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 レナ河虐殺事件と革命の再高揚

 

レナ河金鉱の銃殺されたストライキ労働者の死体(1912年4月)

(シベリアのレナ河金鉱のストライキ労働者に対してツァーリ政府は流血の弾圧で持ってのぞみ、この事件をきっかけに全国的にストライキやデモが勃発した)

 「団結の自由のための闘争は、レナの悲劇の基礎であるだけでなく、全国におけるその事件の強力な反響の基礎でもある。したがって、このスローガンから実際に労働者民主主義の綱領全体が展開されるだろう。レナの労働者が自らのストライキ権を擁護し、逮捕されたストライキ委員会の釈放を要求したように、ペテルブルクのプチロフ工場の労働者は4月16日の集会において、前夜に行なわれた逮捕に抗議する決議を採択した。デモ、抗議、ストライキ――これらすべては団結の自由にもとづいており、これこそ、労働者民主主義の綱領における要石なのである。

 団結の自由のスローガンのもとに展開された4月の巨大なデモンストレーションは、6月3日体制に反対する大衆運動の最初の段階である。この要求は、選挙カンパニアの時期に、倦むことなく展開されるだろう。第4国会は、その活動の最初の一歩において、何十万とはいかないまでも何万という労働者の名において提出される『団結の自由』の要求と衝突するだろう。

 この要求が、産業好況の時期全体にわたってプロレタリアートの動員の中心であろうこと、そして現在すでにそうであることは疑いない。この基礎にもとづいてのみ、政治的民主主義のスローガンは再び大衆の意識をとらえることができるのである。

 産業好況は遅かれ早かれ恐慌に取って代わる。この恐慌は、国の社会的・政治的解放の諸要求が解決されていない分、それだけ深刻で先鋭なものになるだろう。経済的危機[恐慌]はこのような状況のもとでは、最も深刻な政治的危機の前提条件となるにちがいない。そして、この危機が旧体制にとって致命的なものになるかどうかは、プロレタリアートに、その意識性と準備の程度にかかっているのである」(トロツキー「「レナの虐殺とプロレタリアートの回答」、ウィーン『プラウダ』第25号)

 

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