トロツキー写真館
シベリア脱走――ソコロフスカヤと2人の娘との別離
脱走直前のトロツキーとソコロフスカヤ (1902年、夏) |
「その頃、私と妻との間にはすでに2人の娘がいた。下の娘 [ニーナ]はまだ生後4ヵ月であった。シベリアでの生活は生やさしいものではなかった。私が脱走すれば、アレクサンドラ・リヴォーヴナに二重の重荷を背負わせることになるにちがいなかった。しかし、彼女はたった一言でこの問題を退けた。『行くべきよ』。 彼女にとって革命的義務は、他のあらゆる考慮を、何よりも個人的なそれを圧倒していた。私たちが新しい大きな課題を自覚したとき、私の脱走という考えを最初に言いだしたのは彼女の方だった。この選択を前にして生じたさまざまな懸念を、彼女はすべて取りのぞいてくれた。」(『わが生涯』第9章「最初の流刑」より) |
シベリア流刑囚の仲間とソコロフスカヤ (左から2人目がアレクサンドラ・ソコロフスカヤ。トロツキーが脱走したあとの写真) ソコロフスカヤと2人の娘 (左から2人目の女性がアレクサンドラ・ソコロフスカヤ、彼女の抱いている娘が2番目の娘ニーナ、その右が長女のジーナ、トロツキーが脱走した直後の写真) |
「脱走後、数日のあいだ彼女は私の脱走を警察の目からまんまとごまかすことに成功した。国外に着いてから、私はほとんど彼女と連絡をとることができなかった。その後、彼女には第2の流刑が待っていた。後年、私と彼女とはたまの機会にしか会うことがなくなった。生活は私たちを引き離したが、思想的なつながりと友情とはけっして破られることなく続いた。」(『わが生涯』第9章「最初の流刑」より) |
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