メーデーを前にして
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本論文は、1905年革命が敗北し、反動の嵐が吹き荒れていた1909年のメーデーを前にして書かれた論文である。この論文は、当時トロツキーが、亡命先のウィーンで発行していた労働者新聞『プラウダ』に発表されたもので、非常にわかりやすい語り口で、反動期におけるメーデーの意義について語られている。
ちなみに、この論文の末尾で、トロツキーは党の統一を強く訴えている。ウィーン『プラウダ』は、ボリシェヴィキにもメンシェヴィキにも属さない、「非分派」派社会民主主義者の新聞であることを売りにしていた。この新聞が、ボリシェヴィキ、メンシェヴィキの両幹部の反感を買いながらも、ロシア国内の末端労働者から支持された理由の一端もそこにある。しかし、この論文が、10月革命後の1926年に『トロツキー著作集』第4巻に収められた時、党の統一を訴えた部分は削除されてしまった。そのときすでに、過去をありのままに振り返ることのできない雰囲気が、ソヴィエト・ロシアの中で作られてしまっていたのである。
この翻訳は最初、『トロツキー研究』第29号に掲載されたが、今回アップするにあたって、一部訳文を修正するとともに、訳注を少し増やした。
Л.Троцкий, Перед первым мая, Правда, No.3, 1909.
あと1ヵ月でメーデーである。幸福な勝利の時にではなく、勝利した敵との苦難に満ちた闘争の苦渋と試練のまっただなかで、われわれは今年の革命的祝日を迎える。そして、それはわれわれだけでなく、社会主義インターナショナル全体もまたそうである。なぜなら、現在ほど図々しく、資本主義世界がその醜い裸体からすべての覆いをはぎ取ったことはなかったからである。商工業恐慌、政治的反動、軍国主義の熱狂、世界戦争の危険性、これら激烈なすべての力は、文字通り手に手をとって、重苦しい暗雲でもって天をおおっている。そして、この暗雲を貫いて、メーデーの太陽の光を差し込ませなければならない!
恐慌
ブルジョアーに数十億の富をもたらした産業好況の5年間は、何百万という失業者を生み出した世界恐慌によって幕を閉じた。汽船をぎゅうぎゅう詰めにして失業者たちはヨーロッパからアメリカに向かったが、彼らと入れ代わりに、アメリカの汽船は、何十万というUターン組の移民をヨーロッパの岸辺に運んでくる。
恐慌は改めて支配階級の耳もとでこう叫んでいる。「見ろ、健康で有能で経験のある労働者が飢えのため死んでいっている。しかも、シベリアのうっそうたる森林の中でもなければ、水のないアフリカの原野でもなく、諸君の最も豊かな都市のアスファルトの上でだ!」。
飢えと寒さ、犯罪と売春の恐ろしい叫び声でもって、恐慌はメーデーの日に資本主義に対する起訴状を読み上げる! そして革命的プロレタリアートは、この日に改めて自らの誓いを確認する。すなわち、この犯罪的社会体制に対して、とっくに歴史によって下されていた死刑の判決を実行するという誓いを。
8時間労働を!
好況の時期、資本は、石炭、鉄、綿、プロレタリアートの筋肉、その妻と子供の血を、一心不乱にむさぼり食う。がつがつと心ゆくまで食べた資本は、恐慌の時期になると、死んだ材料と生きた「材料」の山を街頭に放り出す。しかし、労働者は綿や石炭や灯油なしではやっていけない。彼らは人間なのだ! そして労働者はこのことについて、メーデーの日にこそ最も大きな声で宣言しなければならない。
失業者の巨大な群が1日24時間「休む」ことを余儀なくされ、この「休み」ゆえに多くの人々が死を選んだり気がふれたりしている一方で、まだ解雇されていない仲間たちが1日12〜14時間、あるいはそれ以上も働かされている現在、われわれは倍する力をこめて、人間たるプロレタリアートが人間的生活を送る権利を宣言しなければならない。
あらゆるところで、われわれの叫び声をメーデーに鳴り響かせよう。
8時間の労働を、
8時間の睡眠を、
8時間の自由を!
恐慌とともに訪れる反動
ツァーリ絶対主義をぐらつかせたロシア革命は、多くの資本主義政府に動揺をもたらした。1905年以降、ヨーロッパ中に、世界中に、自由の空気が吹いた。わが国の10月ストライキに直接影響されて、オーストリア・プロレタリアートは普通選挙権を獲得した(1)。プロシアとザクセン地方では、民主主義的なランドターク(州議会)を求める嵐のような大衆運動が始まった。フランス、イギリス、北アメリカでは、労働運動が激しい勢いで活性化した。最後に、アジアでは、ロシアでの諸事件の雷鳴のもと、地方から地方へと政治生活がつぎつぎと目覚めていった。
しかし、専制政府が革命をコサックの馬の蹄で押しつぶすやいなや、ヨーロッパ・ブルジョアーは自分たちの足もとが以前よりも確固たるものになったと感じた。そして、ストルイピン(2)が全ロシア規模の弾圧体制の3周年を祝ったこの数ヵ月間、ドイツ政府は例外法によってプロレタリアートを脅しつけ、プロシアとザクセン地方では支配階級は労働者に対して普通選挙権をきっぱりと拒絶し、フランス共和国の「急進党」政府はストライキ労働者を銃殺し、狼のような残酷さで労働者組織を狩りたて、イギリスの裁判所は、労働者政党を支援したかどで労働組合に罰金を課し、オーストリアの官僚は議会と普通選挙権に対しますます傲慢不遜な態度をとるようになった。ブルジョア的反動は全前線にわたって凱歌をあげた。
軍国主義と戦争の危険性
そして、いつものことだが、反動の勝利は軍国主義(陸、海、海底、空中の)の成長と戦争の脅威をもたらす。国内の根本的な改良によって大衆の福祉と生活条件を向上させる代わりに、資本主義政府は、恐慌と失業の難局からの脱出路を、領土拡張と植民地的略奪の政策のうちに見いだす。市場獲得競争は時間をおって激化し、軽率な一歩を踏み出すごとに、すさまじい国際的な乱闘を引き起こす。そして、プロレタリアートはこの乱闘において、資本主義諸階級とその政府の狂気のあがないを自らの血でもって支払わせられるのである。
ツァーリの外交とその追従者
国際政治において最も卑劣な役割を果たしているのはツァーリズムである。その軍隊――満州の戦場で打ち破られて面目を失墜させられ、その警察的・寄生的兵役義務によって解体と堕落に追いやられた――の無力さを、ツァーリズムは、その外交的陰謀の卑劣さによっておおい隠している。ツァーリズムは、一方の手でバルカン半島に火種をつくり出し、セルビア民族の保護者として登場している(実際には、これまで何度となく裏切ってきたように再び裏切るだろうが)。また、もう一方の手でペルシアでの混乱を維持しているが、その目的は、かつてポーランド引き裂いたように、ペルシアをばらばらに引き裂くことである。
この悪賢い企みにおいてツァーリズムはけっして孤立していない。有産階級の諸政党――黒百人組からカデットまで――は、その愛国主義的嘘、スラブ主義的どんちゃん騒ぎ、オーストリアとドイツへの悪辣な攻撃によって、そして軍事割当と軍事予算に賛成投票することによって、ツァーリの外交――その最初の言葉は嘘であり、最後の言葉は血である――を背後から意識的に支えている。
外交的陰謀反対!
収奪者たちの血ぬられた愛国主義に対して、プロレタリアートは労働者の国際的連帯を対置する。
現在の状況下において、ロシア労働者はいつにもまして沈黙することはできない。彼らは、ツァーリの外交とその追従者たちに反対している社会民主党の国会議員団の抗議に、何千という声でもって唱和しなければならない。
われわれのメーデー・スローガンはこうである。挑発と裏切りに満ちたツァーリの外交粉砕! 革命ペルシアから手を引け! バルカン半島から出ていけ!
軍国主義反対!
略奪者、偽善者、追従者、愛国主義のペテン師どもに向かって、われわれは再び言う。
「われわれ労働者にはまだ祖国はない。われわれはそれを自らつくり出したいと思っている。聞け、社会主義的プロレタリアートは、諸君の監獄的・圧制的祖国のためにはただの一滴の血も自ら進んで流しはしない。自分の血も、他人の血もだ。諸君の軍隊はわれわれのための軍隊ではなく、われわれを弾圧するための軍隊である。圧政からの解放は、兄弟殺しと堕落のはびこっているツァーリの軍隊を解散させることによってはじめて可能となる。民族の権利とその自由の擁護のためには、ハンマー、のこぎり、鋤を持つ手が武装しなければならない!」。
それゆえ、われわれのメーデー・スローガンはこうである。常備軍反対! 民兵、すなわち武装した人民、万歳!
どのようにメーデーを迎えるべきか
1、可能な場合だけだが、われわれはプロレタリアートの祭日を1日ストライキによって迎え、国際的な社会主義者の大会を要求する。現在の状況においては、ストライキが全般的かつ至る所で起きるというようなことは期待できない。しかし、障害が大きければ大きいほど、恐慌の破壊的作用が大きければ大きいほど、反動が重くのしかかっていればいるほど、労働者の意志によって操業が1日ストップした工場の一つ一つがそれだけますます大きな政治的意義を帯びるだろう。
メーデーのストライキは、散りじりになった社会主義労働者たちの間の結びつきを再建するだろう。それは、プロレタリア大衆に、社会的生産全体の鍵が自分たちの手中にあることを再び示すだろう。そしてそれは、彼らの戦闘精神を強化し、革命的伝統を蘇生させ、組合組織および社会民主党組織にとって有利な雰囲気をつくり出すだろう。
われわれの委員会が――労働組合と協力しあって――準備的なアジテーションを行なった上で、メーデーのストライキを精力的に呼びかけるなら、第2国会の社会民主党議員団に対する裁判の時と同じく、労働者は好意的な反応を示してくれるだろう。このことにいかなる疑いもない。
2、ストライキが不可能なところでは、すべての自覚的労働者がメーデーの日の賃金を党と労働組合にカンパするようアジテーションで訴えることが必要である。これは、われわれがストライキすることができないほど弱体であることを示すことになるが、来年のメーデーをしっかりと迎えることができるよう、自らの組織を強化することにつながるだろう。
3、この日、われわれは労働者に対し、大小さまざまな集会に決起するよう訴え、彼らを集会に連れていかなければならない。工場から、農場から、職場から、アパートから、兵営から、そして最後に、失業者を街頭から。そして、その集会決議に、全世界の労働者との、とりわけオーストリアとセルビアの労働者との兄弟的連帯を書き込もう※。
※原注これらの決議は、『ソツィアル・デモクラート』(わが党の中央機関紙)と『プラウダ』で発表するために、こちらに送っていただきたい。また、国際社会主義ビューローにも転送してほしい。
同志諸君、手に手をとりあってメーデーを準備し、その日を迎えよう! この日をプロレタリアートの闘争の新しい高揚期の出発点にしよう!
党の統一のために!(3)
メーデーはプロレタリアートの国際連帯の祝日である。国際連帯は、空文句でもなければ、気まぐれな願望でもなく、生きた強力な歴史的力である。しかし、まさにそれゆえ、この社会主義的連帯は何よりも、各国内部での労働者階級の政治的統一を前提としており、この統一を強力に要求している。
このメーデーの日こそ、いつにもまして、自覚的労働者の胸の中に、党破壊的な分派の錆を党からそぎ落とす要求を鳴り響かせよう。そして、社会主義思想の絆でもって、ボリシェヴィキ労働者とメンシェヴィキ労働者と多くの非分派労働者――反動は、この非分派労働者を一時的に党から引き離し、さまざまな合法的組織や未組織大衆の間に分散させた――を一つに結びつけよう。
したがって、われわれの最も重要なメーデー・スローガンはこうであろう。
分派闘争反対! 党の統一万歳!
ウィーン『プラウダ』第3号
1909年4月9日
『トロツキー研究』第29号より
訳注
(1)オーストリアの普通選挙権……オーストリアの男子普通選挙権は、ベック男爵内閣のもと、1906年末に起草され、1907年に採択された。
(2)ストルイピン、ピョートル(1862-1911)……ロシアの反動政治家。1906年に首相に就任し、1907年に選挙法を改悪(6月3日のクーデター)、1910年に農業改革を実施し、富農を育成、1911年にエスエルによって暗殺。
(3)「党の統一のために」以下の文章は、『トロツキー著作集』第4巻『政治的年代録』に再録されたときに、まるまる削除されている。
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