1910年代後期
(1917〜1919)
第7期 1917年(1917〜1918)
◇新世界にて
「闘争、万歳!」(1917年1月3日(新暦16日))
「偉大な年の教訓――1905年1月9日〜1917年1月9日」(1917年1月7日(新暦20日))
「社会革命の旗のもとに」(1917年1月12日(新暦25日))
「戦争の学校」(1917年1月24日(新暦2月6日))
「偉大な義務」(1917年1月26日(新暦2月8日))
「インターナショナルはなぜ祖国防衛について語ったのか」(1917年2月14日(新暦27日))
「アメリカは何のために参戦するのか」(1917年2月24日(新暦3月6日))
◇2月革命――最初の反応
「
革命の始まり」(1917年2月27日(新暦3月13日))「ロシアの革命」(1917年3月3日(新暦16日))
「
二つの顔」(1917年3月4日(新暦17日))「
発展する衝突 」(1917年3月6日(新暦19日))「
戦争か平和か」(1917年3月7日(新暦20日))「
誰からどのように革命を防衛するのか」(1917年3月8日(新暦21日))「戦争と革命」(1917年3月9日(新暦22日))
「裏切り者は誰か?」(1917年3月9日(新暦22日))(
Russian)「1905年〜1917年」(1917年4月)(
Russian)
◇革命の首都での第一声
「
ペトログラード・ソヴィエトにおける第一声」(1917年5月5日(新暦18日))(Russian)「ロシア共和国外務大臣閣下へ」(1917年5月5日(新暦18日))(
English)「臨時政府についてのウリツキーの報告に関する社会民主党全市合同会議での演説と決議」(1917年5月7日(新暦20日))
「社会主義大臣の報告に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年5月13日(新暦26日))
「クロンシュタット問題に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年5月26日(新暦6月8日))
「クロンシュタット水兵・兵士・労働者からペトログラードと全国の革命的人民へ」(1917年5月27日(新暦6月9日))
◇革命の中心的課題
『平和綱領』(改訂版)(1917年5月(新暦6月))(
English)「『フペリョート』の中心的課題」(1917年6月2日(新暦15日))(
English)「二重の無権力」(1917年6月2日(新暦15日))(
English)「この道に出口はない」(1917年6月15日(新暦28日))
「帝国主義に奉仕する平和主義」(1917年6月17日(新暦30日))(
English)
◇第1回全露ソヴィエト大会
「第1回全露ソヴィエト大会における演説」(1917年6月1日(新暦14日)〜6月9日(新暦22日))
「大詰めへ向かう道」(1917年6月7日(新暦20日))
「第1回全露ソヴィエト大会におけるボリシェヴィキ会派の声明」(1917年6月12日(新暦25日))
◇6月攻勢
「攻勢に関するボリシェヴィキ会派の第1回全露ソヴィエト大会での声明」(1917年6月4日(新暦17日))
「攻勢と攻勢者」(1917年6月28日(新暦7月11日))
「戦争に関するテーゼ」(1917年6月28日(新暦7月11日))
◇国際主義者の合同問題
「
言葉から行動へ――国際主義者の合同問題によせて」(1917年6月28日(新暦7月11日))(Russian)「ただちに合同を実践に移すことが必要である――質問に答えて」(1917年7月2日(新暦7月15日))
◇7月事件
「7月3〜5日の事件に関する労働組合中央ビューロー会議演説」(1917年7月6日(新暦19日))
「
試練の時期」(1917年7月9日(新暦22日))(Russian) (English)「臨時政府への手紙」(1917年7月10日(新暦23日))
「7月事件に関する全露ソヴィエト執行委員会総会での演説」(1917年7月17日(新暦30日))
◇反動の波と投獄
「陣地の放棄――チェルノフの辞任によせて」(1917年7月25日(新暦8月7日))
「『革命は危機に瀕す!』」(1917年7月25日(新暦8月7日))
「7月事件予審調書から」(1917年7月25日(新暦8月7日))
「獄中からの臨時政府への手紙」(1917年7月25日(新暦8月7日))
「恥を知れ!」
「全露ソヴィエト執行委員会への手紙」
◇中傷との闘い
「1万ドル、『協会』、中傷家――編集部への手紙」(1917年6月27日(新暦7月10日))
「パルヴスと彼の『手先』――編集部への手紙」(1917年7月8日(新暦7月21日))
「アレクシンスキーとミリュコーフ」(1917年8月20日(新暦9月2日))
◇次は何か――総括と展望
『
次は何か――総括と展望』(1917年8月(新暦9月))(English)(Russian)「血と鉄でもって」(1917年9月8日(新暦21日))
『
この忌まわしい殺戮はいつ終わるのか』(1917年8月(新暦9月))(Russian)
◇コルニーロフの反乱と新しい上げ潮
「澄みきった水の上で」(1917年9月8日(新暦21日))
「全露ソヴィエト執行委員会ビューローへの質問」(1917年9月10日(新暦23日))
「ペトログラード・ソヴィエト会議での演説と決議」(1917年9月9〜10日(新暦9月22〜23日))
◇民主主義会議
「民主主義会議に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年9月11日(新暦9月24日))
「民主主義会議における演説」(1917年9月18日(新暦10月1日))(
English)「民主主義会議におけるボリシェヴィキ会派の宣言」(同)
「民主主義会議に関するペトログラード・ソヴィエト会議での報告」(1917年9月21日(新暦10月4日))
◇予備議会をめぐって
「ツェレテリの報告に関する民主主義評議会での演説」(1917年9月23日(新暦10月6日))
「現在の情勢に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説と決議」(1917年9月25日(新暦10月8日))
「民主主義会議におけるボリシェヴィキ会派の宣言」(1917年10月7日(新暦20日))
「予備議会に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説、結語、決議」(1917年10月9日(新暦22日))
◇蜂起の直接的準備
「憲法制定議会に関する第4回工場委員会会議での報告」(1917年10月10日(新暦23日))
「現在の情勢に関する北方ソヴィエト大会での報告」(1917年10月12日(新暦25日))
「軍事革命委員会に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年10月16日(新暦28日))
「『労働者と兵士』」(1917年10月17日(新暦29日))
「ペトログラードへの脅威と平和のための闘争」(1917年10月17日(新暦30日))
「ジョン・リードとの対話」(1917年10月17日(新暦30日))
「ポグロムの煽動」(1917年10月18日(新暦31日))
「現在の情勢に関する全ロシア工場委員会会議での報告」(1917年10月18日(新暦31日))
「
われわれには平和が必要だ」(1917年10月19日(新暦11月1日)(Russian)「コサックの兄弟へ」(1917年10月21日(新暦11月3日))
「ペトログラード・ソヴィエトから前線へ」(1917年10月22日(新暦11月4日))
「ペトログラード市民へ」(1917年10月24日(新暦11月6日))
◇10月の蜂起
「軍事革命委員会布告」(1917年10月25日(新暦11月7日))
「軍事革命委員会の活動に関するペトログラード・ソヴィエト臨時会議での報告」(1917年10月24日(新暦11月7日))
「臨時政府の打倒に関するペトログラード・ソヴィエト臨時会議での報告」(1917年10月25日(新暦11月7日))
「
第2回全露ソヴィエト大会における演説」(1917年10月25〜26日(新暦11月7〜8日))(Russian)「コサックの兄弟へ!」(1917年10月27日(新暦11月9日))
「現在の情勢に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説と結語」(1917年10月29日(新暦11月11日))
「軍事革命委員会からペトログラード市民へ」(1917年10月30日(新暦11月12日))
「前線の状況に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年10月30日(新暦11月12日))
【資料】「ボリシェヴィキ・ペトログラード委員会会議におけるレーニンの演説」(1917年11月1日(新暦14日))
【回想】「10月革命」(1919年10月14日)
【回想】「ペトログラード(1917〜1919)」(1919年11月7日)
【回想】「10月革命の思い出」(1920年11月7日)
◇革命強化の第一段階
「布告」(1917年11月3日(新暦17日))
「報道機関に関する全露ソヴィエト執行委員会会議での演説」(1917年11月4日(新暦18日))
「左翼エスエルの質問に関する全露ソヴィエト執行委員会会議での演説」(1917年11月4日(新暦18日))
「イギリス大使への手紙」(1917年11月13日(新暦26日))
「憲法制定議会の召集に関する全露ソヴィエト執行委員会会議での演説」(1917年11月21日(新暦12月4日))
「役人のサボタージュについて」(1917年11月26日(新暦12月9日))
「すべての住民へ」(1917年11月25日(新暦12月8日))
「報道出版の自由に関する演説」(1917年11月27日(新暦12月10日))
「人民委員会議から勤労コサックへ」(1917年11月28日(新暦12月11日))
「すべての勤労者と被搾取者へ」(1917年11月29日(新暦12月12日))
「憲法制定議会とカデットに関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年12月2日(新暦12月15日))
「半分の真実」(1917年12月8日(新暦12月21日))
◇外務人民委員としての最初の仕事
「外務人民委員部の活動に関する全露ソヴィエト執行委員会での報告」(1917年11月8日(新暦21日))
「秘密外交と秘密交渉」(1917年11月9日(新暦22日))
「二つの文書」(1917年11月12日(新暦25日))
「秘密交渉について何が語られているか」(1917年11月12日(新暦25日))
「ロシアの同盟諸国の政府と人民に対する人民委員会議アピール」(1917年11月14日(新暦27日))
「国内外情勢に関するペトログラード・ソヴィエト会議での演説」(1917年11月17日(新暦30日))
「労農政府に関するモデルン・サーカス場での報告」(1917年11月20日(新暦12月3日))
◇ブレスト講和交渉――最初の段階
「講和交渉の経過」(1917年11月22日(新暦12月5日))
「平和のための闘争――講和交渉によせて」(1917年11月30日(新暦12月13日))
「講和交渉の経過に関する全ロシア農民代表大会での報告」(1917年12月3日(新暦16日))
「ヨーロッパの勤労者、抑圧され血を流した人民へ」(1917年12月6日(新暦19日))
「講和交渉に関するアレクサンドル劇場での演説」(1917年12月8日(新暦21日))
「対外政策に関するペトログラード・ソヴィエト会議での報告」(1917年12月6日(新暦19日))
「フランス議会の社会党議員団への回答」(1917年12月10日(新暦23日))
「講和交渉の経過に関する全露ソヴィエト執行委員会での報告」(1917年12月14日(新暦27日))
「同盟諸国の人民と政府へ」(1917年12月17日(新暦30日))
「報道機関の代表事務局との対話」(1917年12月20日(新暦1918年1月3日))
「フランス軍事使節団は嘘と中傷の源」(1917年12月23日(新暦1918年1月6日))
◇講和交渉の第2段階
(ここより新暦のみ示す)「ブレスト交渉の議事録および資料」(1918年1月9日〜2月10日)
「交渉の結果に関する全露ソヴィエト執行委員会での報告」(1918年2月18日)
「交渉の結果に関するペトログラード・ソヴィエトでの報告」(1918年2月17、19日)
「全ロシアの勤労住民へ」(1918年2月21日)
「社会主義の祖国は危機に瀕す」(1918年2月22日)
「どうしてわれわれはドイツの条件に同意したか」(1918年2月24日)
「ロシア共産党第7回大会での演説」(1918年3月7日)
【付録】『10月からブレストまで』(1918年)
【付録】「ブレスト段階」(1919年8月1日)
第8期 国内戦とコミンテルンの創設(1918〜19)
◇1918年春におけるソヴィエト権力の基本任務
「労働、規律、秩序」(1918年3月27日)(English)
「ロシアの労働者と農民へのメッセージ」(1918年4月14日)
「当面する情勢に関するテーゼ」(1918年4月20日)
「ソヴィエト権力の国内外の課題」(1918年4月21日)
◇赤軍の創設
「われわれには軍隊が必要である」(1918年3月19日)(English)
「われわれの課題」(1918年3月21日)
「新しい軍隊」(1918年3月22日)
「赤軍」(1918年4月22日)(English)
「義務的軍事訓練に関する布告」(1918年4月22日)
「社会主義宣誓」(1918年4月22日)
「赤軍の組織化」(1918年6月7日)
◇飢饉に対する闘争
「2つの道」(1918年6月4日)(English)
「飢饉に対する闘争へ」(1918年6月9日)(English)
◇内戦の勃発
「チェコスロヴァキア軍団の反乱」(1918年5月29日)
「社会主義の祖国は危機に瀕す」(1918年7月29日)(English)
「左翼エスエルの反乱」(1918年7月9日)
「カザンの農民は事件から学ぶ」(1918年9月)(English)
「内戦の進行途上におけるカザン占領の意義」(1918年9月11日)(English)
◇赤軍建設と軍事専門家と共産党員の役割
「労農赤軍の建設」(1918年7月10日)
「将校問題」(1918年7月23日)
「赤軍における共産党員の役割」(1918年12月11日)(English)
「軍事専門家と赤軍」(1918年12月31日)(English)
◇1918年末の世界情勢と世界革命の展望
「国際情勢」(1918年10月3日)(English)
「息つぎ」(1918年10月30日)
「世界革命の守りに就いて」(1918年11月18日)(English)
◇内戦の2年目
「混沌からの秩序」(1919年1月26日)(English)
「前線にて」(1919年2月24日)
◇内戦の中の農民
「中農への手紙」(1919年2月)
【資料】レーニン「ハリコフ農民の質問への回答」
「われわれの農民政策」(1919年3月)
「農民への訴え」(1919年3月18日)
【資料】トロツキー「指令第86号」
「死につつある反革命」(1919年3月27日)
◇軍隊建設の諸問題
「軍隊建設におけるわれわれの政策」(1919年3月)(English)
「ロシア共産党第8回党大会に向けて」(1919年3月17日)
「革命の防衛を!」(1919年4月24日)
「軍事建設の当面する諸問題」(1919年7月12日)
「パルチザンと正規軍」(1919年7月24日)
◇内戦の新しい展望
「われわれの戦線と国際情勢」(1919年7月29日)
「東方問題に関する中央委員会への手紙」(1919年8月5日)
「民兵綱領とそれに対する学術的批判者」(1919年8月5日)
「プロレタリアよ、馬に乗れ!」(1919年9月1日)(English)
「コムソモール第2回大会報告」(1919年10月4日)
◇ペトログラードの攻防
「ペトログラードは内部からも自らを守るだろう」(1919年10月16日)(English)
「ペトログラード防衛戦」(1919年10月19日)
「大転換」(1919年10月21日)
「最初の一撃」(1919年10月23日)
「ペトログラードの防衛」(1919年11月7日)
◇内戦の2年間の総括
「内戦の2年間のバランスシート」(1919年12月5日)
「われわれの軍事建設と戦線」(1919年12月7日)
「われわれの当面する諸問題」(1919年12月12日)(English)
◇コミンテルンの創設
「メーデーとインターナショナル」(1918年5月1日)
「ドイツとドイツ・オーストリア共産党におけるスパルタクス・グループ」(1919年1月5日)
「カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク」(1919年1月18日)(Russian)
「共産主義インターナショナルの最初の大会」(1919年1月24日)
「世界の労働者への共産主義インターナショナルの宣言」(1919年3月6日)
「スパルタクス同盟の同志たちへ」(1919年3月9日)
「しのびよる革命」(1919年4月23日)
「途中で――プロレタリア革命の進行について」(1919年4月29日)
「偉大な時代」(1919年5月1日)
「フランスの同志たちへの手紙」(1919年9月1日)
「革命前夜のフランス社会主義」(1919年11月20日)
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