるが、この論文は『フランスにおける共産主義運動』所収のロシア語原文から訳しなおされている。
Л.Троцкий, Коммунисты и крестьянство во Франции,Коммунистическое движение во Франции. Москобский Рабочий, 1923.
統一戦線の問題をめぐるフランスの同志たちとの意見の相違は、なくなったというにはほど遠い状況にある。 反対に、フランスの党機関紙に発表されたいくつかの論文から判断するならば、意見の相違と誤解は――少くとも党内の一部においては――、当初の見た目よりもずっと根深いという印象を受ける。私の手もとには、『ユマニテ』(1922年4月6日)の社説として発表された同志ルノー・ジャン(1)の論文がある。同志ジャンはすぐれた党活動家の1人で、マルセーユ大会では農業問題に関する報告を行なった。彼は精力的かつ卒直に――これはわれわれの望むところだ――、われわれの擁護した見解に反対を表明した。この見解は彼には誤っていると思われたのだ。彼の論文の題名の中で、彼は統一戦線の戦術を危険でまずい戦術だとしている。本文の中で、彼は、フランスにおけるこの戦術から必然的に破局が生じるだろうと直截に述べている。
「わが国は普通選挙によって4分の3世紀もの間むしばまれてきた。フランス国民が階級に分裂しているという意識はごくわずかの人々のあいだにしか浸透していない…。ブルジョア共和国フランスは混乱の『約束の地』だ」。
まったく正しく確認されているこれらの事実から、同志ジャンは、次のような結論を引き出しているが、これにはわれわれも全面的に賛成である――「共産党はこの国では他のどの国でよりも非妥協的でなくてはならない」。
さて、こうした非妥協性の見地から、同志ジャンはその打撃を統一戦線に向ける。 彼にとってこれは、あいかわらず、政党間の協調主義的野合以外の何ものでもないように見える。われわれは次のように言うことができるだろうし、実際にそう言っている。すなわち、最も重大な戦術上の問題に対するこのような評価は、同志ジャン自身がまだフランス社会主義の純議会主義的伝統の影響から解放されていないことを物語っている、と。ここでわれわれにとって問題になっているのは広範な大衆を獲得することであり、労働者階級の前衛の周囲に張りめぐらされたブルジョア協調主義の封鎖を打ち破ることである。ところが、同志ジャンは頑固に統一戦線を次のようなものとしか見ていない。すなわち、せいぜいのところ、わが党の議席(!!)を若干増やすにすぎない「ずるがしこい」マヌーバーであり、しかも、その代償としてプロレタリアートの政治意識に無秩序と混乱を増大させることになるのだ、と。 しかしながら――そしてこの点では彼はまったく正しいのだが――フランスは他のどの国にもまして、党の明瞭で正確で断固とした政治的思考と活動が必要なのだ。だが、同志ジャンが、フランス共産党は最も非妥協的でなくてはならないと考えているならば、どうして彼は、今日フランス共産党があらゆる偏向に対して最も妥協的で最もがまん強く最も寛容であるという事実について説明する労をとらないのだろうか?
同志ジャンが明瞭かつ正確に自らの批判を定式化しているのだから、われわれもできるだけ明瞭かつ正確に答えよう。フランスの党機関紙に掲載されているような、革命的暴力に反対する退屈でセンチメンタルな人道主義の精神にもとづく論文や声明や演説は、他のどの国の共産党においても考えられないだろう。ルノー・ジャンはまったく正しくもブルジョア民主主義イデオロギーの「壊疽」について語っているが、そのイデオロギーが労働者階級に及ぼす最も重大な影響は、彼らの革命的本能と攻勢的意志を鈍らせ、プロレタリアートの能動的傾向を無定形な民主主義的展望に溶解させる点にある。周知のように重大な瞬間にはいつでもフランス軍国主義の前に這いつくばる用意がある「市民人権同盟」の人道主義的おしゃべりや、政治的ベジタリアンの道徳主義的・トルストイ主義的説教、等々は、外見的には第3共和国の公式の政策とどんなに異なっているように見えようとも、結局のところはその政策を補完することで、それに最上の奉仕をしているのである。社会主義的美辞麗句で身を隠した無定形な平和主義的アジテーションは、ブルジョア体制のこの上のない道具である。このことは、真面目な平和主義者にはパラドクスのように思われるかもしれないが、そうなのである。
ポアンカレもバルトゥー(2)も、ジョルジュ・ピオシュ(3)の平和主義的賛歌によって動揺させられたり、心を動かされたりはしない。しかし、こうした説教は勤労者の一定部分の意識に豊かな土壌を見出すだろう。ブルジョア体制と軍国主義的暴力に対する敵意は人道主義的きまり文句のうちに、真面目だが不毛のはけ口を見出し、行動へと発展することなく使い果たされてしまう。ここにこそ平和主義の社会的機能が存在する。このことがとりわけ明確に暴露されたのはアメリカにおいてである。かつて、ブライアン(4)の一派は、まさに平和主義のスローガンによって自営農民(ファーマー)に巨大な影響を与えた。ヒルキット(5)型の社会主義者やその他の連中、すなわち、すばらしく抜け目のない人間だと自負しているが実際には単なる間抜けなお人好しである彼らは、まんまと小ブルジョア的平和主義のワナに陥り、こうしてアメリカの参戦を容易にしたのである。
共産党の任務は、労働者階級のうちに支配階級に対する実力行使の決意を目覚めさせることだが、そのためには、歴史を既存の段階に押しとどめる働きをする反動的暴力と、過去から積み上げられたいっさいの障害物を歴史の進路から一掃する創造的使命を担う革命的暴力とを区別するすべを教えなければならない。この二つのタイプの暴力を区別することを欲しない者は、階級の違いを区別しない者であり、すなわち生きた歴史を無視する者である。あらゆる軍国主義、ありとあらゆるタイプの暴力への反対を宣言する者は、不可避的に支配者の暴力を支えることになってしまう。なぜなら支配者の暴力は、国家の法によって正式に承認・確立され、文化の中に深く浸透しているからだ。
支配者の暴力を打倒するには別の暴力が必要だが、それは何よりもまず、勤労者の意識の中でしかるべき正当性を獲得しなければならない。
コミンテルン執行委員会の最近の会議※は、フランス共産党の内部生活に見られる、同党がけっして最も非妥協的な党ではないことを物語るその他の一連の諸事実を指摘した。にもかかわらず同党は、最も非妥協的な党でなくてはならず、それは政治的状況全体によって要求されている。一つの点で、われわれは同志ルノー・ジャンと意見が一致する。つまり、統一戦線の方法を適用するには、党の政治的意識が完全に明瞭かつ正確で、党の組織が整然としていて、党の規律は適正なものでなくてはならない、ということである。
※原注1922年2月22日から3月4日まで開催された第1回コミンテルン拡大執行委員会総会のこと。
さらに同志ジャンは、統一戦線の政綱として提起されている諸要求の一覧(賃金に対する課税反対の闘争、8時間労働制の擁護、等々)の中に、フランスの勤労者の優に半ばを占める農民に直接関わる要求がただの一つも見つけることができなかったという事実を引き合いに出している。8時間労働制や賃金への課税が農民にとってどんな意味をもつのか、というわけだ。
同志ジャンのこうした議論は、われわれにはきわめて危険なものに思われる。小農の問題はフランスの革命にとって議論の余地なく巨大な意義を持っている。わがフランス党は、農業綱領を作成し、農民大衆を獲得するための活動を日程にのせることによって、大きな前進をとげた。しかし、フランスのプロレタリアートを「勤労者」ないし「働く者」の中にその単なる半分として単純に解消するならば、それはきわめて危険であり致命的ですらある。現在われわれは組織的のみならず政治的にも、フランス労働者階級の少数部分しか掌握していない。革命が可能になるのは、われわれが労働者の多数派を政治的に獲得したのちのことである。革命の旗のもとに団結したフランス労働者階級の多数派だけが、フランスの小農を引きつけ、導くことができるのだ。
フランスにおける労働者戦線の統一という問題は基本的な問題である。この問題を解決することなくしては、農民のあいだの活動は、それがどんなにうまくいっても、われわれを革命に近づけることはないだろう。農民の中でのプロパガンダや優れた農業綱領は、成功のための非常に重要な要因である。しかし、農民は現実主義的で疑い深い。彼らは口先の言葉を信じない。フランスではこれまでしばしば農民がだまされてきたのだからなおさらである。フランスの農民は――農村の中でも兵営の中でも――単なる綱領的なスローガンによっては本格的な闘争には引き込まれないだろう。彼らが重大な危険を犯すのは、成功を保証するような、あるいは少なくともそれをかなりの程度可能にするような諸条件が存在する場合のみである。彼らにとっては、大衆性と規律正しさによって自分たちに信頼感を起こさせる力をもった勢力が目の前に存在していることが必要である。労働者階級は、政治や労働組合の戦線で分裂しているかぎり、けっして、農民の目の前にこうした勢力として現われることはできない。
フランスで革命が勝利するための前提条件は、農民の一定部分を、可能ならばその広範な部分を労働者階級の側に引きつけることである。だが、彼らを引きつけるための前提条件は、やはりフランス労働者階級の圧倒的多数を革命の旗のもとに団結させることである。これが基本的な課題である。現在ジュオーやロンゲに従っている労働者を獲得しなければならない。そのような労働者はほとんどいないと言うなかれ。もちろん、ロンゲやブルムやジュオーの能動的で自己犠牲的な支持者、すなわちその綱領のために生命を投げ出す覚悟をしているような人々の数は、ほんのごくわずかである。だが、受動的で無知で日常に流され心身ともに不活発な人々は非常に多い。彼らは今のところ傍観しているが、事態の発展によって突き動かされる場合には、今の状況のままでは、われわれの旗のもとではなくむしろジュオー=ロンゲの旗のもとに馳せ参じるだろう。なぜなら、ジュオー=ロンゲは、労働者階級の受動性と無知と後進性を反映しているとともに、それを利用しているからである。
党の農民活動を指導している同志ジャンが、プロレタリアートよりも農民に不釣合いなほど大きな注意を向けていることは、実に残念なことであるが、説明できることであり、それほど危険なことではない。なぜなら全体としての党は彼の偏向を修正することができるからである。しかし党が、同志ジャンと同じ観点に立ってプロレタリアートを単に勤労者の「半分」だとみなすならば、それこそ真に致命的な結果をもたらすだろう。なぜならその場合、党の革命的な階級的性格は、無定形な「勤労者党」に解消されてしまうからである。こうした危険性は、さらに同志ジャンの思考の展開を追うならば、いっそうはっきりとしたものになる。彼は、すべての勤労者を包含しないような闘争課題、彼の表現によれば、「プロレタリアートの二つの主要部分に共通な要求を含まない」闘争課題をきっぱり拒否している! ここでは「プロレタリアート」という言葉は、プロレタリアートだけでなく農民のことをも指している。こうした言葉の濫用はきわめて危険なものであり、政治的には、プロレタリアートの諸要求(8時間労働制の維持、賃金水準の防衛、等々)を農民の統制のもとに置こうとする同志ジャンの試みにつながっている!
農民は小ブルジョアである。彼らはある程度までプロレタリアートに接近することができるし、一定の条件のもとでは、プロレタリアートによって多少なりとも革命の事業に獲得することができる。だが農業小ブルジョアジーをプロレタリアートと同一視し、プロレタリアートの要求を小農の立場から制限することは、党の真の階級的土台を否定して、農民的・議会主義的フランスではきわめて有利な土壌を有しているまさにあの混乱の種を蒔くことを意味する。
8時間労働制は――われわれがジャンから聞いたところでは――、農民には何の「関わり」もないからフランスにおける統一戦線のスローガンになりえない。だがそれに対して、軍国主義に反対する闘争は――ジャンの観点からすると――フランスに真の革命的綱領を与えるものらしい。戦争にだまされたフランスの小農が軍国主義に対する憎悪に満たされ、反軍国主義的な演説に共感を寄せていることには、いかなる疑いもありえない。言うまでもないことだが、われわれは、都市部でも農村でも資本主義的軍国主義を容赦なく暴露しなければならない。戦争の教訓は徹底的に利用されなければならない。しかしながら、農民の反軍国主義がどの程度まで独立した革命的意味を持ちうるかという点に関して現実を見誤ることは、きわめて危険なことである。農民は彼らの息子を兵営に送ることを望んでいないし、軍隊を維持するために税金を払うことも望んでいない。彼らは、軍国主義に(「あらゆる軍国主義」にさえ)反対する演説家に心からの拍手をおくる。だが、軍隊に対する農民の反対は、革命的次元に根ざすものではなく、ボイコット主義的・平和主義的次元に根ざしている。「ほっといてくれ(Fichez-moi la paix)」――これが農民の綱領だ! こうした気分は、革命のために有利な雰囲気をつくり出すことはできても、そこから革命をつくり出すことも、その成功を保証することもできない。
ピオシュ流のセンチメンタルな平和主義は、国家や軍国主義に対する農民的態度であって、けっしてプロレタリア的態度ではない。歯まで武装した国家に直面している組織された自覚的プロレタリアートは、自らの独裁によってブルジョアジーの暴力を打倒し破壊するためには、どのようにして自らを組織し武装すればよいのかという問題を提起する。だが、孤立した農民はそうした立場とはほど遠い。彼らはただ軍国主義に反対し、これを憎悪し、それに背を向けるにすぎない。――「ほっといてくれ!」「諸君の軍国主義で俺を煩わさないでくれ!」。これが、不満を持った反体制的農民やインテリゲンツィアや都市小ブルジョアの心理である。われわれの同盟者になりうる小ブルジョア的・半プロレタリア的分子のこうした気分を利用しないのはナンセンスだが、この気分をプロレタリアートとわが党の中に持ち込むのは犯罪的だろう。
社会愛国主義者たちは、その愛国主義ゆえに、農民に近づくことを自ら困難にしている。われわれはこうした利点を全面的に利用しなければならない。だか、このことは、けっして、階級的・プロレタリア的諸要求を後景に押しやることを正当化するものではない。たとえ、われわれの友人である農民とのあいだに一時的な不和を引き起こす危険性があったとしても、である。小農は、あるがままのプロレタリアートに従わなければならない。プロレタリアートは、農民に似せて自らを作り変えることはできない。共産党が、プロレタリアートの死活に関わる階級的諸要求を回避して、平和主義的反軍国主義を前景に押し出しながら最小抵抗線にそって進むならば、農民と労働者と、そして自分自身をも欺くことになるだろう。
他のすべての国と同様、フランスにおいても、われわれにとって必要なのは何よりも、プロレタリアート自身の戦線の統一であり、同志ジャンが恣意的に社会学上の用語を濫用したからといって、フランスの農民がプロレタリアートになるわけではない。だが、ジャンがこうした濫用を必要とすること自体、途方もない混乱の種をまく結果にしかならないあの誤った政策の危険な徴候なのである。だがフランス共産主義は、他のどの国の党よりも、明瞭さと正確さと非妥協性を必要としている。この点ではわれわれは、いずれにせよ、わがフランスの反対者たちと意見が一致しているのである。
1922年4月29日
『コミンテルンの5ヵ年』所収
『ニューズ・レター』より
訳注
(1)ジャン、ルノー(1887-1961)……フランス共産党の指導的メンバー。1907年にフランス社会党に。1920年にフランス社会党のコミンテルン加盟を支持。1921年のマルセーユ大会で中央委員に選出。農民問題を担当。第4回コミンテルン世界大会にフランス代表団の一員として参加。
(2) バルトゥー、ジャン・ルイス(1862-1934)……フランスのブルジョア政治家。1894〜1910年、歴代内閣で各種大臣を歴任。1913年に首相になり、3年兵役制を成立させる。1934年に外相になるが、マルセーユにユーゴ国王を迎えたとき、王とともに凶弾を受けて死亡。
(3) ピオシュ、ジョルジュ(1873-?)……ジャーナリスト、元フランス共産党員。第1次世界大戦後、「第3インターナショナル委員会」に協力し、トゥーラ大会後セーヌ連合委員会の書記に。マルセーユ大会後にフランス共産党中央委員会候補に。その後、トルストイ主義的な立場から赤色「軍事主義」に反対して、党を除名。
(4) ブライアン、ウィリアム(1860-1925)……アメリカのブルジョア政治家。民主党の指導者。1913〜15年、ウィルソン政権の国務長官としてアメリカの厳正中立を主張。
(5) ヒルキット、モーリス(1869-1933)……アメリカの社会主義者。ラトビア生まれで、1886年に渡米。1893年にニューヨークで弁護士になる。アメリカ社会党の創設者の一人。
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