ロシア共産党第12回大会の課題

   (第7回ウクライナ全国党協議会における報告)

トロツキー/訳 西島栄

【解説】第12回党大会はレーニン不在のもとで開かれた初めての大会である。レーニンは1922年末から1923年初頭にかけて、党内ではびこる官僚主義とスターリンを中心とする党官僚の横暴に党と革命の危機を見ていた。レーニンは、一連の政治的遺書を執筆するとともに、ボリシェヴィキ党内で最も信頼できる同志であるトロツキーに対し、反官僚闘争のためのブロックを提案した。トロツキーはそれを了承したが、その直後、レーニンは何度目かの重大な発作に襲われ、永遠に指導的地位から退くことになる。レーニンとトロツキーとの同盟関係は中途半端に終わった。トロツキーはレーニン不在のまま、慎重に闘争を進めなければならなくなった。党内では「外様」であり、中央指導部内では少数派でしかないトロツキーには、大々的に党内闘争を開始する条件はまったくなかった。レーニンの正式の支持なしに、そのような行動を起こせば、たちまち孤立し、ただちに放逐されたことだろう。とりわけ、レーニンが病気で倒れ、党内で党の統一を希求するこてが圧倒的であるときに、不用意に党内闘争を開始することは自殺行為に他ならなかった。

 トロツキーは、公然たる闘争はできるだけ避けて、党の政策に影響を与えることで、官僚主義の克服をめざした。第12回党大会の直前にウクライナで行なわれたこの演説は、その最初の試みである。その後、トロツキーは、『プラウダ』での一連の論文や第12回党大会民族分科会での発言、工業報告などを通して、この闘争を遂行した。

 この「12回党大会の課題」でとくに注目に値するのは、その農民論である。トロツキーは農民軽視であると繰り返し批判されてきたが、この演説の中では、「われわれは、農民が来年には今年よりも豊かになる範囲内で農民から税金をとるという条件を自らに課す必要がある」と述べるとともに、「この問題(農民問題)が階級闘争の問題にならず、協調と妥協の問題になるように、わが党のすべての英知が結集されなければならない。しかり、われわれはこの問題では協調主義者であり、労働者国家が農民と合意に達する問題に関しては徹底的な協調主義者である」とさえ述べている。

Л.Троцкий, Задачи ]U съезде РКП, Гос.изд., Мос., 1923.


   国際情勢と国内情勢

 同志諸君! 党大会は1年に1度開かれる。したがって、形式的に言えば、党大会の課題は何よりも、これまでの1年間の経験を評価し、これからの1年間の基本的な活動方針を確立することにある。しかし、わが党は政治的経験主義の党ではない。すなわち、場当たり的に、その日暮しをしている党ではない。われわれはマルクス主義、科学的社会主義の党であり、諸事件に対するわれわれの方法、思想、評価は1年だけを包括するのではなく、大きな歴史時代を包括し、したがって過去1年間の経験と今後1年間の課題をわれわれの生きている時代全体に対するわれわれの観点に照らして評価するのである。それは、自らの思想を一般的な決まり文句に解消するためではなく、反対に、一般的な評価から、当面する時期におけるわれわれの行動のための時宜にかなった具体的で明瞭な指令を引き出すためである。同志諸君、先ほど私が指摘した観点に立って問題をたてるとすれば、何よりも次のことに答えなければならない。すなわち、ロシア共産党第11回党大会以降の1年間に、国内外情勢に何らかの基本的で原理的な変化が生じたのかどうか、その変化はわれわれの課題の根本的な見直しを要求しているのか否か?

 そもそも、このような変化などありうるのだろうか。もちろん、ありうる。2年前のロシア共産党第10回党大会は非常に大きな転換を画し、その時の諸君のウクライナ大会も同じ仕事を成し遂げた。すなわち、これまでの既定の道を見直し、課題と方法を再評価するという課題である。われわれは戦時共産主義から、国内外の情勢に促されて、いわゆるネップに移行した。それは現在、勢力の特殊な編成と仕事の特殊な方法とをともなった一歴史時代全体にわたるものへと発展している。われわれは今日このような時代に生きており、次のように自らに問わなければならない。第10回党大会と第11回党大会――この第11回党大会は、第10回党大会によって確立された課題をより明確にし深めたにすぎなかったのだが――以来、国内外情勢に何らかの根本的な変化が生じたのか否か、と。同志諸君、わが党の仕事を全体として正しく評価することを望むならば、これは中心的な問題であり、ウクライナのレベルにおいても、ロシア共産党中央委員会のレベルにおいてもそうであり、私は後者の依頼にこたえて、今こうして報告を行なっているのである。

 まず国際情勢はどうか? われわれにとって国際情勢はまず何よりも、国際革命を早めたり遅くしたりする諸条件の総和である。この国際情勢に変化があったか、それともなかったか? もちろんあった。それは第10回党大会以降、原理的、質的な性格の変化であったか? いや、そうではない。

 ここに問題の核心がある。第10回党大会が成し遂げたような歴史的な大転換、われわれが現在いるような条件下に党を置いたあの大転換は、いったいどのような事情から生じたのだろうか? それは、次のような事情から生じた。これについてはわれわれは一瞬たりとも忘れてはならないし、さもなくば地方主義、民族的偏狭性におちいることになるだろう。すなわちそれは、世界革命のテンポの遅延から生じた。1917、18、19年、部分的には、ワルシャワに進行した1920年においても、われわれは異なった情勢評価をしていた。世界革命の一般的な歩みに関してではなく、そのテンポ、そのスピードに関して、現在とは違った評価を与えていた。しかしながら、多くの事実から、世界革命――私はこの言葉に西方におけるプロレタリアの権力闘争も、東方の植民地・半植民地人民による民族解放のための闘争も含めている。これは2つの翼であり、帝国主義に向けられた同一の闘争の2つの側面である――はその準備段階として、われわれ全員が世界大戦の開始時とその終了直後に考えがちであったよりもはるかに大きな障害を克服しなければならないことが、わかったのである。

 しかり、ここに問題の核心がある。1920〜21年の間に、まったくごまかしようもなくはっきりと明らかになったのは、おそらく、ソヴィエト共和国連邦はかなりの長期にわたって資本主義に包囲されて生存せざるをえないということであった。国家、しかも、より高度なタイプで、わが国よりも強力な経済的力をもった国家のうちに組織されたプロレタリアートの直接的な援助を、明日にでもすぐ受け取るというわけにはいかないだろう。こう、われわれは1920年に自らに言い聞かせた。それが1年なのか、2年なのか、3年なのか、それとも10年なのか、それはわからなかった。しかし、われわれの前に真剣で長期にわたる準備期が始まりつつあることは、わかった。ここから次のような基本的な結論が生まれた。すなわち、西方における力関係の変化を待ちつつ、わが国、ソヴィエト連邦内部の力関係の方にはるかに大きな注意深さと鋭さをもって目を向けなければならない、と。だが、わが国における基本的な力関係とは、労働者階級と農民との間の関係である。労働者階級は、今後わが国を社会主義へともっていくことができるだけでなく、わが国を破滅と没落と崩壊から救うことのできる唯一の階級である。しかし、数的にいって、労働者階級は取るに足りない少数派であり、圧倒的多数を占めているのは農民である。

 基本的な課題は、第10回党大会で同志レーニンが定式化したように、労働者階級と農民との間に正しい経済的・政治的関係を確立することである。なぜなら、この分野での誤りは、われわれが下に転落する危険性を意味するからである。そして、われわれがよろめいて下に転落した場合に――その場合には、プロレタリアートはもはや権力を持っていないだろうが――、これまでのところ、われわれを引き上げてはくれる人は誰もいないし、われわれの手をひっぱりあげてくれる人は西方に誰もいないのだから、この分野における謝りなおさら危険である。まさにこうした観点から、われわれは次のように自問するのである。この1年間に世界情勢に何らかの根本的で基本的で変化が生じただろうか、と。すでに述べたように、世界情勢はわれわれにとって、プロレタリア革命の歩みを早めたり遅くしたりする諸条件の総和である。基本的な諸事実を思い起そう。イタリアではファシズムが勝利した。イギリスでは保守党の帝国主義者が政権についた。フランスでは国民連合のきわめて帝国主義的な分派が勝利した。ルール地方がフランスによって占領され、先日エッセン地方の労働者がドイツに連帯した罪で銃殺された。これが、この1年間における主要な四つの事実である! これらの事実は、政治レベルで、この1年間に力関係が帝国主義――しかも、最も極端で冷酷な軍国主義的方法を用いる最も極端な分派――の独裁を強化する方向に変化したことを意味している。ここに、この1年間にヨーロッパで展開された政治過程が要約されている。

 ここから、一見したところ、悲観主義的で暗い結論が出てくるように見える。あたかも、ブルジョアジーがこの1年間に第11回大会の時点よりも強力になったという結論になるように見える。これは形式的には、外見的には正しい。しかし、実質的には正しくない。帝国主義戦争が終わった直後、ブルジョアジーは現在よりもはるかに自らを弱いと感じ、プロレタリアートは自らを革命的であると感じ自然発生的に立ち上がっていた。多かれ少なかれヨーロッパ全体がそのような状態にあった。衝突はさまざまな形をとった。しかしながらプロレタリアートは厳しい経験を経て次のことを学んだ。自分たちには指導部、組織、団結、経験が足りないがゆえに、ブルジョアジーの打倒のためにはまだ力不足であることを。ブルジョアジーは、自分がまだしっかりと地に足をつけていること、プロレタリアートはそう簡単にブルジョアジーを打倒できないことを学んだ。こうして、この階級の意識の中に一つの転換が生じた。ブルジョアジーは1919年以来、その階級的自信の点でますます強くなっていった。1918〜19年に自然発生的にブルジョア国家に押し寄せたプロレタリアートは再び動きの重い大衆となり、思案しはじめた。権力を奪取し体制を変革するためにいったい何が自分たちに足りなかったのかと。こうした2つの波――すなわち、ブルジョアジーの政治的自信の強化という波と、プロレタリアートの自然発生的な革命的気分の後退という波――がこの3年間にわれわれの前で生じた。これは死活にかかわる重要性を持った2つの過程である。このことを考慮しないかぎり、世界情勢を評価することはできない。

 しかし、マルクスが教えているように、階級というものは必ずしも、自分の実像どおりに自分のことを考えているものではない。階級は、生産におけるその位置、その役割の点ですでに強力になっている場合でも、このことにまだ気づいていないこともある。また、階級がその足元から経済力を半分ないし4分の3まで失っている場合でも、その経験、慣性力、支配の習慣的方法によって持ちこたえている場合もある。そしてこれこそが、現在におけるヨーロッパの情勢である。ブルジョアジーは1918〜19年の経験以降、実際よりもはるかに強力であると自らを感じている。「実際よりも」というのは、彼らが経済を再建することができないからであり、資本主義の崩壊は進行の途上にあるからであり、野蛮な方法以外には、ルールでとったような掠奪と破壊の方法以外には、ブルジョアジーにとる方法はないからであり、生産を発展させることのできない階級は滅びゆく運命の階級だからである。ブルジョアジーは、1918〜19年の経験以来、実際よりもはるかに強力であると自分をみなしている。ヨーロッパのプロレタリアートの圧倒的多数は、同じ経験以来、反対に、実際よりもはるかに弱いと自らを感じている。ヨーロッパは、ケレンスキー時代に達する以前に、ストルイピン時代(外見的な安定期)を経過しつつある。まさにこの点に、現在における全政治情勢の鍵がある。すなわち、諸階級の政治的自覚とその客観的状況・客観的力との不一致がそれである。

 

   「息つぎ」は一時期全体にわたるものとなった

 同志諸君、このことを理解しない者は、このことを最後まで考え抜かない者は、新聞の日々の情報を読んでも核心を見失い、世界情勢を理解する主要な鍵も、日常的な鍵も見失うだろう。そして、悲観主義に陥るだろう。ヨーロッパで進行している過程はおそらく、公式の政策をずっと右に、すなわちブルジョアジーの極右派の帝国主義的独裁政治へと軸移動させる。しかし、公式のブルジョア機構のこうした右への軸移動がまさに、ブルジョアジーとプロレタリアートとの間にだけでなく、ブルジョア国家と、全人民の日常生活と経済の基本的で初歩的な要求との間に、大きな亀裂をつくり出し、したがってまた宿命的で必然的な革命的破局を準備するのである。

 この破局は、西方においても東方においても準備されつつある。ただし、すでに述べたように、1918年にわれわれが考えたよりはゆっくりとであるが。東方においても、というのは、インド人の闘争、中国やその他の植民地的・半植民地的諸国人民の闘争は本来別の歴史時代にかかわるものであり、プロレタリアートの権力闘争よりもはるかに後進的なものであるが、この2つの時代は現在事実上一つの時代のうちに結合しているからである。インド人は、先進的なイギリス・プロレタリアートが闘争している相手と同じ帝国主義と闘争している。そしてそれゆえ、歴史の秤のうえでは、われわれと諸君の共産主義インターナショナルの秤のうえでは、抑圧された植民地人民の闘争と先進的ヨーロッパ・プロレタリアートの闘争とは同一の闘争の2つの構成部分なのであり、ただ用いる武器の種類が異なるだけである。

 それゆえ、われわれにとって植民地の民族闘争は、半ば忘れつつある何らかの古い時代の残滓などではなく、全世界におけるプロレタリア革命の勝利の条件なのである。私は先日、第11回党大会の議事録のページを開いたが、とりわけ同志ストルィプニクの演説に目がとまった。その中で彼は、まったく正しくも次のように指摘している。国内の、ロシア・ソヴィエト共和国同盟内の、現在のソ同盟全体内部の(当時はまだ、「同盟」ではなく、形式の整っていない「連邦」であった)われわれの民族政策の問題は、東方に対するわれわれの世界政策の問題であり、東方、すなわち被抑圧諸民族の同権と自由のための闘争は、世界革命の巨大な要因である、と。これは今日においてはとりわけ正しい。そこで、この点について後で立ち戻るだろう。

 同志諸君、時間は政治において巨大な役割を果たす。時間は政治の重要な要因である。そして、アジアの後進的諸民族とヨーロッパの先進的プロレタリアートにとって、革命を準備する際には、われわれが考えていたよりも多くの時間が必要であることがわかった。ここから、第10回党大会と、世界レベルではコミンテルン第3回大会において、われわれの当面する課題と方法の見直しが生じた。コミンテルン第3回大会では非常に重大な新しい指針が確立された。「実践的に権力の獲得について語る前に、大衆を獲得すること」と。われわれは第3回大会後の時期を新段階と呼んだ。国内では、第10回党大会において新しい路線を新経済政策、略してネップと呼んだ。だが、ネップという言い方は、新段階にとっても、新経済政策にとってもなかなかうまい表現であり、これは、同志諸君、一種の言葉上のシンボルとなった。なぜなら、ソヴィエト国内の新経済政策は全体として国際レベルでの新段階から生じたからである。ヨーロッパ・プロレタリアートが、不確定の期間、準備せざるをえなかったし、準備しているかぎり、またわれわれがドイツとフランスの技術と組織的援助を明日や明後日に受け取ることができないかぎり――と、われわれは2年と少し前に自らに言った――、わが国の足元で何をなすべきかについて、またわが国内部の力関係について、農業の状態について、その支払い能力と歴史的忍耐力について、より十分に、よりしっかりと検討し、それに応じてわれわれの政策を設定ないし修正することが必要である。ここから新路線が生じた。

 そして、こうした大きな観点からみた場合、この1年間に、新路線を見なおす根拠ないしデータは存在するだろうか? いや、存在しない。力関係の変化、すなわち1919年9月におけるイタリア・プロレタリアートの敗北に始まり、1920年のワルシャワからのわれわれの撤退、ドイツ3月事件、時期総称の革命的構成の結果としてのドイツ・プロレタリアートの敗北以来続いている力関係の変化、最初の自然発生的な革命的波を終わらせたこれらの諸事件の後の力関係の変化は、まだ続いているし、まだ転換点にさしかかっていない。

 これが基本的な事実であり、同時に、現時点を評価する際の基本的な基準である。われわれは一度ならず、ウラジーミル・イリイチのイニシャチヴにしたがって、戦時共産主義の終了以降に始まった新しい時期を「息つぎ」と呼んだ。現在この言葉はあまり使われなくなっているが、それも偶然ではない。現在われわれは、より頻繁に別の言葉を使っているが、これも同じ人物が使いはじめたものである。それは、農民に対する「スムィチカ」である。どうしてわれわれはあまり「息つぎ」という言葉を使わないのだろうか? それは、1919〜20年の時点では、われわれ全員にとって、この新しい時期の全貌がまだ不確定であったからである。たしかに、転換が生じている――と当時われわれは言った――、しかも深刻な転換だ。だが、それはおそらく1〜2年もすれば、同じドイツでの事態、あるいはドイツ国境やフランス等々での事態が変化するのに応じて、使い果されるだろう。言いかえれば、当時われわれはこの過渡期を目分量ではかり、われわれの気分のうえで、それに対するわれわれのアプローチの点で、実際よりも短く考えていたのである。しかしながら、この時期は単なる「息つぎ」でないことがわかった。それは、一時代全体にわたる長期の歴史的合間であった。国内外で新しい路線の3年間がすぎたが、この時期がいつ使い果されるのか、どれだけの期間続くのか、数年なのか、あるいは数ヵ月なのか……わからない。正確に推測することは不可能であるが、何年あるいは何ヵ月続くのかと問われれば、私はこう答えよう(ちなみに改めて言っておくが、推測するのは不可能である)。月単位ではかれば、それはおそらくかなり多くなり、年単位ではかれば、おそらくそれほど多くないだろう、と(笑い)。これ以上正確な予言はお許し願いたい。しかし、疑いもなく、これは単なる息つぎではなく、一歴史時代全体にわたるものである。

 同志諸君、まさにこの点から、わが党にとって何が必要かが説明される。この1年間の経験から出てきたこの必要性は、まさに新しい時代が一歴史時代全体に引き伸ばされたという観点から、われわれの活動の基本的な諸問題を再検討し、検証し、再確認することの必要性である。われわれは与えられた道を通って、すなわちロシアの田舎道を通って、そして与えられた荷馬車に乗って、すなわち、われわれロシアのちゃんと油のさされていない荷馬車と諸君のウクライナの荷馬車――ロシアのものよりもずっときちんと油はさされていると思うが(笑い)――に乗って、おそらく今後長期にわたって、かなりの歴史的道程を進まなければならないのである。

 

   第12回党大会の一般的課題

 そして党は自らにこう言う。荷馬車の心棒はどうなっているかをチェックし、車輪やリンチピンをチェックし、もつかもたないか、交換する必要があるかどうかをチェックしよう、と。これが第12回党大会の基本的課題である。われわれはすでに一つの時代を後にし、新しい時代を迎えつつある、などとわれわれは言わない。われわれはこう言う。第10回大会以来公式にわれわれが突入した時代は西方で長引いており、したがってわが国でも長引いている。だがわれわれの武器、手法、方法を再検討しよう。それは長期にわたってもつかどうか。わが同盟の荷馬車とその基本部品をすべて点検しよう、と。

 これは、まず第1に、農民に対する労働者階級の関係を意味する。そして、広い意味での、労働者階級と農民との関係は工業問題をも包含する。なぜなら、わが国の工業は農民的土台に立脚しているからである。第2に、かつて抑圧されていた諸民族に対する労働者階級の関係である。なぜなら、これは本質的に、農民に対する労働者階級の関係という問題の下位問題にすぎないからである。第3に、党と労働者階級の相互関係の問題、第4に、党と国家機構の相互関係の問題、すなわちわが荷馬車の最も油のさされていない車輪である。さて、同志諸君、これが基本的な諸問題である。これはすべて基本的にわが国のプロレタリア独裁の構成部分である。党と階級、労働者階級と農民、党と国家機構。工業と民族問題とは全体として、農民に対するプロレタリアートの関係という問題と結びついている。これらの基本的諸問題を検証し打診すること、ここに第12回党大会と諸君の党協議会の課題がある。

 ネップの時代がいっそう長引くならば、このことから何よりも、この時期に内在している危険性が増大するということ、それとともに、この時期の課題に対するより正確で慎重なアプローチが必要であるという結論が出てくる。したがって、個々の問題について報告する前に、あらかじめ次のように言うことができるだろう。課題そのものの再検討が問題になっているわけではなく――なぜなら、新しい諸条件の総和が同じままであるかぎり、課題は同じままであるから――、問題になっているのは、この危険性に対する追加的な予防措置を適用することであり、この時代の基本的課題を解決するための方法を整備し体系化することである、と。私見によれば、このように第12回党大会の課題を一般的に定式化することができるだろう。

 この点を個々の問題に即して検討しよう。なぜなら、その時初めてそれは具体的な意味を持つことになるからである。

 

   プロレタリアートと農民

 プロレタリアートと農民は、われわれの国家機構の問題であり、その収入源の問題であり、出費と支出の問題である。そして、当面の仕事から引き離されているウラジーミル・イリイチが病気中に、病がいっそう重くなるまでに、密接に結びついた2つの問題――すなわち、第1にプロレタリアートと農民全体の問題、第2に民族問題――に考えを集中したのも、理由のないことではなかったのである。この2つの問題がこれほど先鋭かつ明瞭に提起されたのは、まったく同志レーニンのイニシャチブのおかげである。労農監督部や共産党中央統制委員会などに関して書かれた諸論文の中で――もちろん、諸君はこうした論文をみな完全に記憶しているし、もちろん今後も繰り返し読み直さなければならない――、レーニンは次のように定式化できる結論を導きだした。すなわち、「前進せよ、しかし無謀な突撃をしてはならない。われわれがまだ世界における新段階と国内におけるネップちおう状況にあることを忘れるな。わが国の工業ならびに国家機構がわが国の遅れた農民経済に依拠しており、また依拠せざるをえないということ、わが国の国家機構と工業はその前進のために農民から限られた量の資源しか吸収したり要求したりすることができないということを忘れるな」ということである。

 それはどのくらいの量であろうか。もちろん、それを理論的に決定することはできない。そして、ある年に国防や工業のために国家機構が必要とするものに対して、農民がどれだけのものを提供できるかという問題から、若干の同志たちのようにイデオロギー闘争のスローガンをつくり出すことは――彼らは、われわれが農民からあまりにも少ししかとっていないとか、われわれが農民偏重主義者だなどと言ったり書いたりしている(私はここでとくに念頭に置いているのは、同志ラーリンの若干の論文である)――、明白な誤りである。農民がどれだけのものを提供できるかという問題は、非常に重要な問題である。しかし、それは実務上の問題であって、原則上の問題ではない。必要なことは、農民の提供するものが、彼らに提供できる以上でも以下でもないようにすることである。われわれは、農民が来年には今年よりも豊かになる範囲内で農民から税金をとるという条件を自らに課す必要がある。これは農民にわかる定式である。そして、これこそがわれわれの現在の国家政策の基礎である。

 この定式は、戦時共産主義の時代に採用されていたかつての定式とは大いに異なっている。当時われわれは農民に、「いっさいの余剰農産物を提供せよ」と語っていた。余剰農産物がなければ、農家は向上せず、生きていけずに崩壊する。現在われわれは、「農民にはその経営の向上のために余剰農産物が必要不可欠だ」と言う。農業の向上なしには、工業はまったく存在しえない。したがって、「7度測ってから裁断する[石橋をたたいて渡る]」というぐらいに慎重でなければならない。しかし、それは、わが国では階級闘争の問題ではない。もっと正確に言えば、この問題が階級闘争の問題にならず、協調と妥協の問題になるように、わが党のすべての英知が結集されなければならない。しかり、われわれはこの問題では協調主義者であり、労働者国家が農民と合意に達する問題に関しては徹底的な協調主義者である。農民諸君、諸君にできる最大限のものを提供していただきたい。だが、1年後、2年後、3年後には、この前金は償われるだろう。そして、どんな場合であっても、われわれは諸君を反革命や白衛兵から守るだろう。この点では、国家は農民諸君と完全に意見が一致する。なぜなら、農民諸君が(したがって国家全体が)来年には今年よりも豊かになる範囲内で国家が農民諸君から税金をとることは、われわれの共通の利益だからである。もちろん、われわれが計算を間違えることはある。そして、これは個々の地域、個々の地方に関しては避けられない。しかし、われわれの基本路線は無条件に正しい。税金の量の問題はこのように解決されるのである。

 だが、農民からどうやって税金を徴収するかという問題が残っている。これもまた簡単なことではない。農民が毎月毎月徴税に引き回されるならば、彼らがわれわれによるありとあらゆる気まぐれな課税――全国的なものもあれば、地方的なものもある――にいつもさらされるならば、農民は平静ではいられない。だが、農民は最も計画的な経営者である。彼らは、太陽にしたがって、星にしたがって、一定の季節にしたがって生活しており、彼らの経営は計画を必要としている。税金を無計画に徴収すれば、われわれはこの計画を破壊することになる。そして、これこそ、われわれがいま話している理由なのだ。第1に、農民の税金の総量を正しく決定しなければならない。私はこのために定式を与えることを試みた。実際の数字を定めるのは、もちろん、わが党の指導と監督のもとにあるわれわれの国家機構の仕事である。第2に、徴税の方式の問題がある。こうした数えきれないさまざまな税金を統一しなければならない。税金に対して、最も単純で、農民に最もわかりやすく同時に最も納めやすい形式を与えなければならない。それぞれの地区や州における経営の特殊性に応じて、また農民の強弱に応じて現物税と金納税との比率を決定しなければならない。

 租税政策の問題は、プロレタリアートと農民の相互関係の基本問題の最も重要な側面である。輸出の問題はこれと密接に結びついている。というのは、われわれがますます多くの余剰農産物の処分を農民の自由に任せることに同意しただけでなく、同時にそうすることを必要とみなしている以上、われわれは今のところわずかなこの余剰農産物を現金化する機会を農民に提供しなければならないからである。農民はこの余剰農産物を国内市場だけで現金化することはできない。なぜならば、国内市場では、工業製品価格と農産物価格との間に恐るべき格差が生じているからである。この格差が生じているのは、わが国の工業の状態のせいでもあり、わが国農業が世界市場から孤立しているせいでもある。したがって、農民に世界穀物市場への出口を開いて、彼らに年々増加する余剰農産物を現金化する機会を与え、農業の向上のために余剰農産物を現金化する機会を提供しなければならない。そしてわれわれは、この領域に、つまり世界市場と農民との間に、仲介者として、投機者や輸出業者ではなく、労働者階級とソヴィエト国家を立たせるだろう。そしてソヴィエト国家は、この新しく追加された役割(それは以前からの役割から生じるのだが)において、世界市場と余剰農産物の販売者――すなわち、わが同盟のウクライナやロシアやその他の地域の農民――との間の仲介者として登場するだろう。

 この2つの問題は相互に密接な関係がある。われわれの租税政策を簡略化し整備し、それに計画的な正確を付与することは、わが国の穀物を外国に輸出することときわめて密接に結びついている。そして、最近開かれた第10回ソヴィエト全国大会は、諸君も覚えているだろうが、わが国の外国貿易全体の計画的な組織化を要求している。労働者国家による外国貿易の独占は、プロレタリア組織のゆるぎない条件であるが、それは外国貿易に計画的な正確を付与するよう求めている。すなわち、「売れるだけ売り、手に入るだけ買え」という場当たり的なやり方(われわれは1919年と1920年にそういうやり方で半分密輸のように貿易していた)ではなく、計画的なやり方が要求されているのである。つまり、外国貿易を農民経済の発展とも、穀物輸出の可能性の今後不可避的な増大とも、われわれが保護すべきわが国の工業の状態とも一致させなければならない。なぜならば、われわれは社会主義的保護貿易制度の断固たる支持者だからであり、また、そうしなければ、外国資本がわが国の工業を横領してしまうからである。

 以前、わが国の租税政策は、「とれるだけとれ、一刻の猶予もならぬ」という場当たり的なやり方で行なわれていた。整備された方法が存在していなかった。すでに事態が長引いた以上、すなわちソヴィエト国家がかなりの期間、農業の状態に直接的かつ厳格に依存している以上、真剣で長期にわたる計算された計画の枠内に租税政策を収めなければならない。小刻みに徴税して農民を引き回してはいけない、ゆさぶってはいけない、いらだたせてはいけない。なぜならば、それは農民にとって有害であり、諸君にとっても得ではないからである。先をよく見越した計画的な国庫の制度を導入せよ。「7度測ってから裁断する」というほどに慎重に、「農民が来年には今年より豊かになる範囲内で税金をとれ」という定式を指針とせよ。わが国の国庫と外国貿易に数年間を見越した計画的性格を付与せよ。同志諸君、これは、第1の基本的な結論と同様に諸君の記憶に止めていただきたい非常に重要な結論である。

 

   国営工業

 それでは同じ観点から工業を取り扱おう。この1年間におけるわが経営担当者の主要な苦情は、諸君の住むウクライナでもわれわれのいるモスクワでも、いわゆる運転資金の問題と結びついていた。ネップへ以降した時期以来、数十人の経営担当者と「あなたの企業は率直に言って閉鎖しなければならない」という趣旨の話をしなければならなかったのは、私一人だけではない。これに対してわれわれが受け取った答えは、「とんでもない。諸君はわれわれに少し運転資金を提供してくれるだけでよい。そうすれば、諸君に、われわれの企業が発展し向上するということを示してみせよう、云々」というものであった。これが今日までのところ非常に広く流布している答えである。われわれに運転資金を提供しさえすればよい、そうすれば、われわれは、このみすぼらしい運転資金、すなわち紙幣の代わりに、金属、比較製品、石炭のようなすばらしい品物や、その他何でも必要なものを諸君に提供するだろう、というわけだ。問題に対するこのような態度は、戦時共産主義の時期の思考方法をネップの状況へ知らず知らずに持ち込むことである。

 運転資金の不足は何を意味するか? それは、市場に――この場合、市場という言葉でその農民的部分とその国営の部分を理解するとすれば――必要な購買力が欠けていることを意味しているのである。なぜならば、結局、すべては同じことに帰着するからだ。すなわち、国営企業が全体としてまだ利潤を生んでいない以上、国家予算は基本的に農民に支えられている。国家(軍隊、鉄道、等々)の他に消費者として残るのは、やはり主として農民である。したがって、わが国の工業が自由に使える資金の量は、農民の余剰農産物の量に――農民がそれを直接に自家消費するか、それを工業製品の購入に使うか、それを国家に引き渡すかにかかわりなく――依存している。これは基本的な真理である。それを避けることも飛び越えることもできない。もちろん、工業が発展してそれが利潤を生むようになるときには、それが剰余価値を創造し国家の手に剰余価値を渡す時には、工業は自ら自分自身の市場を創造し、自ら工業製品の吸収と現金化の機会を拡大するだろう。しかし、それは将来のことである。今のところ、わが国では市場としての農民の役割はまだ何年ものあいだ依然として重要なものである。もちろん、それは時とともにますます小さくなっていくのだが。

 そして、わが国の工業が(私は率直かつ公然と言う)赤字を出している間は、それが――軽工業と重工業を全体として見れば――予算の負担で、すなわち租税機構の負担で生きている間は、「もっと運転資金を提供せよ」などと言うのは、幻想にふけることであり、自分の髪の毛をつかんで自分の体を地面から持ち上げようと試みることである。運転資金は、工業と農民経済との関係を平準化し深めることによって、農民経済を――誠実で善良な仲買人を通じて、すなわち労働者のソヴィエト国家を通して――西ヨーロッパの経済と結びつけることによって獲得することができる。このようにして、徐々にではあるが、工業に運転資金を確保することができるのである。

 同志諸君、たとえ空から運転資金が降ってきたとしても、わが国の工業はそれを吸収するだろうか。もし――そんなことはあるわけがないが――アメリカが工業に10億ドルを供与するとしたら、その場合でも、われわれの主要な関心は、都市と農村との正しい相互関係を維持し、全体としての工業またはその何らかの部門が食い過ぎないようにすることに向けられなければならない。というのは、工業の胃袋の消化不良(恐慌または一連の恐慌)も危険であり、われわれは痩せた有機体には血が血管全体に均等にいきわたる程度の資金を供与すべきである。たとえば、金属のようなものを、わが国の経済や輸送機関の現状では「消化」することは難しい。つまり、ここでは速度を守り、無謀な突撃をしないことにある。今のところ、私の知るかぎりでは、誰もわれわれにプレゼントを贈ろうとしていないのだから、まおさらである。

 同志諸君、私はわが国の工業が赤字であると言った。私は、この言葉にわれわれの敵が――全世界の帝国主義者もメンシェヴィキのくずどもも――飛びつき、あらゆる言語で次のように言うにちがいないと思う。「ハリコフの協議会でトロツキーは、ソヴィエト経済が赤字であることを認めたが、これはプロレタリア独裁に避けられない破滅が迫っていることを意味している。なぜならば、工業が赤字である以上、すなわち成長するのではなく溶けはじめている以上、プロレタリアートの足元で彼らの乗っている氷が溶けはじめていることを意味するからだ、云々」と。そして、それにもかかわらず、同志諸君、私は自分の言葉を撤回するつもりはない。そもそも、事実をありのままに語ることがわれわれの習慣だからである。そして、ウラジーミル・イリイチは、この方向に党を教育したのであり、われわれはこの教育を放棄することはできない。われわれは自らについての真理を自分自身に語らなければならない。ここから逸脱するわけにはいかない。われわれは、多くの誤りを犯しうるし、誤りを訂正して前進することもできる。しかし、自分自身について嘘をまじえて語り、党やソヴィエトの大会向けに粉飾することを覚えるならば、われわれは取り返しのつかないほど堕落するだろう。

 わが国の工業は全体としてはまだ赤字だ。私は「全体として」の工業について、すなわち、軽工業も重工業もいっしょにした工業について語っている。若干の部門では軽工業が黒字を誇っている。これが本当かどうか諸君がすでに点検したか否かは知らないが、私自身まだ点検していない。しかも、今のところ点検することは困難である。そして、このような評価に対して私個人が全面的な責任を引き受けるつもりはない。しかし、私が行なった部分的な点検から、私は軽工業の利潤が、必ずというわけではないにしても多くの場合には架空のもので、他の経済部門の負担で生じていることもまれではないという結論にたどりついた。

 もちろん、繊維企業には極度に運転資金必要なのに、市場が高い原価にもとづく価格では繊維製品を受けつけないときには、製品を安い価格で売りさばく必要がある。だがどうやって価格を下げたらいいのか。それが「原価計算」と呼ばれている黒魔術や白魔術の仕事なのだ(笑い)。もし諸君が古い綿花を、その現在の価格にしたがってではなく、あるいはなおいっそう重大なことには、新しい綿花を獲得するのに必要な支出にしたがってではなく、以前にそれを買った価格にしたがって計上するならば、これが「原価計算」だというわけである。明らかに、われわれが市場に放出した綿花の代わりに新しい綿花を補充できる場合のみ、繊維工業は本当に前進することができる。古い綿花を繊維に変え、その際に財政収支には利潤が生じているのに、実際にはトルケスタンの農園は後退し、綿花の基本的な原料備蓄が減少している。このことが意味しているのは、高利潤は架空のもので、減っていく古い貯えにもとづいて算定されたものだということである。他の多くの場合に、軽工業は重工業に支えられており、重工業は石炭、金属、その他の種類の原料に支えられている。本当は、土台から初めて、そこに含まれているすべての出費を計算する必要がある。その場合に初めて、実際に生じているのは利潤なのか、国家の基本資源の浪費なのかが明らかになるのだ。これは非常に複雑な仕事である。わが国のルーブルがあまりにも不安定な現状では、とくにそうである。にもかかわらず、この仕事をわれわれはどんなことがあっても学ばなければならない。

 以前われわれは「社会主義とは計算である」と言っていたが、今では「社会主義とは原価計算である」と言わなければならない。しかし、ここで言う原価計算とは白魔術や黒魔術のたぐいではなく、経済的現実にもとづく正真正銘の原価計算である。財政収支は計算である。これはネップの言葉へ翻訳された計算である。それはあまり愉快な言葉ではない。というのは、われわれは他でもなくこの言葉では今のところまだ上手に話せないからである。だが、われわれは市場の言葉で正確に話すことを学ぶ必要がある。

 わが国の工業にとって原価計算の問題と財政収支の問題とは、結局、工業が農民から何をとり、直接または労働者国家を通じて農民に何を与えるかを計算できるかどうかの問題である。これは基本的な問題である。財政収支は単なる技術ではない。「財政収支は会計係の仕事で、われわれは高級な政治家だ」などと言われているが、そんなことはない。失礼ながら、原価計算と財政収支は、労働者国家の安定性ならびにプロレタリアートと農民との相互関係を真に検証するものである。これらの方法の他には、本当に信頼できる他の方法はわが国には存在しないし、存在しえない。そしてここにあるのは、第10回党大会においてすでに提起された課題を複雑にしたものである。租税政策の領域でわれわれが「農民を徴税のために引き回すのをやめ、将来をにらんで、計画的な租税制度へ移行せよ」と言い、余剰農産物の問題では「地方市場に関する以前のわれわれの論議から、労働者国家を通じて世界市場と結合することに移行せよ」と言っているが、工業の領域ではわれわれは「国家に対して場当たり的に物乞いして、『もっと資金をくれ、もっとくれ』などと言う代わりに、正確な原価計算と正確な財政収支の作成に移行せよ」と言う。そして、正確な原価計算と正確な財政収支なしには国から資金を受け取ることはできない。なぜなら、このことは国にとって死活にかかわる問題だからである(拍手)。

 私は、わが国の工業が全体として赤字だと言った。そして、われわれの敵はみなわれわれがこの事実を承認したことに飛びつくだろう、とつけ加えた。しかし、ここで純経済的な性質の説明ではなく、歴史的な部類に属するある程度一般的な説明をする必要がある。革命は全体として巨大なコストをもたらした。わが国の経済は1917年以来全体として下降した。諸君もみな知っているように、われわれは、わが国の旧体制の最後の時期よりも今の方がずっと貧しい。しかし、どの革命も、新しい支配階級が旧支配階級の支配の終わった時点よりもずっと低い経済的土台にもとづいて支配を始めることになるのは、歴史の法則である。革命は破壊であり、内乱である…。革命がもたらすコストは「あまりにも」大きいと言うことはできる。しかし、そう考えるのは、革命に反対する階級やどっちつかずのグループである。これに対して、プロレタリアートは、こうしたコストが100倍も報われると考える。したがって、彼らは革命を起こしさえするのである。しかし、革命は1回かぎりの完成された転換または変革ではない。革命の内部でも、さまざまな転換がある。戦時共産主義からネップへの移行は、大きな革命的転換の内部で行なわれた、重要ではあるが部分的な転換であった。だが、われわれは転換のたびにその代償を払わなければならない。問題は、歴史という母親または継母によって次のように提起された。「転換のあるところには常に障害がある。授業料を支払いなさい!」と。

 プロレタリアートは、革命そのものの代償として、一般的な生産水準の一時的な低下という犠牲を払った。また、戦時共産主義からネップへ移行する代償として、市場の利用という新しい方法を学習する代償として、労働者階級は、戦時共産主義の時代から引き継いだ資産の一部をその経済機関が――工業機械を始動させるために――浪費するという形で、犠牲を支払っているのである。労働者国家が経済の方法の変更の際に一定の損害をこうむるという事実は、それ自体としては悲劇的なものではなく、むしろ当然のことである。しかし、それは経済運営のあるシステムから他のシステムへ移行する代償なのだから、恒久的なものであってはならず、一時的なものでなければならない。もし赤字が常態になれば、国家の基本資源を浪費するおそれがある。われわれは戦時共産主義からネップへ移行する代償として、赤字という犠牲を払った。だが今後は利潤を生み出すように働こう。

 工業の収益性は、一連の措置をとってはじめて達成される。これについては議事日程の関係議題を審議する際に詳しい討議が行なわれるだろう。しかし、こうした措置の一般的な路線は明白だ。すなわち、手工業性や混乱から体系化された計画的な仕事に移行しなければならないということである。

 同志諸君、私は諸君の雑誌『コムニスト』で同志クヴィリンクの報告(もちろん非常に省略された要約だが)に関するドネツ県協議会で行なわれた討論を読んだ。そこには、工業が絶えず金融上の動揺に脅かされているために、党組織が危機の瞬間のたびごとに警戒態勢をとる――大騒ぎしたり、警告を発したりする――ことを余儀なくされている様子が描かれていた。このことは、ドネツ炭田――すなわち、わが国の産業の心臓部――を特徴づけているだけでなく、全体としてのわが国の経済をも特徴づけている。そして、こうした衝撃や動揺から、こうした経済的諸関係の不安定さや無定形さから、何らかの絶対的計画の王国へと救いの飛躍を行なうことは、もちろんないし、ありえない。しかし、計画という広大な道への活路を徐々に切り開いていくことは必要である。もちろん、この数年間の経験のあとで、われわれが自分の頭から――まるでクモが糸を紡ぐように――理想的な経済計画をつくり出し、現在行なわれていることをこの経済計画に置きかえることができると考えるとしたら、それは無邪気だろう。これはグラフク体制の最悪の幻想に復帰することを意味する。当時生じたのは、全般的な計画ではなく全般的な経済的行き詰まりであった。まったく明らかなのは、生きた生命力ある計画は、手工業性やあれこれの動揺や痙攣や誤りの経験に――さらには、原価計算の名のもとに行なわれているいまいましい黒魔術や白魔術の経験にさえ――もとづいてのみ、つくり出すことができるということである。こうしたことにもとづいてのみ、哲学者風に言えば、ア・プリオリ(先験的)にではなく、ア・ポステリオリ(後験的)に、すなわち、経験、点検、修正にもとづいてのみ、計画を作成し、それをより正確にすることができるのである。この課題は、われわれの前にできるだけ明確かつはっきりと提起されなければならない。「場当たり的」な政策と実践、即興的な事業、経済上のパルチザン主義、手工業性は、わが党の頑強で不屈の指導のもと、計画的方法と計画原理にますます場所を譲らなければならない。さもなければ、われわれは以前と同じように今後も、木を見て森を見ないことになるだろう。

 工業と商業の分野における計画的方法の現れは、計算である。すなわち、これまでの時期の原価計算報告と、これからの時期に対する見積り計算ないし計画上の計算である。個々の工場や個々のトラストだけでなく、工業全体だけでなく、われわれの国家全体も、すなわちわが同盟全体が、ますます現実的な財政収支へ移行しなければならない。これは単純な問題ではない。この財政収支は現実に、すなわちわれわれが実際に保有している資金に一致していることが必要である。量は少なく、乏しくとも、安定性のあるように。ウラジーミル・イリイチは、最近の論文の中で「量は少なくとも質のよいものを」(これは労農監督部の問題に関して言われたものである)と書いた。予算または個々の見積りに関しては、われわれは「量は少なくとも、しっかりとしたものを」と言う。徹底的に切り詰めよ、ただし、しっかりと統一しよう、そして誰もが自分の位置を知ることができるようにしよう。もし諸君が誤りを犯したならば、計画的な仕方で是正されなければならない。主要な問題は、すべての経済機関が自分の位置を知ることである。そうすれば、わが国の経済生活における、貧困と並んで最も致命的な要因の一つであるこの無定形さと不安定さが克服されるだろう。国全体の財政収支、それぞれのトラストの財政収支、個々の企業の財政収支が必要だ!

 ドネツ工業の組織化問題に関する諸君の討論から理解するかぎりでは、また、ソ連の商工業全体の経験から判断するかぎりでは、われわれはできるだけ早く課題の一つをやり遂げなければならない。すなわち、まだ残っているグラフク体制の特徴からトラストを解放しなければならない。種々のトラストは種々のやり方で存続しており、存続しつづけるだろう。トラストは、その傘下の企業に種々のやり方で原料を供給し、その製品を種々のやり方で市場において現金化している。しかし、それぞれの企業は、硬直的なバネによってではなく、弾力的なバネによってトラストと結びついていなければならない。それぞれの企業は、独自の原価計算を実行し、独自の財政収支――官僚主義的な会計簿ではなく、当該企業が当該状況下でいかに生き、いかに呼吸し、どれぐらいさまざまな栄養分を摂取し、どれぐらいの生産物を生み、どれぐらい廃棄物を出しているかを示す財政収支――を作成しなければならない。個々の企業によるこのような自己点検が存在する場合のみ、トラストおよび工業全体の経済の真に正しく合理的な組織化が可能になるのである。

 工業においても財政においても、ライトを消して運転する政策をきっぱりとやめることが必要である。もし国家予算が支出に追いつかないならば、もし企業に1億ルーブルを割り当てておいて、国家が企業にこの1億ルーブルを時宜を失せず提供することができず、1億ルーブルの支給を1ヵ月遅らせておいて、実質的に2500万ルーブルの価値しかなくなった1億ルーブルを与えるならば、すなわち、国家が自分自身のルーブルをだめにして、それを4分の1ルーブルに――ただし公然とではなく、こっそりと――変えるならば、これこそライトを消して運転することである。つまり、1億が2500万ルーブルに下落するのは実に不愉快なことだから、下り坂が見えないように、ライトを消して進もうとというようなものだ…。だが、ライトを消して坂を下ってはいけない。そして、これは個々の企業やトラストの予算においてもまったく同じことが言える。量は少なくとも、しっかりしたものを! 操業中の企業を削減しよう、ただしそれを、しっかりとした基盤の上に置こう。われわれは、古い手法、すなわちパルチザン的なやり方、経済の基本問題における即興的事業を、力を合わせてきっぱり終わらせる必要がある。われわれは、経済を計画的に取り扱い、先を見越すことを学ぶ必要がある。そして、このためには、われわれは原価計算と会計簿という明るく輝くライトが必要だ。

 

   国防の課題

 国防の問題においても基本的に同じことを繰り返さなければならない。大会の議事日程に国防の項目はないが、私は現在のロシア共産党中央委員会の仕事全体と結びつけて大会について語っているので、防衛問題についても若干語っておかなければならない。大会においても、おそらく、工業問題との関連で部分的に言及されるだろうから、なおさらである。3年半、われわれは場当たり的に、大急ぎで軍隊を建設し、今日はこれを、明日はあれを、というふうに、よろよろとぎこちなく建設したが、それでも勝利した。その後、1年半〜2年、非常にかさばってぎこちなく建設された軍隊を縮小した。建設したときと同じく、場当たり的に、ある時は尻尾の一部を、ある時は耳の一部を縮小した。なぜなら、500万もの軍隊を1日でも余分に維持することはできないからである。軍隊は即興的に建設されたが、縮小も即興的に行なわれた。これは単に不運だったというだけでなく、われわれの失敗もある。このことを私はあらかじめ認めておきたい。今やわれわれは、軍隊を厳格に計画的な方法で建設し発展させなければならない。これは可能であり、必要でもある。

 われわれは以前なら、ほんの2ヵ月後に軍隊をどう扱っているかさえわからなかった。軍隊を縮小しているかもしれないし、あるいはロシア全土に笛を鳴らして、われわれに党員を与えよ、騎兵を与えよ、荷馬車を与えよ、等々と県委員会と郡委員会に呼びかけているかもしれなかった。だが今やわれわれは、少なくとも今後数年間の見取り図にもとづいて、軍隊を体系的かつ着実に建設しなければならない。現在の条件に合致した建設計画を真剣に練りあげてつくる必要がある。もちろん、計画は観念的に整然としたものにはなりえないが、その基本的特徴は国の一般的状況、農業、工業の発展に一致していなければならない。軍事予算はこの計画に一致して立てられる。大雑把に言えば、国家は軍隊に対し最初の半年にある一定量を与え、次の半年に数%増やした量を与える、等々というふうに、一定の控えめな比率で増大させていく、ということである。もちろん、近い将来に凶作になったり、攻撃を受けたりした場合には、計画のいっさいが崩壊する。しかし、こうした場合でさえ、仕事を計画どおりに進めていたなら、いっそうきちんと準備できているだろう。これと最も密接に結びついている問題は軍事技術、とりわけ空軍の問題である。われわれは軍隊に対しても言う、量は少なくても、しっかりしたものを、量は少なくても、質のよいものを、と。なぜなら、軍隊の場合においても、かつてのように減らしたり増やしたりして引き回すようなことは、これ以上許すことはできないからである。軍事的即興策は、国家にとって軍事力の計画的発展よりもはるかに高くつく。

 

   党と国家機構

 さて、次に第1級の重要性を持った問題に移る。それは党と国家機構との関係という問題である。私が一度ならず取り上げた同志レーニンの同じ最後の論文の中で、ウラジーミル・イリイチは国家機構について書いている…。率直に言って、他の誰もこれほどの激しい言葉で国家機構について語ったものはいない…。あまりにも激しい言葉なので、繰り返すことすらそれほど容易ではない(笑い)。ウラジーミル・イリイチは、わが国の国家機構について、ツァーリの機構に非常に近いものであり、それ以上でも以下でもないと書いている。ソヴィエト風に上塗りされ着色されているが、よく見ると古い官僚主義的機構と同じである、と。どうだろうか? これは、国際メンシェヴィズムにとってまことに復活祭の卵[復活祭の飾り物ないし贈り物にする彩色したゆで卵のこと、キリストの復活のシンボル。転じて、めでたい贈り物の意]である(笑い)。たしかにこれは工業の赤字よりも「よい」贈り物だ!

 しかしながら、これはいったいどのように理解するべきだろうか? もちろん、この言葉そのものは特殊なレーニン流の強調表現であり、よりしっかりと党に理解させるために、それをより深く党にたたき込むために、このような断固たる言葉を使っている。しかしこれだけでは十分な説明になっていない。問題により具体的にアプローチしよう。わが国の国家機構はどのようなものか? それは天から降ってきたものか? いや、もちろんそうではない。それをつくり出したのは誰か? それは、労働者・農民・赤軍・コサック代表ソヴィエトにもとづいて発生したものである。このソヴィエトを指導しているのは誰か? 共産党である。党とは何か、われわれはよく知っている。ソヴィエトとは何か、これももちろん知っている。ソヴィエトとは、勤労大衆の利害を代表する最良の形態である、とわれわれは語ってきたし、現在でも語っている。わが党は最良の党である。それは、共産主義インターナショナルにおける他党の教師である。これは一般に認められている。そうすると、共産主義インターナショナルの最良の党である党に指導され、勤労大衆の利害を最もよく代表しているはずのソヴィエトから、こう言ってはなんだが…、ツァーリの旧機構とあまり大差のない機構がつくり出されていることになる。

 ここからおそらく、何らかの単純な人、たとえばいわゆる「労働者の真理」派の人は、次のような結論を引き出すだろう。われわれはハンマー――鎌なしの単なるハンマーだ(笑い)――を持って、この機構を物理的に破壊しなければならないのではないか、と。しかしながら、このような結論は正しくない。なぜなら、その場合には、かけらを寄せ集めて、もう一度最初から始めなければならなくなるからである。なぜか? なぜなら、この機構は実際きわめて劣悪であるが、それでもやはり、天から降ってきたものではなく、わが国に存在した原材料から、歴史の必要性に迫られて、われわれ自身によってつくり出されたものだからである。いったい誰の罪であるのか? われわれ全員である。そしてわれわれ全員がこのことに責任を負っている。

 国家機構のこのような「質」はいったいどこから生じているのか? それは次のような事情からである。すなわち、われわれには大して多くのことを成し遂げる能力がなかったし現在でもないにもかかわらず、そうすることを余儀なくされたということ、そして、事情に通じている、ないし半分通じてはいるが、やる気が4分の1しかないか、時には全然なかったり、あるいは100%マイナスのことをやろうと思っているような人々を、しばしば国家機構に引き入れざるをえない、という事情からである。われわれが行なっている経済運営においては、しばしば原価計算と魔術とが区別できない状態にあるが、国家機構においては、意識的に原価計算の代わりに魔術を行なうような場合が少なくないのである。このようにしてわれわれは国家機構を建設した。若く、献身的に尽くすが、まったく経験のない共産主義者に始まって、無関心な実務遂行者を経て、機会あらば全面的にサボタージュしかねない白髪のスペッツ[ブルジョア専門家の別称]に至る人々によって、である。

 このような事態を一気に根絶することはできるだろうか? このような機構を拒否できるだろうか? もちろん、できない。ではどうすればよいのか? この劣悪な機構を与えられたものとして取り上げて、系統的な改良を施していくことである。ぞんざいにでも、性急にやるのでもなく、長期を展望した計画にしたがって、である。今まで国家機構は場当たり的に建設されてきた。最初にどかっと建設し、その後で縮小した。国家機関があまりにも大きくかさばるようになってから、それを削減した。この5年間にわれわれが何ごとかを学んだとすれば――と同志レーニンはその論文の中で指摘している――、それはしかるべく時間の評価を行なうこと、すなわち5年間では、古いものを新しいもので置きかえるという意味で相対的にわずかなことしかできないということである。そして、それゆえ大きな課題には系統的にアプローチする必要があるのだ。

 同志諸君、これは非常に重要な思想である。権力をとることと、人々を再教育したり、新しい仕事の方法を教育したり、次のようなささやかな小事(だが人間の心理全体の変革を前提とするような小事だ!)を役人に教え込むこととは別である。すなわち、ソヴィエトの官僚に、老婦人や字の読めない農婦に対し注意深く敬意ある態度をとらせることである。この農婦は、天井の非常に高いホールに入ってきて、あたりをきょろきょろし、どの役人に用事を頼めばいいのかわからないでいる。だが、このホールに座っている役人たちは、彼女らに何番かの窓口を指先で示すだけだ。農婦はその番号の前で完全に途方に暮れてうろうろした挙げ句、なにも用事をすませることなく役所を出ていくのである。もしこの農婦に自分の考えをはっきりと表現する能力があれば、おそらく、レーニンの言葉を使ってそうするだろう。すなわち、7年前や8年前と同じことが現在でも行なわれている、と。その時と同じく農婦が役所に入ってきても、その時と同じく無駄に終わる。なぜなら、役人たちは農婦に理解のできない言葉で、理解のできない考えを語るからであり、農婦が助けを求めているのに、助けが拒否されるからである。これは、もちろん、あらゆる所で見られるわけではない。しかし、もしこうした現象が33%もあれば、国家機構と勤労大衆との間の亀裂は恐るべきものであると言うことができる。私はこの大問題の一端を最近論文の中で論じた。これは諸君の新聞に再録された。だが、残念なことに、ソヴィエトの印刷技術がまだ劣悪なため、この論文の半分も判読できなかった(笑い)。とはいえ、そこで論じられた考えは、たった今私が諸君に語ったものと同じである。

 同志諸君、すでにわが党の圧倒的多数によって承認されている同志レーニンの案は、どんな意味を持っているだろうか? この案は、国家機構の計画的な立て直しにアプローチすることを意味している。党は国家機構をつくり出した。しかり、党はそれをつくり出し、それからそれを見て…、聖書の文句を思い出した。聖書曰く、神はつくりたまい、それを見て言った、上出来だ、と(笑い)。党はつくりたまい、それを見て…、首を振った(笑いと長くつづく拍手)。そして党が黙って首を振った後に、1人の人物がやってきて、このつくられたものを、大胆にもそれにふさわしい名前で呼んだ、しかも、あらんかぎりの大声で。

 しかし、これは絶望の声ではない、断じて! ここから出てくる結論はこうである。われわれはこの5年間に、劣悪で、ギーギーきしむ、かなりの程度われわれのものではない機構をつくり出したとすれば、少なくとも次の5年間に、この機構を、せめてひどい表現を使わなくてもすむようなものに、つくり変え、立て直さなければならない、と…。まさにそれゆえ、私は同志レーニンのこのフレーズに注意を向けるのである。しかり、われわれは今や初めて、われわれの努力を包括してきた時間の「大きさ」を評価することを学んだのである。多くの時間が必要である。とすれば、単なる修正が問題になっているのではなく――もちろん、われわれは今後もその場その場で修正するだろうが――、基本的な課題は国家機構の系統的で計画的な立て直し[ペレストロイカ]に帰着するのである。何を通じてか? それをつくり出した者を通じて、すなわち党を通じてである。そしてそのためには、党には、この機構を触診するより完全な機関が、単に道徳的なものではなく、政治的で実務的な探針が必要である。すなわち、国家による形式的な監督のレベルにおいてではなく(それはすでにその完全な破産を暴露している)、物事の本質――とりわけ仕事の最も重要な領域におけるそれ――を党自らが洞察するレベルにおいて、である。

 この機関が最初のうちどうなるか、労農監督部と結びついた中央統制委員会がこの仕事をどのようにやるか、これは今後の経験の問題であり、真面目な活動家なら誰でも急速な変化が生じるなどという幻想を抱くことはできない。しかし、だからといって、われわれが、この計画的アプローチからは何も出てこないとか、「耳は額より高くは伸びない」などと言うとすれば、それはまったく低劣な態度だろう。もちろん、課題はきわめて困難であるが、まさにそれゆえ、場当たり的にではなく、計画的に、系統的に解決しなければならないのである。そのためにこそ必要なのは、新しいやり方で、すなわち一般的な合目的性の見地からだけでなく、字の読めない普通の老婦人の要求に応えるような見地から、国家機構を触診することのできる、党およびソヴィエトの権威ある中央機関である。

 これらは、おそらく中央統制委員会と労農監督部とを結合したような複合的機関をわれわれに与えるだろう。それは、最良の活動家を選抜するという原則にのっとって、彼らを系統的に教育し、公式の行政的習性と労農監督部の方法とを結びつける。その機関における最良の人材が少数の中核をなすだろう。こうした経験がわれわれには必要であり、そしてわれわれはそれを経験しつつある。

 

   党の指導的役割

 同志諸君、国家機構の問題は、私が論じたすべての基本的な問題と同様、わが党の役割ときわめて密接に結びついている。われわれの所に、再検討が必要でないだけでなく、再検討という考えそのものが許しがたいような問題があるとすれば、それは党の独裁という問題であり、わが国の仕事のあらゆる分野における党の指導という問題である。昨日、われわれはこの場でこの独裁とこの指導を支持する非党員大衆の非常にはっきりとしたデモンストレーションを目撃した。そしてそれとともに、改めてわれわれは昨日――ネップの言葉で言えば――非常に大きな手形にサインした。昨日の非党員大衆のデモンストレーションは、ウクライナの労働者大衆の気分における大規模な変化を物語っている。これは、この2年間における非常に重大な、非常に価値のある成果である。だが、これは同時に、労働者階級が、より緊密にわれわれに近づいて、より注意深くわれわれの仕事を監視するであろうことの徴候でもあり、また、わが国の国営企業の収益性のさらなる増大ないし赤字の削減をわれわれに要求し、さらには、市場を調整する能力、都市と農村との真の意味での、すなわち経済的な意味でのスムィチカ、さまざまな工業部門の賃金を均等化する能力、等々をわれわれに要求することの徴候でもある。ここでも同志諸君、繰り返すが、われわれは大きな手形にサインした、とくに賃金に関して。すなわち、労働者大衆にとって最も生活にかかわる先鋭な問題に関して。とくに、この分野で灯が赤々と燃えることは重要である。そうすれば、労働者大衆は、現在の経済状況のもとで満たしうる諸要求の限界を理解することができるだろう。

 党が非党員大衆に語るときには、けっしてプロレタリアートと農民との相互関係の問題を看過してはならない。なぜなら、もしこの問題でメンシェヴィキ的デマゴギ――−これは諸君の所ではマフノ的形態をとって復活しているが――が成功を収めたなら、賃金問題をきっかけにして、プロレタリアートと農民とが対立することになり、それによっていっそう確実に、非党員労働者と党の前衛との間にくさびが打ち込まれるようになるからである。

 非党員大衆が党に引きつけられている原因の一つは、物質的状況が多少なりとも改善されてきていることである。息をするのがより楽になり、賃金は少しづつアップしている。だが、重工業と輸送の分野では、賃金のアップはまだ非常に立ち遅れている。賃金のアップ分はどこから来ているか? 市場からというよりも、むしろ国家予算からである。したがって、ここでまたしてもわれわれは、ソヴィエト社会における諸階級の基本的な相互関係の問題に接近するのである。そして、これ以上の誤解を避けるためには、この相互関係を非党員大衆に説明することがとりわけ重要である。そうすれば、彼らはこの根本問題について党とともに考えることができるだろうし、デマゴギーに染まったりしないだろう。非党員大衆は党に引かれているが、ソヴィエト国家そのものには引かれていない。これは非常に重要な問題である。道標転換派のプチブルどもはソヴィエト綱領の側に寝返り、共産主義はユートピアである、それは真の国家事業を「妨害」するだけだとみなしている。だが労働者大衆は、反対に、まさに共産党に引かれているのであって、現在のソヴィエト機構に関しては、それが今後共産党によって矯正されるかぎりにおいて、甘んじようと思っている。ここに問題の核心がある。こうした状況のもとで、党は、すべての仕事における、とりわけ国家の仕事における指導者としてのその根本的な役割を変更するという考えを許容することができるだろうか? 

 わが党は政権党であり、プロレタリアートの信任と――全体としての――農民大衆の信任を通じて、その手に国家建設活動の舵を保持している。これは基本的な事実である。この領域に何らかの変更を許すことは、わが党の指導的役割を部分的にでも、直接的ないし偽装した形で切り縮めるという考えを許すことは、革命のあらゆる成果を、その未来を、あやうくすることを意味する。同志諸君、この点を掘りくずそうと試みる者は1人残らずバリケードの向こう側に立つことになるだろう。われわれの行く手に何が待っているか、それはわからない。ただこの5年間の経験を――非党員大衆と党との兄弟的交歓であった昨日の非常に喜ばしいデモンストレーションだけでなく、1921年2月におけるクロンシュタットの悲劇的なデモンストレーションの経験をも――考慮に入れることだけが、これらのすべての事実を正しい歴史的展望の中に結び合わせることだけが、党とは何であり、その役割は何であり、なぜどのようにして党は過去の事態に耐え、現在の状況に移行し、より偉大でよりよい未来に到達することができるのかを、示すことができ理解させることができるのである。

 この問題は根本的であり、この点に関し党は全員一致している。まさにそれゆえ――ことのついでに指摘しておくが――「無署名」政綱という名前で党内で呼び慣わされるようになった政綱が現れたとき(この政綱は、外交的な形式で、回りくどく、党の指導の清算という問題を提起している)、党内の誰も、旧分派の誰も、たとえ部分的であれこの政綱に責任を負っていると言ったものはいなかったのである。『討論報』を見ると、この政綱が旧民主主義的中央集権派の考えとつながりを持っているという一定の指摘がなされているが、かつてこのグループに属していたすべての同志たちは、自分たちがこの政綱と何の関係もないこと、この政綱がきわめて有害であることを声明した。党がこの問題に対しこのような反応を見せたのだから、この分野では第12回党大会において意見の相違はないだろうと確信をもって言うことができる。そして、党の指導の問題が、他の諸問題との関連で、とりわけ同志レーニンの提案との関連で、大会の日程にのぼるとすれば、それは党の指導を改善するという意味でであり、指導にますます系統的で計画的な性格を付与するという意味でである。なぜなら、党員の誰も、党指導の分野でわれわれはついに完成された万古不易の形態に到達したなどと言ってはいないからであり、またわが党の活動全体が複雑になり不可避的に細分化されるようになるにつれて、この仕事の中に埋もれてしまい、木を満て森を見ない事態になる危険性がないとは言えないからである。

 これまでわれわれは、あらゆる分野で場当たり的に建設を行ない、場当たり的に仕事を進め、場当たり的に指導をしてきた。これは総じて、これまでの5年間の性格に起因している。われわれはこれまで基本的な課題に取り組んできた。今や、あらゆる分野で、大規模な構想と熟慮された見取り図にもとづいて、系統的で計画的な仕事に向けてますます近づいていかなければならない。したがって、わが党の指導もより複雑な性格を帯びざるをえず、ますます系統的な方法によって遂行されなければならない。国家機構をチェックする機関として中央統制委員会が創設されたが、これこそまさに、ソヴィエトの基本機関においても、そのもとにいる大衆の中においても、全体としての党の内部においても、指導的な党の側が、より情報に通じ、より問い合わせしやすくし、より計画的に見通すための手段の一つである。より完全で系統的な情報にもとづいて、党による指導は、長期にわたる根気強い仕事を展望したより計画的な性格を帯びるだろう。

 国家の諸機構は劣悪である――とわれわれは言う――、しかも非常に劣悪である。だからといってわれわれは国家機構をハンマーで打ち壊すべきだろうか? もちろん、そうすべきではないし、そうするつもりもない。しかし、たとえ破壊しても、党が存在するかぎり再びつくり出すだろうし、そうすることができる。党が国家機構をつくり出したのであり、党が存在するかぎり、それを再びつくり出すことは可能である。だが、国家機構があって、党がなかったら、国家機構は党をつくり出すことはできない。これは根本的な思想である。党あっての国家であり、国家あっての党では断じてない。しかし、党自身が今や次のような課題を自らに課さなければならない。国家機構に対してこれまでと異なったアプローチをすること、それを全体として、またその最重要点と基本点を理解し評価すること、そしてこの方針に沿って国家機構に系統的に働きかけること、である。

 党はますます粘り強く国家機構とそのすべての機関に対し次のことを要求し勝ちとらなければならない。すなわち、それらの機関が計画と秩序[システム]の枠内で仕事をし、計画を立て、場当たり的にではなく先を見通しながら仕事をすること、それらの機関がこの計画の枠内で労働者を教育し、ソヴィエトや専門の分野においても、党の分野においても彼らに系統的に経験を積ませるようにすること、そして、全国家機構を刷新するために、国家機構全体においても個々の官庁においても、党の指導のもと、党とソヴィエトの教育施設のネットワークを建設すること、である。この施設において育成されるべきは、ソヴィエトの労農専門家・技術者・あらゆる分野の働き手の新しい世代であり、下からわれわれのシステムに根をはった人々であり、字の読めない農婦を見下すようなことをしない人々であり、この労農国家の要求・気分・目的を実際に体現した人々である…。この意味で、党の指導的役割はより高い水準に引き上げられなければならないのである。

 

   民族問題

 さて同志諸君、私はウクライナにとって特別な重要性を持っている問題に移らなくてはならない。それは民族問題である。すでに指摘したように、この問題を提起するイニシアチブをとったのはウラジーミル・イリイチである。病気で倒れる直前に彼が、この問題で農民問題におけるのと同じくらいの誤りが犯されたのではないかと危惧して、警鐘を乱打したのだ。

 私もまた、ルガンスク市の郡協議会についての通信を読んだとき、このような誤りが犯された可能性を非常に強く感じた。その通信にはこうある。同志ラコフスキーは民族問題に関する報告を行なったが、この報告はわれわれにとって思いがけないものだったので、討論はなされなかった」。たぶん同じ通信でだったと思うが、別の通信(『コムニスト』か『プロレタリー』)でだったかもしれない。その中で、この報告がどうして再び民族問題を提起しているのかを多くの同志たちが理解できなかったという指摘がなされている。この問題は自分たちにとっては「解決ずみ」であるとこれらの同志たちはみなしているのだ。言っておかなければならないが、ウクライナだけでなく北方の大ロシア――とりわけモスクワ――でも、これと同じ気分に出くわすことがしばしばある。そこにいる若干の同志たちは、何ゆえ今になって――すなわち、すべての民族が平等である労農的でソヴィエト的で等々の国家が創立されて6年目に――民族問題が唐突に大会の議事日程にのぼっているのか、いぶかしく感じている。だって、われわれは民族問題をとっくに「解決した」ではないか! ウクライナは独立しているし、グルジアやアゼルバイジャン、アルメニアも独立共和国だ、云々。これ以上いったい何がいるのか、というわけだ。

 もちろん同志諸君、民族問題はわれわれの主要な目的ではない。われわれの目的、それは共産主義である。われわれのよって立つ基盤は、社会問題であって民族問題ではない。だが、農民経済もまたわれわれの目的ではなく、集中された社会主義的生産や、高い技術等々がわれわれの目的ではないか。それでもやはり農民経済は事実である。綱領でも目的でもないが、事実である。しかも、何億・何千・何百万デシャチーナの、何億・何千・何百万戸の、何億・何千・何百万頭の事実なのだ。そして、もしこの基本的な事実に不注意な態度をとるならば、われわれの綱領の全体は完全に引っ繰り返ってしまうことになるだろう。民族問題もまったく同じである。農民問題と民族問題というこの2つの問題は、お互いにきわめて密接に関連している。それらは、全体として、同一の時代を反映している。言うまでもなく、われわれは民族的隷属や民族的不平等などの一掃を宣言している。言うまでもなく、われわれは、それぞれの民族が――国家からの分離を含む――自己の運命を自分で決定する権利を宣言している。もちろん、革命の自衛というわれわれの義務がこれらの権利に優先しつつも、である。

 あれこれの民族集団が自己の運命を労働者階級に結びつけるのではなく、労働者階級と闘争するために帝国主義と結びつけている場合には、階級戦争のルールが(メンシェヴィキ支配下のグルジアに対する関係がそうであったように)他のすべてのルールに優先する。だが、革命の防衛という課題が解決されている場合には、われわれは当該民族の農民や小ブルジョアジーや後進的な労働者にこう語るのである。「同志諸君、民族問題の領域においては、諸君との意見の相違がわが国にないようにしよう。われわれは、民族的な意味で諸君にとって最良かつ最適なように、諸君が自分の運命を決定するのを(時おり不適切に表現されているように言えば)『許す』だけでなく、そうするのを援助しよう。そして、諸君が自らの言語を通じて人類文化の最良の成果に触れることができるよう援助しよう」と。問題の本質はこうしたことにこそあるのであって、われわれが「好きなようにしたまえ」と言い放つことにあるのではない。なぜなら、農民たちは無力であり、以前に無慈悲に抑圧されていた少数民族に属している後進的な農民たちはとくにそうであるからだ。彼らは無力である。そして、彼らの上にそびえ立つ国家機構が、たとえそれが労農国家であっても、彼らに注意深くなく、彼らの民族的特殊性や彼らの言語や彼らの後進性に注意深くないものに見えるとき、彼らはひときわ自分たちが無力であると感じるのである。

 言語に関して、政権党や国家が住民の主要な部分から疎遠であることは非常に危険なことである。日常的な人間の話し言葉である民族言語のような政治的「スムィチカ」には、軽々しい態度をとってはならない。この問題はソ連全体にとって重要であり、ウクライナにとっては10倍重要である。ドネツの郡協議会にあてた同志ラコフスキーの手紙の中に、例外的に重要であると思われる思想が見いだせる。それは農民問題と民族問題を結びつけている。もしプロレタリアートと農民との間に断絶が起こるならば、もしブルジョアジーが自分の政治的番頭――エスエルやメンシェヴィキ、ないしは他のもっと果断で断固たる連中――を使って、農民の先頭に立つことに成功するならば、これは同志レーニンが最近書いたように、内戦を意味するだろう。しかも、この分野での内戦は――つけ加えて言うなら――西方でプロレタリアートが勝利しないかぎり、われわれにとって疑わしい結果になるだろう。しかし、同志諸君、プロレタリアートと農民との間の悶着が一般に危険なものであるならば、農民が旧帝政ロシアの支配民族でない場合には、すなわち農民がウクライナやグルジアやアゼルバイジャンやアルメニアの農民である場合には、したがって、たえず農民が、国家機構のうちに、自分たちを支配している他階級の権力を見るだけでなく、民族抑圧の権力――このもとでは、防衛的民族主義は農民を民族ブルジョアジーの側に押しやる――をも見る場合には、その場合にはこの悶着は100倍も危険なものとなるだろう。

 同志ラコフスキーの手紙に戻るが、ウクライナでは、党の過半数は都市労働者と都市住民一般によって構成されており、農民は少しまじっている程度にすぎず、しかも都市労働者のかなりの部分はウクライナ人労働者ではない。こうしたもとでは、党の民族的構成はもちろん、ウクライナのソヴィエト機構の構成にも明確な影響を及ぼす。この一つの事情のうちにすでに、危険ではないがきわめて深刻な問題――目を閉じてはならないし、解決しなければならない問題――が疑いもなくひそんでいる。農民市場との経済的スムィチカが必要であるだけでなく、またプロレタリアートと農民との一般的な政治的スムィチカが必要であるだけでなく、言葉や学校や文化の民族的スムィチカについても考えること、しかもしっかりと考えることも必要なのである。なぜなら同志諸君、もし農民の不満があれこれの土壌の上に発生するならば――そして、それは実際に発生しうるし、発生するだろうし、軋轢は不可避だろう――、この不満は、それが民族的イデオロギーのニュアンスを帯びる場合には、100倍も危険なものになるからである。

 民族的イデオロギーは、巨大な重要性を持った要素である。民族的心理、これは爆発的な力を秘めている。この力は、ある場合には革命的な力になり、別の場合には反革命的な力にもなるが、どちらの場合も巨大な爆発力を秘めている。いかにブルジョアジーが戦時にこのダイナマイトを利用したかを思い出していただきたい。その時ブルジョアジーは、いわゆる「民族的」利益を守るためにプロレタリアートを動員しようとした。恐るべき実験であった。そしてそれは成功したのである――われわれに反して。ブルジョアジーは、民族主義の爆発力を帝国主義的目的のために利用することができたのである。

 他方、東方では、すなわちインドや中国では、数億人が反帝国主義を志向する民族運動に立ち上がっていた。東方の民族闘争は、巨大なエネルギーを秘めた巨大な爆発力であり、革命的ダイナマイトである。これを利用できるようにすること、これはヨーロッパ・プロレタリアートの任務である。わが国では同志諸君、わが国の建設における民族的契機が持つ力は潜在的であり、その力はこちら側にも向こう側にも向けられうる。もしわれわれが農民に接近することができないならば、農民たちを、彼らの心理を、彼らの言語を理解しないならば、彼らを第2のペトリューラ運動に追いやることになるかもしれない。しかもこの第2のペトリューラ運動は、より組織的でより深刻でより危険であろう。この第2のペトリューラ運動は文化計画によって――学校や協同組合で、日常生活のすべての領域で――武装されるだろう。そして、ウクライナの農民たちがそれぞれの不満を民族的要素でもって増幅させるならば、これはペトリューラ運動のギャング行為よりもずっと危険なものであろう。

 しかし、もしウクライナの農民が次のことを感じとり理解するならば、すなわち共産党とソヴィエト権力が民族問題の分野において、完全な配慮と理解とをもって農民に接し、「与えることのできるすべてを諸君に与えよう。われわれは、遅れた兄弟たる君たちが向上できるようなすべての足場や階段を、君たちとともに建設するのを援助したいと思っている。われわれの力の及ぶかぎり君たちの要望に応えたいし、君たちが母語であるとみなしている言語にもとづいて人類文化の恵みにふれることができるよう援助したいと思っている。すべての国家機関において、鉄道や郵便局では、君たちの言葉が理解され、君たちの言葉が話されなければならない。なぜなら、これは君たちの国家だからだ」と言っていると感じとるならば、話は別である。このようなアプローチなら農民は理解し評価するだろう。彼らに設備のいきとどいた3階建ての学校を与えることができないとしても――というのは、わが国は貧しいからだが――、われわれは、彼らの息子たちが、父と母に理解しうる言葉を書いたり読んだりすることのできる学校を建設する必要がある。もしこうしたことをしないとしたら、農民はそのあらゆる種類の不満に民族的係数をかけて増幅させるであろうし、それはソヴィエト体制を解体する恐れがあるだろう。

 われわれは、まだ一つの経済問題も文化問題も解決していないのと同じように、民族問題も解決していないことを理解しなければならない。われわれはただ、民族問題を解決するための革命的前提条件をつくり出したにすぎない。われわれは帝政支配下の人民の牢獄を、諸民族の牢獄を破壊した。しかし、民族的な平等の権利を宣言するだけでは不十分である。何といっても被抑圧者の側には多くの不信があるのだから、彼らには実地に次のことを示す必要がある。すなわち、われわれは諸君とともにあり、諸君の味方であるということを、一般的な美辞麗句によってではなく、実践によって、実際の仕事によって、諸君の民族的利益に奉仕するのだということを、である。「塩が足りなければ足せばよいが、塩が多すぎると料理人の背中を打ちすえるしかない」ということわざがある。だが、この問題においては、反対にこう言わなければならない。「配慮と慎重さの塩は多すぎても問題はないが、民族問題における塩不足は党の背中に重くのしかかってくる」と。まさにそれゆえ、われわれは民族問題を大会の議事日程にのせたのである。

 その他すべての問題と同様に、われわれはこの問題を原則的なレベルにおいてだけでなく、十分具体的に、社会主義建設の現段階に応じた形で立てている。すなわち、国家の構造の中では民族的要求にどのような組織的表現を与えるべきだろうか、というようにである。だがこの問題と連邦制との関係ははっきりしていなかった。この点、われわれは過去数年間、完全に、この段階はあまり長引かないだろうという心理の影響下にあった。そして、ピョートル時代に古式分派信者が、「頑丈な家など何になる。それよりわれわれは、キリストの再来を待つのだ」と言ったように、われわれもまたある程度、ヨーロッパ革命の急速な発展を待って、確固たる建設にとりかかる気になれなかったのである。それから、ネップがやってきた。その後、ネップが長引くものであることがわかった。そして、われわれはこう自分に言い聞かせたのである。「石の家でなくても――そこまではほど遠い!――、いずれにせよ、たとえ不安定な定住地であったとしても、より堅固な家に移る必要がある」と。そして、こうした自覚の表現が、現在における、国家レベルでの、民族問題の立て方なのである。

 われわれはソヴィエト共和国同盟の創設にとりかかったが、その際ぶつかったのは、ソヴィエト国家同盟や指導党が個々の諸民族の具体的な利害や要求を正しく感知するのを助けてくれるような組織だった機構を、われわれが予測していなかったという事実である。個々から、ソヴィエトにおける特別の民族議会という考えが出てきた。それは最初多くの同志を当惑させた。白状すれば、私も最初はあまり気に入らなかった。「第2院」という言葉自体、国宝の古い教科書を思い出させて、不愉快だった。しかし重要なのはこうしたことではまったくなく、系統的、組織的に、計画立てて、民族問題にアプローチする必要があるということなのだ。

 お望みとあらば、ここで中央統制委員会とのある種のアナロジーを持ち出してもよい。中央統制委員会とは何であろうか? もちろん、これは万能薬でも、救済手段でもない。あらゆることを解決することのできる機関をつくったのだと考えるとすれば、それは馬鹿げている。そうではなく、これは、わが国の国家機構の中で、わが党の中で、労働者階級の中で、何が起こっているかを、より正しくより系統的にチェックする新しい機関であり、それによって問題の正しい解決の可能性を容易にする機関なのである。では、民族議会とは何か? これは、どこでどのような民族的「ウオの目」が痛むのか、あれこれの措置にあれこれの民族集団がどのように反応しているのか等々を、より系統的により計画的に探り当てるための特別の機関である。もちろん、民族政策における一般的な指導は完全にわが党の手中に残される。しかし、何といっても党自身、こうした問題のすべてを、自分だけで、党の考えの内的な努力だけで解決することはできない。党には、具体的な諸問題や諸条件との組織的な接触が必要である。古くからある問題の解決のためには、党は民族問題の分野においても、より複雑でより完全な新しい機関を、そしてより系統的な計画的方法を必要としているのである。

 

   党内の状況

 世界情勢はわれわれの政策の基本を変更する根拠を与えていない。国内情勢は世界情勢に依存している。経済と政治において確定されている基本的な路線は、労働者階級と農民との相互関係である。過渡期の基本的な課題――すなわち、農民との同盟的関係を保証すること――は、今後は、より長期を見通したよりいっそう系統的かつ系統的な方法を通じて解決されなければならない、工業の分野においても、租税の分野においても、国家機構の分野においても、民族問題――それはわが国では何よりも、プロレタリア前衛とかつて抑圧されていた諸民族の農民大衆との間の相互関係の問題である――の分野においても、。こうした仕事をすべてますます成功裏に遂行することができるためには、わが国の国家機構、とりわけ経済機構を改善することが必要である。ただし、部分的にではなく、手工業的にでもなく(これは不十分だ)、多年を展望した広く十分に考え抜かれた計画にもとづいて、である。

 国家機構の改善は、国家機構そのものの内部の努力だけでは不可能である。それを改善することができるのは、まず何よりも、指導的党を通じてである。わが党は最初の5年間この国家機構を指導したが、今後も100%指導するだろう。しかし、党は国家機構をますます系統的な形で、複雑な諸課題と結びつけて、指導するだろうし、自らの指導方法をいっそう完全に仕上げ、いっそう整え、国家機構そのものに対しても、活動方法と活動家の抜擢を同じく大規模かつ計画的に改善し整えるよう求めるだろう。

 だが同志諸君! 組織性と計画性にもとづいた、われわれの仕事の粘り強い改善は、基本的な政治的前提、基本的な条件がある場合のみ成功する。あらゆる前提中の前提、あらゆる条件中の条件は、われわれの党であり、その明晰な思考、その不屈の意志、その統一、その戦闘能力である。危機の瞬間に心配して集まるだけの統一ではなく――これだけでは、もちろん不十分である――、わが党を常に特徴づけているような統一、すなわち、集団的な勇気と堅固さにもとづいた、また、あらゆる危険性を容赦なく評価し基本的な課題を予見することにもとづいた統一である。

 ネップの時代がますます長引くおそれがあるかぎり、それに内在するあらゆる危険性もますます重大かつ脅威的なものになっていく。この危険性をわれわれは承知しているし、一度ならず分析した。それは市場の諸関係から出てくるものであり、この市場関係はそれ自身のうちから遠心力の放流を生み出す。この放流は国家機構を引き裂き、私的資本主義の利益の側に国家機構を横奪し、国家機構の内部にネップのブルジョアジーを、その利益を、その思想を食い込ませ、国営工業を纂奪し、それを私的蓄積の利益に沿った私的循環の水路にこっそり着水させかねないものである。だがわれわれに必要なのは本源的な社会主義的蓄積であり、たとえゆっくりとであれ確実な蓄積である。

 この放流はわが党にも流れてきているし、もちろん、わが国の発展が遅延する場合には、党に対して影響力を及ぼさないとも限らない。党が現在、革命的に敏感で堅固で心を一つにしているという事実、ここにはいかなる疑問もありえない。党の指導の問題を再検討しようと試みた2つの政綱(「無署名」政綱と「労働者の真理」派の政綱)に対し党がどのように反応したかは、われわれがすでに見たとおりである。この1年間、党はその道徳的・政治的自信と自覚の点で弱体化したのではなく、強化された。そしてこれも当然である。なぜなら、異質な分子を一掃し、プロレタリア分子を補充したからである。この発展経路に沿って党は今後も前進していくだろう。ネップという状況を考慮してわれわれは入党に苛酷な条件を課したが、党は工場労働者に大きな割引を与えることができるし、与えている。そして昨日のデモンストレーションは、この割引が――もちろんそれは合理的な限界の中にあるし、厳格なコントロールのもとにあるが――完全に正当化されるであろうことを示している。党内分子の相互関係を変更すること、純プロレタリア分子、工場労働者がますます優勢を占めること、これは党の安定にとっての、またあらゆる有害な影響力に対する党の抵抗力にとっての、基本的な保証である。

 党の堅固さの第2の条件は、それがますます青年に対して影響力を強めていることである。青年を獲得するための闘争、われわれの最悪の敵メンシェヴィキが画策を強めている舞台における闘争は弱めることなく遂行しなければならない。今後しばらくの間、反革命の側からの偵察と、いわゆる破壊活動的な政治的スパイ行為とは、賃金問題にもとづいて、青年を獲得するための闘争にもとづいて、メンシェヴィキを通じて最もうまく遂行されるだろう。そして、その片鱗は現在すでに存在している。世界メンシェヴィズムに依拠したロシアとウクライナのメンシェヴィズムによるこの闘争においても、マルトフ的傾向を持ったメンシェヴィズムは公然と、反革命的メンシェヴィズム――これは干渉と武装蜂起に賛成しており、現在、国外で雑誌『ザリャー』を発行し、ロシアではコルチャーク的・デニーキン的反革命と結びついている――と手を結んでいる。したがって次のような可能性を排除することはできない。すなわち、これからの数年間に、頭をもたげつつあるメンシェヴィズムと闘争することになる――いわばより計画的に、といってもけっしてより温和にという意味ではないが(笑いと拍手)――可能性である。だが、この闘争においてわれわれが勝利することに疑いはありえない…。

 

   レーニンの病気と党の任務

 同志諸君、わが党の思想の明晰さと意志の堅固さに関して、われわれはこの1年間に一種の前政治的な試練を受けた。この試練は苛酷であった。なぜなら、それは、現在もすべての党員と最も広範な勤労大衆の意識に、いやより正確に言えば、わが国のすべての勤労大衆と全世界のかなりの部分の勤労大衆の意識の上に重くのしかかっている一つの事実によって引き起こされたからである。私はウラジーミル・レーニンの病気のことを言っているのだ。

 3月始めに病気が悪化し、中央委員会政治局が、同志レーニンの健康の悪化について党と国民にどのように伝えたらよいか、意見を交換するために集まったとき、政治局会議を覆った雰囲気がどのようなものであったか諸君はみな理解してくれると思う。われわれはこの最初の苛酷で心をかき乱すような情報を党と国民に知らせなければならなかったのだから。もちろん、この瞬間においても、われわれは政治家であり続けた。この点では誰もわれわれを咎めはしないだろう。われわれは同志レーニンの健康を考えていただけでなく――もちろん、われわれはこの瞬間に何よりもまず彼の脈拍、彼の心臓、彼の体温のことが気がかりだったのだが――、同時に、彼の心臓を襲った打撃の数が労働者階級とわが党の政治的脈拍にどのような印象を与えるのかということについても考えていた。不安な気持ちと、それと同時に、党の力に対する深い信頼とをもって、われわれは言った、彼の危機が明らかになった最初の瞬間に、このことを党と国民に知らせるべきである、と。われわれの敵が、この情報を利用して、わが国の住民、とりわけ農民を困惑させ、撹乱的な噂を流すだろうということに、誰も疑いを持っていなかった。しかし、われわれのうちの誰も、事の真相をすぐさま党に言う必要があるということに一瞬たりとも疑念を抱かなかった。なぜなら、ありのままを語ることは各党員の責任感を高めることを意味するからである。

 わが党は50万の大政党である。多くの経験を積んだ偉大な集合体である。だが、この50万の隊列の中に、同志レーニンは比類のない位置を占めている。1人の人物が、一つの国の運命のみならず、人類の運命に対してもこれほどの影響を及ぼすことはないし、過去の歴史においてもなかった。レーニンの歴史的意義を測ることができるような物差しはなかったし、つくられなかった。まさにそれゆえ、彼が長期にわたって仕事から遠ざかったという事実は、そして、彼の状態が厳しいものであるという事実は、深刻な政治的不安をかきたてないわけにはいかないのである。もちろん、もちろん、もちろん、われわれは労働者階級が勝利することをしっかり承知している。「誰も解放を与えてくれはしない」「英雄ではなく……」とわれわれは歌う。そしてこれは正しい。だが、それは歴史的な究極においてのみ、である。すなわち、歴史の究極においては、労働者階級は、たとえこの世にマルクスがいなかったとしても、たとえウラジーミル・イリイチがこの世にいなかったとしても、勝利するだろう。労働者階級は、自分たちに必要な思想を、自分たちに不可欠の方法を、自らつくり上げるだろう。だが、より遅く、である。

 労働者階級が、その奔流の2つの波頭にマルクスとレーニンという2人の人物を押し上げたという事情は、革命にとって巨大なプラスである。マルクスは石板を持った預言者であり、レーニンは最も偉大な遺言執行人である。彼は、マルクスのようにプロレタリアートの前衛にのみ教えたのではなく、階級全体に、人民に、経験を通じて教え、最も困難な状況の中で、行動し、迂回し、そして勝利した。この1年間、ウラジーミル・イリイチが部分的にしか参加しないもとで、実践的活動を遂行せざるをえなかった。イデオロギーの分野では、われわれは最近、彼から、今後何年にもわたってわれわれを導くことになるいくつかの指摘と指示を聞いた。それは農民問題、国家機構の問題、民族問題に関する指示である…。それだけに、彼の健康の悪化について知らせなければならなかった。われわれは当然の不安感をもって自問した。非党員大衆や農民や赤軍兵士はどのような結論を引きだすだろうか、と。なぜなら、農民はわれわれの国家機構の中で何よりもレーニンのことを信頼しているからである。他の何にもまして、イリイチは、労働者階級と農民との相互関係における偉大な道徳的資本である。またわれわれの中の別の者はこう自問した。農民は、レーニンが長期にわたって仕事から離れることによってレーニンの政策が変更されることになると考えはしないだろうか、と。党はどのように反応するだろうか、労働者階級は、国は?…

 だが、レーニンの健康の悪化という人心を不安にする最初の知らせが現われると、党は全体として団結を固め、気を引き締め、道徳的に高揚した。もちろん、同志諸君、党は生きた生身の人間によって構成されており、人間には欠陥や誤りがつきものである。共産主義者といえども例外ではなく、あるドイツ人が言うような「人間的な、あまりにも人間的な」要素が多くある。また、派閥的あるいは個人的な衝突(深刻なものもそうでないものも)も存在するし、これからも存在するだろう。なぜなら、大政党がそれなしに存続するということはありえないからである。だが党の道徳的重み、政治的比重は、このような悲劇的な衝撃におそわれたときに、どのような要素が表面に浮かび上がってくるかによって決定される。統一への意志と規律か、それとも2次的で個人的な「人間的な、あまりにも人間的な」ものか。そして同志諸君、今や完全な確信を持って次なる結論を引き出すことができると私は思う。レーニンの指導を長期間受けなくなることを理解した党は、団結を固め、その思想の明晰さ、その意志の統一、その戦闘力をそこなう恐れのあるいっさいのものを払いのけた、と。

 ハリコフでこちらに向かう車両の座席に着く前に、モスクワ軍管区司令官のニコライ・イワノヴィッチ・ムラロフ――彼のことは諸君の多くが古くからの党員として知っているだろう――と、レーニンの病気によって引き起こされる状況を赤軍兵士がどのように受け取るかについて会話をかわした。ムラロフは言った。最初このニュースは稲妻の一撃のように作用して、すべての者がひるむでしょう。その後、誰もがレーニンについてより頻繁により深く考えるようになるでしょう、と…。そうだ、同志諸君、非党員の赤軍兵士たちは今や自分なりに、歴史における個人の役割について、非常に深く考えている。われわれ古い世代の人間が、高校生や学生や青年労働者だった頃に本を通じて学んだことや、留置所や監獄や流刑地で考え議論を戦わせたことについて、すなわち「英雄」と「大衆」との関係や、主体的条件と客観的条件との関係、等々について、である。

 まさに現在、1923年、わが若き赤軍兵士たちは、この問題について数十万の頭脳でもって具体的に考えている。そして、彼らとともに、ロシア全体の、ウクライナ全体の、その他すべての地域の農民が、数億の頭脳でもって、歴史におけるレーニンという個性の役割について考えている。わが党の政治指導員、コミッサール、細胞書記は彼らに対しどのように答えるだろうか? 彼らはこう答えるだろう。レーニンは天才であり、100年に1人の天才であり、しかも労働者階級の指導者である。このような天才は世界史上たった2人しか数えていない。マルクスとレーニンである。たとえ規律正しい最強の党の決議によったとしてもこのような天才をつくり出すことはできない。しかし、彼が不在のあいだ彼の代わりをつとめるべく、なしうる最善のことをするべきである、これまでに倍する集団的努力でもって。これこそ、わが党の政治指導員が非党員の赤軍兵士たちに、個人と階級との関係について説明するポピュラーなやり方であろう。そしてこの理論は正しい。レーニンは現在仕事をすることができない。だからこそわれわれは、2倍熱心に仕事をし、危険に2倍目を光らせ、2倍粘り強く革命を危険から未然に防ぎ、2倍しっかりと建設可能性を利用しなければならない。そして、われわれ全員がこれをやるだろう。中央委員から非党員の農民まで…。

 同志諸君、われわれの仕事は、非常に遅延しており、遠大な計画の枠組みの中にあっても部分的であり、仕事の方法は「散文的」である。財政収支と原価計算、食糧税と穀物輸出――われわれはこれらの課題を一歩ずつ、こつこつと果たしている…。この点に、党がほんの少しづつでも変質していく危険性はないだろうか? このような変質は、党の行動における統一を破壊することと同様、たとえほんのわずかでも許すことはできない。なぜなら、現在の時期は「真剣かつ長期にわたって」長引いているが「永遠にではない」からである。そして、長期にわたるものでさえないかもしれない。ヨーロッパ革命の始まりとしての大規模な革命的爆発は、われわれの多くが現在考えているよりも早く起こるかもしれない。そして、レーニンの多くの戦略的教えの中でとりわけしっかりと覚えておかなければならないのは、彼が急転換の政治学と呼んだものである。今日はバリケードだが、明日には第3国会の家畜小屋、今日は世界革命、世界10月革命への呼びかけだが、明日にはキュールマンとチェルニンとの交渉であり、破廉恥なブレスト=リトフスク講和へのサイン。情勢が変化し、あるいは、われわれがそれを新たに考慮しなおして、西方への出撃と「ワルシャワをめざせ」。情勢をもう一度考慮しなおして、リガ講和。諸君も知っているように、これもまたかなり破廉恥な講和条約であった…。さらにその後に、こつこつとした粘り強い作業、節約、定員の削減、そして適正人員のチェックである。電話交換手は5人必要なのか3人必要なのか、3人で間に合うのなら、5人も雇ってはならない、なぜなら、5人雇えば、その分だけ余分に農民は穀物を供出することになるからだ。小規模で日常的で細かい仕事――ところが、ルールから革命の炎が突然燃えさかる。

 だが、このように革命の炎が新たに燃えはじめたときに、わが党が変質しているということはないだろうか。いや、同志諸君、そんなことはない。わが党は変質しつつあるのではない。方法と手法は変わったが、党の革命的自己保存はわれわれにとって何よりも大切であり続ける。われわれは財政収支について学びつつも同時に、西方と東方に目を光らせており、何らかの突発事態がわれわれの不意を打つということはない。自らを洗い清め、プロレタリア的基盤を拡大することによって、わが党は自らを強化している。農民や小ブルジョアジーと協定を結び、ネップマンを許容しながらも、党の内部においてはネップマン的なものも小ブルジョア的なものも認められない。このような連中は、鉄と火でもって党からたたき出されるだろう(拍手)。

 10月革命後初めてレーニン不在となる大会であり、またそもそも、わが党の歴史において彼のいないごくわずかな大会の一つとなるであろう第12回党大会において、われわれは、次のことを根本的な戒めとして、われわれの意識の中に、鋭いカッターでもって書き込み、刻み込むことを誓いあうだろう。萎縮するな、急転換の政治技術を思い出せ、迂回せよ、だが自分を見失うな、一時的ないし長期的な同盟者と協定に入ろう、だが彼らが党内に入り込むのを許すな、世界革命の前衛として自己を保持せよ、と。そして西方から革命の合図が鳴り響いたなら――そしてそれは鳴り響くだろう――、たとえその時、胸まで原価計算、財政収支、ネップに浸かっていたとしても、いかなる動揺も遅滞もなく、その合図に応えるだろう。われわれは、足の先から頭のてっぺんまで革命家である。これまでもそうであったし、現在もそうであるし、死ぬまでそうである(嵐のような拍手、全員が起立して拍手)。

1923年4月5日

同名パンフ所収

『トロツキー資料集』Vol.1より

 

トロツキー研究所

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