ソヴィエト・ロシアと日本
トロツキー/訳 西島栄
【解説】これは、日露貿易や文化交流に力を尽くし、またトロツキー個人とも親しい面識のあった内藤民治の質問に答えたものである。
この中でトロツキーは、日本の革命家の第一の任務が自国の帝国主義と闘うことであると述べている。なお、内藤民治は、戦後に手記を書いており、その中で、トロツキー亡命後もトロツキーと文通を交わし、トロツキーの亡命先として日本を考えていたこと、そして実際にトロツキーを日本に亡命させるべく、あれこれと尽力したことを語っている。その手記によれば、内藤は、トロツキーと交わした文通をすべてタイムカプセルに入れて地中に埋めたそうである。(右上の写真は、内藤が片山潜とトロツキーの部屋を訪問していたときにスターリンがたまたま用事でやってきて、撮った写真)
Л.Троцкий, Советская Россия и Япония, Известия, 1924.6.18.
尊敬する同志、内藤民治!
私は、同志ヨッフェが日本に滞在しているときに組織された「日ソ相扶会」に喜んで加盟したいと思います。加えて、この機会を利用して、あなたが私に出した諸問題に対しできるだけ率直に答えたいと思います。
1、あなたは、日本とソヴィエトとの相互関係を脅かす主要な脅威は何であると見ているか、と質問されています。それは、日本政府の政策か、日本の国家体制の全体か、それとも、日本人の国民性における欠陥か、と。
まずもって問題にならないのは「国民性における欠陥」です。これは排外主義の立場であり、アメリカ合衆国への日本人の入国を禁じているアメリカ・ブルジョアジーの立場です。われわれ共産主義者は、排外主義のあらゆる形態、あらゆる現象に対して非和解的に敵対しています。もちろん、さまざまな民族には、その歴史発展の特殊性の結果として、それぞれ民族心理的な特殊性があることを否定することはできません。しかし、まずもって、各民族の民族心理的特徴は、社会的条件の変化に伴って変化します。日本における資本主義的諸関係の急速な発展は、きわめて急速に日本を他のすべての資本主義世界に近づけつつあります。いずれにせよ、日本を含むすべての国の勤労大衆は等しく、搾取の廃絶と、すべての諸国民との友好の確立に利益を有しています。「白色」排外主義者がいかに叫び声や怒鳴り声を上げようとも、黄色人種の性格が白色人種の性格よりも悪いということは、いかなる場所においても、またいかなる時においても、証明されたことはないのです。
したがって、次のような結論になるでしょう。日本とソヴィエト・ロシアとの友好関係にとっての脅威はつねに日本政府の政策であった、ということです。この政策は、少数だが非常に影響力のある有産階級の利害と計画とを反映しています。このことから出てくる結論は、日本の社会体制、その国家、したがってまたその対外政策の徹底した民主化が必要だということです。
2、ロシアと日本との友好関係を強化するうえでより重要なのは、文化的な協力か、政治的な協力か、それとも経済的な協力か、とあなたは質問されています。
「日ソ相扶会」についての説明文から判断するかぎり、それは主として、教授、弁護士、教師、ジャーナリスト、芸術家、作家から構成されているようです。つまり、総じて、いわゆる自由職、ないし、わが国で言うところのインテリゲンツィアから構成されています。この構成からして、協会はその努力を、何よりも両国の文化的接近に集中するべきでしょう。相互接近の最も重要な条件は、相互に正しい情報を提供しあうことです。あなたも知っているように、資本主義の外電は、事実を知らせる手段であるだけでなく、とんでもない嘘をばらまく手段でもあり、とりわけソヴィエト・ロシアについてはそうです。われわれは、日本がソヴィエト・ロシアの真実について知ることができるよう、そして、わが国の世論が、日本で起こっているすべてのこと、日本のさまざまな諸階級、諸政党、諸集団がやろうとしていることについて、誠実かつ完全に知ることができるよう、手を打つでしょう。両国にとって有益なすべての著作と個々の論文を、ロシア語のものは日本語に、日本語のものはロシア語に翻訳するでしょう。
経済協力に関して言えば、その鍵は主としてインテリゲンツィアにではなく、日本の資本主義グループに握られています。しかし、日本の民主主義者が両国間の政治的接近を保証し強化することに成功するならば、その時には経済協力も容易になるでしょう。
3、あなたは、「日本の若者は現在、将来のアジア革命に対する態度を決定する必要に迫られている」と書いておられます。そして、この点について助言を求めておられます
私としては、この問題において最も重要であると思われる一つの点だけについて言わせていただきます。その際、おそらく、私はあなたにとって目新しいことは何も言えないだろうと思います。
日本の若者が東方の被抑圧民族に同情しているということ、このことは完全に理解できるし、自然なことであり、喜ばしいことです。しかし、この同情が無定形で、無規定で、センチメンタルなままであるならば、それは、抑圧された植民地人民にとってほとんど利益とならないでしょう。それどころか、ある条件においては、日本の帝国主義者たちを無意識的に助けることになるかもしれません。一見したところ、こういうことはありそうにもないように見えます。しかしながら、そうなのです。日本の封建層と高級官僚、それにとりわけ日本の大資本の利害を反映している日本帝国主義は、中国をはじめとするアジアの諸民族を自らの支配下に置こうとしています。日本帝国主義のお気にいりは「アジア人のためのアジア」という定式です。しかし、日本帝国主義はこの定式を、アジアの各民族が独立する権利を有しているという意味にではなく、アジアの勤労大衆を搾取する権利を有しているのはアジアのブルジョアジーだけであり、その中でも、最も豊かで強力な日本のブルジョアジーだけであるという意味に理解しています。しかしながら、一瞬たりとも目を閉じてはならないのは、外見上解放的なスローガンである「アジア人のためのアジア」は、「アメリカ人のためのアメリカ」というスローガンがアメリカ帝国主義の武器になっていったのとまったく同じ程度に、日本帝国主義の武器となってしまっている、ということです。このことを理解せず、アジアへのヨーロッパとアメリカの侵入に反対する一般的な決まり文句に終始するような日本の革命家は、そのことにより無意識的に日本帝国主義を助けることになるでしょう。そして、東方の勤労大衆の社会的・民族的利益からすれば、日本帝国主義は、他のどの帝国主義にも劣らず危険なものなのです。
われわれの師レーニンはかつてこう言ったことがあります。汎スラブ主義者となったロシアの革命家はいずれも、そのことによって革命に災厄をもたらした、と。汎スラブ主義は、すべてのスラブ人を外国の軛から解放するという無定形でセンチメンタルな願望をわが国のインテリゲンツィアにつちかいました。同時に、ツァーリズムは、すべてのスラブ人を「解放する」(すなわち、すべてのスラブ人を自らの圧政のもとに置く)使命を有しているものと自らをみなしました。こうして、汎スラブ主義の革命家たちは、ツァーリズムのために道を掃き清め、結局のところ、自らの革命性の最後の残りかすをも失ったのです。レーニンの最も重要な功績の一つは、革命家が、ツァーリズムの汎スラブ主義的主張を直接的であれ間接的であれ認めかねないような表現をすることを(行動はもとより)、容赦なく批判したことにあります。もっぱらこのおかげで、わが党は、ツァーリ帝国に住んでいるすべての諸民族だけでなく、他の国におけるすべての勤労大衆の限りない信頼を勝ちとったのです。
帝国主義には小指すら与えてはなりません。さもなくば、帝国主義は手全体を、そしてそれとともに魂をも奪い取ってしまうでしょう。まず何よりも自国の帝国主義と闘う日本人革命家こそ、実際に東方の人民が日本のブルジョアジーのみならず、他のすべての国のブルジョアジーの侵略企図から自らを解放することを助けることができるのです。
4、植民地的奴隷化に反対する東方の勤労大衆の闘争は戦争の形態をとるかどうか、とあなたは質問されています。
東方の解放闘争がどのような形態をとるか正確に予測することは困難です。しかし、全歴史がわれわれに教えているように、どの被抑圧階級も、どの被抑圧民族も、最も勇敢な革命闘争なしに軛から解放されたことは一度としてありません。
5、日本語に翻訳するのにふさわしい本があれば推薦してほしい、とあなたはおっしゃっています。
これにお答えするのは難しい。というのは、残念ながら、私は、日本の出版物市場の現状についてあまりにも知らなさすぎるからです。言うまでもなく、何よりも、『共産党宣言』を始めとするマルクス、エンゲルスの古典的著作は必要です。また、プロレタリアートの革命闘争の最初の時期とこの闘争における青年インテリゲンツィアの役割を特徴づけたレーニンの最初期の作品を始めとして、レーニンの著作集から念入りに選択したものも必要です。すべての日本人革命家にとって特別に重要なのは、民族問題についてのレーニンの諸文献です。これは、排外主義の毒に対して最もよく効く最も正しい解毒剤となります。
あなたは私の著作についても尋ねておられるので、言わせていただくと、1905年革命に関する著作なら(おそらく多少縮めた方がいいだろうが)日本の読者のお役に立てるのではないかと思われます。
6、帝国主義の軍隊と赤軍との違いはいかなるものか?
この質問に対する答えは、赤軍のために私が書いた『赤軍ハンドブック』の中に見つかると思います。そこで『赤軍ハンドブック』を同封しておきます。
同志的あいさつをもって L・トロツキー
『イズベスチヤ』1924年6月18日
『トロツキー研究』第35号より
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