トロツキー写真館

  

ポグロム

ポグロムによって破壊されたユダヤ人の住居

(ロストウ、1905年)

ポグロムの組織者、黒百人組(ロシア国民同盟)の行進

(1907年)

 「ペテルブルクは、黒百人組によってポグロムが準備されているという噂で持ちきりだった。それぞれの工場から直接ソヴィエトの会合にやってきた代議員たちは、黒百人組に対抗するために労働者がかき集めた武器の数々を演壇から見せびらかしていた。彼らはフィン・ナイフ、メリケンサック、短剣、針金製の鞭などを振り回していたが、深刻な様子はなく、むしろ愉快そうであり、冗談や軽口さえ飛び出す始末だった。あたかも反撃の準備さえしておけばそれで課題は解決したも同然と考えているかのようだった。闘争が生死をかけたものであるという思想はまだ、大多数の人々にとって骨の髄までしみ込んではいなかった。そしてこのことを彼らに教えたのが、12月の日々であった。」(『わが生涯』第14章「1905年」より)

ポグロムの犠牲者たち

(1906年6月、ベロストク)

 「ポグロムが近日中に起こることは誰にでも予知できた。ポグロムのアピールが流布され、公式の『県報』には血に飢えた記事が載り、時には特別の新聞が発刊される。オデッサ特別市長官は自分の名で挑発的な布告を出した。地固めができ上ると、その方面の専門家である客演俳優たちが登場する。彼らとともに不吉な噂が無知の大衆の中に浸透する。ユダヤ人が正教徒を襲撃するために集まっているとか、社会主義者が聖像を汚したとか、学生たちが皇帝の肖像を破いたとか。大学のない所では、自由主義的なゼムストヴォ参事会や中学校すら、噂の対象となる。物騒なニュースが電信で、時には権威筋の保証つきで各地に伝えられる。その間に技術面での準備工作は完了している。まず最初に血祭にあげるべき人物と家宅のブラックリストが作成され、全体の戦略方針が練られ、近郊からは一定数の飢えた禿タカどもが召集される。

 予定された日になると、寺院で祈祷が行なわれる。主教が式辞を述べる。僧侶を先頭に、たくさんの国旗を掲げ、警察署から持ち出したツァーリの肖像を手にした愛国的行進が始まる。絶え間ない軍楽隊の演奏。両側と末尾には警察。県知事は隊列に挙手の礼をし、市警本部長は公衆の面前で黒百人組の有力メンバーに接吻する。沿道の教会は鐘を鳴らす。『脱帽!』、群衆の中には他所から来た指導者や、現地の私服警官が混っている。しかし着替える暇がなかったのか、制服のズボンをはいている者もまれではない。彼らは鋭い眼つきで周囲を見まわし、群衆をけしかけ、そそのかし、何をやっても構わないという意識を吹き込む。そしておおっぴらな行動に出るためのきっかけを探っている。手始めにガラスが割られ、手当たりしだいに出会った者に殴りかかる。居酒屋に押し入り、際限なく飲む。軍楽隊はポグロムの軍歌でもある『神よツァーリを守りたまえ!』を飽きずにくり返す。

 きっかけが見つからなければ、でっちあげられる。屋根裏部屋に踏み込んで、そこから群衆めがけて、たいていは空砲なのだが、発砲する。警察の連発拳銃で武装した親衛隊は群衆が恐怖のために狂暴さを和らげることのないよう気を配っている。彼らは発砲の挑発に応えて、あらかじめ目星をつけておいた建物の窓に一斉射繋を浴びせる。商店は破壊され、愛国者の行進の前に、掠奪されたラシャや絹の服地が敷きつめられる。自衛する者から反撃をくらうと正規軍が加勢に出る。正規軍は自衛する者に一斉射撃を2、3度浴びせ、射程外の者をも気絶させる。偵察のためのコサック騎兵中隊、指導者格の挑発者や警察官、副次的役割を果たすために雇われた連中、儲け話があったら一枚加わろうという志願者などを含むこの徒党は、前後から兵士のパトロールに警備されながら、血に酔いしれて街中をねり歩く。浮浪者が君臨する。1時間前は警察と飢えに悩まされておびえきっていた奴隷がいまや自分を無制限の独裁者と感じている。やりたい放題、すべてが許される。富と名誉、生も死もすべて意のままだ。一度やってみたい。だから老婆をピアノといっしょに3階の窓から放り出す。乳児の頭を椅子でめった打ちにする。群衆の眼の前で少女に暴行する。生きた人間の体に釘を打ち込む、等々。家族を全員皆殺しにする。家に石油をかけて火事を起こす。窓から飛びおりた者にはすべて、舗道の上で棒で殴りかかる。群れをなしてアルメニヤ人の養護施設に侵入し、老人、病人、婦人、子供を斬り殺す、等々。熱にうかされ、酒気と狂暴さですっかり正気を失った脳髄から生れる乱暴抄汰、それを前にして歯止めはなにもない。なんでもできるし、なんでもやる。『神よツァーリを守りたまえ!』。

 死者を目のあたりに見てたちまち白髪になってしまった青年。斬り殺された両親の屍に気が狂ってしまった10歳の少年。旅順包囲であらゆる恐怖を経験してきたが、オデッサのポグロムの数時間を耐えることができず、永遠に理性を失ってしまった軍医。『神よツァーリを守りたまえ!』。血まみれとなり、焼けただれ、気も転倒した犠牲者たちは救いを求めて悪夢の恐怖状態の中をもがいていた。ある者は死者から血だらけの上着をはいでそれをまとい、死体の山の中に1昼夜、2昼夜、3昼夜と横たわっていた。ある者は将校や掠奪者や警察官の前にひざまづいて両手をさしのべ、塵挨の中を這いずり、軍靴に接吻して助けを願い出る。酒気を帯びた高笑いが答える。『おまえらは自由を欲していた。これがそれだ』。ボグロム分子の地獄の政治的モラルはまさにこの言葉の中に言い尽くされている。血にむせびながら、浮浪者は突進する。なんでもできるし、なんでもやる。」(トロツキー『1905年』「ポグロム分子の策動」より)

 

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