戦争か平和か
トロツキー/訳 西島栄
【解説】この論文は、2月革命勃発後に、アメリカで書かれた一連の論文の一つである。この論文の中でトロツキーは、臨時政府を支配している帝国主義ブルジョアジーとソヴィエトに結集している革命的プロレタリアートが対立せざるをえない重要問題の一つとして、帝国主義戦争の問題を取り上げている。帝国主義ブルジョアジーは戦争遂行に死活の利益を有しているため、戦争を終結させることができない。したがって、平和を求めて革命に立ちあがった広範な大衆と臨時政府とは衝突せざるをえない。ここに革命が永続せざるをえない重要な基盤があった。
Л.Троцкий,Война или мир?, Сочинения, Том.3, 1917, Час.1, Мос-Лен., 1924.
今日、全世界の各国政府と人民にとって関心事となっている根本問題は、次のようなものである。すなわち、戦争の進行に対してロシア革命はどのような影響を及ぼすのか? それは平和を近づけるのか? それとも、それとは反対に、燃え上がった人民の革命的熱情は戦争のさらなる遂行へと向けられるのか?
これは大問題である。この問題がどちらの方向で解決されるのかに、戦争の運命だけでなく、革命自身の運命もかかっている。
1905年当時、現在の好戦的な外務大臣ミリュコーフは日露戦争を冒険と呼び、即時停戦を要求した。自由主義派と急進派の新聞の論調も同じ精神にもとづいていた。最も強力な経営者組織も、――前代未聞の敗北になるにもかかわらず――即時講和を支持した。この事実は何によって説明されるだろうか? それは彼らが内部改革を期待していたことによって説明される。立憲体制の確立、予算と国営経済全般に対する議会のコントロール、教育の普及、そしてとりわけ農民への土地分配が、住民を豊かにし、工業のための巨大な国内市場を創出するに違いないと彼らは期待したのである。たしかに、12年前のその当時でもすでに、ロシア・ブルジョアジーには他国の領土を奪いとる用意があった。しかし、彼らは農民を解放するほうが満州や朝鮮の併合よりもはるかに広大な市場を創出するだろうと考えたのである。
ところが、国の民主化と農民の解放とはそれほど簡単な課題ではないことがわかった。ツァーリも官僚も貴族も自分たちの特権のひとかけらも自発的に譲り渡すことに同意しなかった。自由主義者の説教によっては国家機構と土地とを彼らの手から受け取ることは不可能であった。大衆の革命的圧力が必要であった。しかし、ブルジョアジーはこれを望まなかった。農民の土地反乱、プロレタリアートの絶えず先鋭化する闘争、軍隊内の反乱の成長は、自由主義ブルジョアジーをツァーリ官僚と反動的貴族の陣営に投げ込んだ。彼らの同盟は1907年6月3日のクーデターによって打ち固められた。このクーデターから第3国会と現在の国会
[第4国会]が出現した。農民は土地を受け取らなかった。国家体制は本質よりもむしろその形式が変わっただけであった。アメリカの農場主にならった農民所有者から成る豊かな国内市場は創出されなかった。6月3日体制と妥協した資本主義的諸階級は、その関心を外国市場の獲得に向けるようになった。新しいロシア帝国主義の、すなわち放蕩な国営経済と軍需産業を伴い、飽くなき貪欲さをもった帝国主義の時代が始まった。現陸軍相のグチコフは、軍隊と前線を最も急速に強化するための国防委員会に参加した。現外務大臣のミリュコーフは世界征服の綱領を練り上げ、それをヨーロッパ中に触れまわった。
現在行なわれている戦争の責任の圧倒的部分は、ロシア帝国主義とその代表者であるオクチャブリストとカデットにある。この点に関し、わがグチコフ派とミリュコーフ派はドイツ帝国主義の悪党どもを非難するいかなる権利もない。これらの連中は同じ穴のむじななのだ。
グチコフとミリュコーフは、革命を望みもせず、それと闘ってきたにもかかわらず、その革命のおかげで今では権力に就いている。彼らは戦争の継続を望んでいる。彼らは勝利を欲している。もちろんだ! なにしろ彼らは資本の利益のためにこの国を戦争に引きずりこんだのだから。なにしろ彼らによるツァーリズムへのいっさいの反対は、彼らの帝国主義的欲望が満足されないために生じているのだから。ニコライ2世の徒党が権力に就いているかぎり、対外政策において王朝と反動的貴族の利害が優先されていた。まさにそれゆえ、ベルリンとウィーンでは常に、ロシアとの単独講和という願望があったのである。
ところが今では、政府の旗印は純粋の帝国主義的利害に取って代った。「ツァーリ政府はなくなった。今や諸君は国民全体の利益のために血を流さなければならない」とミリュコーフやグチコフは人民に語っている。ロシアの帝国主義者は国民的利益という言葉をポーランドの再併合、ガリチア、コンスタンチノープル、アルメニア、ペルシャの征服であると理解している。言いかえれば、ロシアは今や、他のヨーロッパ諸国、なかんずく同盟国たるイギリス、フランスと同じ帝国主義の一員となったのである。イギリスにおいては、立憲君主制が存在しており、フランスにおいては共和制が存在している。そこでも、ここでも、権力に就いているのは自由主義者や社会愛国主義者である。しかし、このことは戦争の帝国主義的性格をいささかも変えはしない。反対に、その性格をより鮮明に暴露するのみである。そして革命的労働者は、イギリスでもフランスでも戦争に対する非妥協的な闘争を遂行しているのである。
王朝と貴族の帝国主義から純ブルジョア的帝国主義へ移行しても、プロレタリアートを戦争と和解させることはけっしてできない。世界的な殺戮と帝国主義とに反対する国際的闘争は現在、いつにもましてわれわれの課題となっている。そして、ペトログラードの街頭での反戦アジテーションを伝える最新の電報は、われわれの同志たちが勇敢にもその責務を果たしていることを物語っている。
ドイツとオーストリアとトルコを粉砕するぞ、というミリュコーフの帝国主義的自画自賛は、ホーエンツォレルン家とハプスブルク家にとってこれ以上はないというぐらい好都合なものである。ミリューコフは今や彼らの掌中にある田んぼのかかしとしての役割を果たすだろう。新しい自由主義的帝国主義政府は、軍隊の改革に着手する以前にすでに、ホーエンツォレルン家が愛国心を高揚させ、ドイツ人民のすっかりガタガタになった「挙国一致」を再建するのを助けている。もし革命の主要勢力たるプロレタリアートを含むロシアの全人民がロシアの新しいブルジョア政府を支持しているとドイツ・プロレタリアートが考えざるをえない事態になれば、それはわれわれのドイツの同志、すなわちドイツの革命的社会主義者にとって恐るべき打撃となるだろう。ロシア・プロレタリアートをロシアの自由主義ブルジョアジーに奉仕する愛国的な大砲の餌食に変えることは、たちまちドイツの労働者大衆を排外主義の陣営に投げ込み、ドイツにおける革命の発展を長期にわたって遅らせるだろう。
ロシアにおける革命的プロレタリアートの真の義務は、自由主義ブルジョアジーの帝国主義的な凶悪な意志には力の裏づけが存在しないことを示すことである。ロシア革命は全世界にその本当の顔を示さなければならない。すなわち、王朝と貴族の反動に対してばかりでなく、自由主義的帝国主義に対する非妥協的な敵意を示さなければならない。
ロシアにおける革命闘争のさらなる発展と真の人民に依拠した革命的労働者政府の形成は、ホーエンツォレルン家に致命的な打撃を与えるだろう。なぜなら、それはドイツ・プロレタリアートと他のすべてのヨーロッパ諸国における労働者大衆の革命運動に強力な刺激を与えるからである。1905年の第1次ロシア革命がアジアに――ペルシャ、トルコ、中国に――革命を招来したのに対し、第2次ロシア革命はヨーロッパにおける強力な社会革命闘争の始まりとなるだろう。この闘争のみが血にまみれたヨーロッパに真の平和をもたらすだろう。
ロシアのプロレタリアートはミリュコーフの帝国主義の馬車を牽引することに甘んじはしない。ロシア社会民主主義の旗は今やかつてないほど鮮明に、非妥協的な国際主義のスローガンで輝いている。
帝国主義の強盗どもを打倒せよ!
革命的労働者政府万歳!
平和と諸民族の友愛万歳!
『ノーヴィ・ミール』第941号
1917年3月7日(新暦20日)
ロシア語版『トロツキー著作集』第3巻『1917年』第1部所収
『トロツキー研究』第5号より
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