ヨーロッパとアメリカ

トロツキー/訳 西島栄

『ヨーロッパとアメリカ』

【解説】1926年2月15日に行なわれたこの演説は、「西方と東方」および「ヨーロッパとアメリカ」という二つの基軸を中心に展開されていた1920年代半ばにおけるトロツキーの世界情勢論、アメリカ論の一つの頂点をなすものである。トロツキーは、1905年革命の敗北後にヨーロッパに再度亡命したが、その2度目の亡命期において、第1次世界大戦のせいで住みなれたウィーンからチューリヒ、その後フランスに行き、その後スペインを経てアメリカへと亡命地を転々とすることになった。新大陸に渡ったトロツキーはそこで最新の資本主義が支配しているアメリカという巨人を直接見聞することができた。それはトロツキーにとって巨大な衝撃であった。『わが生涯』の中でトロツキーはニューヨークに初めて到着したときの感想を次のように書いている。(右はロシア語原著の表紙)

「私は、資本主義的オートマティズムの散文的なおとぎの都市、ニューヨークにいた。街頭ではキュービズムの美学理論が君臨し、中心部ではドルの道徳哲学が席巻していた。ニューヨークは私にある種の畏敬の念を呼び起こした。なぜならそれは、現代という時代の精神を最も完璧に体現していたからである」。

 トロツキーはアメリカでさっそく『ノーヴィ・ミール』という国際主義派の社会主義新聞の編集部に入って文筆活動や集会や演説を精力的にこなしていくが、同時に、図書館に盛んに出入りして、アメリカという国を学ぼうと努力した。同じく『わが生涯』の中でトロツキーはこう述べている。

「ニューヨークの図書館で、私はアメリカ合衆国の経済状況について熱心に勉強した。戦中におけるアメリカの輸出の劇的な増大を示す数字は私を驚愕させた。それは私にとって真の啓示だった。この数字は、アメリカの参戦を予示していただけでなく、戦後にアメリカが決定的な世界的役割を果たすことをも予示していた。私は当時すでにこのテーマについて一連の論文を書き、いくつかの報告を行なった。それ以来、『アメリカとヨーロッパ』という問題はけっして私の関心領域から離れることはなかった。今でも私は、この問題について研究し、それについての著作を書きたいと思っている。人類の来たる運命を理解するうえで、このテーマ以上に重要なものはない」。

 トロツキーのアメリカ滞在はわずか2ヶ月ちょっとで終わった。ロシア革命が勃発したからである。だが、この短い滞在期で得たものは巨大だった。トロツキーはコミンテルンの指導者として、あるいはロシア共産党および赤軍の指導者として、アメリカ問題について持論を展開することになる。なかでも、この演説は、アメリカで1920年代に急速に発達し始めたフォード主義についていち早く注目し、それが持つ巨大な潜在的可能性を的確にとらえている。コミンテルンの中で最も早くフォード主義(単なるテーラー主義ではなく)に注目したのは、おそらくアメリカ共産党であろうが、国際指導者の中で最も早く注目したのはトロツキーであった。後にブハーリンもフォード主義に関心を抱くが、この2人がともにアメリカに同時期に亡命していたことがあるのは、おそらく偶然ではあるまい。

 この演説は、同年3月2〜5日号の『プラウダ』と『イズベスチヤ』に分割掲載された後、この演説の中でも言及されている1924年の演説「世界発展の展望の問題に寄せて」といっしょに、1926年半ばに『ヨーロッパとアメリカ』という題名のパンフレットとして出版され、このパンフレットは同時期にヨーロッパの主要言語に翻訳されて普及している。

 ちなみに、グラムシは、刺激的な題名のついたこのパンフレットにいち早く注目し、彼が編集していた『ウニタ』の1面にこの小冊子のことについて大きく取り上げ、その一部を訳出している。後にグラムシは、『獄中ノート』でアメリカニズムとフォーディズムの問題を最も重要なテーマの一つとして取り上げ、それを多面的に考察するが、その考察の中には確実に、トロツキーのこの演説を読んで学んだ跡が見て取れる。

 今回、アップするにあたって、詳細な注を追加しておいた。

Л.Троцкий, Европа и Америка, Европа и Америка, Мос.-Лен., 1926.


  1、労働運動の二つの極――協調主義の完成されたタイプ

  2、協調主義の基礎としてのアメリカ合衆国の経済力

  3、アメリカとヨーロッパの新しい役割

  4、アメリカ合衆国の帝国主義的膨張

  5、平和主義と混乱について

  6、アメリカ平和主義の実際

  7、ヨーロッパ貧本主義に出口はない

  8、資本主義は生命力を使い果たしたか?

  訳注


 

労働運動の二つの極――協調主義の完成されたタイプ

 同志諸君、現代の世界の労働運動には二つの極があり、この二つの極が、歴史に前例がないほど明瞭に世界の労働者階級の二つの基本的傾向を示している。一つは革命の極であり、わが国に存在している。もう一つは協調主義の極であり、北アメリカ合衆国に存在している。この2、3年のアメリカ労働運動に見られるような改良主義の完成された形態と方法、すなわちブルジョアジーとの妥協の政治は、これまでまったく存在しなかったものである。

ジョン・ロックフェラー(初代)

 階級的妥協の政治は過去にも見られた。われわれはそれを歴史の目で見てきたし、またわれわれ自身の目で見てきた。戦前における最も完成された日和見主義は、古い保守的なイギリス労働組合主義(トレード・ユニオニズム)の完成した形態を生み出したイギリスにおいて見られた、とわれわれは考えていた。そしてそれは過去においては正しかった。しかし現在、古典時代の、正確には19世紀後半のイギリス労働組合主義の、現在のアメリカ日和見主義に対する関係は、手工業生産の、アメリカ式工場に対する関係と同じであると言わなければならない。合衆国において、今日、いわゆる「カンパニー・ユニオン」(会社組合)――すなわち、トレード・ユニオン(労働組合)とは異なって、労働者だけでなく経営者をも、より正確に言えば両者の代表をその手中に統合している組織――の広範な運動が存在している。換言すれば、ギルド的生産組織の時代に生じ、その後に消滅した現象が、現在、最強の資本主義国で前例のないまったく新しい形態を帯びて現れているのである。たぶん、ロックフェラ−(1) [左の写真]が戦前すでにこの運動の創始者であったと思う。しかし、この運動はつい最近になってはじめて、つまり実質的には1923年以降、北アメリカの最も巨大なコンツェルンに広がった。労働貴族の公式の労働組合組織であるアメリカ労働総同盟(AFL)は、この運動に、すなわち労働と資本の利益の一致を完全かつ徹底的に承認し、したがって最も差し迫った課題のための闘いにおいてさえプロレタリアートの独立した階級組織の必要を認めないこの運動に、あれこれの条件つきで参加したのである。

 それと並んで、現在、合衆国では、労働者相手の預金銀行や保険協会が発展している。そこでは、労働者の代表と資本の代表が隣り合って腰をかけている。アメリカの賃金が高い満足を保障しているという認識は、言うまでもなく極端に誇張されたものである。しかしながら、いずれにせよこの賃金は上層労働者による一定の「貯蓄」を可能にしている。そこで資本は、労働者預金銀行を介してこの貯蓄をかき集め、労働者がその賃金をさいて貯蓄しているのと同一の工業部門の企業に投資する。こうして、資本は共同で自らの運転資金を増大させ、そして何といっても産業の繁栄に対する利害関係を労働者にもたせている。

サミュエル・ゴンパース

 AFLは、労働者の利害と資本家の利害の完全な一致にもとづいた賃金のスライディング・スケール制――つまり貸金は労働生産性と利潤に応じて変化しなければならない――導入の必要を認めてきた。こうして、資本と労働の利害の一致という理論は実践において確立され、国民所得を享受する際の「平等」の外見がつくり出される。このようなものがこの新しい運動の主要な経済的形態である。われわれは、この運動を注意深く観察し理解しなければならない。ゴンパース(2)右の写真]を指導者とし、その名前と結びついているAFLに関して言えば、それはこの数年間にそのメンバーの大部分を失った。現在、そのメンバー数はせいぜい280万程度であり、合衆国の工業、商業、農業における雇用労働者が少なくとも2500万人いることを考慮するなら、それはアメリカ・プロレタリアートの取るに足らないパーセンテージを占めるにすぎない。しかし、AFLはそれより多くのメンバーを必要としない。大衆闘争によってでなく、資本と労働の協調によってすべての問題を解決するという考えがAFL自身の公式の教義である以上、そしてこの考えが「カンパニー・ユニオン」のうちにその最高の表現を見出した以上、労働組合は、階級全体の名において行動する、労働者階級の貴族的上層部の組織に帰着することができるし、帰着しなければならないのである。

 協調主義は、工業と金融の分野(銀行、保険協会)に限定されてはいない。それは国内政治と国際政治の領城に完全に移植された。AFLと、それが緊密に結びつき直接間接に寄りかかっている新しいカンパニー・ユニオン、すなわち2階級組合とは、社会主義に対して、そして一般にヨーロッパの革命的教義――連中は第2インターナショナルやアムステルダム・インターナショナルの教義をもそこに含めている――に対して、断固たる闘争を遂行している。AFLは、「アメリ力人のためのアメリカ」というモンロー主義(3)を、「われわれは君たちヨーロッパの大衆に教授したいし、そうすることができるが、君たちはわれわれのことに口出ししてはならない!」と解釈することによって、このモンロー主義を新たな形で自分たちのために利用している。そしてこの点では、AFLはブルジョアジーを模倣しているにすぎない。以前にアメリカ・ブルジョアジーが「アメリカ人のためのアメリカ、ヨーロッパ人のためのヨーロッパ」と教えたのとは異なって、今日のモンロー主義は、アメリカの問題に対する他国の干渉を禁じ、世界の他のすべての部分に対するアメリカの干渉をどんな場合でもけっして禁じないということしか意味していない。アメリカ人のためのアメリカ、だがヨーロッパもまたアメリカ人のために!

 AFLは現在、汎アメリカ連盟、すなわち南アメリカにまで拡大し北アメリカ帝国主義のためにラテン・アメリカヘの道を切り開く組織を創設した。ニューヨークの証券取引所にとって、これ以上の政治的道具はないだろう。しかしこのことは、南アメリカ人民を窒息させている北方帝国主義に対する南アメリカ人民の闘争が、同時に汎アメリカ連盟の退廃的影響に対する闘争にもなるだろうということを意味している。

カルヴィン・クーリッジ

 ゴンパースがつくった組織は、ご存知のように、アムステルダム・インターナショナルの外にとどまっている。AFLにとって、アムステルダム・インターナショナルは没落しつつあるヨーロッパの組織であり、革命的偏見にあまりにも毒された組織である。しかし周知のように、アメリカ資本が国際連盟の外にいても、アメリカ資本が国際連盟を操縦する糸を握る妨げにはけっしてならないように、AFLがアムステルダム・インターナショナルの外にいるという事実は、それがアムステルダム・インターナショナルの反動的官僚を自分の後に従えることをけっして妨げはしない。したがって、ここでもわれわれは、クーリッジ(4) [左の写真]の仕事とゴンパースの後継者の仕事との間に完全な平行性を見いだすことができる。アメリカ資本がドーズ案(5)を実施した時、AFLはそれを支持した。世界のあらゆるところで、AFLはアメリカ帝国主義の権利と要求のために闘っており、したがって、何よりもソヴィエト共和国に対して闘っているのである。

 これは、より高度なタイプの新しい協調主義であり、最後まで行き着いた協調主義であり、またカンパニー・ユニオンや労資共同の銀行や保険協会のような「間階級的」機関の中で組織的に確立している協調主義である。この協調主義はたちまちアメリカ的スケールにまで発展した。経営者との対等の原則にもとづいた、あるいは上院・下院の形式等にならった工場委員会を組織することを請け負う資本主義大企業さえ設立された。協調主義にとってある一定の規格が確立し、それは資本主義大企業を通して機械化され作動している。これは純粋にアメリカ的現象であり、労働者階級の隷属を自動的に確立する協調主義の一種の社会的コンベア―である。

 

2、協調主義の基礎としてのアメリカ合衆国の経済力

 なぜ資本はこの協調主義を必要とするのかと問う者がいるかもしれない。アメリカ資本の現在の力とその力から発生してくる目論見を考慮する時、その答えは自ずから明白である。アメリカ資本にとって、アメリカはもはや閉鎖的な活動舞台ではなく、巨大な規模で新事業を行なうための本拠地である。そこでアメリカ・ブルジョアジーは、海外においてより確実に拡張するために、最も完全で完成された形態の協調主義によって、この本拠地における自己の安全を確保しておかなければならないのである。

 別の問いも可能である。合衆国が参加した帝国主義戦争の後、その戦争によってすべての国の勤労者があらゆる重大な経験を得た後、そして20世紀の第2四半期が始まる今日、この規格化された協調主義を実現することがどのようにして可能だろうか? いったいどのようにして? この問いに対する答えは、過去に比類なきアメリカ資本の力に見い出されるべきである。

 ヨーロッパのさまざまな地方において、そして世界のさまざまな部分において、資本主義制度は少なからぬ実験を行なってきた。人類の全歴史は、族長制から奴隷制、農奴制、資本主義に至る労働の社会的組織を創出し、改造し、改良し、向上させようとする試みの絡み合った鎖として見ることができる。歴史が最も多くの経験や実験や試みを遂行したのは資本主義制度においてである。そしてそれは、ヨーロッパで最も早くから行なわれ、最も多様であった。しかし、最も巨大で最も「成功した」試みは北アメリカで見られる。考えてもみたまえ、アメリカが発見されたのは15世紀の終わりごろであり、その時すでにヨーロッパは豊かな歴史を経た後だったのだ。16世紀、17世紀、そして18世紀においてさえ、また19世紀の大部分においても、合衆国は、ヨーロッパ文明のパンくずによって養われる遠くの自足的世界であり、巨大な辺境地帯であった。それにもかかわらず、そこでは「無眼の可能性を持った」国が形をなし、発展していった。そこでは自然が力強い経済的繁栄のためのあらゆる条件を形成していた。ヨーロッパは、その住民のうち生産力の発展にとって最も覚醒し素養のある鍛えられた分子を次々と大洋の向こう側に送り出した。宗教革命や政治革命の性格を持ったヨーロッパのすべての運動は何を意味したか? これらの運動は生産力の発展を妨げた封建制と聖職者の古いがらくたに対する最初は小ブルジョアジーの、次には労働者のより先進的分子の闘争を意味した。ヨーロッパから追放されたものが大洋を越えた。ヨーロッパ諸国の精華、何としても自分の道を切り開くことを望んだ最も活動的な分子が、歴史のがらくたが存在せず、無尽蔵の豊かさを持った未開拓地が広がる環境に行きついた。ここに、アメリカの発展、アメリカの技術、アメリカの富の基礎がある!

ヘンリー・フォード

 無尽蔵の自然に不足していたのは人間だった。合衆国で最も貴重なものは労働力だった。このことから労働の機械化が生した。コンベア―原理は偶然にできた原理ではない。そこには、人間を機械的手段で置きかえ、労働力を高め、物を自動的にあちこち運んだり上げ降ろししようとする志向が表現されている。こうしたすべてのことを、人間の背中でなく、はてしなく続くベルト・コンベア―がしなければならない。これがコンベア―原理である。エレベーターはどこで発明されたか? アメリカである。穀物袋を背にかつぐ人間がいらぬようにするためである。ではパイプラインは? 合衆国には、今や10万キロメートルものパイプラインが存在する。これはすなわち液体用コンベア―である。最後に、工場内の運搬のためのはてしなく続くベルトコンベア―があり、誰もが知っているように、その最も高度な形態がフォード(6)[左上の写真]の組織である。

 アメリカには徒弟制度というものがほとんどない。労働力が貴重なので、徒弟を訓練する時間を費やすことができない。徒弟制度は、訓練を必要としない、またはほとんど必要としない最小部分に労働過程を分割することに取って代わられた。それでは、労働過程の各部分を誰が一つにまとめるのか? はてしなく続くベルト・コンベア―である。それはまた教師としての役割も果たす。南ヨーロッパやバルカン諸国、ウクライナからきた若い農民は、作業しているうちに、ほんの短期間で産業労働者につくり変えられるのである。

 大量生産も、規格化と同様にアメリカの技術と結びついている。上流階層用の、または個人的嗜好に合った等々の生産物や品物はヨーロッパではるかに良いものが生産される。高級のラシャはイギリスが供給する。宝石類、手袋、香水類などはフランスが供給する。しかし、巨大市場向けの大量生産の問題になると、アメリカはヨーロッパをはるかにしのぐ。まさにそれゆえ、ヨーロッパの社会主義はアメリカの技術を学ぶであろう。

 アメリカ政府の中では経済方面の最も権威ある人物たるかの有名なフーヴァー(7)は、工業製品の規格化に向けての大仕事を進めている。彼はすでに一定の規格にもとづいた消費物資の生産のために大コンツェルンと数十もの契約を結んでいる。ちなみに、その規格化された消費物質の中には乳母車や棺桶もある。それゆえアメリカ人は規格の中で生まれ、規格の中で死ぬということがわかる(笑い、拍手)。その方が便利なのかどうか私は知らないが、40パーセントは安いのである(拍手、笑い)。

 その出自が移民であるおかげで、アメリカの住民のうちの労働可能人口は、間違いでなければ45%ほどヨーロッパの住民よりも多い。まず何よりも、年齢比が異なっているからである。そのため、全国民がより生産的になっている。この生産性係数は、個々の労働者のより高い生産性によってさらに増幅される。労働過程の機械化とそのより適切な編成のおかげで、アメリカの坑夫はドイツの坑夫の2・5倍の石炭と鉱石を採取している。アメリカの農業労働者はヨーロッパの農業の2倍も生産している。その結果は見ての通りである。古代アテネ人についてこう言われていた。すなわち、彼らのそれぞれに4人の奴隷がいたので、彼らは自由民であった、と。合衆国の住民はみな、それぞれ50人の奴隷、ただし機械の奴隷をもっている。すなわち、馬力を人力に換算して機械の動力を計算するならば、乳飲み子も含めたアメリカ市民は、それぞれ機械の奴隷を50人もっているという数字が得られるということである。このことは、もちろん、アメリカ経済が生ける奴隷、すなわち雇用プロレタリアに依拠することを妨げない。

※原注 昨年、私は41人という数字を挙げたが、それはおそらくすでに古くなってしまった。統計は50人という数字を示している。

 合衆国の年間国民所得は600億ドルに達する。600億ドル、すなわち1200億金ルーブルという数字を読んで書いてみたまえ! 年間貯蓄、すなわちすべての必要支出を支払った後に残る額は、総計で60億から70億ドル、すなわち約140億金ルーブルである。私はその際、ただ合衆国のみを、すなわち古い教科書で合衆国と呼ばれている地域のみを念頭に置いている。ところが実際には、合衆国はもっと大きく、もっと豊かである。イギリス国王にこう言っては申し訳ないが、カナダは合衆国の構成部分である。合衆国商務省の年次報告を取り上げるなら、そこではカナダとの貿易が国内貿易に入れられ、カナダは慇懃かついくぶん曖昧に合衆国の北方への延長であると(笑い)――国際連盟の同意もなしに――称されている。この点について合衆国は、国際連盟に許しを乞いはしなかったが、それには十分な理由があった。つまり、合衆国にはこの「ザークス」(8)は必要でなかったのである(笑い、拍手)。

 経済の引力と反発力はすでにほぼ自動的に作用している。イギリス資本はおそらくカナダ産業の10%も占めていないだろう。それに対して北アメリカ資本はカナダ産業の3分の1以上を占めており、この比率は不断に上昇している。カナダのイギリスからの輸入総額は1億6000万ドルであるのに対し、アメリカからの輸入総額ははとんど6億ドルにものぼる。だが25年前には、イギリスからの輸入総額は合衆国からの輸入総額の5倍だったのだ。カナダ人の圧倒的多数は自分をアメリカ人であると考えているが、――まったく皮肉なことに!――、フランス語圏の住民は例外で、自分を完全にイギリス人であると考えている(笑い)。オ−ストラリアもカナダと同じ進化をたどっているが、後者よりも立ち遅れている。オーストラリアは、海軍で自国を日本から防衛してくれ、この防衛をより安上がりに果たしてくれる国の側に立つだろう。この競争においても、近い将来におけるアメリカの勝利はすでに保証されている。いずれにせよ、合衆国とイギリスの間に戦争が効発するならば、「英国自治領」であるカナダは、イギリスに敵対し、合衆国のために人力と食料を供給する貯蔵所の一つとなるだろう。この機密については、われわれと諸君を除けば…3人の政治的人物が知っている。アメリカ合衆国、イギリス、カナダがそれである(笑い)。

 以上のようなものが、合衆国の物質的力の主要な特徴である。他ならぬこの力のおかげで、アメリカは、「プロレタリアートを服従させておくために上層労働者を養え」というイギリス・ブルジョアジーのかつての実践をならうことができるのであり、それをイギリス・ブルジョアジーが想像もできなかったはどの完成の域にまで持っていくことができるのである。

 

3、アメリカとヨーロッパの新しい役割

 この数年間で、世界の経済的軸は決定的に移動し、合衆国とヨーロッパとの相互関係は根本的に変化した。これは大戦の結果であった。もちろん、この変化はずっと前から準備されていたし、以前からそれを示す兆候があった。しかし、それはほとんどつい最近になって、既成事実としてわれわれの上に降りかかってきたのであり、われわれは今、人類経済の領域に生じ、したがって人類文化の領域に生じたこの巨大な移動を明瞭に理解するよう努めている。

 このことに関連して、ドイツのある作家がゲーテの言葉を思い起こしている。太陽が地球の周りを回っているのではなく、中規模のつましい惑星である地球が太陽の周りを回っているのだというコペルニクスの理論が同時代人に与えた筆舌につくしがたい印象を描いたゲーテの言葉である。多くの人が信じなかった。信じたくなかったのだ。彼らの地球中心主義的愛国主義は傷つけられた。そして現在、アメリカについて同じことが言える。ヨーロッパのブルジョアは、自分が後景に退けられたということ、資本主義世界の主人が北アメリカ合衆国であるということを信じたくないのだ。

 私はすでに、経済力の巨大な世界的移動を準備した主要な自然的および歴史的原因について指摘した。しかし、一挙にアメリカを引き上げ、ヨーロッパを引き下げ、世界の基軸の急激な移動を白日のもとにさらすためには戦争が必要だった。ヨーロッパを破滅させ衰退させる事業であった世界大戦は、アメリカにとっておよそ250億ドルの費用がかかった。現在、アメリカの銀行が600億ドルの現金を保有していることを想い起こすならば、250億ドルという金額はそれほど大きなものではない! これと並んで、100億ドルがヨーロッパに貸し付けられた。未払い利子を加えると、この時以来この100億ドルはすでに120億ドルになっており、ヨーロッパは自分自身の破壊の代金としてこの金額をアメリカに返済し始めている。

 同志諸君、これこそが、合衆国を全世界の上にその運命の支配者として一挙に押し上げることを可能にしたメカニズムである。1億1500万の人口を待つこの国は、文字通りヨーロッパの裁判官であり、管理人である。もちろん、われわれを除いて。まだ、われわれの番は回ってきていないし、われわれはそれがやってこないことをしっかりと知っている(拍手)。だが、ヨーロッパからわが国を除いても、まだヨーロッパの人口は3億4500万人残っており、それはアメリカの人口の3倍である。

 役割の新しい相互関係は富の新しい相互関係によって規定されている。諸君もご存知のように、国富の算定はさほど正確なものではない。とはいえ、われわれの目的にとっては大ざっぱな数字で十分である。50年前の普仏戦争の頃のヨーロッパとアメリカ合衆国を取り上げてみよう。その当時、合衆国の富は300億ドルと算定され、イギリスの国富はおよそ400億ドル、フランスは330億ドル、ドイツは380億ドルと見積られていた。ご覧のように、これら四つの国の水準の違いはさほど大きなものではなかった。どの国も300億ドルから400億ドルもっていたのであり、しかも、これらの最も富んだ4大国のうちで最も貧しかったのは合衆国だった。これが1872年である。ところが、半世紀後の現在、状況はどうであろうか? 今日、ドイツは――それをしかるべき国境内で取り上げるならば――1872年よりも豊かにではなく貧しくなり(360億ドル)、フランスはおよそ2倍豊かになり(680億ドル)、イギリスも同様(約890億ドル)である。だが、合衆国の国富は現在、控え目にみても3200億ドルと評価されている(会場がざわめく)。したがって、私が挙げたヨーロッパ諸国のうち、一つは以前の水準に逆戻りし、他の2国は富を2倍にしたが、合衆国は同じ期間に11倍も豊かになったのだ! まさにこういうわけで、合衆国はヨーロッパの破壊のためにたったの150億ドルしか費やさずに、その目的を完全に達成したのである。

 戦前、アメリカはヨーロッパの債務者であった。戦前、ヨーロッパは世界の主要な工場であった。ヨーロッパは世界の主要な商品倉庫であった。最後に、ヨーロッパ、とりわけイギリスは世界の中央銀行だった。ヨーロッパのこれら三つの指導的役割はすべてアメリカに移った。ヨーロッパは後景に追いやられた。世界の主要な工場、主要な商品倉庫、世界の主要な銀行――それは合衆国である。金は、ご存知のように、資本主義社会で何がしかの意義をもっている。ウラジーミル・イリイチは、社会主義のもとでわれわれは金である種の卑近な施設[公衆便所のこと]を建設するだろうと書いた。しかし、これは社会主義のもとでのことである。だが資本主義のもとでは、金で満たされた銀行の地下室ほど高級な施設はない。この点で、アメリカはどうであろうか? 戦前、アメリカの金準備は――私が間違ってなければ19億ドルであったが、1925年1月1日時点で合衆国は45億ドルの金、すなわち世界の金準備のおよそ50%を保有していた。そして今日では、60%を下らない金を保有している。

 さて、アメリカがその金準備を世界の60%にまで引き上げているまさにその間に、ヨーロッパでは何が起きていたか? ヨーロッパは衰退しつつあった。ヨーロッパ資本主義にとって民族国家の狭い枠組みが耐えがたいものになったために、ヨーロッパは戦争に投げ込まれた。資本は、この枠組みを拡大し、自分のためにより広大な舞台をつくろうとした。その際、最も激しく攻撃を仕掛けたのは最も進歩的なドイツ資本であった。ドイツ資本は、関税障壁を取り払うことによって「ヨーロッパを組織すること」を自己の目的としていたのである。

 で、結果はどうだったか? ベルサイユ講和条約にしたがって、ヨーロッパにおよそ17の新たな国家と領土が追加された。ヨーロッパに7000キロの新しい国境線とそれに応じた数の新しい関税障壁、そしてこのすべての関税障壁の両側に哨所と軍隊とがつけ加えられた。現在、ヨーロッパには戦前より100万人も多くの兵士がいる。このようなことを「達成」する途上で、ヨーロッパは自らの膨大な物質的価値を破壊し、そして没落し貧窮化したのである。それだけではない。ヨーロッパのすべての不幸の代償として、経済的荒廃の代償として、貿易の障害となる無意味な新しい関税障壁の代償として、新しい国境と新しい軍隊の代償として、これらすべての代償として、ヨーロッパの分裂、荒廃、衰退の代償として、戦争とベルサイユ講和の代償として、ヨーロッパは合衆国に戦債の利子を支払わねばならないのである。

 ヨーロッパは貧乏になった。ヨーロッパが加工する原料の量は戦前よりも少なくとも10%滅少した。ヨーロッパが世界経済に占める比重は何分の一にも小さくなった。今日のヨーロッパで唯一変らないこと、それは失業である。そして驚くべきことに、ブルジョア経済学者たちは救いを求めて、古文書の中から本源的蓄積の時代の最も反動的な理論を掘り出している。この経済学者たちは失業の救済策を再びマルサス主義(9)と移民に見いだす。資本主義が発展しつつあった最良の数十年間においては、勝ち誇る資本主義にこのような理論は不必要であった。しかし、年老い、もうろくし、動脈硬化に侵されている資本主義は、思想的には幼年期に回帰し、昔のまじない師の処方箋を復活させるのである。

 

4、アメリカ合衆国の帝国主義的膨張

 アメリカ合衆国の力とヨーロッパの弱体化から、世界の力と市場と勢力圏の再分割が不可避となる。北アメリカは膨張し、ヨーロッパは収縮を余儀なくされる違いない。まさにここに、資本主義世界で起こっている基本的な経済的過程の合力がある。合衆国は世界のあらゆる場所に進出し、いたるところで攻勢に出ている。合衆国はそれを厳密に「平和主義」的に行なっている。すなわち、これまでのところまだ武力を用いることなく、そして、中世の神聖な宗教裁判が異教徒を火あぶりする時に言ったように言えば、「血を流すことなく」行なっている(笑い)。

 アメリカは平和的に膨張している。なぜなら、アメリカの敵対者は、この新しい力を前にして、事態が公然たる衝突にまで至らないように、歯ぎしりしながら後退しているからである。ここに合衆国の「平和主義」的政策の基礎がある。合衆国の主要な武器は現在、金融資本であり、その中軸をなしているものこそ90億金ルーブルの金準備である。これは、世界のすべての諸地域に対する、とりわけ没落し使い果されたヨーロッパに対する恐るべき破壊力である。あれこれのヨーロッパ諸国に借款を与えるか拒否するかが、多くの場合、その国の政権党の運命のみならず、ブルジョア体制全体の運命をも決する。これまで合衆国は、他の諸国の経済に合計で100億ドル投資した。このうち、20億ドル以上がヨーロッパである。それとは別に、以前にヨーロッパを破壊するために与えた100億ドルもある。今では、ご存知のように、ヨーロッパを「復興」するために借款が与えられている。この二つの目的は相互に補完しあっており、破壊につく利子も復興につく利子もまさにあの同じ金庫に流れている。合衆国はラテンアメリカの経済に最大の資本を投下してきた。そして経済的な意味でラテンアメリカはますます北アメリカの領土になっている。南アメリカの次にアメリカの信用供与を受けている国がカナダであり、カナダの次にようやくヨーロッパがくる。世界の他の部分が受けとった借款はそれよりもずっと少ない。

 100億ドルという金額は、アメリカの持っている力からすれば、徴々たる額である。しかし、この金額は急激に増加しており、このプロセスを理解するには、その発展のテンポを考慮に入れることが最も重要である。戦後の7年間を通じて合衆国は外国に約60億ドル投資し、そのおよそ半分がこの2年間に与えられた。そのうえ1925年の投資は24年よりはるかに多かった。

 戦争の直前まで、合衆国はまだ外国資本を必要としていたし、ヨーロッパから資本を導入し、自国の工業に投資していた。アメリカの生産力の成長は一定の段階で金融資本の急連な形成をもたらした。水を加熱すると、水が蒸気になる前に大量の熱エネルギーが潜在的な状態になるのと同じで、ここでも、資本が「蒸発」して流動的な気体状の金融資本になる前に、大規模な資金投資と物的設備の大規模な拡大が必要になる。しかし、いったんこの過程が合衆国で始まるや、それはすさましいテンポで進行する。ほんの2、3年前(わずかな期間だ)には予測することしかできなかったことが、今ではわれわれの目の前でまったく驚くべき現実として進行している。だが、本格的な過程はまだこれから始まるにすぎない。世界征服をめざすアメリカ金融資本の進軍は、昨日でもなければ今日でもなく、明日の事態なのだ。

 きわめて意味深長なことに、昨年、アメリカ資本はヨーロッパヘの貸し付けを政府から産業へとますますシフトさせた。その意味は明白である。つまり「われわれは諸君にドーズ体制を与えた。われわれはドイツやイギリスで通貨を立て直す可能性を与えた。われわれは一定の条件さえあれば、フランスにおいても喜んでそうするだろう。しかし、われわれにとって、それは目的のための手段にすぎない。われわれの目的は、諸君の経済を手中に収めることだ!」ということである。

セシル・ローズ

 私は、最近、ドイツの新聞――冶金業の機関紙――『デル・ターク[時代]』で「ドーズかディロンか」と題された記事を読んだ。ディロンは、アメリカ金融界がヨーロッパに派遣する予定の新しい傭兵隊長(侵略者)の一人である。イギリスはセシル・ローズ(10) [左の写真]を生んだ。彼はイギリス最後の壮大な植民地冒険家であり、南アフリカに新しい国を建設した人物である。このセシル・ローズのような人物が、今ではアメリカに生まれつつある。ただし南アフリカ向けにではなく中央ヨーロッパ向けに、である。ディロンの任務は、ドイツの冶金業を安い価格で買い上げることである。彼はこの目的のために5000万ドルを集めた。たったこれだけである。――現在ヨーロッパは安く売られているのだ。そしてこの5000万ドルをポケットに入れたディロンは、ドイツ、フランス、ルクセンブルクの国境のようなヨーロッパの何らかの障壁を前にして立ち止まったりはしない。彼は石炭と鉄を結びつけなければならない。彼は、集中化されたヨーロッパ・トラストの創設を望んでいる。彼は政治的地理にわずらわされはしない。彼はそれについて知らないとさえ私は思っている(笑い)。それがどうだというのだ? 現在のヨーロッパにおいては、5000万ドルはどのような地理よりも値打ちがある(笑い)。

 彼の意図は、中央ヨーロッパの冶金業を統一し、次にそれを、ガリを頂点に戴くアメリカ鉄鋼トラストに対抗させることであると言われている。したがって、ヨーロッパがアメリカの鉄鋼産業トラストに対して「自衛」している時には、実際にはこの2匹のアメリカの大ダコがお互いに争っている――ある時点でヨーロッパのよリ計画的な搾取のために団結するだろうが――ことがわかるのである。まさにこうしたわけで、ドイツ冶金業の新聞は「ドーズかディロンか」を論じているのだ。選択はこの範囲に制限されており、第3の対案はない。では、いったいどちらにしたがうべきか?

チャールズ・ドーズ

 ドーズ[左の写真]は頭のてっべんからつま先まで武装した債権者である。彼との会話は短い。しかしディロンはそれでも、ある種のパートナーである。確かに、まったく特殊なタイプのパートナーではあるが。ことによると彼はわれわれを締め殺さないかもしれない…。この論文は次のような注目すべき文章で締めくくられている。「ディロンかドーズか、それは1926年のドイツにとって死活の問題である」と。アメリカ人は、ドイツで最も重要な4大銀行、いわゆる「D」銀行(11)の一つを支配するのに必要な株式をすでに確保している。ドイツ石油産業は明らかにアメリカのスタンダード・オイル社につきしたがっている。かつてドイツの全社が保有していた亜鉛鉱山はハリマン社の手に渡った。ハリマン社は、その結果、全世界市場における亜鉛鉱の独占的支配を手にした。

 アメリカ資本は大がかりな仕事もするし、こまごまとした仕事もする。ポーランドでは、アメリカとスウェーデンのマッチ・トラストが最初の準備的措置を講じている。イタリアでは事態ははるかに進んでいる。アメリカの会社がイタリアの会社と調印した契約は非常に興味深い。イタリアは、近東の市場をいわば受け待っている。合衆国はイタリアに半製品を供給し、イタリアがその半製品を東方の消費者の趣向に合わせる。アメリカは小さなことに煩わされる時間はない。アメリカは規格にしたがって仕事をする。そして、大洋の向こう側の大国の請負人がアペニン山脈の職人のもとにやってきて、さあ「必要なものは全部ここにある。アジア人の趣向にあうように色や油を塗りなさい」と言うのである。

 フランスでは事態はまだそこまで行っていない。フランスはなおふんばって強がっている。しかしいずれ事態はそこまでいくことだろう。フランスは通貨を安定させなけれ ばならない。だがこれは、アメリカの首輪をはめることを意味する。いずれの国も、アンクル・サム(アメリカ)の窓口で自分の番を待っているのである(笑い)。

 このような状況を確保するために、アメリカはいくら費やしたか? 今のところ、ほんのわずかな額である。私はすでに数字を挙げておいたが、戦時借款を計算に入れないで、海外投資は100億ドルである。ヨーロッパが受け取ったのはたった115億ドルであるにもかかわらず、すでにアメリカはヨーロッパにおいて、わが家にいるがごとく主人顔でふるまい始めている。私はためしに計算してみた。ヨーロッパ全体の資産を取り上げるならば、ヨーロッパ経済へのアメリカの投資額は、それの1%、すなわち100分の1、正確にはそれ以下であることがわかる。天秤が揺れている時、どちらか一方に傾けるには、小指のひと突きがあればよい。アメリカはこれまでのところ小指をひと突きして、もう主人顔でふるまっているのである。ヨーロッパは復興のための資金を欠いており、またすでに復興した部分に必要な運転資金も欠いている。ヨーロッパには何億ドルもの価値をもった建物や設備があるが、機械を動かすための1000万ドルがない。そこでアメリカ人がやってきて、1000万ドルを渡し、条件を課す。彼が主人であり、彼が命令を出すのである。

 私は、きわめて興味深い記事をある同志から受け取った。それは、現在アメリカが生み出している新しいセシル・ローズたちの一人が書いたものであり、われわれはその名前を覚えなければならない。それはさほど愉快ではないが、仕方がない。われわれはすでにドーズの名前を覚えた。ドーズには一文の価値もないが、全ヨーロッパにとって彼は一筋縄ではいかない。明日には、ディロンやマックス・ウィンクラーの名前を覚えることになるだろう。マックス・ウィンクラーは、なんと、「金融サービス会社」の副社長である(笑い)。地球上で盗みやすそうなものがあれば、それを分捕ってくる――これが金融サービスと呼ばれるものである(笑い、拍手)。マックス・ウィンクラーは、金融サービスについて、まったくもって詩の言葉で、時には聖書の言葉でさえ語る。今、それを諸君に読んできかせよう。

「われわれは、各国政府、地方自治体、民間会社に融資する仕事に従事してきた。アメリカの貨幣は日本が地震[関束大震災]から復興するのを助けたし、アメリカの資金はドイツ、オーストリア=ハンガリーの敗北を可能にし、これら諸国の復興にも非常に大きな役割を果たした」。

 まずはじめに破壊し、つづいて復興した、というわけである(笑い、拍手)。そして、合衆国はこの双方を通じて公正な利子を受け取った。日本の地震だけが、どうやらアメリカ資本の関与なしに起こったようである(笑い)。しかし、彼はさらに次のように言う。

「われわれはオランダの植民地やオーストラリアに、アルゼンチンの政府と都市、南アフリカの鉱業、チリの硝石業者、ブラジルのコーヒー園主、コロンビアのタバコ栽培業者と綿栽培業者に資金を貸している。またペルーの衛生事業、デンマークの銀行、スウェーデンの企業主、ノルウェーの水力発電所、フィンランドの銀行、チェコスロバキアの機械製作工場、ユーゴスラビアの鉄道、イタリアの公共事業、スペインの電話会社に資金を与えている」云々、云々。

 どうぞお好きなように。だがこの言葉は「ずしっと響いてくる」。それは、この時点でアメリカの銀行にあるまさにあの600億ドルの音で鳴り響いている。われわれは次の歴史的時期にもまだこのシンフォニーを聞くはめになるだろう。

 国際連盟が設立され、すべてのヨーロッパ諸国の平和主義者がそれぞれ自国の言葉で嘘をついていた戦後すぐの頃、イギリスの経済学者ジョージ・パイシュは、どうやら最も善意なる意図をもった人として、全人類の和解と復興のために国際連盟による借款を提案した。彼は、このすばらしい事業のために350億ドルが必要であると見積もり、合衆国が150億ドル、イギリスが50億ドル、他のすべての諸国が残りの150億ドルを出資するよう提案した。このすばらしい計画によると、合衆国が巨額の借款のほぼ半分を調達し、残りは多くの国で分けることになり、したがって合衆国は支配可能な持株数を握ることになっていた。この救済借款は実現しなかった。しかし、現在生じていることは、本質的にはこれと同じ計画をより現実に即して実現したものである。合衆国は、人類の支配を可能にする持株数を、一歩一歩着実に手中に収めつつある。大事業である。だが非常に危険な事業でもある。アメリカ人は遠からずこのことを納得するであろう…。

 

5、平和主義と混乱について

 だが話を続ける前に、若干の混乱を片づけておかなければならない。われわれが検討している世界的過程は非常に早い速度で展開し、非常に大きな規模で現われているので、それを理解し、把握し、自分のものにするには大いなる困難を強いられる。ブルジョア陣営およびプロレタリア陣営の国際的な新聞雑誌の中で、最近この問題をめぐる論議が盛んに行なわれていても、驚くにあたらない。ドイツでは、バルカン化されたヨーロッパに対する合衆国の役割を特別に論じた一連の本が出版されている。この問題をめぐって生じた国際論争の中には2年前に私が同じこの演壇から行なった報告に言及したものもある。アメリカのある労働雑誌が私の手もとにあるが、つい数日前に私は、アメリカとヨーロッパの関係に触れたちょうどそのペ−ジを開いた。そして、私の目は偶然にもアメリカの「配給制」に関する箇所にいった。自然と、それは私の興味をそそった。私はその記事を読んだのだが、同志諸君、非常に驚いたことに、私はこの記事から次のことを知った。いわく、

「トロツキーは、われわれが平和的な英米関係の時代に入ったという意見を持っている。英米関係の影響は(トロツキーの意見によれば)、世界資本主義の崩壊よりもむしろその強化に寄与するだろう」。

 まんざら悪くない、そうではないか? マクドナルド(12)も、これよりうまく言えまい。さらに、こう述べている。

「配給制にされたヨーロッパに関するトロツキーの古い理論」――お尋ねしますがなぜ古いのですか? わずか2年前のものなのに(笑い、拍手)――「配給制にされたヨーロッパに関する、アメリカの自治領となったヨーロッパに関するトロツキーの理論は、英米関係に対するこうした評価と結びついていた」――云々。(J・ラブストーン(13)、『ワーカーズ・マンスリー』1925年11月号)。

 この文章を読んだ時、私は非常に驚いてしばらく考えこんだほどである。私は、いつどこで、イギリスとアメリカが平和的関係の絆によって結ばれているとか、またその絆のおかげでこの関係がヨーロッパ資本主義を崩壊させるのではなく復活させるなどと言っただろうか。一般に、ピオニール[共産党の少年・少女組織]期を過ぎた共産党員が何かこれに似たことを言えば、あっさりと共産党の隊列から追放されねばならないだろう。ご親切にも私に帰しているこのたわごとを読んだ後で、私がこの点に関しまさにこの演壇から述べたことを読み返したとしても当然であろう。私が2年前に行なった講演を今から振り返ることにするが、それは、何らかのことについて書きたいと思うならば――英語で書こうとフランス語で書こうと、またヨーロッパで書こうとアメリカで書こうとそれはどちらでもいいのだが――自分が何について書いており、読者をどこに導こうとしているのかについて知っていなければならないと、ラブストーンやその同類に説明するためではない。こんな第二義的な目的のためなら、わざわざ過去を振り返ったりなどしない。そうではなく、当時の問題設定が過去においてだけではなく今日においても有効であるからである。

 というのは、事情は基本的に変化していないからである。そういうわけで、私は若干の引用文を読まなければならない。

 「アメリカ資本主義は何を望み、何を求めているのか」と、われわれは2年前に設問した。そしてこう答えた。

「アメリカ資本は安定を求めていると言われている。ヨーロッパ市場の再建を望み、ヨーロッパに支払い能力をつけさせたいと望んでいる、と。いかにして。どんな手段によって? そして、どの程度まで? ――それはアメリカ資本のヘゲモニーのもとにである。だがこれは何を意味するのか? それは、ヨーロッパを復興しはするが、あらかじめ設けられた限界内に、世界市場の限定された一定部分をヨーロッパに割り当てる、ということを意味する。アメリカ資本は、現在、外交官に命令を出し、指令を与えている。アメリカ資本はそれとまったく同じやリ方で、ヨーロッパの銀行やトラストに、全体としてのヨーロッパ・ブルジョアジーに指令を出す準備をしつつあり、またそうするつもりでいる」。

 2年前、われわれはこう言った。「アメリカ資本は(ベルサイユやワシントンで)外交官に命令を出しており、銀行やトラストに命令を出すつもりでいる」と。今日ではわれわれはこう言う。「アメリカ資本はすでに一連のヨーロッパ諸国の銀行やトラストに命令を出しており、その他のヨーロッパ資本主義諸国の銀行やトラストにも命令するつもりでいる」と。引用を続けよう。

「アメリカ資本は市場を分割し、ヨーロッパの金融業者や産業資本家の行動を規制するだろう。アメリカ資本は何を望んでいるかという質問に明確かつ具体的な答えを与えようとすれば次のように言わねばなるまい。アメリカ資本は資本主義ヨーロッパを配給制にしようと望んでいる、と」。

 私は、アメリカ帝国主義がヨーロッパを配給制にしていると言ったのではなく、そうするだろうとさえ言わなかった。配給制にすることを望んでいると言ったのである。これが、私が2年前に述べたことである。では、ラブストーンが私に帰している、イギリスとアメリカの「平和的協力」という思想についてはどうなのか? さらに速記録を読んでみよう。

「問題は、結局のところドイツだけでなく、フランスだけでなく、イギリスにもかかわっている。しかり、イギリスもまた徐々に同じ運命を覚悟せねばならない」。

 さて、次の部分には特別の注意を払っていただきたい。

「確かに、今やアメリカはイギリスと手を携えて進みつつあるとか、アングロ・サクソン連合が形成されたとか、しばしば言われている。アングロ・サグソン資本だとかアングロ・サクソン政策だとか、しばしば言われている。……しかし、これは事態を理解していない者の言葉である。世界の基本的対立は、アメリカとイギリスの利害が衝突する境界線に沿って存在している。そしてこのことは、今後ますます明らかになっていくだろう。……なぜか? その理由は、イギリスがいまだ合衆国に次いで最も裕福で強力な国だからである。イギリスはアメリカの主要な競争相手であり、前に立ちはだかる主要な障害物である」。

 私は、コミンテルン第5回大会の宣言の中で、これと同じ考えを、だがずっと強烈に展開する機会があったが、その文書を読んで諸君を退屈させるつもりはない。だが、私の報告からアメリカが確立した「平和的」関係に関する部分を引用させてはしい。

「全世界を隷属させるというアメリカの『平和主義』的綱領は、けっして平和の綱領ではない。反対に、それは戦争と最大の革命的激動を内包している。……全世界のブルジョアジーがおとなしく後景に退き、抵抗を試みることなくアメリカの臣下にさせられると想像することは難しいからである。そんなことは到底ありそうにもない。イギリスの矛盾はあまりにも大きく、欲望はあまりにも巨大で、かつての支配を永続化させたという衝動はあまりにも強く、世界支配の癖はあまりにも深く染みついている。軍事的衝突は起こるだろう。今、幕を開けつつある平和主義的アメリカニズムの時代は、ただ未曾有の規模の想像を絶する新たな戦争を準備しているのである」。

 これが、2年前、私が「平和的」関係について述べたことである…。ここで次のことを思い起こすのを許してはしい。われわれが、わが国の化学工業を発展させるためのアジテーションをしていた時、われわれはヨーロッパ国民を最も脅かすアメリカ軍国主義の源泉の一つとして、何よりもエッジウッドの兵器庫を挙げておいたのである。

 最後に、アメリカの影響によってヨーロッパの対立が終わるという点について、私がこの演壇から述べたのは次のようなことである。

「まったく議論の余地がないのは、帝国主義戦争を10年前ヨーロッパの頭上にそれをさく裂させた矛盾、そして戦争によって先鋭化しベルサイユ講和によって外交的に確認され、それからヨーロッパ階級戦争のいっそうの発展によって深化させられた矛盾、これらすべての矛盾がぱっくり開いた傷口のように今日もなお存在しているということである。そして、合衆国はこれらの矛盾と最も激しく衝突することになるだろう」。

 それから2年たった。同志ラブストーンはおそらく立派な評論家だろう。ロシアの諺では、このような評論家のことを、「指で宙を撃つ!」と言う。しかし、時間は彼よりずっとすぐれた評論家なのだ。

 この問題にこれ以上立ち返らなくてすむよう、エンゲルスがかつて、同じアメリカ人のスティベリングとかいう人に与えた忠告をもって、この話を締めくくろう。

「科学的問題に取り組むことを欲するならば、あなたが利用しようと思う著作を、何よりも、著者が書いた通りに読むことを習得しなければならず、そして何よりも、そこに書いてないことを読まないようにしなければならない」。

 老エンゲルスのこの言葉は実に見事である。この言葉はアメリカだけでなく5大陸全体にあてはまる。

 

6、アメリカ平和主義の実際

 時間はあらゆる問題について最良の評論家である。では、この数年間におけるアメリカの平和的な進出の方法が、実際にどのようなものであったか見てみよう。最も重要な事実を列挙するだけで、アメリカの「平和主義」があらゆる分野で勝ち誇ってきたことがわかるだろう。しかし、それは、まさに(これまでのところは)静かな帝国主義的略奪の方法として、また半分仮面を被って大衝突を準備する方法としてである。

 アメリカの「平和主義」の本質を最も明確に表現し露わにしているのは、1922年のワシントン会議(14)である。1919年〜20年に、多くの人々は――私もその一人であったが――次のように自問した。1922〜23年には何が起きるだろうか、なにしろ、合衆国の海軍計画によれば、この時までに合衆国はイギリスと対等になっているはずなのだから、と。小さな島であるイギリスは、他の2国を合わせたよりも大きな海軍を持つことによってその支配を維持してきた。はたしてこのイギリスが、戦闘なしにその優位性を放棄するだろうか? 私も含めて多くの人々は、1922〜23年に、日本の参戦を伴うイギリスとアメリカの戦争をありえないことではないと考えていた。ところが、その代わりに何が起こったか? 戦争の代わりにやって来たものは…、最も純粋な「平和主義」だった。合衆国はイギリスをワシントンに招き、「割り当てを受け入れたまえ。私に5単位、君にも5単位、日本には3単位、フランスにも3単位だ」と言った。これが艦隊計画である! そして、イギリスはそれを受け入れたのである。

 これはいったい何か? 「平和主義」である。しかし、それは、とてつもなく巨大な経済的優位性によって自己の意志を押しつけ、次の歴史的時期における自己の軍事的優位性を「平和的」に準備するような平和主義である。

 では、ドーズ体制とは何か? ルール地帯占領後、ポアンカレ(15)がおもちゃのようなプランを携えて中央ヨーロッパで何やらごそごそ動き回っていた時、アメリカはどこからか望遠鏡でその光景をながめながら様子をうかがっていた。そして、フランの下落や別の不都合な出来事のためにポアンカレが店をたたまざるをえなくなった時、アメリカ人はヨーロッパ和解計画を携えてやってきたのである。アメリカはドイツを指揮する権利を8億マルクで買いとり、しかもその半分はイギリスが出した。そしてニューヨークの証券取引所は、2億ルーブル(4億マルク)というこの格安の値段で、自己の監督官(イギリス)にドイツ人民の面倒を見させたのである。「平和主義」? この平和主義的首つり縄から逃れることはできない!

ロイド=ジョージ

 通貨の安定についてはどうか? ヨーロッパで通貨が変動することはアメリカにとって都合が悪い。これによってヨーロッパが安く輪出できる可能性が生じるので、都合が悪いのだ。アメリカは、貸付金の利子を規則正しく徴収するためにも、またそもそも金融秩序を維持するためにも、安定した通貨を必要としている。そうでなければ、どうしてヨーロッパに資本を投下できようか? そこでアメリカはドイツにこの安定した通貨を導入させ、またイギリス人に対しても、この目的のために3億ドルの借款を供与することによってそうさせた。ロイド=ジョージ(16) [右の写真]は最近、「今や、ポンド・スターリングはドルを前にしても怖れはしない」と述べた。このロイド=ジョージは実に勇敢なご老人である(笑い)。ポンドはドルを怖れはしない、というのも、そのポンドのバックには、この高慢なポンド・スターリングの背中をまっすぐにするための3億ドルがあるからである(笑い)。

 ではフランスはどうか? フランス・ブルジョアジーは安定した通貨への移行を恐れている。これは非常に大きな苦痛をともなう手術である。アメリカ人は、「そうしないかぎり、われわれは借款を与えるつもりはない。どうぞお好きなように」と言う。アメリカ人は、フランスに、軍備を縮小して負債を支払うよう要求している。最も純粋な平和主義とは軍備縮小、通貨安定であリこれ以上何を望むことがあろう。アメリカはフランスを「平和的」にひざまづかせようとしているのである。

 イギリスに関しては、金本位平価と負債の問題はすでに解決されている。イギリスはこれから、私が間違ってなければ――毎年約3億3000万ルーブルをアメリカに支払うことになっている。イギリスはイギリスでイタリアの債務問題を解決したが、イタリアから受け取る額は債務のごくわずかな部分でしかない。フランスはイギリスとアメリカから最も多く借りているが、まだまったく返済していない。しかしながら、古い債務をすべて帳消しにする違った種類の事態――金融上の事態ではなく、革命的事態――が起きないかぎり、フランスは債務を返済しなければならない。ドイツはフランスとイギリスに支払っている。この両国はわれわれにも債務の返済を要求している。

スタンリー・ボールドウィン

 それでは、結局のところヨーロッパの構図は現在いったいどうなっているだろうか? イギリスのブルジョアはヨーロッパ全体から少しずつ貸付金を取り立てたり、または取り立てる「つもり」でいるが、それは、徴収した額とイギリス自身が付け加えた分を大西洋の彼方のアンクル・サム[アメリカのこと]に渡すためである。今日、ボールドウィン氏(17) [左の写真]やジョージ王(18)はどういう職務に就いているか? それは、ヨーロッパ州におけるアメリカの上級徴税監督官にすぎない(笑い)。その任務は、ヨーロッパの人民から未納金を無理やり取り立て、それを合衆国に渡すことである。仕組みは、ご覧のように完全に平和主義的であり、穏やかなものである。アメリカの借款の配給切符にもとづいてヨーロッパ諸国民の金融上の相互関係が組織され、最も几帳面な納税者であるイギリスがこれを監督するのである。その代わりに、イギリスは上級徴視監督官の称号を授与されている。アメリカのヨーロッパ政策は、このようなシステムに全面的に依拠している。ドイツはフランスに支払い、イタリアはイギリスに支払い、フランスはイギリスに支払い、ロシア、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスはこの私――アメリカ――に支払わねばならない、というわけである。この債務のヒエラルキーが、アメリカ平和主義の支柱の一つをなしている。

 石油をめぐるイギリスとアメリカの世界的闘争は、すでにメキシコやトルコ、ペルシャにおいて革命的変動や軍事的衝突をもたらしている。しかし、明日の新聞は、イギリスとアメリカが石油に関する平和的協力が確立されたと伝えるかもしれない。これは何を意味するだろうか? それは、石油のワシントン会議を意味するだろう。言いかえれば、イギリスに、より控え目な石油の配給が割り当てられるということである。すなわち、純度96%の平和主義が再現されるのである。

 市場争奪戦の領域においても、一定の期間「平和主義的」調整が行なわれる。ドイツの作家で元閣僚――どの政府の閣僚だったかは知らない。ドイツには元閣僚というのがたくさんいる――ライプニッツ男爵は、イギリスとアメリカの市場争奪戦について次のように述べている。イギリスが、アメリカの利益のために、カナダ、南アメリカ、太平洋、アジアの東海岸、オーストラリアに対する侵害の企図を断念するならば、戦争を回避できる、「そうすれば、他のヨーロッパ以外の領域がイギリスに残されるだろう」と。これでは、実のところイギリスに何が残るのか、私にはさっぱりわからない(笑い)。しかし、正しく二者択一が提示されている。すなわち戦争に訴えるか、それとも貧弱な配給にまで「平和主義的」に引き下がるか、このどちらかである。

 さて、そうしたところへ最新ニュースが入ってきた。それは海外の原料に関することであり、実に興味深い話である。合衆国は、自分たちにはなくて他国にあるものが多いと言っている。この点に関して、アメリカの新聞は地球上の原料分布図を掲載している。彼らは今では大陸全体の見地から論じ考える。ヨーロッパの小人たちは、アルバニアやブルガリア、何らかの回廊地帯、小さな土地の断片について思いわずらっているが、アメリカ人は諸大陸として考えている。それは地理の研究を平易にし、そして何といっても略奪をしかるべき規模にする(笑い)。

 そういうわけでアメリカの新聞は、10ヵ所の黒い点が印された世界地図を発表した。それは合衆国の経済に不足している10種類の主要原料を指している。ゴム、コーヒー、硝石、スズ、炭酸カリ、サイザル麻(織物工なら、これが植物であることを知っている。それはメキシコで生えており、この植物から細ひもやロープがつくられる)、その他あれこれの種類のそれほど重要でない原料である。これらすべての原料は、合衆国でなく、他の国々によって独占されている(ああ恐ろしや!)ことがわかる。ゴムの世界産出量の約70%はイギリスが領有する熱帯の島々で採取され、そのうえ、アメリカは自動車のタイヤその他の必要のためにその世界生産高の70%を消費しているのだ。コーヒーはブラジルからくる。チリでは硝石が採掘されているが、イギリスがそれに融資している、等々、等々である。

ウインストン・チャーチル

 チャーチル氏(19) [右の写真]はロイド=ジョージに劣らず勇敢な人であるが、彼は、ゴム価格の値上げによって、アメリカヘの返済額を取り戻そうと決心した。だが、アメリカの貿易指導者であるフーヴァーは、そろばんをはじいて、1925年の1年間だけでアメリカはゴム代としてイギリスに6億ドルから7億ドルの金額を「公正な」価格以上に支払ったという集計を出した。フーヴァーはまさしくそのように言ったのである(笑い)。フーヴァー氏は、公正な価格と不公正な価格を実にうまく区別する。それが彼の仕事である。こういうわけで、1年にほとんど15億ルーブルが支払われすぎたというのである。アメリカの新聞はこの計算を知るやいなや、信じられないような非難の叫びを上げた。一つだけ引用しよう。

「強力な諸国が一団となって意図的にアメリカを孤立させるならば、ロカルノ条約(20)やジュネーブ協定(21)、国際連盟や議定書、また軍縮会議や経済会議、これらすべてにどんな意味があるというのか? 」(『イブニング・ポスト』)。

 四方八方から孤立させられ搾取されているこの哀れなアメリカを想像してみたまえ(笑い)。ゴム、コーヒー、スズ、ロープ用サイザル麻、硝石、カリ、炭酸カリ――これらすべてが横取りされ独占されているので、立派なアメリカの億万長者はもはや自動車を乗り回すこともできず、コーヒーも思う存分に飲めず、立派なロープで首吊り自殺することもできず(笑い)、…単なるスズの弾丸を自分の頭に撃ちこむことさえ(笑い)できない。四方八方からの搾取だ! 生きたまま規格品の棺桶に入った方がよっぽどましだ。

ハーバート・フーヴァー

 そこでフーヴァー氏[右の写真]は、まさにこれに関連した論文を書いた。だが、それは何という論文だろう! それはすべて質問からなっている。数えてみたが何と29もある! そして、それはいずれも負けず劣らず強く鳴り響いている。諸君のお察しのとおり、すべての質問はイギリスに矛先を向けている。公正な価格以上にもうけることは良いことでしょうか? 良いことでなければ、それは国と国との関係を刺激することになりませんか? そして、この関係を刺激することになれば、政府が介入せざるをえなくなるのではないでしょうか? 自尊心ある政府が介入すれば、このことから重大な結果がもたらされるのではないでしょうか(笑い)?  あるイギリスの新聞――他の新聞より礼儀正しくはないが、より率直である――は、この点についてこう書いている。1人の愚か者は100人の賢人でも答えられないほど多くの質問をすることができる(笑い)、と。こう言って、この愛国的新聞は単にうっぷんをはらしたにすぎない。まず言っておくが、私は、愚か者がこんなに責任のある地位を占めていると、あえて仮定するつもりはない(笑い)…。だが、たとえそうだとしても(笑い)――同志諸君、これは私がそう認めたという意味ではなく、あくまでも論理的仮定にすぎない(笑い)――、フーヴァーは何といってもアメリカ資本の巨大な機構の上に立っているのであり、彼としては知性を持つ必要はないのである。彼の代わりに全ブルジョア「機構」が考えてくれるのだ。そしていずれにせよ、フーヴァーの29の質問の一つ一つがビストルの弾丸のように他ならぬボールドウィン氏の耳もとをかすめた後、ゴムはすぐに安くなった。この事実は、何十の統計よりもはるかによく世界情勢を照らし出している。同志諸君、このようなものがアメリカ平和主義の実際なのである。

 

7、ヨーロッパ貧本主義に出口はない

 前に立ちはだかるいかなる障害物も許さず、自国に欠けている原料の値上げはすべて、全世界を搾取する固有の権利に対する悪意ある攻撃と見なす合衆国、この、すさまじい勢いで押し寄せてくる新しいアメリカに対立しているのは、分割され細分化されたヨーロッパ、戦前よりも貧しくなり、市場の枠がいっそう狭くなり、借金で首が回らず、諸対立によって引き裂かれ、膨張しつつある軍国主義に押しつぶされているヨーロッパである!

 ヨーロッパの復興期と結びついて、ブルジョアの、および社会民主主義の経済学者や政治家の間にヨーロッパの再建可能性に関するかなりの幻想があった。戦後のある時期、ヨーロッパの産業は、最初にフランスにおいて、次にドイツにおいて、かなり急速に回復した。これは驚くべきことではない。まず第1に、すべてのストックが使い果されて何も残っていなかったため、完全にではないとしても、正常な需要が復活したからである。第2に、フランスには、巨大な荒廃地域があった。これは臨時的な市場となった。戦争で丸裸にされ荒廃させられた市場の最も差し追った需要を満たしているかぎり、工業は快調なテンポで稼働し、大きな希望や多大な幻想を生み出したのである。今では、実際のところ、より思慮深いブルジョア経済学者によってすら、すでにこうした幻想に対する貸借対照表がつくられている。ヨーロッパ資本主義に出口はない。

 合衆国の圧倒的な経済的優位性は、アメリカ・ブルジョアジーの意識的政策とすら関係なく、もはやヨーロッパ資本主義の上昇を許さないだろう。アメリカ資本主義は、ヨーロッパをますます袋小路に追い込むことによって、自動的にヨーロッパを革命の道へと追いやるだろう。ここに世界情勢を理解する最も重要な鍵がある。

 このことは、イギリスの状況によって最も鮮明にかつ反論の余地なく示されている。イギリスの海外輸出は、アメリカ、カナダ、日本によって、そしてイギリス自身の植民地の工業的発展によって縮小した。イギリスの植民地であるインドの繊維市場において、日本がイギリスを閉め出しつつあると言えば十分だろう。また、ヨーロッパ市場においてイギリスの販路が拡大すれば、ドイツやフランスの販路は縮小し、その逆も同じである。そして、逆の場合のほうがより頻繁に生じている。すなわち、ドイツとフランスの輸出はイギリスの輸出に打撃を与えている。ヨーロッパ市場は拡大していない。この狭い限界の中で一方から他方への移動が生じているにすぎない。状況がヨーロッパにとって有利な方向で根本的に変化することを望むのは、奇跡を望むことである。国内市場という条件のもとで、小さくて後進的な企業に対するより大きくて先進的な企業の勝利が保証されているように、世界市場という条件のもとでは、ヨーロッパに対する、したがって何よりもイギリスに対する合衆国の勝利は不可避である。

 1925年におけるイギリスの輸入額は、戦前の輸入額の111%、輸出額は戦前の76%であった。これは、かつてない大きさの輸入超過を意味する。この輪出額の減少は、工業の副次的部門ではなく石炭・鉄鋼・造船・毛織物などの基幹部門を襲う産業恐慌を意味する。一時的な、それどころかかなりの改善でさえ可能であり、必然的でさえあるが、衰退という基本的方向はあらかじめ決まっているのである。

 イギリスの「為政者」に対する軽蔑感がこみあげてくるのは理の当然である。彼らは、古い習性に固執し、新しい状況にかくも不適当で、新しい世界情勢とその必然的結果に対する基本的理解を欠いている。イギリスの与党政治家たるボールドウィンとチャーチルは、またもやわれわれに啓示を与えてくれた。チャーチルは、昨年の末、楽観主義的な気分になれる12の理由(明らかにこう言った!)があると語った。まず第1に、通貨制度の安定である。イギリスの経済学者ケインズ(22)は、通貨安定は輸出商品価格が最小限10%減価することを意味し、そしてそれに対応して貿易収支がいっそう悪化することを意味する、とチャーチルに指摘した。楽観主義者でいられる第2の理由は、ゴムの高値である。悲しいかな、フーヴァー氏の29の質問がチャーチルのゴムのような楽観主義をかなりしぼませた。第3に、ストライキ件数の減少である。しかし、この点については、炭鉱労働者の団体協約が見直される4月の終わりまで待とう。楽観主義の第4の理由はロカルノ条約であるが、事情はますます悪化する一方である。ロカルノ条約以来、イギリスとフランスの闘争は強まりこそすれ、けっして弱まってはいない。ロカルノ条約についても、待ってみよう。春に生まれたひなは秋に数えるものである[捕らぬ狸の度算用はするべきでない]。楽観主義の残りの理由を列挙するのはやめておこう。それらの価格は、ニューヨークの証券取引所ではずっと低いからである。興味深いことに、これと同じ主題に関して、『タイムス』が二つの希望の光」と題して論説を発表した。『タイムス』はチャーチルよりも謙虚である。1ダースではなく、たった二つの希望の光を挙げるだけである。しかも、それらはむしろX光線、すなわち未知のものを表わす記号のついた光線である。

 チャーチルの職業的軽薄さに対しては、自分の見地からイギリス経済を評価するアメリカ人のもっと真面目な意見や、イギリス産業家自身の意見を容易に対置することができる。合衆国の商務長官クラインは、ヨーロッパ歴訪から帰国して産業家に報告を行なった。それは純粋に儀礼上のなだめるような調子にもかかわらず、真実を明るみに出している。クラインは次のように述べている。

 「より一般的な意味で唯一の(?)汚点は――もちろんのこと(?)、フランスとイタリアの金融事情や、ドイツにおける復興の相対的な(!)遅れを除外する(?)ならばだが――経済的見地からみてヨーロッパで唯一の(!)汚点はイギリスである。私には、イギリス貿易の状況は疑わしい(まさに!)ように見える(!)。イギリスはわが国の最良の顧客なので(!)あまり悲観的になりたくはないが、そこでは深刻に考えねばならないと思われる一連の要素が発展している…(まさに!)。イギリスには恐るべき重税がある。若干の人々は、その原因を、われわれがお金に対して食欲――丁重に表現すれば――であることに帰している。しかし、それは、完全に正しいわけではない(!)。…(完全に正しいわけではない。ではやはり正しいのか?…)。イギリス石炭産業の設備は数十年前と同じである。その結果、トン当たり労働力のコストは合衆国の3倍から4倍高くついている」、云々と、同じ調子の言葉が続く。

 もう一つ別の評価も紹介しておこう。アメリカの前ヨーロッパ駐在大使G・ハーヴェイ(23)は、イギリス人にとって「友人であり、好意的な人」であると考えられている。これはある意味では真実である。というのも、彼はいつもイギリスヘの援助の必要について感傷的に語っているからである。この同じハーヴェイが、「イギリスの終焉」と題する最近の記事の中で(この表題だけでも貴重なものだ!)、「イギリスの生産は全盛期を過ぎた。今後のイギリスの唯一の使命は仲介者になること」、すなわち、合衆国の商店の番頭や銀行の秘書になることであるという結論に達した。このようなものが、友人にして好意的な人の結論である。

 さらに、イギリスの大造船業者ジョージ・ハンターはイギリスの新聞界全体にセンセーションを巻き起こした覚書を政府に送った。その中で、彼はこう言っている。

「政府は(政府と言っても、それは結局のところ楽観主義の理由を12ほど持っているチャーチルのことであるが)、イギリス産業の絶望的状態を完全かつ徹底的に自覚しているのだろうか? 政府は、この絶望的状態が改善するどころかどんどん悪化していることを知っているのだろうか? わが国の失業者と不完全就業者の数は少なくとも就業労働者の12・5%に達している。わが国の貿易収支も赤字である。わが国の鉄道と大部分の企業は準備金から配当を出しているか、まったく配当なしである。こうした状況が続くならば、それは破産と破滅を意味する。だが改善の見通しはどこにもない」。

 石炭産業はイギリス資本主義の要である。現在、それは政府の補助金によって支えられている。同じハンターはこの点について次のように述べている。

「われわれは好きなだけ石炭産業に補勘金を出すことができる。だがわが国産業の全体は衰退することになるだろう」。

 しかし補助金がなければ、イギリスの産業家は現在支払っている賃金を支払えなくなる。そうなると、今年の5月1日から大規模な労働争議を引き起こすことになるだろう(24)。少なくとも100万人の炭鉱労働者のストライキ――あらゆる資料が示すところによると、それには約100万人の鉄道員や輸送労働者の支援がある――が意味するものを想像することは難しくない。イギリスは最大級の経済的激動の時代に突入するだろう。破滅的で希望のない補助金を出し続けるか、深刻な社会的衝突を招くか、である。

 チャーチル氏には楽観主義になれる12の理由がある。だが、イギリスの社会統計は、就業労働者数と炭鉱労働者数が減少し、他方でレストラン従業員やキャバレー従業員、ルンペン・プロレタリア・タイプの分子の数が増加していることを物語っている。生産者を犠牲にして従僕の数が増加している。そのうえ、この統計はナプキンを脇にはさんでアメリカ人の援助を手に入れようとする政治的従僕や閣僚を含んではいない(笑い)。

 ここで再びアメリカとイギリスを対比してみよう。アメリカでは労働者階級の上層貴族層が増大し、カンパニー・ユニオンが設立されている。他方、覇権を失ったイギリスでは下層においてルンペン・プロレタリアの層が増大している。この対照性と対立のうちに世界経済の軸移動が最もよく示されている。そして、この移動は、社会の階級的軸が移動するまで、すなわちプロレタリア革命が起こるまで続くだろう。

 ボールドウィン氏はもちろんこうした意見に同意しない。ボールドウィン氏はチャーチルより目方はあるが、彼と同じ程度の理解力しか持ちあわせていない。彼は、産業家の集まりで、苦境から抜け出す方法について述べた。保守党の首相は万病に効く自家製の処方箋をいつでも待っているものである。彼は次のように言う――「われわれの間には6、7年以上も眠っていたものがいるのではないかと思うことがある」と。いや、もっと長い。ボールドウィン氏自身、少なくとも50年は眠っていた!(笑い、拍手)――他の者は起きていたにもかかわらずである。「その間に合衆国が実現した進歩を見習うならば、われわれはうまくやっていけるだろう」と首相は続ける。合衆国の「進歩」を見習えるものならやってみたまえ。かの国には3200億ドルの国富があり、銀行には600億ドル、そして毎年70億ドルの蓄積があり、他方、君たちにあるのは赤字である。さあ見習ってみたまえ! やれるものならやってみたまえ!

 ボールドウィンはさらに続けて、「(資本家と労働者の)両方とも、モスクワの状況を研究するのに使う金が少しでもあったら、それで合衆国からはるかに多くのことを学ぶことができる」と言う。ボールドウィン氏はモスクワの井戸に唾をはくべきではなかった。われわれは、なにがしかのことを彼に教えることができる。われわれは、事実を検討し、世界経済を分析し、なにがしかのことを、とりわけイギリス資本主義の衰退を予見することができる。しかし、ボールドウィン氏にはそれができない(笑い、拍手)。

トムスキー

 蔵相チャーチルもモスクワに言及している。今では、モスクワに言及せずに、いい演説はできない。チャーチルはどうやら、その朝、トムスキー氏(25) [左の写真]のぞっとするような演説を読んでいたようである。トムスキー氏は貴族院の議員ではない。チャーチル氏が正しく言っているように、トムスキー氏はソヴィエト共和国できわめて責任のある地位に就いている人である。彼がその青年時代を過ごしたのはオックスフォ−ド大学でも、チャーチル氏といっしょのケンブリッジ大学でもなく、ここモスクワのブトゥイルキ監獄だった。にもかかわらず、チャーチル氏はトムスキー氏について話さなければならないのである。そしてスカボローの労働組合大会でトムスキー氏が行なった演説について語るチャーチル氏の口ぶりはあまり好意的なものではなかった、と言っておく必要があろう。トムスキー氏は実際にそこで演説したし、チャーチル氏に与えた印象から判断すると、なかなかうまいものであったようである。彼はこの演説から抜粋をし、それを「まったく野蛮なたわごと」と特徴づけた。彼はこう言っている。

「われわれはこの国で、外部からいかなる援助も仰がずに、自分のことは自分でやってゆけるというのが私の意見である」。

 彼チャーチル氏は非常に誇り高いが、間違っている。なぜなら彼のボスであるボールドウィン氏は、アメリカ合衆国から学ばなければならないと言っているからである。「われわれは朝食として産みたてのワニの卵を食卓に並べたくない」とチャーチルは続ける。イギリスでワニの卵を産んだのはどうやらトムスキーのようである。チャーチル氏にはそれが気に入らない。彼は、砂に頭を隠すダチョウの政治[自己欺瞞の政治]の方を好む。ご存知のように、ダチョウもワニも同じ熱帯のイギリス領で生息している。

 つづいてチャーチル氏は思いきって勇気を出す。「わが国にボリシェヴィキ革命が起きても私は全然怖くない。私は人身攻撃などしない」云々云々、と。しかしながら、彼はトムスキ−を攻撃する乱暴な演説をする。つまり、彼は怖いということになる。彼はトムスキーに対して人身攻撃などしない。滅相もない。彼はただトムスキーをワニと呼ぶだけである(笑い)。「英国はロシアとは違う!」…。もちろん!…「彼ら(イギリス労働者)にカール・マルクスの退屈な教義を教えたり、インターナショナルを調子はずれに歌わせたところで何の役にたつだろう?」とチャーチルは続ける。イギリス労働者が、マクドナルドによって与えられた楽譜で時おり調子はずれにインターナショナルを歌うのは事実である。だがイギリス労働者はインターナショナルを調子はずれでなく歌うことをまさにモスクワで学ぶだろう(拍手)。われわれの意見では、楽観主義の12の理由にもかかわらず、イギリスの経済情勢は、イギリスの労働者階級があらん限りの声でインターナショナルを歌う時をますます近づけている。チャーチル氏よ、貴君の鼓膜を準備しておきたまえ!(嵐のような拍手)

 ドイツとフランスについては、ここではごく簡単に述べるにとどめよう。

 発注のためにドイツの工場を訪問したわが国の技師から、一昨日、私は手紙を受け取った。彼はその手紙の中で当地の状況を次のような言葉で特徴づけている。

「工場技師として私が受けた印象はひどく重苦しいものでした。ここの工業は市場が不足しているため瀕死の状態にあります。アメリカのどんな借款も市場をつくり出しはしないでしょう」。

 ドイツの失業者数は200万を越している。そして生産の合理化によって、熟練労働者が失業者全体のおよそ4分の3を占めている。ドイツはインフレの危機に投げ込まれ、次にデフレの危機におちいり、今や好況が始まるはずなのに、その代わりに恐るべき崩壊が始まった――200万以上の失業である。しかも、ドイツにおいてドーズ体制がもたらす最も困難な結果はすべてこれからやってくるのである。

ホルティ提督

 フランスの工業は戦後かなり前進した。これは多くの人々を欺き、フランスの「復興」という幻想を生んだ。実際には、フランスは身分不相応の暮らしをしてきたのだ。フランスの工業の回復は、一時的な市場(荒廃地域)を基礎にしたものであり、さらに国全体を犠牲にしたものである(フランの価値下落)。だが今や清算の時がきている。アメリカ人は「軍備を縮小せよ、切り詰めよ、緊縮せよ、通貨を安定させよ」と言う。通貨の安定は生産と輸出の縮小を意味し、失業、外国人労働者の追放、フランス労働者の賃金切り下げを意味する。インフレ期は小ブルジョアジ−を破産させたが、デフレ期はプロレタリアートを行動へ駆り立てるだろう。フランス政府は財政問題の解決にあえて近づこうとさえしない。蔵相が2ヶ月ごとに代わり、あいかわらず不換紙幣の印刷を続けている。これが、彼らにできる経済調整の唯一の方法である。ハンガリーのホルティ提督(26) [右の写真]は、これには精巧な技術は必要でないと考え、自分のところでフランス紙幣の偽造を始めた。だが、それは共和国を維持するためではなく、君主制を復活させるためである。共和国フランスは、この君主主義者の競争を許さず(笑い)、ハンガリーで逮捕に取りかかった。しかし、これ以外は、フランス通貨再建のためにはとんど何もなされていない。フランスは経済的および政治的危機に向かってつき進んでいる。

 このような状況のもとで、すなわちヨーロッパが瓦壊しつつあるという情勢のもとで、国際連盟は今年二つの会議を召集するつもりでいる。一つは軍縮についてであり、もう一つはヨーロッパの経済的再建についてである。しかし、われわれは、あわてて切符をとりはしない。これらの会議の準備はその一歩ごとに利害対立に出くわし、きわめて緩慢にしか進んでいないからである。

 軍縮会議の準備に関連して、最近イギリスの雑誌に、「アウグール(27)」という意味ありげな署名のある御用記事が発表されたが、それはきわめて重要である。あらゆる資料が物語っているように、このアウグールは外務省と親密な関係を待っており、全般的にすべての情報にもきわめて精通している。このイギリス人アウグールは、軍縮会議を準備するという美名に隠れて「平和的手段にあらざる手段」でわれわれを脅している。これは戦争の直接的脅しを意味している。誰が脅しているのか? 外国市場を失いつつあるイギリスであり、失業が蔓延しているイギリスであり、ルンペン・プロレタリアートが増大しているイギリスであり、楽観主義者がただ1人、しかもあのウィンストン・チャーチルしか残っていないイギリスである。このイギリスが現在の状況のもとでわれわれに戦争の脅しをかけているのである。なぜ? どのような理由で? イギリスは、アメリカに侮辱されているので、証かに八つ当たりしてうっぷんを晴らしたいのだろうか? われわれとしては戦争を望まない。しかし、イギリス支配階級が産みの苦しみの過程を短くしたいと望むならば、また歴史がイギリス支配階級から権力を奪う前にその理性を奪うことを欲するならば、まさにその時こそ、歴史はイギリス支配階級を戦争という坂へとせきたてるにちがいない。苦痛は計りしれないだろう。しかし、見境いをなくした犯罪人がヨーロッパの上に新たな戦争を炸裂させる場合には、勝利者は、ボールドウィンでもチャーチルでもなければ、アメリカにいる彼らの主人でもなく、ヨーロッパの革命的労働者階級であろう(拍手)。

 

8、資本主義は生命力を使い果たしたか?

 最後に問題を一つ提出させてほしい。それは、私が行なった報告の核心から出てくるはずのものである。この問題は、資本主義は生命力を使い果たしたのか否かということである。言いかえれば、資本主義はこれからも世界規模で生産力を発展させ、人類を前進させうるのかということである。

 これは根本的問題である。それは、ヨーロッパのプロレタリアートにとって、東方の被抑圧諸民族にとって、全世界にとって、また何よりもソヴィエト連邦の運命にとって決定的な意味を待っている。資本主義が進歩的な歴史的使命を果たすことができ、諸国民の富を増大させ、その労働をさらに生産的にする可能性をまだ持っているということであれば、われわれソヴィエト連邦の共産党はあまりにも早く資本主義の臨終を宣言したということ、言いかえれば、あまりにも早く権力をとったので社会主義を建設しえないことになるだろう。なぜなら、マルクスがわれわれに説明しているように、どのような社会体制もそのうちに含まれているすべての可能性を使い果たさないうちに退場することはないからである。アメリカが経済的な力関係を根本的に変化させ、アメリカが全資本主義世界を凌駕してしまった現在、われわれの眼前で展開している新しい経済情勢を前にして、われわれは改めて次のように自問しなければならない。資本主義は生命力を使い果たしたか、あるいは資本主義の前途にはまだ進歩的仕事を行なう展望があるか、と。

 ヨーロッパについては、私が明らかにしようとしてきたように、この問題ははっきりと、しかも否定的な形で決着がついている。戦後のヨーロッパは戦前よりはるかに困難な状況に陥った。だが戦争はやはり偶然の現象ではなかった。それは、民族国家を含む資本主義的様式に対する生産力の盲目的な反乱だった。資本主義によってつくり出された生産力は、民族国家の枠組みをも含む資本主義的社会様式の枠組みの内部にもはや収まりきれなくなった。そのため戦争が起こったのである。戦争はヨーロッパに何をもたらしたか? 戦前よりも10倍もひどい状態をである。すなわち、同じ資本主義的社会様式であるが、それはより反動的になり、同し関税障壁であるが、それはより硬直化し、同じ国境であるが、それはより狭隘になり、同じ軍隊であるが、それはより拡大し、負債は増大し、市場は縮小した。このようなものがヨーロッパの全般的状況である。

 今日イギリスは少し上昇しているが、それはドイツを犠牲にしてであり、明日にはドイツがイギリスを犠牲にして上昇することだろう。両国の貿易収支を一瞥すれば、一方の国が黒字になっている時には、別の国の貿易収支がそれに見合って赤字になっていることがわかるであろう。世界的発展、何よりも合衆国の発展は、ヨーロッパをこのような袋小路に追い込んでいる。これが今日における資本主義世界の基本的力であり、この力の性格は、資本主義体制の枠内でのヨーロッパの出口なき状態をあらかじめ自動的に決定している。ヨーロッパ資本主義は言葉の絶対的な意味で反動的になった。すなわち、それは諸国民を前進させえないだけでなく、ずっと以前に達成した生活水準を維持することもできない。まさにこのことが現在の革命的時代の経済的基礎をなしている。この基礎の上で政治的盛衰が展開されるが、それはその基礎を変えはしない。

 だがアメリカはどうか? アメリカに関するかぎり、何かまったく異なった光景が描かれるように見える。では、アジアは? やはりアジアを考慮しないわけにはいかない。アジアとアフリカは地表の55%を占め、世界人口の60%を擁している。もちろんアジアとアフリカについては特別に立ち入って検討する必要がある。だが、それは今日の私の報告の範囲を越えている。しかしながら、これまで述べてきたすべてのことからして、アメリカとヨーロッパの闘争が何よりもアジアをめぐる闘争であることは明白である。

 そうすると、事態はどうなっているだろうか? 資本主義はアメリカでいまだ進歩的使命を果たすことができるか? 資本主義にはアジアやアフリカで果たすべき使命があるか? アジアにおける資本主義の発展は最初の大きな歩みを踏み出したばかりであり、他方、アフリカでは新しい関係は大陸のぶ厚い体にやっと周辺から侵食し始めているところである。そこで、展望はいったいどうなるか? 結論は次のようになると思えるかもしれない。すなわち、ヨーロッパでは資本主義は生命力を使い果たし、アメリカでは生産力をいまだ発展させており、アジアとアフリカでは資本主義にとって数世紀といわないまでも数十年に及ぶ活動のための巨大な未開拓地がある、と。本当にそうだろうか? そうだとすれば、同志諸君、資本主義は世界経済の現模においてはいまだその使命をまっとうしていないということになる。そして、われわれは何といっても世界経済という条件のもとで生きているのだ。だが、まさにこのことこそが、すべての大陸における資本主義の運命を決定するのである。

 資本主義は、ヨーロッパやアメリカで生起することと無関係に、アジアで孤立して発展することはできない。地方的な経済過程の時代はもはや帰らぬ過去になっている。もちろんアメリカ資本主義はヨーロッパ資本主義よりはるかに強力で安定しており、比較にならないほど大きな確信をもって自分の未来を見ることができる。だがアメリカ資本主義はもはや自足的存在ではない。それは国内的均衡に立脚することはできない。それは世界的均衡を必要としている。ヨーロッパはアメリカにますます依存するが、このことはアメリカがヨーロッパにますます依存することをも意味する。アメリカでは毎年70億ドルも貯蓄される。これをどう使うべきか? 遊休資本として単に地下室に入れておけば、自国の利益を引き下げるだろう。あらゆる資本は利子を求める。この資金をどこに投じるべきだろうか? 国内にか? だが、国内はそれを必要としないし、飽和状態にある国内市場は受けつけない。はけ口は外国に見いだされねばならない。他国への貸し付けや外国産業への投資が始まる。だが利子はどこヘ? 結局のところ利子はアメリカに戻ってくる。それが金であれば、ふたたび外国に投資するか、金の代わりにヨーロッパの商品を輸入しなければならない。しかし、結局のところこの商品は、それでなくても海外にはけ口を求めているアメリ力産業を掘り崩すことになる。このような矛盾が存在するのだ。つまり、ただでさえ過剰になっている金を輸入するか、あるいは自国の産業を害してまで商品を輸入するか、である。

 金「インフレ」(こう呼ぶことを許してほしい!)は、経済にとって、ある意味で紙幣インフレと同様に危険である。人は欠食による衰弱でも死ぬし、多血症でも死ぬ。あまりにも多量の金があって、そこから新たな収益を引き出しえない時、それは資本の利子率を低下させ、こうして生産のいっそうの拡大を目的に沿わないものにするだけでなく、不合理なものにさえする。地下貯蔵室に金をしまいこむために生産し輸出することは、商品を海に投げ捨てるに等しい。つまり、時がたつにつれアメリカが膨張する必要はますます大きくなる。すなわち、アメリカはその余剰資金をラテンアメリカやヨーロッパ、アジア、オーストラリア、アフリカに投資しなければならない。だが、そうなればなるほど、ますますヨーロッパと世界の他の部分の経済は合衆国経済の構成部分になるのである。

 軍事においては次のように言われる。敵を孤立させるためにその背後に回るものは自らも孤立する、と。経済においても似たようなことが起きる。まさに、時がたつにつれてますます合衆国が全世界を自己に依存させるがゆえに、ますます合衆国自身があらゆる矛盾と恐るべき激動とを伴った世界全体に依存するようになる。ヨーロッパにおける革命は、今日すでにアメリカの証券取引所の激動を意味し、ヨーロッパ経済に対するアメリカ資本の投資がより拡大する明日には、倍する激動を意味するだろう。

 では、アジアの民族革命運動についてはどうか? ここでも、同じく両刃の剣となる依存関係が存在する。アジアにおける資本主義の発展は不可避的に民族革命運動の成長を意味し、この運動は帝国主義の担い手たる外国資本とますます敵対的に衝突する。中国において帝国主義的植民地主義者の援助とその圧力のもとでおこなわれている資本主義の発展がいかに革命的闘争や激動をもたらしているかは、われわれの目撃しているところである。

 私は、弱体化したヨーロッパと経済的に後進的な植民地人民に対する合衆国の力について述べた。しかし、この力の中に合衆国のアキレス腱がある。すなわち、この力のうちに、経済的にも政治的にも不安定な諸国家と諸大陸に対する依存関係の増大が表現されているのだ。合衆国はその力を不安定なヨーロッパ――すなわち明日の革命ヨーロッパ――とアジア・アフリカの民族革命運動に基礎づけることを余儀なくされている。ヨーロッパを独立した全体と見なすことはできない。だがアメリカももはや自足した全体ではない。合衆国は国内均衡を維持するためにますます海外へのはけ口を必要としている。だがこの海外へのはけ口はヨーロッパとアジアの混乱の要素をますますアメリカの経済体制に引き入れることを意味する。このような条件のもとでの、ヨーロッパとアジアにおける革命の勝利は、不可避的に合衆国にとっての革命時代を不可避的に切り開くだろう。そして、合衆国でひとたび革命が始まるや、それがまさに「アメリカ的」スピードで発展することは疑いえない。以上が、全体としての世界情勢の首尾一貫した評価から導き出せることである。

 以上に述べたことからまた、アメリカは革命の発展の2番目に位置しているということが出てくる。1番目はヨーロッパと東方である。社会主義へのヨーロッパの移行は、まさにこうした見通しの中で考える必要がある。すなわち、資本主義アメリカとの対抗関係およびアメリカの強力な抵抗という見通しの中で考えなければならない。もちろん生産手段の社会化を最も豊かな国である合衆国から始め、その後でこの過程を全世界に拡大すれば、より好都合だろう。しかし、われわれ自身の経験が教えているように、革命が起きる順序を任意に定めることはできない。経済的により弱く後進的な国であるわれわれが、プロレタリア革命を行なうために最初に呼び出された。今や他のヨーロッパ諸国の番である。アメリカは資本主義ヨーロッパの上昇を許さないだろう。現在ここにアメリカ資本主義の力が有する革命的意義がある。ヨーロッパそのものがどのような政治的変動を経過しようとも、ヨーロッパの経済的行き詰まりは基本的要因として残りつづける。そして、この要因が遅かれ早かれプロレタリアートを革命の道に押しやるのである。

 ヨーロッパの労働者階級は、アメリカなしに、そしてアメリカに対抗して、権力を保持し社会主義経済を建設することができるだろうか? この問題は植民地の問題と密接に結びついている。ヨーロッパの資本主義経済、とりわけイギリスのそれは植民地支配と密接に結びついており、そこから食料資源や、産業にとって必要な原料を得ている。イギリスの住民はそれ自身だけで置かれる時、すなわち外部世界から切り離される時、ごく短期間のうちに経済的・肉体的死に追いやられるだろう。全ヨーロッパの工業はアメリカならびに植民地との結びつきに深く依存している。それにもかかわらずヨーロッパ・プロレタリアートは、ブルジョアジーから権力を奪取した後、真先きに、植民地の被抑圧人民が植民地の鎖を粉砕するのを助けるだろう。このような条件のもとで、ヨーロッパ・プロレタリアートは持ちこたえて、社会主義経済を建設することができるだろうか?

 われわれ帝政ロシアの人民は封鎖と内戦の数年間を持ちこたえた。貧窮、飢饉、伝染病にわれわれは耐え抜いた。わが国の後進性はここでは一時的にわれわれのメリットにもなった。革命はその巨大な後背地たる農民に依拠することによって持ちこたえたのである。飢えにさいなまれ、伝染病に痛めつけられながら、革命は待ちこたえたのだ。だが工業化されたヨーロッパ、とりわけイギリスは事情を異にする。たとえプロレタリアートの独裁のもとであっても、細分化したヨーロッパは、その細分状態が続くかぎり、経済的に待ちこたえることなどまったくお話にならない。プロレタリア革命はヨーロッパの統一を意味する。今では、ブルジョア経済学者、平和主義者、狡猾な事業家、夢想家、ただのお喋り屋などもヨーロッパ合衆国について話すことを厭わない。だが、この課題は、矛盾によってすっかりむしばまれているヨーロッパ・ブルジョアジーの手に負えるものではない。ヨーロッパを統一できるのは、勝利せるプロレタリアートだけである。革命がどこで始まろうと、それがどのようなテンポで発展しようと、ヨーロッパの経済的統一がその社会主義的改造にとって不可欠の第一条件である。このことはすでに1923年にコミンテルンによって宣言された。すなわち、ヨーロッパを統一し、ヨーロッパ社会主義合衆国を創出するために、ヨーロッパを細分化したものを追いはらい、細分化したヨーロッパで権力をとる必要がある、と(拍手)。

 革命ヨーロッパは原料や食料品を得る道を、すなわち農村への道を見出すだろう。われわれ自身が、革命ヨーロッパに対して最も困難な時期に何がしかの援助を提供しうるほどに強力になった。それだけでなく、われわれはヨーロッパにとって、アジアヘの素晴らしい架け橋である。プロレタリア・イギリスは、インド人民と手を結んで、この国の独立を保証するだろう。だが、このことは、イギリスがインドとの緊密な経済協力の可能性を失うことを意味するものではない。自由となったインドは、ヨーロッパの技術と文化を必要とし、ヨーロッパはインドの産物を必要とするだろう。ヨーロッパ・ソヴィエト合衆国はわがソ連邦とともにアジア人民にとっての強力な磁石となり、アジア人民は、プロレタリア・ヨーロッパと最も緊密な経済的および政治的結合を確立することへと引きつけられるだろう。プロレタリア・イギリスが植民地としてのインドを失うとしても、ヨーロッパ・アジア人民連邦における同胞としてのインドを見出すだろう。ヨーロッパとアジア人民の強力なブロックは難攻不落であり、何よりも合衆国の力に対してびくともしないだろう。

 われわれはアメリカの力を一瞬でも過小評価しない。われわれの革命的展望は何よりも、あるがままの事実を明確に理解することにもとづいている。それどころか、合衆国の力は今やヨーロッパ革命の最大のテコである――これが弁証法というものだ!――とわれわれは考えている。われわれは、ヨーロッパ革命が勃発した時、アメリカのテコが政治的にも軍事的にも革命に対して乱暴に向けられるだろうという事実に目を閉じはしない。アメリカ資本は、事が自分自身に及ぶ時、すさまじい闘争エネルギーを発揮することをわれわれは知っている。アメリカ資本が革命的ヨーロッパに加えようとする暴力の光景を前にしては、自らの支配を維持するための特権階級の闘争に関してわれわれが本や自らの経験から知っていることすべてが色あせるということも大いにありうる。しかしアジア人民と革命的に協力する統一ヨーロッパは、合衆国よりはるかに強力であろう。ヨーロッパとアジアの勤労者はソヴィエト連邦を通じて分かちがたく結びつけられるだろう。革命的ヨーロッパ・プロレタリアートは、決起した奴隷状態の東方と同盟し、アメリカ資本の手から世界経済の支配権を奪い取り、全地球的規模において社会主義人民連邦のための基礎を据えるだろう(嵐のような拍手)。

1926年2月15日

『ヨーロッパとアメリカ』所収

『ヨーロッパとアメリカ』(柘植書房)より

 

 訳注

(1)ロックフェラー、ジョン(1839-1937)……アメリカの大資本家、石油王。

(2)ゴンパース、サミュエル(1850-1924)……アメリカの労働運動指導者。1886年に労働総同盟(AFL)を結成し、死ぬまで会長を務める。熟練労働者のみの職能別組合の原則を固持。第1次大戦中は主戦論を唱える。

(3)モンロー主義……アメリカの第5代大統領ジェームズ・モンロー(1758-1831)が1823年に唱えた外交方針で、アメリカはヨーロッパ各国の政治に干渉しないが、ヨーロッパ諸国によるアメリカ政治への干渉は黙視しないという立場をとった。

(4)クーリッジ、ジョン・カルヴィン(1872-1933)……アメリカの共和党政治家、アメリカの第30代大統領(1923-29)。特にめだった業績はないが、大恐慌前の繁栄期の大統領として人気があった。

(5)ドーズ案……チャールズ・ドーズ(1865-1951)はアメリカの実業家で政治家。1923年にドイツの経済・金融問題の専門委員会の長となり、ドイツの賠償支払いと経済復興の計画案を策定した。これがドーズ案である。その功績によりドーズはノーベル平和賞を受賞した。

(6)フォード、ヘンリー(1863-1947)……アメリカの自動車王。1908年に近代的な組み立てラインにもとづく自動車の大量生産方式を導入し、T型フォード車を生産。1924年には自動車市場の占有率が50%を越えるほどの全盛期を迎える。日給5ドル、8時間労働という高待遇を提示するとともに、組合の組織化に反対し、容赦なく組合結成の動きを弾圧した。彼の採用した生産方法は、フォード主義と呼ばれて、さまざまな改良を加えられた上で、世界の主要資本主義国に普及した。

(7)フーヴァー、ハーバート(1874-1964)……アメリカの政治家。1921〜28年、商務長官。1929〜33年に第31代アメリカ大統領(1929-33)。1929年恐慌当初、連邦政府による経済介入を避けようとしたが、最後には失業救済政策を積極的に実施。

(8)ザークス……ソヴィエトの戸籍登録課のことで、結婚などを届ける所。

(9)マルサス主義……イギリスの古典経済学者ロバート・マルサス(1766-1834)が『人口論』(1798)で唱えた理論で、人口の増加は幾何級数的であるのに、食糧生産の増加は算術級数的なので、必然的に、貧困が増大すると主張した。マルクスは『資本論』でこの理論を徹底批判している。

(10)セシル・ローズ(1853-1902)……イギリスの植民地政治家。イギリスの財閥ロスチャイルドと結んで南アフリカにおけるダイヤモンドや金産業を支配。その富を背景にして、1890年にケープ植民地首相に。1890〜1893年に中央アフリカを征服。ローズの名に由来するローデシア植民地を建設。1895〜96年、トランスヴァ―ルに対し侵略政策を遂行。南ア戦争中に没。

(11)D銀行……ドイツの4大銀行は、ドイツ銀行、ダナート銀行、ドレスデン銀行など、いずれも頭文字が「D」で始まっていたため、D銀行と呼ばれた。

(12)マクドナルド、ラムゼイ(1866-1937)……イギリス労働党指導者。1894年に独立労働党に入党。1906〜09年、同党議長。1924年に第1次労働党内閣で首相兼外相。1929〜31年に第2次労働党内閣で首相。

(13)ラブストーン、ジェイ(1898−?)……アメリカ共産党の指導者、ブハーリン派。一九二九年に、モスクワの指令によって除名。ラブストーン・グループは、他の右翼反対派傾向と同じように、第二次世界大戦まで存在した。ラブストーン自身は、後にAFL・CIO会長ジョージ・ミーニーの冷戦問題国際関係顧問となった。

(14)ワシントン会議……1921〜22年に、アメリカ大統領ハーディングの要請でワシントンで開かれた国際会議。この会議において、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアが主力艦の保有台数をそれぞれ、5:5:3:12/3:12/3にすること、潜水艦の保有台数を制限すること、毒ガスを禁止することなどが決定された。

(15)ポアンカレ、レイモン(1860-1934)……フランスのブルジョア政治家。1912〜13年にフランスの首相兼外相として軍拡を推進。1913年にフランスの大統領。22〜24年に再び首相。1923年にドイツのルール地方を占領。1924年辞職。1926年に再び首相。

(16)ロイド=ジョージ、ディヴィッド(1863-1945)……イギリスのブルジョア政治家。1908〜15年、蔵相。1916〜22年、首相。ソヴィエト・ロシアへの干渉戦争を推進。

(17)ボールドウィン、スタンリー(1867-1947)……イギリスの保守党政治家。1923〜24、1924〜29、1935〜37年と首相。

(18)ジョージ王……イギリスの国王ジョージ5世(1865-1936)のこと。在位1910-1936。

(19)チャーチル、ウインストン(1874-1965)……イギリスの保守党政治家。1900年、保守党の下院議員。1904年に自由党に。1906年以後、商相、内相、植民地相を歴任。第1次大戦後、保守党に戻る。1924〜29年、蔵相。1925年、金本位制を復活。1940〜45、1951〜55年と首相。1946年に「鉄のカーテン」演説を行ない、冷戦を主導。

(20)ロカルノ条約……1925年に、英、仏、伊、独などの国によって締結された中欧の安全保障条約。

(21)ジュネーブ協定……第1次大戦後に締結された、軍縮に関する協定。

(22)ケインズ、ジョン・メイナード(1883-1946)……イギリスの経済学者で、ケインズ経済学の創始者。一般均衡理論を批判し、政府の需要創出政策による失業の解消を説いた。

(23)ハーヴェイ、ジョージ(1864-1928)……アメリカのジャーナリスト。いくつかの新聞を編集。ハーディング大統領の当選に協力し、1921〜23年に駐英大使に任命。

(24)トロツキーがここで予測しているイギリスの大規模な労働争議は、実際に同年の5月に勃発している。このゼネストは、ソ連のスターリニスト指導部が期待をかけていた、イギリス総評議会とソ連労働組合との協力組織である「英露委員会」を破産に追いやった。英露委員会をめぐる対立は、スターリン=ブハーリン派と合同反対派との論争点の一つとなった。

(25)トムスキー、ミハイル(1880-1936)……古参ボリシェヴィキ、労働者出身、1904年以来の党員。何度も逮捕・流刑を繰り返す。ロシア革命後、1918年、全ソ労働組合中央大会議長。1920年、プロフィンテルン委員。ブハーリン派の「3人組」の一人。1929年、除名。1936年、自殺。

(26)ホルティ、ミクロス(1868-1957)……ハンガリーの軍人、提督、反革命政治家。1919年のハンガリー革命を打倒し、ハンガリー王国摂政として、1920年から44年まで独裁権力を握った。

(27)アウグール……小鳥の鳴き声や飛び方などで神の心を占ったという古代ローマのト占官のこと。転じて、自分だけ特別な秘密を知っているようなふりをする人を指す。

 

トロツキー研究所

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1920年代中期