統一戦線
トロツキー/訳 湯川順夫・志田昇・西島栄
【解説】本稿は、1922年2月に開催された第1回コミンテルン拡大執行委員会総会で行なわれた演説である。この拡大執行委員会総会には、フランスからはカシャン、ルヌー、セリエ、スタイエ、それにモスクワ滞在中のスヴァーリン、トラン、ケール、ロスメルらが出席した。この執行委員会総会では、フランス、イタリア、スペインの党が統一戦線戦術に反対したが、フランス共産党の危機を考えて、トロツキーのもとに、ツェトキン、ジノヴィエフ、アンベール・ドロー、ヴァレツキ、アンブロージ、コラロフ、フランスの代表から成るフランス委員会が設置され、この問題についての討論が行われた。
トロツキーは、この委員会のためにフランス向けの「統一戦線について」というテーゼを書き(『コミンテルン最初の5ヵ年』下巻に所収)、それを踏まえて今回の演説を行なっている。この演説の中でトロツキーは、統一戦線反対の中心であったイタリア共産党とフランス共産党のそれぞれの代表者(ウンベルト・テルラチーニとダニエル・ルヌー)に対し詳細な反論を加え、統一戦線戦術の正しさを説得的に示している。
この拡大執行委員会総会では、統一戦線戦術が承認され、トロツキー起草の「フランス問題に関するコミンテルン拡大執行委員会総会の決議」も採択された。フランス共産党代表団は、総会の決議を承認し、中央委員会に左派を復帰させ、『ジュルナル・デュ・ププル』の党からの放逐を約束した。しかしながら、この約束は中途半端にしか実行されなかった。
Л.Троцкий, Единый фронт,Коммунистическое движение во Франции. Москобский Рабочий, 1923.
同志諸君! 私は昨日の会議には出席しなかったが、執行委員会が提案した戦術に原則的に反対する2人の発言――同志テルラチーニ(1)
[右の写真]と同志ダニエル・ルヌー(2)の発言を注意深く読んだ。私は同志ラデックの次のような発言に同意する。すなわち、同志テルラチーニの発言は、コミンテルン第3回大会におけるわれわれのテーゼのいくつかに対して彼が提起した反対論の焼き直しにすぎず、正直なところ、それから大して改善されていない、という発言である。
だが、情勢は変化した。
第3回大会では、われわれは、イタリア共産党やその他の共産党がかなり有害な結果を招く可能性のある行動に乗り出す危険性に直面していた。今では、むしろ消極的な性質の危険が存在している。それは、共産党が、労働運動にとって大いに有意義になりうるしそうなるに違いない行動への参加を控えるという危険である。
この消極的な性質の危険性は、積極的な危険性ほど危険ではない。だが、時間は政治においては重要な要素であり、この時間をみすみす逃してしまえば、それは他の者によって、すなわちわれわれの敵によって利用されるだろう。
同志テルラチーニは次のように述べた、「もちろん、われわれは大衆の行動に賛成であり、大衆の獲得に賛成である」と。これは、彼が自分の発言の中で常に繰り返している点である。だが、他方で、プロレタリアートの共同闘争の支持者であるはずの彼は、コミンテルン執行委員会が言っているような意味での統一戦線には反対している。
同志諸君、プロレタリア党の代表が、「われわれはプロレタリアートの多数の獲得に賛成であり、われわれは『大衆の中へ』というスローガンに賛成である」と絶えず繰り返すのを聞くと、第3回大会で行なわれた論争の遅ればせの反響であるように思える。第3回大会では、革命が切迫している時期に全面的に突入したのだという確信が存在し、革命全般を――つまりロシア革命のみならず革命全般を――支持するプロレタリアートの一般的な気分、戦争から生まれたこの気分だけで、革命を遂行するのに十分であるように思われていた。だが、その後の事態が証明したように、この状況評価は誤っていた。第3回大会の時に、われわれはこの問題を検討して、次のように述べた。「そうではない。今日、始まっているのは新しい段階である。ブルジョアジーは現在、完全に確固としていないとしても、われわれ共産党員がそれを打倒するためにはまず労働者の多数の獲得という問題をただちに提起しなければならない程度には自分の足でしっかりと立っている」と。
いかに大衆を獲得すべきか
そして、今日、同志テルラチーニはあいかわらず次のように繰り返している、「われわれは大衆の獲得につながるような行動に賛成である」と。もちろんだ。だが、われわれはすでにもう少し高い水準にいて、今では行動を通じてこれらの大衆を獲得する方法について討論しているのだ。いかに大衆を獲得すべきかという観点からは、共産党は当然ながら論理的に三つのカテゴリーに分類される。
一つは、その発展の初期段階にあり、確固とした組織として大衆の直接的行動に大きな役割をまだ果たすことのできない党である。もちろん、これらの党には、他のすべての共産党と同様に、大きな未来がある。だが、これらの党は現時点では多くの組織メンバーを擁していないので、プロレタリア大衆の行動においてそれほど重きをなすことができない。そこで、これらの党は、当面、労働者階級の中で足場を固め、行動の時期にプロレタリアートに影響力を及ぼす可能性を獲得するために闘争しなければならない。たとえば、ベルギーやイギリスでは、この問題は、プロレタリア戦線の中で一定の位置を占めるための、プロレタリアートに影響を及ぼすための、その運動から孤立しないための闘争として提起される(この課題をわれわれのイギリスの党は非常にうまく果たしている)。
二つ目は、プロレタリアートを完全に獲得している党である。それがブルガリアのケースであると同志コラロフは言ったが、それは正しいと思う。それは何を意味しているだろうか? それは、ブルガリアがプロレタリア革命のために成熟しているが、それを妨げているのは国際的諸条件であることを意味する。したがって、このような場合には、統一戦線の問題は提起されないか、ほとんど提起されない。
以上の対極的事例のあいだには、すでに思想的勢力であるだけではなく、量的にも組織として一定の勢力を代表している党が存在する。そして、これは、大部分の共産党にあてはまる。それらの勢力が、組織された前衛層の3分の1ないし4分の1に、あるいは半分ないし半分を少し上回るほどの勢力になっている場合もあるが、それによって全体的情勢が変わるわけではない。
これらの党の課題は何か? プロレタリアートの圧倒的多数を獲得することである。どのような目的のためにか? プロレタリアートを権力獲得へと、革命へと導くためである。この瞬間がいつやってくるのか、それはわからない。6ヵ月後か、6年後に実現するとしよう。おそらく国によって6ヵ月から6年までの間であろう。だが、理論的には、この準備期がさらに長く続く可能性も排除できない。だから、私は次のような問いを発する。われわれはこの時期に何をするべきなのか、と。われわれは、プロレタリアート全体の多数派、その意識を獲得するために倦むことなく闘う。だが、このことに成功するのは、今日ではないし、明日でさえない。われわれは、今のところ、プロレタリアートの前衛の党にすぎない。それでは、われわれがプロレタリアートの全体を獲得する瞬間まで、階級闘争は停止しなければならないのだろうか? これが、同志テルラチーニおよび同志ルヌーに対して私が提起する問題である。パンを求めるプロレタリアートの闘争は、全労働者階級に支持された共産党が権力を獲得する瞬間まで待たなければならないのか? いやそうではない。闘争は待ってくれないし、それは続けられる。われわれの党に入っている労働者やその外部にとどまっている労働者も、社会民主党に入っている労働者やその外部にとどまっている労働者も、大なり小なり――時機とプロレタリアートの状況に応じて――、自分たちの直接的利益のために闘争するだろうし、そうすることができる。そして、自分たちの直接的利益のための闘争は、帝国主義のこの重大な危機の時代にあっては、常に革命的闘争の発端となる。この点は非常に重要であるが、ここでは余談である。
当面する行動
さて、われわれの党に入っておらず、われわれの党を理解していない――だからこそ入党していないのだが――労働者は、一切れのパン、一切れの肉のために闘う機会を求めている。これらの労働者は、共産党と社会党が別個に存在するのを見て、なぜ両党が分かれているのかを理解できない。これらの労働者は改良主義的な労働総同盟(CGT)に属し、イタリアでは社会党に加盟するか、あるいはそもそも政党の外にとどまるかしている。そしてまさに、彼らは、これらの組織、あるいはこれらのセクト――こうした半ば意識的な労働者たちが自分たちの言葉でそれをどう呼んでいるのか私は知らない――に向かって、「今すぐわれわれに闘争の機会を与えよ!」と言っている。われわれはこれらの労働者に「われわれが[他の組織から]分離しているのは、君の未来を、君の偉大なる明日を準備するためだ」と答えることができるだろうか? 今日という日に心を奪われている彼らはわれわれの言うことを理解しないだろう。だいたい、彼らがこうした論拠(彼らにとっては異常に難解な論拠)を理解できるぐらいなら、われわれの党に入っていることだろう。
労働者はこのような心理状態にあり、異なるさまざまな労働組合組織や政治組織を前にして混乱しており、たとえ部分的であろうと、小規模なものであろうと、当面する行動を準備するのが不可能な状態に置かれている。そういうときに、共産党がやって来て労働者に向かって次のように語りかけるのである。「友よ、われわれは別々に分かれている。諸君は、そのことが間違っていると思っている。私はその理由を諸君に説明することができる。そのことが理解できないだろうか。残念だ。だが、われわれ共産党と社会党は別々に存在しており、それと並んでサンディカリスト、改良主義者、革命的サンディカリストがいる。われわれ共産党員は自らがまったく正当であるとみなす理由から独立した組織として存在している。にもかかわらず、われわれ共産党員は、諸君に一切れのパンのためにただちに闘争することを提案する。われわれは、諸君に、諸君の指導者たちに、プロレタリアートの何らかの部分を代表しているすべての組識にそれを提案する」。
これは、大衆の心理、プロレタリアートの心理にまったくかなったものである。これに対して激しく抗議している同志たちは――このことは問題の重要性と深刻さによって説明がつく――、広範なプロレタリア階級の意見よりもはるかに、改良主義者、日和見主義者とのまだ冷めやらぬ分裂の苦渋の過程を反映しているものと私は確信している。『ユマニテ』の同じ編集部で、たとえばロンゲ(3)といっしょに活動をしていて、その後、大変な苦難の末に彼と決別したジャーナリストにとって、その後で再びロンゲに呼びかけること、ともに話し合おうと提案すること、こうしたことが心理的にもモラル的にも困難であることを、私は非常によく理解している。だが、プロレタリア階級については、フランスの大衆については、何百万ものフランスの労働者については、残念ながら、以上すべてのことはまったく気にかける問題ではないのだ。彼らは党員ではないからである。だが、われわれが彼らに、「われわれ共産党員は今すぐに、一切れのパンを要求する大衆の行動のイニシアティブを取るだろう」と語りかけるとき、労働者はコミンテルンやフランス共産党を非難するだろうか? いや、けっして非難しないだろう。
統一戦線への反対論
同志諸君、とりわけフランスで見られるこの種の見解がプロレタリア大衆の意見を反映したものではなく、一方では古い党で生じたことの遅ればせの反響であり、他方では、分裂の苦渋の過程の遅ればせの反響であることを諸君に示すために、私はいくつかの論文からの抜粋を引用しよう…。許していただきたいのだが、フランスの同志たちは、引用に対するわれわれの熱中を少しあざ笑っている。そのうちの1人はわれわれの文献引用の長さについてとても機知に富んだことを言っている。だがそうする以外にないのである。引用は労働運動の枯れた花である。だが、多少とも植物学を知っていて太陽の下で野原に咲く花を見たことがある人なら、枯れた標本を前にしてさえ、生きた姿を思い浮かべることができるのである。
フランスでよく知られている同志の文書を引用しよう。それは、同志ヴィクトル・メリック(4)である。彼は統一戦線に対する反対論をすべての人に理解できる形で提起している。彼は、ユーモアに訴えながらこの反対論を広めている。ここで彼が言っていることは冗談だが(私に言わせれば非常に悪い冗談だ)、これをありのままに解釈しなければならない。
「われわれはブリアン(5)と統一戦線を結ぶのか? 結局のところ、ブリアンもまた分裂派、最初に成熟した分裂派、先駆的な分裂派にすぎない。彼はやはり名門[フランス社会党のこと]の出身なのだ」(『ジュルナル・デュ・ププル』1月13日号)。
こうして、コミンテルン執行委員会が、「君たちフランス共産党は労働者階級の一部を代表しているにすぎない。大衆の共同行動の可能性を追求しなければならない」と言っているその時に、パリからの声が次のように答えるのである。「何だって、われわれがブリアン
[左の写真]と統一戦線を結ぶんだって」。これを皮肉と呼ぶこともできるし、実際、この種の皮肉のために特別に作られた新聞『ジュルナル・デュ・ププル』に掲載されている。だが『アンテルナシオナル』の論文から同じ筆者の発言の抜粋がもう一つ私の手元にある。こちらの方がはるかに真面目な定期刊行物である。ここで彼は文字通り次のように述べている。
「そこで、私にはたった一つの疑問を提起することしかできない。けっして皮肉ではなく…」 (「けっして皮肉ではない」と明言しているのはヴィクトル・メリック自身である)。
会場からの声 たまたま今回の場合はだ。しょっちゅうあることではない。
トロツキー ……「そこで、私にはたった一つの疑問を提起することしかできない。けっして皮肉ではなく。もしこの提案がフランスで受け入れられ、そしてもし明日には、倒れたポアンカレ戦争内閣が、平和、軍縮、諸民族間の協調、ソヴィエト政府の承認の断固たる支持者であるブリアン内閣やヴィヴィアーニ内閣と交代するとしたら、われわれの議員は自分たちの投票でこのブルジョア政府の立場を議会で支えなければならないのだろうか。そして、もしわれわれのうちの誰かに大臣の職が提供されたとしたら――どんなことだって起こる!――、それを拒否しなければならないのだろうか」(『アンテルナシオナル』1月22日号)。
こうしたことが――けっして皮肉ではなく!――、『ジュルナル・デュ・ププル』ではなく『アンテルナシオナル』に、わが党の新聞に、書かれているのだ。つまり、ヴィクトル・メリックにとって、プロレタリアートの行動の統一が問題なのではなく、ヴィクトル・メリックとあれこれの分裂派との関係が、昨日の分裂派やおとといの分裂派との関係だけが問題なのである。ご覧のように論拠は、国際政治の領域から取られている。ブリアン政権がソヴィエト政府を承認する気になる場合には、モスクワのインターナショナルはわれわれにこの政権との協力を強制するだろう、というわけだ。
同志テルラチーニは、同志メリックとまったく同じように語っているわけではない。だが、彼もまた、三つの大国、すなわち第3大国、第2大国、第2半大国(ドイツ、オーストリア、ロシア)との同盟という亡霊を呼び出している。これも多少同じ匂いがする。
同志ジノヴィエフが総会での発言の中で述べ、私もまた委員会で言ったように、われわれの見解、われわれの「偏向」の中に「国家的理由」を見出す同志たちがいる。われわれは共産党員として誤りを犯しているのではなく、ロシアの国家首脳として誤りを犯しているのであって、その国家首脳としての利害が、われわれをあれこれの戦術に訴えるように押しやっている、というわけである。これがまさしくヴィクトル・メリックが仮装された形で出している非難の意味である。
当てこすりでなく、批判を
第3回大会でのわれわれの論争を思い出さなければならない。ドイツの3月事件は、同国の右派から、とりわけその従僕から、窮地に陥ったソヴィエト政権を救うためにモスクワの指示に従った結果であると解釈されたことを思い起こす。ところが、この事件で適用された[極左的]方法が非難された第3回大会では、極左派(ドイツ共産主義労働者党)は、ソヴィエト政府がこの革命運動に反対し、西側のブルジョアジーと取引を結ぶために、一定期間、世界革命を延期したがっていると主張したものだ。
現在、統一戦線に関して同じことが繰り返されている。
同志諸君、ソヴィエト共和国の利益は世界革命運動の利益に他ならない。もしこの戦術が諸君、フランスの兄弟たちにとって、そして諸君、イタリアの兄弟たちにとって、有害であるのなら、それはわれわれにとっても完全に有害である。そして、もしわれわれが国家首脳としての立場にひどく心を奪われ、麻痺させられてしまって、われわれがもはや労働者運動によって命じられる必要性を理解することができなくなってしまったとすれば、権力を獲得したことでこのような「惨めな」状況に陥ってしまった党は労働者のインターナショナルから追放されなければならないと明記した一節をインターナショナルの規約に導入しなければならないだろう(笑い)。
この点に関して、私としては、このような非難ではなく――これは真の非難ではなく、ロシア革命に対する多少とも公式的で儀礼的な称賛と結びついた当てこすりである――、もう少しちゃんと批判してほしい、と言いたい。フランス党の中央委員会が、「諸君は現在、新経済政策を行なっている。用心したまえ、気をつけたまえ。資本主義的諸関係の分野で諸君はあまりにも行きすぎている」と述べた手紙をわれわれに送ったとすればどうだろうか。あるいは、フランス代表団が「われわれは諸君の閲兵式を見た。諸君は古い軍隊方式をあまりにも忠実に見習っている。それは労働者青年に悪い影響を与える可能性がある」と言ったとすればどうであろうか。あるいは、たとえば、諸君が「諸君の外交はあまりにも『外交的』すぎる。それは、フランスでわれわれに大きな損害を与える可能性のある会見を行なったり覚書きを交わしたりしている」と言ったとしたらどうであろうか。諸君が、あらゆる細部に至るまでわれわれを公然と批判すること、これがわれわれの望んでいる真の相互関係である。だが、ほのめかしによって進められるこの醜悪なやり方は問題外である! 以上のことを念のために言っておく。
感情的論拠
国際政治の分野からとってきた議論を利用したヴィクトル・メリックは、さらに感情的な性格を持った論拠に訴えている。「それでもやはり、われわれが2人の殉教者を思い起こすことになる来たる1月15日の直前に、社会主義者や労働者を殺害したシャイデマンやノスケやエーベルトなどの友人たちとの統一戦線について語るのは、決まりが悪いのではないか」(『アンテルナシオナル』1922年1月8日号)。
もちろんこうした論拠は、革命的感情を持っている末端労働者には大きな影響を及ぼす可能性があるが、十分な政治的・革命的教育を受けていない労働者にはそうではない。同志ジノヴィエフは自分の発言の中ですでにこの点に言及した。そして、同志タールハイマーも次のように言った。「同志諸君、感情的理由から第2インターナショナルや第2半インターナショナルの代表者と同じテーブルに着くことができないとすれば、そのような理由は何よりもわれわれドイツ人に当てはまる。だが、フランス共産党員が、ドイツ共産党員にはこの革命的感情と無縁であるかのような、第2インターナショナルの裏切り者や虐殺者に対するこの憎しみと無縁であるかのような主張をするとは、いったいどういうことか?」。
彼らの憎しみがヴィクトル・メリックの文学的・ジャーナリスト的憎しみよりも小さくないと私は思っている。だが、彼らにとって、統一戦線戦術とは、政治的行動であって、社会民主党指導者たちとのモラル的和解ではない。
さらに第3の論拠も存在する。それはかなり決定的な性格を帯びている。われわれは同じ筆者の論文の中にそれを見出すことができる。
「セーヌ県連合はこの重大な問題に関して一つの決定を下したばかりである。同県連合は圧倒的多数で統一戦線を拒否した。これは単に、毎年自分の意見を変えることはできないということを意味するだけである。これは、トゥール大会の分裂に至ったこの苦渋に満ちた手術に同意した後、同県連合は、元の状態に戻ったり、われわれから分かれていった人々に対して呼びかけたりするのを拒否することを意味する」(『アンテルナシオナル』1922年1月22日号)。
このように統一戦線が示されている。これは、トゥール大会以前の状況への逆戻りであるというわけである。そして、ファーブル(6)、親切なファーブルは、全面的に統一戦線戦術に同意すると宣言している、ただし一つの但し書きをつけてだが。私としてはそれを論評しないわけにはいかない。曰く、「それでは、どうしてピストルの一撃で社会主義者の統一、労働者の統一を解体してしまったのか?」。
これで事態がわかった。万事をこのように描き出し、統一戦線がトゥール大会以前の情勢に戻ることを意味するとすれば、それは、分裂派や改良主義者との協力、和解、神聖同盟を意味するだろう。このきわめて誤った事実認識にもとづいて、どのような戦術をとるべきかに関する討論が始まる。統一戦線を受け入れるべきかそれとも拒否すべきか、と。メリックは叫ぶ、「私はセーヌ県連合とともにそれに反対する」。するとファーブルは言う、「いや、私は受け入れる、私は受け入れる!」。
同志諸君、フロッサール(7)でさえ、すなわち、疑いもなく偉大な政治家で、われわれがみな知っていて、自分にとって都合のいい側面だけから事態を見るようなことをしない人物であるこのフロッサールでさえ、これよりも説得力のある論拠を提出することができない。いや、彼の場合にも支配的なのは、分裂派との和解という思想であり、統一戦線の問題ではない。だが、私は諸君に尋ねる。フランスにとってこの問題は存在しているのかどうか、と。
フランス共産党は13万人の党員を擁している。分裂派の党の党員数は非常にわずかである。私は、フランスの同志たちが改良主義者を「分裂派」と呼んでいるという事実に、諸君の注意をうながしたい。なぜか? 彼らが、プロレタリアートの目に統一戦線の破壊者として映るようにである。分裂派、すなわち社会裏切り者、と。それはちょうど、革命的労働総同盟の勢力が、自らの目的の一つ、その基本的な目的がプロレタリアートに行動の統一を保障することであることを示すために、統一労働総同盟と名乗っているのと同じである。
われわれの弱さ
コミンテルン執行委員会によって提案された戦術に対する闘争の中で諸君が用いた論拠よりも、諸君の方法と諸君の行動の方がすぐれていると言うことができよう。党は、13万人の党員を持っているのに対して、分裂派の党は、3万人か4万人か5万人の党員である。この数字は重要ではない…。
会場からの声 1万5000人だ! 分裂派に関しては、数字はつねに正確というわけではない。正確な数字を調べるのは難しい。
トロツキー 彼らは少数派だが、まったく無視してしまうことのできない少数派である。
さらに、労働組合がある。数年前にはそこに200万人の組合員がいた。少なくとも労働組合はそう主張しており――フランスの労働組合に関する統計は、その革命的激情よりも説得力がある――、現在では、統一労働総同盟は30万人の組合員――この数字は同志ルヌーの発言から取っている――を擁している。組織されている組合員数の合計は分裂直前には50万人であった。
さて、労働者階級は数百万人を数える。
党には13万人の党員がいる。
革命的労働組合には30万人。
改良主義的労働組合には20万人前後。
分裂派の党員は1万5000人。
これが実情である。
もちろん、党は非常に有利な状況にある。党は優勢な比重をもった政治組織である。だが、それは全面的に支配的であるというわけではない。今日、フランス党は何を代表しているだろうか? フランス党、それは、戦時期に運動の先頭に立った同志たちの勇気ある行動のおかげで、戦争から生れてきたプロレタリアートの巨大な革命的成長の結晶化の産物である。彼らはこの高揚、この大衆的運動、短期間だが革命的な、自然発生的に革命的なこの感情を利用した。それを利用して古い党を変革し、共産党を創設したのである。
だが革命は到来しなかった。革命が今日ではないにしても、明日には起こるだろうという気分を抱いていた大衆は、それが出現しなかったことを知った。そこで、結果として、一定の引き潮が起こった。党にとどまったのは、プロレタリアートの最良の部分である。だが、広範な大衆には、心理的反動、引き潮が生じた。それは、労働組合からの大量離脱をもたらした。労働組合はメンバーを失った。以前は数百万の組合員を擁していたが、今はそんなにはいない。多くの男女労働者が組合に加入したが、数週間後か数ヵ月後には去っていった。もちろん、広範なプロレタリア大衆の中には革命の理想が生きているが、この理想はよりあいまいなもの、それほど実現可能でないものになっている。共産党はその理論と戦術を保持して存続している。他方で、この革命的動乱期にすべての権威を失ってしまった小さな分裂派のグループが存在する。この過渡的情勢がまだ1年、2年、3年と続くと仮定しよう。われわれはそうなることを望んでいないが、情勢を正しく認識するためにそう仮定しよう。さらに、フランスで全般的な行動が起こると仮定しよう。労働者はどのように結集していくだろうか? フランスの労働者はどのように行動するだろうか? 共産主義者の党と分裂派の党との関係は4対1である。だが、革命を支持する気分、漠然とした革命的気分を計算に入れるならば、これはおそらく99対1になるであろう。
だが、この情勢が安定することなく長引き、新しい選挙の時期が迫ってくるとどうなるか。フランス労働者の頭の中にどのような考えが浮かぶだろうか? 彼らはこう自分に言うだろう。共産党はたぶん立派な党であり、共産党員は立派な革命家である。だが、革命はまだ存在しておらず、選挙が問題になっている。そのとき舞台にいるのはポアンカレであり、復讐心に燃えた民族主義の、危険な講和の最後の大々的な試みであり、消え行くランプの最後の輝きである。
左翼連合と統一戦線
結局、ブルジョアジーに何が残されているだろうか? 左翼連合である。だが、この政治的組み合わせが成功するためには、労働者階級の内部そのものに一つの道具を配置する必要がある。この道具こそ分裂派の党である。
われわれの側には、『ユマニテ』を使った、われわれの全新聞を、われわれのすべての機関紙を使った、宣伝のためのすばらしい足場がある。
だが、それ以外の手段もある。われわれは、集会によって、ご存知のように雄弁さにこと欠かないフランスの同志たちの見事な演説によって、広範な大衆の運動に接近しようとつとめている。選挙がやってくると、おそらくフランスの広範な労働者大衆は、「やっぱり、左翼連合の議会の方がポアンカレの国民連合の議会よりもましだ」と考えるだろう。それは、分裂派が政治的役割を果たす絶好の瞬間となるだろう。確かに、その政治組織のメンバー数は多くないが、改良主義者は、とりわけフランスでは、大きな組織を持つ必要はない。また彼らには新聞もある。もっとも、それはそれほど広く読まれていない。なぜなら、最も受動的で幻滅したプロレタリア大衆は新聞をまったく読まないからである。大衆は幻滅し、事態を静観している。彼らは、新聞は読まないが、気運を感じとる。
新聞を読みたがるのは革命に完全に獲得された労働者である。したがって、ブルジョアジーの小さな道具たる分裂派の組織は、こうした雰囲気のもとで、一個の大きな政治的意義を獲得しうる。われわれの課題は、あらかじめフランス・プロレタリアートの眼前で左翼連合論の正体を暴露することである。これは、フランス党にとって非常に重要な問題である。私は、この左翼連合がわれわれにとって不幸なことであるとは言っていない。われわれにとっても、それは有利なことであるが、プロレタリアートがそれに参加しないという条件のもとでのみである。
そして、諸君がこうした状況のもとで、分裂派の中央委員会(存在するとすればだが)に宛てた公開または非公開の手紙によって説明を求めるならば、そして、方法や形態は特定しないが、諸君がブルジョアジーのこの同盟者――彼らはあまりに自分の権威を失墜させられたくないので、様子を見守っており、新聞の編集部や議会クラブに避難所を見出している――を暴露するならば、諸君はより多くのものを手に入れることだろう。なぜなら、選挙の時には、これらの分裂派グループは非常に活発になり、労働者にあらゆる種類の公約をするだろうからである。そして、大衆の行動にもとづいて、議員控え室や隠れ家から彼らを引き出し、大衆運動の中でプロレタリアートの前に立たせることこそが、われわれの最大の関心事である。これが問題になっていることである。ロンゲとの和解などまったく問題ではない。こんなことをわざわざ言うのはいささか奇妙なことである。そうではないか、同志諸君。
われわれは15〜16ヶ月前にフランスの同志たちと討論し、ジャン・ロンゲを排除しなければならないことを証明した。そして、この時期、[コミンテルン加盟に関する]21ヶ条の条件を受け入れるべきか受け入れざるべきかで動揺していた同志たちが、今日われわれに「諸君はわれわれにジャン・ロンゲとの和解を押しつけている」と言うのである。ヴィルトル・メリックの論文を読んだパリ労働者がそこからひどく軽率な考えを引き出すことは、私にはまったく理解できる。その場合に必要なのは、冷静にこの労働者にその誤りを説明し、問題はまったくそういうことではなくて、分裂派を、新しい裏切りを準備している隠れ家から引き出すことにあるのだということ、そして、大衆の圧力のもと分裂派の襟首を捕まえて力づくでプロレタリアートの前に立たせ、われわれの提起する明確な諸問題にこれらの紳士諸君が答えざるをえないようにしなければならないことを示すことである。
テルラチーニが、われわれの行動方法は分裂派の方法と異なる、われわれは革命に賛成だが分裂派は革命に反対していると述べるとき、われわれはテルラチーニに完全に同意する。もしこのことがすべての労働者にとって明白であったとしたら、統一戦線の問題は提起されなかっただろう。われわれが革命に賛成であり、分裂派がそれに反対であるというのは、言うまでもないことである。だが、プロレタリアートはこの違いを理解していない。プロレタリアートにそのことを示さなければならない。
同志テルラチーニは反論する。「だがわれわれはそうしている。労働組合の中には共産党細胞が存在している。労働組合は巨大な重要を持っている。われわれは宣伝を通じてその点を立証している」。
われわれの総会は宣伝を禁じているわけではない。宣伝は常にすばらしい武器である。それはすべての基礎である。だが、それを新しい条件ならびに組織としての党の任務と結びつけ、適応させることが必要である。
ここでちょっとした興味深いエピソードを紹介しよう。同志テルラチーニは次のように述べている、「われわれは、プロレタリアートの全般的行動に向けた訴えを出し、宣伝を通じて諸組織の中で多数派を獲得した」。
「多数派」…。だが、その後、筆者の慎重な手が訂正をほどこした。「ほとんど多数派」と。この点ならすでにわれわれは同意している。だが、「ほとんど多数派」とはフランス語で少数派を意味するように私には思われるし、ロシア語では間違いなく少数派を意味している。
同志諸君、たとえ多数派でもまだ全部ではないのだ。
「われわれは多数派である。われわれはプロレタリアートの7分の4を確保している」。だが、プロレタリアートの7分の4はまだ全部ではないし、残りの7分の3は、大衆行動をサボタージュする可能性がある。そして、ほとんど多数派とは、労働者階級の7分の3にすぎない。したがって、宣伝のおかげで7分の3を獲得しているとしても、なお7分の4を獲得しなければならない。同志テルラチーニよ、これはそれほどたやすいことではないし、7分の3を獲得するのに用いた方法で残りの7分の4も獲得できると考えるとすれば、それは間違っている。なぜなら、党が成長するにつれて、方法は変わらなければならないからである。初めに、非妥協的な小さい革命的グループが、「改良主義者はくたばれ! ブルジョア国家はくたばれ!」と言うのをプロレタリアートが目にしたなら、彼らは拍手喝采して「大いに結構 」と言うだろう。だが、共産党員によって組織されたこれらの7分の3の前衛が相変わらず同じ議論や集会を繰り返しているのをプロレタリアートが見れば、彼らはうんざりしはじめる。そこで、新しい方法が必要になる。われわれが大政党になったかぎりは、ただちに闘争に参加することが可能であることをプロレタリアートに示すさなければならない。
そのことを示すためには、プロレタリアートの共同行動が必要である。それをプロレタリアートに納得させなければならず、それを別のイニシアティブに任せてはならない。
労働者が「君たちの言う未来の革命が訪れるまでわれわれはいったいどうするのか! われわれはいま現在、8時間労働制を守るために闘いたいのだ!」と言うとき、われわれは、今日の闘争に彼らを結集するイニシアティブを自らの手に握らなければならない。
労働組合運動に関して
同志テルラチーニは次のように語っている。「社会党員にあまり大きな注意を向けてはならない。彼らとともになすべきことは何もない。だが、労働組合には注意を向けなければならない」。そして彼はこうつけ加える。「これは新しいことではない。すでに、コミンテルンの第2回大会で、おそらく無意識のうちに言われている。政党では分裂、だが労働組合では統一を」と。私にはまったく理解できない。私は彼の発言のこの一節に赤鉛筆で、それから自分の驚きを表わすために青鉛筆で下線を引いた。「第2回大会でおそらく無意識のうちに…」。
テルラチーニ それは、ジノヴィエフとの論争の時だった。…私は皮肉をきかせたんだ。私が話していたとき、あなたは会場にいなかった。
トロツキー ではこれは脇におき、封筒に入れてヴィクトル・メリックに送るとしよう。皮肉は彼の独壇場である。
会場からの声 このように、皮肉はでっち上げられるものだ。イタリアではそうだった。モスクワでさえそうだ…。
トロツキー 残念ながらそうだ。そしてそれが私を誤解させたのだ。労働組合内で分裂しない? それはどういう意味か? 私は同志ルヌーの発言を大きな関心をもって読み、そこにフランス共産党を支配している全般的気分を理解するうえで非常に有益なものを発見した。だが、その発言の最も危険な点は、現時点において、分裂派の党とだけでなく改良主義的な労働総同盟ともわれわれには共になすべきことは何もないと主張していることである! こう言うのを許してほしいが、これこそ、統一労働総同盟における最も拙劣なアナーキストに思いがけぬ支持を与えるものである。諸君はまさに労働組合運動の中で統一戦線の理論を適用してきた。諸君はそれをうまく適用してきたが、諸君が現在ジュオーの組織の20万人に対して30万人の組合員を擁しているのは、半分は統一戦線戦術のおかげであると私は確信している。なぜなら、プロレタリアートをその見解や潮流にかかわりなく包含する労働組合運動においては、当面の直接的利益のために闘争することができるからである。もしわれわれが種々の潮流にもとづいて労働組合を分裂させようとしたなら、それは自殺行為だろう。
われわれは次のように言ってきた。これはわれわれの足場である。共産主義者としてわれわれは独立しているので、戦術を駆使し、自らの考えていることを公然と表明し、他の潮流を批判するいっさいの可能性を保持している。われわれはこの考えをもって労働組合に入り、一定期間の後に多数派がわれわれを支持するようになるものと確信している。
ジュオーは自分の足もとが崩れつつあることに気づいた。われわれの予測はまったく正しかった。行動の統一が必要であった。これがわれわれの戦術であった。諸君自身がそれを次のように言って解説している。「ジュオーが分裂を目的として行動を開始した時、革命派は彼を組合運動の統一の破壊者として大衆の面前で断罪した」。これがとりもなおさず統一戦線理論の意味するものである。
諸君が改良主義的サンディカリスト、愛国主義者などと呼んだような改良主義者、分裂派と闘争しつつ、分裂の責任を彼らに負わせなければならない。彼らにたえず圧力をかけ、積極的な階級闘争の可能性について態度を明らかにせざるをえなくさせ、労働者階級の面前で公然と「ノー」と言わざるをえないようにしなければならない。そして、情勢が労働者階級の運動にとって有利である場合には、分裂派を前方に進ませるために圧力を加えなければならない。今日、われわれが2年後に革命が起こるような情勢下にいるとしよう。それまでの期間、労働者階級の運動はたえず成長するだろう。その場合、ジュオーやメレーム(8)が現在のままにとどまると諸君は想定するだろうか? いや、彼らは何らかの試みを行なうだろう。1歩、2歩と前進するだろう。また、彼らに従うのを望まない労働者が出てくるだろうから、彼らの中に新たな分裂が起こるだろう。われわれはそれを利用する。これが言うまでもなく、戦術、運動の戦術というものであり、非常に柔軟ではあるが、同時にまったく断固とした戦術でもある。なぜなら、方向はいぜんとして同じだからである。そして諸君が、同志テルラチーニのごとく、大きな事件が到来すれば行動の統一がおのずから実現されるだろうと考えているのなら、われわれはその将来における行動の統一を妨げはしないだろう。しかし、現時点では、大きな事件は起こっていないのだから、統一戦線に関するそのような予測をする根拠は存在しないのである…。
テルラチーニ 私はそんなことを言ったことはない。
トロツキー 私の間違いかもしれない。そう言ったのは同志テルラチーニではないのかもしれない。だが、こうした議論はここで提起されたのであって、私はそれを速記録の中で読んだ。もし事態が発展すれば、と言われている。だが、大きな事件が起こらなければどうなるのか。私は自明の理だと思っているが、大きな事件を妨げる障害の一つ、プロレタリアートにとっての心理的障害の一つは、多くの政治組織と労働組合組織が存在していながら、その理由をプロレタリアートが理解しておらず、どうすれば統一行動を実現できるのか彼らにはわからないという点にある。この心理的障害はきわめて重要であり、もちろん否定的な役割を果たす。これは、われわれによって作り出された情勢の結果ではないが、われわれはプロレタリアートがこの情勢を理解するのを助けなければならない。そのためにこそ、われわれはあれこれの差し迫った行動を何らかの組織に提案するのである。これは事態の論理に完全にかなっている。そして、私は断言するが、もし統一労働総同盟(CGTU)がジュオー派の労働総同盟(CGT)を無視するような戦術をとるならば、それは現時点でフランスで犯しうる最大の誤りであろう。そして、党がこの誤りを犯すならば、党はその重みで押しつぶされてしまうだろう。というのも、労働組合に30万人の革命的労働者がいるが、同志諸君、これはごく少数の人数だからであり、30万人の労働者とは、さまざま分子を合わせてやっと諸君の党の2倍の人数とほぼ同じだからである。せいぜいその程度なのだ。では残りのフランス・プロレタリアートはどこにいるのか? 諸君は言うだろう、「プロレタリアートはもはやジュオーといっしょにはいない」と。それは本当である。だが、われわれの組織に入っていない労働者、より幻滅している労働者や知的に不活発な労働者は、先鋭な革命的危機の瞬間にはわれわれに引きつけられるかもしれないが、情勢が停滞している時期には、これらの労働者はむしろジュオーの支柱となるだろう。ジュオーとは何か? それは労働階級の無気力である。まさに彼はこの無気力を体現している。そして、諸君が30万人の労働者しか擁していないという事実は、フランス労働者階級の中に今なお十分にこの無気力が広まっていることを示している。
さらにもう一つの危険性が存在する。もし統一労働総同盟(CGTU)が改良主義的な労働総同盟(CGT)に背を向け、革命的宣伝によって大衆を獲得しようとすれば、革命的少数派がすでに犯したのと同じような誤りを犯す可能性がある。諸君もよく知っているように、労働運動、労働組合の行動は、非常に扱いにくいものである。ジュオーに代表されている遅れた大衆の膨大な予備軍を常に考慮に入れなければならないし、ジュオーを無視することは遅れた労働者大衆を無視することを意味するからである。
三つのインターナショナルの会合
ここで私は一つの緊急問題を提起したい。それは、三つのインターナショナルの会議のことである(9)。同志諸君! 一部の者はこう言っている、「われわれが暴露してきた連中との、すなわち第2および第2半のインターナショナルの代表者たちとの国際的協力という考えにわれわれはまだ準備ができていない」と。
確かに、このような大きな事態に対しては心の準備が必要である。それは正しい。この問題は激しい反響を呼び起こしたが、その原因はどこにあるのか? それは、同じく唐突に呼びかけられたいわゆるジェノヴァ会議(10)にある。われわれは、同志レーニン個人に宛てた招請状を受け取ったが、これもまたまったく予期しないものであった。そして、この会議が実際に召集され、ジェノバかローマで開催された場合、この会議は世界の運命を大なり小なり決めようとするだろう。そんなことがそもそもブルジョアジーにできればの話だが。プロレタリアートは、何かをする必要があると感じるだろう。もちろん、われわれ共産党員は、宣伝、集会、デモによって、自分たちにできるあらゆることをするだろう。だが、共産党員だけでなく労働者も、労働者階級全体も、ドイツであれフランスであれ、至るところで、おそらく、この会議をプロレタリアートの利益に沿う方向に向けるために、何かしなければならないという漠然とした感情を抱くだろう。
さて、第2半インターナショナルが会議のイニシアティブを取り、われわれに出席するよう招待してきた。われわれは、招待に応じるのか否かを決定しなければならない。「君たちは裏切り者だ」とわれわれが言うとしよう。それはすでに何回も何回も言われ、繰り返されてきたことであり、これは常に正しい。それは大いに結構なことだが、彼らはわれわれにこう言っている、「われわれ、第2インターナショナルと第2半インターナショナルの代表は今日、世界のプロレタリアートの声を通じてブルジョア的な外交的会議に圧力をかけたいと思っている。したがって、われわれはあなた方共産主義者を招待する」と。それに対して、われわれが「君たちは裏切り者、悪党なので、われわれは行かないだろう」と言うとすればどうか? もちろん、わが共産主義的聴衆は完全に納得するだろう。なぜなら、彼らはすでにその点については納得しているからである。彼らをもう一度説得する必要はない。だが、他の人々、第2インターナショナルと第2半インターナショナルの支持者はどうか? 彼らの中には労働者はいないのか? これこそ重要性のある唯一の問いである。もし諸君が「そうだ、いない。メンシェヴィキは至るところで影響力を失った」と言うのなら、第2および第2半インターナショナルとの会議は問題にならないが、それならそう宣言したまえ。だが実際には、第2インターナショナルと第2半インターナショナルを支持している労働者の方が、残念ながら第3インターナショナルを支持している労働者よりも多いのだ。
何をなすべきか
一つのことは記憶にとどめておかなければならない。フリードリッヒ・アドラー(11)がわれわれに向かって、「われわれが諸君に参加を呼びかけている会議は、ブルジョアジーに対する、その外交に対する圧力をかけることを目的としている」と言ったことである。彼らは同じ言い方で全世界の労働者をも招待している。もしわれわれが、返事を出す代わりに、「君たちは社会裏切り者だ」と繰り返すだけにとどめるならば、それは、はなはだ拙劣な返事の仕方であろう。その場合、シャイデマンやフリードリッヒ・アドラーやその類の連中は、労働者階級に向かってこう言うだろう。「見たまえ、共産主義者はわれわれのことを裏切り者だと言っているが、われわれが彼らに向かって、短期間のはっきりと定められた目的のために協同しようと提案すると、彼らは拒否するのだ」。
私は裏切り者や悪党という呼び名を今のところ控えることにしたいが、それは、会議の終わった後に、あるいは、必要とあらば、会議の最中にさえその呼び名を用いるためである。ただ今はそうではないし、返事の手紙でもそうでない。そこでは「君たちは悪党で裏切り者なのでわれわれは出席を拒否する」と言ってはならない。この会議の開催が絶対に確実なのかどうか、私は知らない。この点について楽観的な同志も、それほど楽観的でない同志もいる。だが、会議が目的を達しないとすれば、それは、シャイデマンのような連中がそう望むからである。その場合には、われわれはこの事件から教訓を引き出し、「見たまえ、同志諸君、諸君の第2インターナショナルと第2半インターナショナルは、われわれに提案してきたことを成し遂げる能力を持っていない」と言うだろう。すると、われわれは、われわれの同志たちから拍手されるだけでなく、シャイデマン派の一部が耳を傾けて、こう言うだろう、「何か問題があるようだ。協定が提案されたが、ドイツ社会民主党がそれを望まなかったのだ」。その時には、われわれとシャイデマン派との闘争が再開されるだろうが、われわれはこの闘争を、より広くより有利な基盤で展開するだろう。
同志諸君、会議を延期することができるのかどうか私は知らない。これは明らかにわれわれの願望には依拠していない。だが延期されるならば、それは労働者の意識を準備するうえで非常に重要であろう。しかし、彼らは会議を今すぐ、ジェノヴァ会議の開催よりも早くに開催するよう提案しているので、われわれはすぐに返事しなければならない。
そして、セーヌ県連合にさえ、「わが党がジュオーと会合したいと思っているだと。とんでもない。私は党員証を破る!」と叫ぶ労働者がいるならば、われわれは彼に「親愛なる友よ、君は今興奮している。少し落ち着いて、われわれの話を聞きたまえ」と言うだろう。それでも彼がドアをバタンと閉めてしまったら、われわれは彼の行動を大変残念に思うが、それは仕方がない。そして、数週間後、彼がベルリン会議のニュースを読むと、カシャンやその他の共産党の代表者たちがその会議に参加して、共産党員として語り行動していることを知るであろう。さらに、会議後も同じ闘争が続いているが、われわれの敵が会議前よりもいっそうその正体が暴露されていることを理解するだろう。すると、この労働者や他の共産党員たちも、われわれが正しかったことを納得し、われわれの目的も達成されるだろう。だからこそ、私は、総会が、いつもの決まり文句で応じるにとどまるのではなく、一致して次のような返事を送るべきだと思うのである。「よろしい、世界プロレタリアートの革命的利益の代表者たるわれわれは、またしてもプロレタリアートをだまそうとする第2インターナショナルと第2半インターナショナルのこの新たな試みを前にして、両インターナショナルの犯罪的政策に対してプロレタリアートの目を開かせようと努める用意がある」と。
1922年2月26日
『フランスにおける共産主義運動』所収
『トロツキー研究』第38号より
訳注
(1)テルラチーニ、ウンベルト(1895〜1983)……イタリア共産党の古参幹部。1916年にイタリア社会党に入党。反戦運動を行ない投獄。その後徴兵に取られ軍隊に。1917年の10月革命後に共産主義を信奉し、グラムシやトリアッティらとともに、1919年にトリーノで『オルディネ・ヌオーヴォ』を創刊。1921年のリヴォルノ大会での共産党創設に参加し、中央委員に。党内では極左派として「攻勢理論」を信奉し、1922年2〜3月の第1回コミンテルン拡大執行委員会で統一戦線戦術を批判し、トロツキーと論戦を交わす。その後、極左主義を克服して、グラムシの片腕として活躍。1926年夏に逮捕され、長期投獄。ファシスト政権崩壊後の1943年に出獄。戦後、1946年に中央委員および政治局員に。
(2)ルヌー、ダニエル(1880〜1958)……フランス共産党指導者。1914年にフランス社会党の『ユマニテ』編集委員。大戦後は中央派からコミンテルン支持者に。1920年12月のフランス共産党創設大会で中央委員に。『アンテルナショナル(インターナショナル)』を編集。1921年には統一戦線をめぐってコミンテルンと対立し、第1回コミンテルン拡大執行委員会総会で、自らの立場を擁護。1935年にモンライユ・ス・ブワの市長に。1945年にフランス共産党中央委員に再選。
(3)ロンゲ、ジャン(1876〜1938)……フランスの革命家、シャルル・ロンゲの息子で、マルクスの孫。フランス社会党の中央派の指導者。第1次大戦中は愛国主義派。フランス社会党の新聞『ル・ポピュレール』の創刊者兼編集長。1920年のトゥール大会で多数派がコミンテルンの加盟と共産党の創設に賛成したとき、それに反対する少数派を率いて、第2半インターナショナルに結集し、その後、第2インターナショナルに再結集した。
(4)メリック、ヴィクトル(1876〜?)……元アナーキストのジャーナリストで法律家。フランス社会党のトゥーラ大会でコミンテルンを支持し、フランス共産党に入党し、『ユマニテ』に寄稿。コミンテルン第4回世界大会後、フランス共産党とコミンテルンに敵対的になる。
(5)ブリアン、アリスティッド(1862〜1932)……フランスのブルジョア政治家、弁護士。もともとフランス社会党の活動家で、1901年に社会党の書記長。1902年に下院議員。1904年に『ユマニテ』創刊に協力。1906年に文相。統一社会党から独立社会党に移る。しだいに保守化し、1910年の鉄道労働者のゼネストを弾圧。第1次大戦後、首相を10回、外相を11回つとめ、平和外交路線を推進。
(6)ファーブル、アンリ(1877〜?)……コミンテルンに対する闘争と党内での腐敗を理由にフランス共産党を除名された党員。『ジュルナル・デュ・ププル(人民新聞)』を編集し、その新聞を利用して反共産主義宣伝を行なった。
(7)フロッサール、ルイ・オスカール(1889〜1946)……フランスの社会主義者、ジャーナリスト、一時期、フランス共産党の指導者。1905年、フランス社会党に入党。第1次大戦中は平和主義派、中央派。1918年、党書記長に。1920年、マルセル・カシャンとともにコミンテルン第2回大会に参加。帰国後、フランス社会党のコミンテルン加入を訴え、多数派とともにフランス共産党を結成し、その書記長に。統一戦線戦術をめぐってコミンテルン(とくにトロツキー)と対立。1922年末に党と決別し、その後、社会党に復党し、国会議員に。後に、社会主義そのものと決別し、ブルジョア政権のもとで大臣に。第2次大戦中はペタン政府に奉仕。
(8)メレーム、アルフォンス(1881-1925)……フランスのサンデリカリスト。第1次大戦当初はツィンメルワルト派に属していたが、その後、平和主義陣営に移り、1918年には排外主義者に。
(9)三つのインターナショナルの会合…1922年1月14日、第2半インターナショナルは、労働者の生活条件の悪化、失業の増大、経営者側の攻撃の激化、労働者の統一への要求の高まりという情勢を踏まえて、第3インターナショナルと第2インターナショナルにこれらの問題全体をめぐる共同の会議の開催を呼びかけた。この提案は受け入れられ、三つのインターナショナルの会議が1922年4月にベルリンで開催された。フランス党の極左派はこの会議に強く反対した。
(10)ジェノヴァ会議……1922年4月〜5月にイタリアのジェノヴァで開かれた国際会議で、帝政ロシアの債務問題、および、中部および東部ヨーロッパの経済復興問題などについて討議された。この会議にソヴィエト代表団は大胆な軍縮案を提起し、国際世論に大きな反響をもたらした。
(11)アドラー、フリードリヒ(1879〜1960)……ヴィクトル・アドラーの息子。オーストリア社会民主党の指導者。第1次世界大戦の時は反戦を唱えて、首相のシュテュルクを暗殺。大戦後出獄し、国会議員に。
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