トロツキー写真館

  

ロンドン党大会(第5回大会)

 

ロンドン党大会の代議員たち

(一番上の段の真ん中当たりにトロツキーの姿が見える。ロンドン党大会はボリシェヴィキとメンシェヴィキが合同で参加した最後の大会となった)

ロンドン党大会が開催された教会

 「1907年の党大会は、ロンドンにある社会主義派の教会で開かれた。参加者の数は多く、日程は長期間におよび、喧騒と混沌に満ちた大会であった。ペテルブルクではまだ第2国会が存続していた。革命は下火になりつつあったが、ロシア革命への関心は、イギリスの政界ですら、まだ非常に大きかった。著名な自由主義者たちは、客人にいいところを見せようと、名の知れた大会代議員を自宅に招いた。しかしながら、革命の退潮が始まっていたことは、党の財政悪化のうちにすでに見てとれた。帰りの旅費はおろか、大会の日程を終わらせるまでの経費さえこと欠く始末であった。この悲しい知らせが教会の円天井の下で告げられると、武装蜂起をめぐる議論に没頭していた代議員たちは、不安に満ちた当惑の表情でお互いの顔を見合わせた。いったいどうしたものか? このロンドンの教会に居座るわけにもいかないし…。

 しかし、解決策は見つかった。それも、まったく思いがけない方面から。イギリスのある自由主義者が、ロシア革命に対し――私の記憶では――3000ポンド貸してくれたのだった。だが彼は、革命の約束手形に大会代議員全員が署名するよう求めた。そのイギリス人は、ロシアのすべての民族の文字で記された数百の署名のある証書を手に入れた。しかしながら、この約束手形の支払いを受けるまで、彼は長い年月を待たなければならなかった。反動と戦争の時期、党はこのような大金を支払うことなど思いも及ばなかった。ソヴィエト政府になって初めて、ロンドン大会の約束手形は支払われたのである。こうしてロシア革命は自らの約束を履行した。もっとも、例によって、遅ればせながらであるが。」(トロツキー『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

前へ次へ

第1期第2期第3期

 

トロツキー研究所

トップページ

トロツキー写真館