ヨーロッパ資本主義の
安定化の問題によせて
1925年5月25日の同志ヴァルガの報告に関する演説
トロツキー/訳 西島栄
【解説】これは、いわゆる「世界資本主義の安定化」の問題をめぐって計画活動家クラブでなされた報告討論会での演説である。
この討論会においては、まずヴァルガが報告し、次にこの報告をめぐってアイゼンシュタートとトロツキーとラデックが演説を行ない、最後にヴァルガが結語を行なっている。この演説の中でトロツキーは、従来からの一貫した立場――ヨーロッパの衰退とアメリカ(および東方)の勃興、この両者の対立によるヨーロッパの革命的可能性――を展開するとともに、とりわけイギリスの情勢に注目して、イギリスにおいて近い将来、重要な情勢の変動、闘争の高揚がありうることを予見している。この予想は、『イギリスはどこへ』でより詳細に検討され展開されているが、この予想の基本的正しさは1926年のイギリス・プロレタリアートのゼネストによって完全に証明された。しかも、この演説の末尾でトロツキーは「むしろ危険性は、革命情勢があまりにも早く急激に形成されて、十分に鍛えぬかれた共産党の形成がその時に間に合わないかもしれない、という点にある」と述べているが、実際、イギリスのゼネストにおいてイギリス共産党はあいかわらずまったく少数でこの闘争を指導する力量をまったく持ち合わせていなかった。このとき、ゼネストと英露委員会をめぐってロシア共産党指導部の中で論争が行なわれたが、これは合同反対派の闘争の重要な一構成部分でもあった。
Л.Троцкий, К вопросу стабилизации европейского капитализм, Прановое хозяйство, No.6, 1925.
同志諸君! このような複雑な問題について意見を述べるのは非常に困難である。なぜなら、他人の報告という狭い枠があり、この問題に対する報告もかなり抽象的に組み立てられており、しかもさらにいっそう抽象的に語られたからだ。そのため、ここで、私としては必然的に他人の図式の枠内である程度即興的に語るしかない。しかも、まだ十分消化できていない。これは非常に話を複雑にする。
思うに、同志ヴァルガの報告の主要な欠点はまさにその抽象性にある。話だけでなく、本質そのものが抽象的だ。同志ヴァルガは問題を次のように立てた。資本主義的生産力は発展しうるか否か?、と。そして、彼は1900年、1913年、1924年における世界の生産高を計算し、そのさいアメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアを総計した。だが、こんなことをしても資本主義安定化の問題の解決に役立ちはしない。革命情勢をこのような方法で測ることはできない。世界の生産を測ることはできても、革命情勢を測ることはできない。なぜなら、ヨーロッパの革命情勢は、現在の歴史的条件下においては、アメリカの生産とヨーロッパの生産との対立によって、そしてヨーロッパ内部においては、ドイツの生産とイギリスの生産との相互関係によって、フランスやイギリスやその他の国の間の競争によって、著しく規定されているからである。この対立こそが革命的情勢を、少なくともその経済的基礎として直接的に規定しているのである。
アメリカの生産力がこの数十年間に増大したことは疑いえない。日本の生産力が戦時中に増大し、現在も増大し続けていることも疑いない。インドにおいても生産力は増大したし増大している。だが、ヨーロッパではどうか? ヨーロッパにおいては、全体として増大していない。それゆえ根本的な問題は、生産高を総計することによってではなく、経済的対立を分析することによって解決されるのである。すなわち、アメリカが――部分的には日本が――ヨーロッパを袋小路に追い込み、戦時中に部分的に増大したヨーロッパの生産力に対し出口を閉ざしているということ、これが問題の核心なのである。アメリカの非常に著名な輸出業者の一人――ジュリアス・バーンズ――が最近行なった演説に諸君が注目したかどうか私は知らない。彼はアメリカの商務省に近い関係にある。バーンズは、たぶんアメリカの商工会議所の総会の場だったと思うが、ブリュッセル会議へのアメリカ代表団に、次のような計画を発展させるよう提案した。
「われわれはヨーロッパを和解させたいと思っている。しかし同時に、ヨーロッパの個々の国に世界市場の一定部分を割り当てたいと思っている。ヨーロッパがアメリカの生産物とかち合わないようにである」。
これはほぼ彼の言ったとおりの言葉である。ドイツが市場でアメリカの生産物と、アメリカの商品とかち合わないように、われわれアメリカ人はドイツにソヴィエト・ロシア等々を割り当てよう、というわけだ。これは空文句ではない。なぜならヨーロッパは極端にアメリカに依存しているからである。もちろん、アメリカが世界市場の混沌を組織することに成功し、こうして永遠にではないにせよ長期間にわたって資本主義の安定を保証するなどということは、まったくお話にもならない。反対に、ヨーロッパ諸国をますます狭い活動領域に押し込めることによって、アメリカは、国際関係――アメリカ−ヨーロッパ関係も、ヨーロッパ内部の関係も――の新たな未曽有の先鋭化を準備しているのである。
だが、発展の現段階においては、アメリカは自らの一連の帝国主義的目的を「平和」的な、ほとんど「慈善的な手段」によって実現しつつある。いわゆる資本主義の安定化の最も明白な特徴である通貨の安定を取り上げよう。ヨーロッパで最も豊かな国はイギリスである。現在そのポンド・スターリングは安定している。だがイギリスはどのようにして安定させたか? イギリスはニューヨークから、おそらく30億ドルばかりを受け取って安定させた。そのため、もしイギリスのポンド・スターリングがぐらついたら、それを救うためにアメリカの資本が必要になる。これはつまり、イギリスのポンド・スターリングが今やアメリカ証券取引所の手中の玩具と化しているということである。アメリカ証券取引所はいつでも好きなときにポンド・スターリングを見捨てることができる。ドイツに対して公式に適用され、フランスに対しても間もなく適用される体制、すなわちドーズ体制は現在、イギリスに対しても――少なくとも部分的には――適用されようとしている。このことは、もちろん、アメリカがヨーロッパの「ドーズ体制化」を最後までやりぬき、それを安定させることに成功するということを、いささかも意味しない。このようなことはまったくお話にならない。反対に、現在のところ「平和主義」的傾向を優勢なものにしているドーズ体制化は、ヨーロッパの袋小路状態を先鋭化し、最も大きな爆発を準備しているのである。
同様に、同志アイゼンシュタートがアメリカとイギリスの生産力を共通の括弧にくくって取り上げたとき、彼女もまた誤りを犯した。半壊したランス大聖堂
[フランスにある大聖堂で、第1次大戦中にドイツ軍によって破壊された]とニューヨークに建設された摩天楼とを区別しなければならない。アメリカでは摩天楼が建設されたのは、ヨーロッパでアメリカのダイナマイトによって破壊が生じたからである。アメリカに金が流入しているからといって、ヨーロッパの生産力がそれに応じて発展しているわけではけっしてない。これは二つのパラレルな現象である。ヨーロッパの出血とアメリカの富裕化とを機械的に総計することはできない。ヨーロッパの破壊された財貨とアメリカの蓄積された財貨とを足すことはできない。たとえ、同志アイゼンシュタートがこの部分に関して同志ヴァルガと意見を異にしているとしても、本質的に彼女はヴァルガの誤りを踏襲しているにすぎない。なぜなら、ヨーロッパとアメリカは今や経済的・政治的に対照的な位置関係にあるにもかかわらず――そして、これこそがヨーロッパを出口なき状態に追い込んでいる巨大な要因なのだが――、ヴァルガもまたヨーロッパの財貨とアメリカの財貨を足しているからである。もう一度繰り返そう。私が紹介したバーンズの計画によれば、ヨーロッパに世界市場のうち厳密に限定された一定部分を割り当てることになっている。すなわち、ヨーロッパ諸国がアメリカの販売市場を侵食することなく債務の利子と債務そのものを支払えるよう、その範囲内でヨーロッパ諸国に餌を少しやるという計画である。だが、このことから、ヨーロッパが一定の水準で固定され、長期にわたって維持される、という結論はいささかも出てこない。断じてそんなことにはならない。帝国主義的資本主義の国際的・国内的諸関係がいささかなりとも長期にわたって固定化されるということはありえない。もちろん、この点に関してはわれわれのうちの誰も疑問を持っていない。ドーズ体制、通貨の再建、通商条約といった「平和主義」的な再建策は、アメリカの「援助」のもとで、そしてその管理のもとで行なわれている。ここに、ヨーロッパにおける発展の現時点の特徴が現われている。
しかし、ヨーロッパ諸国は、その最も初歩的な経済機能を再建することよって、そのすべての諸対立をも再建し、相互に衝突しつつある。アメリカの強大さが、ヨーロッパの復興過程をあらかじめ狭い枠の中に押し込めているために、直接に帝国主義戦争を導いた諸対立は、生産と商品流通とが――たとえ戦前の水準までであれ――復活するより早く、復活するであろう。このことは、アメリカの「平和主義」的な金融支配のもとで、その現在の「外観」にもかかわらず、国際的な諸矛盾が緩和するのではなく激化するということを意味している。
このことは、内的な、すなわち階級的な諸関係にもまったく同じようにあてはまる。すでにコミンテルン第2回大会は、きわめて重要な点として次のことを指摘した。すなわち、戦後におけるヨーロッパの生産力の衰退は、社会的な階級分化――小中階級の零落、資本の集中(国富の蓄積なしに)、プロレタリア化、すべての新しい人民諸階層のいっそうの窮乏――を停止させるどころか、遅滞させることすらなく、反対に、著しく促進し激化させるのである。その後のすべての大会がこの事実を確認した。この点で、同志ヴァルガが、ヨーロッパで今後いっそう社会関係の両極分解が起こり、それは安定化をもたらさないし、もたらしえないと言っているのは完全に正しい。ヨーロッパにおいて財貨の大部分は増大しない、ないしはほとんど増大しない。にもかかわらず、ヨーロッパの手中の貯えはますます少なくなっていく、しかも、戦前より急速なテンポで。プロレタリアートの一部はルンペン・プロレタリアートと化している。これがイギリスでの状況である。この地で、われわれは新しい現象を目にしている。すなわち、恒常的に存在する失業軍がそれである。戦後の全時期を通じて常に125万人を下らず、現在は約150万人いる。だが、失業者の安定化はけっして資本主義の安定化ではない。最近の論文の中でカウツキーはこう言っている。社会主義革命はいずれ起こるだろう(100年もすれば、したがって無痛のうちに)。なぜなら、プロレタリアートは成長し、その社会的意義は増大するからだ云々。つまり、カウツキーはエルフルト綱領の古い主張を俗流化した形で繰り返している。しかし、今日こうした主張は妥当しない。たとえプロレタリアートが成長するとしても、ヨーロッパの最も豊かな国であるイギリスで成長するのはルンペン・プロレタリアートであろう。そしてイギリスだけではない。ここでマルクスの言葉を繰り返すことができよう。イギリスは単に他国の未来の姿を示しているだけだ、と。
フランスの前には、フランを安定させるという至上の課題がある。これは何を意味するか? これは、遅かれ早かれ近いうちにフランスにおいても失業者が慢性的に見られるようになるということを意味する。すべてのフランス・プロレタリアートが現在、工業で働いているが、それは、彼らが、紙幣の濫造のおかげで、インフレーションのおかげで、身分不相応の暮らしをしているからである。アメリカはフランスに対し、すでにイギリスで達成したものを要求している。すなわち、通貨の安定である。これは、フランスに金が流入する必要があるということを意味している。しかし、アメリカの金に対する対価として高い利率を支払わなければならない。これはフランス産業にとって大きな間接費となる。フランス産業の間接費は商品の売れ行きを悪化させ、この売れ行きは――フランスが自国の通貨を崩壊させて、すなわちフランス金融経済の足元を掘りくずして手に入れたものであるにもかかわらず――ストップするだろう。そして、フランスでもイギリスと同じく、恒常的な産業予備軍が発生するだろう。たとえフランスが望まなくても、アメリカは無理やりにでもフランスの通貨を安定させ、こうしてそれに伴うすべての結果が生じるだろう。
最も明瞭な特徴が見られるのはドイツの復興過程である。そこでは資本主義の曲線が最底点にまで落ちている。しかし、ドイツにおいても、復興過程は、当分の間、戦前の水準を達成するための闘争の枠内で進行し、その途上でドイツは必ずや多くの経済的・政治的障害物にぶつかるだろう。その間に、破壊された国富にもとづいて、社会的諸矛盾はますます客観的に激化していくだろう。
報告のこの部分を、同志ヴァルガは非常に抽象的に表現しているが、彼は正しい。ただし、私が念頭に置いているのは、同志ヴァルガが、社会の不可逆的な変化について語っている部分だけであるが。イギリスの失業を一掃するためには、市場を獲得することが必要である。ところが、イギリスは市場を失いつつあり、獲得していない。イギリス資本主義の安定化のためには、他ならぬアメリカを押しのける必要がある。しかし、これは幻想でありユートピアである。アメリカとイギリスとの「協力」はすべて、世界的な「平和主義」的協力の枠内で、アメリカがますますイギリスを押しのけつつ、それを外交と貿易の領域におけるガイドとして、仲介者、仲買人として利用するということを意味している……。
イギリス経済の、総じてヨーロッパ経済の世界的比重は低落しつつある。ところが、イギリスや中・西欧諸国の経済機構は、ヨーロッパの世界的ヘゲモニーから成長してきたものであり、このヘゲモニーに依存したものであった。この矛盾は避けがたく克服しがたいものであり、ますます深刻化していく性格のものである。そして、これこそがヨーロッパにおける革命情勢の基本的な経済的前提条件なのである。したがって、アメリカ合衆国とヨーロッパとの対立を無視して革命情勢を特徴づけることは、私には絶対に不可能であると思われる。そして、これが同志ヴァルガの根本的な誤りなのである。
しかし、ここで問題が出てくる。いったいどこから安定化という概念そのものが現われたのか、なぜ安定化について語るのか? 思うに、この問題は経済的カテゴリーの枠内だけで答えることはできない。政治的契機ぬきにこの問題を取り扱うことはできない。われわれがヨーロッパの経済情勢を取り上げるならば、すなわち戦争直後にそれがどうなっていて、現在はどうなっているかを見るならば、何らかの変化が見出せるだろうか? もちろん変化はある。しかも深刻な変化が。フランスでは、破壊された駅が修理され、かなり大規模に北方の諸県が復興された。ドイツでは、ワラ製のタイヤではなくゴム製のタイヤに乗って急速に、多くのものが治療され復興され改善された。このような狭い見地から問題にアプローチするならば、戦後の息つぎ期間中に、多くのことがなされたように見える。これはちょうど、貧困、いや極貧にさえ陥った人間が、2〜3時間かけて、糸でボタンをつけ、つぎをあて、着ているものをきれいする等々をしたようなものである。しかし、もし世界経済を構成するものとしてヨーロッパの情勢全体を取り上げるならば、この期間中に、ヨーロッパ情勢は変化したのか否か、それは改善されたのか否か? いや、それは改善されていない。世界的な見地から見たヨーロッパ情勢は改善されていない。これは根本的な点である。
しかし、それでもやはりわれわれが安定化について語るのはなぜだろうか? まず何よりも、ヨーロッパは、その一般的な衰退状況から脱出したのではないにせよ、その経済の中に一定の調整要素を導入しえたからである。このことを無視することはけっしてできない。これは、ヨーロッパの労働者階級の運命と闘争にとっても、共産党の現在の戦術にとっても、けっしてどうでもいいことではない。しかし、ヨーロッパ資本主義の運命全体がこれによって完全に決定されているというわけではない。金本位制によるポンド・スターリングの安定は、疑いもなく「調整」の要素である。しかし他方では、通貨の安定はただイギリスの一般的な衰退と、合衆国へのその従属的な依存関係をより明瞭により正確に露わにするものでしかない。
では、ヨーロッパ資本主義の調整、その初歩的機能の復興等々はいったい何を意味するのか? この内的調整は、来たる強固で長期にわたる安定にとって必要不可欠な前提条件にすぎず、したがってまたその徴候なのか? いや、このような予想を立証するいかなる資料もない。
いかにして、なぜヨーロッパ・ブルジョアジーが経済の「調整」に成功したかを理解するためには、経済と相互作用している政治のモメントを考慮に入れなければならない。1918〜19年、ヨーロッパ経済は戦争の結果をもろに受けていて、労働者大衆の強力で自然発生的な革命的攻勢が存在した。これはブルジョア国家を完全な不安定状態におとしいれ、支配階級としてのブルジョアジーの自信を著しく奪い去り、ブルジョアジーは自らのヨーロッパ風上着をつくろう気さえ起こらなかった。安定通貨の復活という考えはおよそ3〜4年の計画だった。もっとも、プロレタリアートの直接的攻勢がブルジョアジーの支配を揺るがしていた時に、そもそもこのような考えが起きたとすればの話だが。当時、インフレーションは、ブルジョアジーの直接的な階級的自衛手段であった。ちょうど、わが国にとって、戦時共産主義が権力を握ったプロレタリアートの階級的自衛手段であったのと同じである。
同志ヴァルガが正しく指摘しているように、コミンテルン第1回大会と第2回大会において、われわれはヨーロッパ・プロレタリアートの権力獲得をごく近い時期に実現するものとみていた。われわれの誤りはどこにあったか? われわれが準備不足であったのはどの分野か? 経済は社会革命の準備ができていたか? しかり、できていた。いかなる意味でか? 2重の意味でである
[生産力の水準と階級分化]。戦前にすでに、技術と経済の状態は社会主義への移行を有利なものにしていた。この点で戦中、戦後にいかなる変化が生じただろうか? ヨーロッパの生産力が――それを順調な一般的過程として取り上げるならば――発展しなくなったという点である。戦前、それは資本主義の枠内でもきわめて急速に発展した。この発展が袋小路にぶつかり、戦争に行きついたのである。戦後、ヨーロッパの生産力は発展をやめた。われわれが目にしているのは、鋭い異常な上下変動を伴う不況(沈滞、停滞)である。それは、景気循環を感知することができないほどである。一般的に言って、景気循環を経済発展の脈拍であるとするならば、景気変動の存在は資本主義が生きているということの証拠である。かつてわれわれは、第3回コミンテルン大会において、景気変動は今後も起こるだろう、したがって景気の好転もあるだろう、ということを証明しておいた。しかし、健康な人間と病気の人間とでは、心臓の鼓動に違いがある。資本主義は死んでいない、それはまだ生きている――とわれわれは1921年に語った――、それゆえ、今後もその心臓は鼓動を打つだろう、景気変動はあるだろう、しかし、生物が耐えがたい状況の中で衰退しつつある時、その脈拍は異常になり、必要なリズムを感知するのも困難になる、云々と。ヨーロッパはこの間ずっとこういった状態にある。もし、循環的変動が再びヨーロッパで通常の活発なものとなるならば(私は非常に条件的に、あらゆる留保条件をつけて言っている)、経済的諸関係が強化されたという意味で、ブルジョアジーが何らかの原則的一歩前進をはたしたということに、ある程度までなるだろう。こうしたことについては、これまでのところまったく問題外である。景気変動は異常で、非循環的で、非周期的であり、このことはヨーロッパ資本主義、とりわけイギリス資本主義が、戦後に形成された枠組みに耐えがたくなっているということを示している。資本主義は生きており、活路を探している。生産力は前のめりになりながら、自分にとって狭くなった世界市場の境界に頭をぶつけている。ここから、通常の経済的景気循環の代わりに、経済的ひきつり、痙攣、急激で鋭い変動が起きるのである。しかし、話を戻そう。ヨーロッパ・プロレタリアートが来たる数ヵ月のうちに権力を獲得するだろうと期待されていた1918〜1919年に、いったいわれわれは何を考慮していなかったのだろうか? この期待を実現するうえで何が足りなかったのか? 経済的前提条件が足りなかったわけではないし、階級分化も足りなくはなかった。客観的条件は十分に準備ができていた。プロレタリアートの革命運動も存在していた。戦後、プロレタリアートは、やろうと思えば彼らを決定的な戦闘に向かわせることができるような気分を有していた。だが彼らを導く者がいなかった。戦闘を組織する者がいなかった。すなわち、党と呼ばれるものが存在しなかった。このことを無視したこと、これこそわれわれの予測にあった誤りである。党が存在していなかったために、勝利できなかったのだ。他方で、党が創設されるまで、プロレタリアートの革命的気分を維持することはできなかった。
共産党が建設され始めた。だがその間に時機を失せず戦闘的指導部を見出せなかった労働者階級は、戦後の複雑な状況に順応せざるをえなかった。このために、古い日和見主義政党が再び多少なりとも強化されたのである。しかし、資本主義自身もまたその間に生きながらえた。まさに、決定的瞬間に革命党が存在していなかったこと、そしてプロレタリアートが権力を獲得できなかったことのために、資本主義は何を手に入れたか? 息つぎである。すなわち、流動的な情勢の中で以前より落ち着いて方向を見定める可能性を手に入れたのである。通貨の再建、ワラ製のタイヤをゴム製のタイヤに代えること、通商条約の締結、等々である。総じて、ヨーロッパ資本主義の状態は深刻な変化をこうむった。このことを過小評価することはできないが、それでもやはり、それらはすべて経済的・金融的・軍事的な力関係――戦前に準備され、戦争中に確定され、戦後もヨーロッパに有利なようには変化していない力関係――の枠内にある。
現在ヨーロッパは革命情勢にはないが、それは、資本主義が生産力をさらに発展させるまでに復興することができたからではないし、そういう意味でもない。そんな状況にはない。このような方向性を感じさせるまともな徴候すらない。革命情勢が去ったことは、労働者階級の気分の変化のうちに直接的に表現されている。とりわけドイツでは、革命から社会民主主義への引き潮が見られる。この引き潮は、戦後の革命的上げ潮と、さらにルール事件後の上げ潮が成果なく終わったことによって生じた。そして、この引き潮の結果としてブルジョアジーは、国家機構と経済機構の最も調子の悪い部分を調整する可能性を手に入れた。しかし、たとえ戦前の経済水準程度であっても、そこまで復興しようとするブルジョアジーの闘争は不可避的に新しい矛盾、衝突、激変、ルール事件に似た「エピソード」等々を内包している。労働者階級の気分は、1923年のドイツで改めて示されたように、その国の経済情勢よりもはるかにずっと変化しやすい要因である。まさにそれゆえ、資本主義の「安定化」を求めるヨーロッパ諸国のブルジョアジーの闘争は、今後の発展の各段階において、ヨーロッパの共産党の前に新しい革命的情勢を現出させることであろう。
ここで同志ヴァルガはある重要な問題に言及している。つまり、ブルジョアジーは労働者階級の上層部に餌をやることができないということである。イギリスにおいては現在、ボールドウィンの保守党政権は労働者との和解を強く望んでいる。最近行なわれたボールドウィンの諸演説を研究するならば、それらがすべて強烈な不安で満たされていることがわかる。最近イギリス議会で彼が行なった演説には典型的なフレーズが見られる。「われわれ保守派は、最初に銃を射ちたいとは思わない」。
彼自身の党の極右派が、労働組合による政党納付金の徴収を禁止する法案を提出した時(ちなみに、この法案には自由党も完全な共感を示した。なぜなら、自由党を打ち破りつつある労働党は、この政治資金にもとづいて存続していたからである)、ボールドウィンはこう述べている。政党納付金の徴収はもちろん強制的に行なわれている。これはイギリスの伝統を破壊するものだ、云々。しかし、「われわれは最初に銃を射ちたいとは思わない」。文字通り彼はこう表現したのだ。これは単なる雄弁術ではない。
イギリスにおける経済、政治、マスコミの動きに注意を払い、気分の変化を追うならば、イギリスにおいて革命的情勢が、たとえゆっくりとであれ、驚くほど着実に迫ってきているという印象を受けるだろう。イギリス資本主義の出口なき状態は、リベラリズムの崩壊、労働党の成長、労働者階級の中に新しい気分が生まれていること、等々のうちに表現されている。ボールドウィンの政策全体は、労働者との「和解」を待望することにもとづいて立てられている。他方、イギリスの労働組合、つまり保守的協調主義の担い手であった(トレード・ユニオニズムはわれわれにとって何を表現するものであったか? それは同業組合的日和見主義の表現であった)この労働組合は、ヨーロッパ史においてしだいに最も重要な革命的要因となりつつある。
共産主義は、自らの仕事と、労働組合内部で力強く進行している過程とを結びつけるだけで、イギリスにおける自己の使命を達成することができるだろう。この過程を直接規定しているのは何であろうか? 労働者階級の広範な層に最も多く餌をやっていたこの国がこの餌をもはややることができなくなっていること、そしてあんなに協調主義的な気分にあったボールドウィンが、労働党議員団が提出したごく控えめな法案(たとえば、炭坑夫の最低賃金)をすべて拒否せざるをえなかったこと、である。昨日、外電からの情報では、労働党議員団が提出した控えめな法案(公共事業に1000万ポンド・スターリングの支出)を保守党議員が拒否した。こうしたことから、日和見主義の強化は(もちろん、ドイツでも、フランスでも)深刻になりえないし、長期にわたることもありえない、という結論が出てくる。フランスでも、ドイツでも、プロレタリアートの上層に特権的地位を与えることができない。反対に、ここかしこで、労働者階級に対する攻勢が生じざるをえないのである。
ではイギリスは? 労働党の現指導者たちの日和見主義が長期にわたって、何十年も安泰でいられるだろうか? この問題について一言述べるならば、これは最もよく情勢の一般的評価を明らかにするものである。イギリスには社会民主主義派と独立労働党が存在する。この二つの組織は、あまり競合し合わずに何十年も存在していた。どちらも、1万5000〜2万〜2万5000人程度の党員を有していた。だが戦後、驚くべき現象がイギリスで起こっている。昨日までのプロパガンダ的セクトであった独立労働党が政権についたのである。たしかに、この党は自由党に頼っていた。しかし最近、すでにマクドナルドが没落していた後の選挙で、この党は450万票を獲得したのである。
私が独立労働党について語ったのは、この党が労働党の主流派だからである。独立労働党なしに労働党は存在しない。独立労働党のこの驚くべき出世は何によって説明されるだろうか? そして彼らはどの程度安定しているだろうか? 他の国のブルジョアジーに比べて、より良好で、より首尾一貫しており、より賢いイギリス・ブルジョアジーは、労働者階級の上層部を経済的に養い、政治的に彼らを堕落させることによって、プロレタリアートを従属させてきた。このような学校は歴史上これまで他になかったし、これからもないだろう。アメリカ・ブルジョアジーは、おそらくこれほど長期にわたって、自国の労働者階級を堕落させ卑しめることはできないだろう。だが、イギリスにおける世界的および国内的諸関係の変化は何をもたらしたか? 労働組合の上層に対する圧力である。そして、この圧力は労働党の創設をもたらした。
現在の平均的なイギリス労働者を取り上げるならば、彼らはおそらく、自由党に投票していた時に抱いていた偏見を意識的に拒否するようになったわけではないだろう。しかし、彼らは自由党に幻滅した。なぜなら、自由党議員は、世界市場におけるイギリスの地位が変化したために、労働者の利益を議会で擁護することが――以前なら可能であった範囲でさえ――できなくなったからである。そこで労働者は同じ課題を達成するために独自の党をつくる必要性が出てきた。だが、これはいかなる労働者政党であろうか? これは労働組合の政治部である。労働組合には会計係、出納係、書記が必要なように、議会での代表者が必要なのである。階級闘争が激化しリベラリズムが消滅しつつあるという状況に押されて、労働組合は自分自身の労働者政党を創設することを余儀なくされた。しかし、労働組合官僚は、24時間のうちに独自の勢力をつくり出すことはできなかった。だがイギリスの状況は、ほとんど24時間のうちに党を作りださなければならないほど急激に変化しつつあった。そのため、長期にわたってセクトとして存在し続けた独立労働党と、労働組合官僚との間に奇妙な「スムィチカ
[提携]」が生じたのである。「諸君には労働組合の政治部が必要だろう。われわれがそのお役に立とう」というわけだ。こうして、労働党が形成されたのである。独立労働党の日和見主義は巨大な政治的基盤を有している。それは長期間つづくだろうか? すべての事実は、否と語っている。現在の労働党は、独立労働党と、労働者階級の強力な革命的高揚とが一時的に交差した結果である。独立労働党は、高揚のこの短い段階に照応しているにすぎない。すでにわれわれはマクドナルド政権が成立するのを見た。これは最後まで遂行されなかったエピソード的な実験であった。なぜなら、独立労働党の最初の政権は多数を確保していなかったからである。今後の発展はいかなる道をとるであろうか? 現在の保守党政権が直接に革命情勢に移行すると考える根拠はあるだろうか? 予測することは困難である。しかし、それでもやはり、――特別な歴史的衝撃でもないかぎり――近い将来に労働者階級とブルジョアジーの間で権力をめぐる革命的闘争が起こると期待することはできないだろう。だが、たとえ戦争やルール占領のような事件がなくとも、イギリスにおける保守党政権は遅かれ早かれ労働党政権に席を譲ると考えなければならない。かかる状況下で、労働党政権は何を意味するだろうか? 国家に対する労働者階級の激しい圧力と圧迫を意味する。イギリスの状況が世界的に見て出口のない状態にあるもとで、これは何を意味するか? イギリスの労働者階級が、以前の段階で独立労働党の指導を求めた時と同じだけの大きなエネルギーと急激さで、共産主義の理念を求めるだろう、ということを意味する。何十年にわたって共産党の党員数が徐々に増えていくと考えるならば、これは根本的に誤っている。ちょうど、独立労働党の運命が最もよく示しているように、こうした場合、事態は異なった道を通って異なったテンポで進むのである。かつてイギリスは世界市場の覇者であった。このために労働組合の保守主義が生まれた。今やイギリスは後退し、その地位は悪化し、イギリスの労働者階級の地位は根本的に変化し、その運動の軌道全体が変わった。一定の段階においてこの軌道(運動線)は独立労働党の道と交差した。このために、独立労働党の力量に対する幻想が生まれた。だが実際には、マクドナルド主義は、イギリス労働者階級の途上における単なる一道標、一つの刻み目にすぎない。現在イギリス労働者階級の中で生じている過程は、われわれの時代がきわめて危機的な性格を、すなわち革命的な性格を有しているということをこの上なく明瞭に表現しているのである。
言葉の特殊な意味での革命情勢は、非常に具体的なものである。これは、すべての条件が交差することから生じる。危機的な経済状況、階級関係の先鋭化、労働者階級の攻撃的気分、支配階級の茫然自失状態、小ブルジョアジーの革命的気分、国際情勢が革命にとって有利なこと、等々、等々である。このような情勢はその性質上、ある一定の時点までしか先鋭化しないし、維持されない。それは長期にわたって存続しえない。
もしこの情勢が戦略的に利用されないならば、崩壊が始まざるをえない。どこから始まるか? 上から、すなわち革命情勢を利用できなかった共産党からである。必然的に共産党内部で軋轢が生じる。同じく必然的に、共産党は、その影響力の一定部分――時にはきわめて重要な部分――を失う。労働者階級の中で革命的気分の引き潮が始まり、彼らは現存秩序に順応しようとする。同時に、ブルジョアジーに自信の上げ潮が一定見られるようになり、それは彼らの経済活動にも表わされる。この過程こそが、実際のところ、われわれが安定化について語らざるをえなくしたものである。だが、それはヨーロッパにおける資本主義的土台が、とりわけ世界市場におけるその地位が、何か根本的に変化したということではけっしてない。
われわれが問題を評価する際には、ヨーロッパ地域主義から脱しなければならない。戦前、われわれはヨーロッパを世界の運命の支配者と考えていた。そして革命の問題を、エルフルト綱領にしたがって、一国的に、ヨーロッパ的枠組みのなかで考えていた。しかし戦争は、世界経済のあらゆる部分の不可分の結びつきを示し、露わにし、暴きだし、ゆるぎないものにした。これは根本的な事実であり、世界経済の結びつきと矛盾とを無視してヨーロッパの運命を考えることはできない。
そして最近、世界市場におけるアメリカの力の増大とアメリカに対するヨーロッパの依存の増大とが日々刻々と明らかになってきている。合衆国の現在の状況は、いくらか戦前のドイツの状況を思い出させるものである。ドイツもまた、すでに全世界が分割されていた頃に成り上がってきた。だがアメリカは次の点でドイツと異なっている。すなわち、アメリカはドイツよりはるかに強力であり、剣を直接抜くことなく、武器をとることなく、実に多くのことを実現することができる、ということである。アメリカはイギリスに日英同盟を破棄させた。どのようにしてか? 剣を抜くことなくである。アメリカは、英米の保有する艦隊の均等化をイギリスに承認させた。イギリスの全伝統がイギリス海軍のゆるぎない優位性に立脚していたにもかかわらず、である。どうやって、アメリカはこれを達成したのか? それが持つ経済力の圧力によってである。アメリカはドイツにドーズ体制を押しつけ、イギリスにその債務を支払わせ、フランスに債務の支払いを促し、そのために安定した通貨への復帰を促した。これらすべては何を意味するか? アメリカがヨーロッパに対して新たな巨額の税金を課すことを意味する。ヨーロッパからアメリカへの力の移動は続いている。たとえ販路の問題が第一次的な問題ではなくても、イギリスは販路の問題に、死活にかかわる問題としてつき当たることであろう。そしてイギリスはこの問題を解決することができない。失業はイギリスの肉体をむしばむ潰瘍である。イギリスのすべてのブルジョア経済的思考や政治的思考には、すっかりペシミズムが沁み込んでいるのである。
まとめると、私は同志ヴァルガの一般的結論――ヨーロッパの経済的安定を長期にわたって続くものとみなす根拠はないという結論――に同意する。ヨーロッパの経済情勢は、それがいかにましなものになろうとも、あいかわらず深刻な危機的状況にある。その矛盾は必ずや近いうちに、きわめて先鋭な性格を帯びるだろう。したがって、たとえばイギリスに関して言えば、革命の問題は、何よりも、革命情勢が1923年のドイツのように決定的な攻勢を必要とするほど先鋭になる瞬間に間に合って、共産党が形成されているかどうか、準備できているかどうか、労働者階級と密接に結びついているかどうか、にあるのである。これと同じことは、私見によれば、ヨーロッパ全体にもあてはまる。「危険性」は、革命を漠然とした未来に遠ざけるほどヨーロッパ資本の経済力が安定したり復活したりすることにあるのではない。そんなところに危険なものは何もない。むしろ危険性は、革命情勢があまりにも早く急激に形成されて、十分に鍛えぬかれた共産党の形成がその時に間に合わないかもしれない、という点にある。われわれはすべての注意をこの側面に向けなければならない。このようなものが、全体としてのヨーロッパ情勢である。
『計画経済』第6号
1925年6月
『トロツキー研究』第11号より
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