チェンバレン
(『ユナイティッド・プレス』アメリカ通信社モスクワ特派員)とのインタビュー
トロツキー/訳 西島栄
【解説】このインタビューは、幕間の時期に利権委員会の責任者であったトロツキーが、共同通信のアメリカ支社のモスクワ特派員であったチェンバレンのインタビューに答えたものである。このインタビューの中でトロツキーは、「世界的な分業とそこから生じる世界的な交易とは、ある一つの国で社会主義システムが支配し、他の国で資本主義システムが支配しているからといって、廃棄されもしなければ、破壊されもしなかった」として、資本主義世界との国際貿易の発展をソ連における社会主義建設の重要な構成要素とみなし、スターリン式の閉鎖的な一国社会主義建設に対する対抗軸とした。このインタビューは、当時のトロツキーの社会主義建設戦略である「世界市場との結合発展」戦略の基本的発想を非常によく示している。
Интервью тов. Л.Д.Троцкого с московскии корреспондентом американского телеграфного агентства Юнаитед Пресс г.Чембеленом, Правда, 30 Июля 1925.
1 ソヴィエト連邦とアメリカとのより緊密な関係がありうるとしたら、それはどのような政治的・経済的要因によるものと考えるか、とあなたは尋ねておられる。
わが共和国と資本主義諸国との経済関係を妨げている原因の一つは、後者が革命を恐れていることである。この恐れは自然なことであり、これらの国々の国内状況が悪化すればするほど恐れは強くなる。資本主義諸国の政府は、自国の困難と不幸――失業、予算の赤字、通貨の下落、労働者・農民の不満――を自動的にソヴィエト連邦とそのプロパガンダのせいにしようとする。ちょうど、わが国の最も無知で迷信深い老農民が火事や病気を悪霊の祟りのせいにするのとまったく同じである。アメリカの状況はヨーロッパの状況よりもはるかによいので、アメリカ合衆国の支配層には、モスクワが革命を起こしているかのような馬鹿げた迷信を共有する内的動機がより少ないにちがいない。これは、ソヴィエト連邦とアメリカとの接近を可能にする非常に本質的な政治的要因である。もっとも、アメリカ・ブルジョアジーが、ヨーロッパ・ブルジョアジー、とりわけイギリス・ブルジョアジーの恐れに感染するまでのことではあるが。この問題においては、他の多くの問題と同様、次のような結論に至らざるをえない。すなわち、アメリカ資本の巨大な強さにもかかわらず、そしてアメリカに比べてヨーロッパがますます弱くなっている事実にもかかわらず、アメリカ合衆国のブルジョアジーはそれでもなお、ヨーロッパの支配階級が抱いている偏見と迷信とに精神的にとらわれている、と。しかし、うまいフランスの格言がある。La raison finit toujours par avoir raison(理性は常にしかるべき道を見出す)。
相互の接近に役立つ経済的要因は完全に明白である。ソヴィエト・ロシアは今後の数年間ですでに世界市場の最も強力な要因の一つになるだろう。これまで、外国貿易の独占は、わが国の取引先によって、主としてその「否定的」側面から評価されてきた。これは、まず第一に、わが国の輸出入が小規模にしか行なわれていなかったことによるものであり、第二に、史上初めて創造され適用されたメカニズムが最初のうちは不可避的にさまざまな軋轢を引き起こさざるをえなかったことによるものである。
わが国の取引規模に関して言えば、それは絶え間なく増大するだろうし、しかもきわめて高いテンポで増大するだろう。工業の今後の成長は、もちろんのこと、輸出の縮小ではなく、その巨大な拡張を意味する。世界的な分業とそこから生じる世界的な交易とは、ある一つの国で社会主義システムが支配し、他の国で資本主義システムが支配しているからといって、廃棄されもしなければ、破壊されもしなかった。われわれは現在、工業と農業の分野において戦前の60〜70%の水準にまで達している。確信をもって言えるのは、わが国は、戦前の60%に達するよりも容易かつ急速に戦前の200%、すなわち2倍の生産力に達するだろう。しかも、経済の商品化率が全般的に成長するもとで国民所得が戦前の2倍になるならば、貿易収支は5倍、いや10倍にも増大するだろう。もちろん、私はこの数字を単なる例として挙げているにすぎない。すなわち、それはわが国の経済発展の一般的な傾向を特徴づけるためのものでしかない。
外国貿易の独占は、アメリカ合衆国との通商関係の発展を困難にしないだけでなく、反対に、それを容易にし促進する。まさに強力で集中されたアメリカ工業にとって、わが国家は買い手として測り知れないほどの優位性を持っている。というのは、外国貿易の独占は、細分化した買い手の個人的な嗜好や個人的な恣意性を取りのぞき、アメリカの累進的な規格化・標準化傾向に完全に合致しているからである。北アメリカのトラスト化した工業には、トラスト中のトラスト、シンジケート中のシンジケートたるわが国家のような取引先を恐れるいかなる根拠もない。わが国で国家権力の担い手とトラストおよびシンジケートの所有者とが労働者と農民であるという事情は、自然条件と各国の歴史の違いから生じているところの国際分業を破壊するものではけっしてない。
アメリカの世論がロンドンの保守派――それは今や茫然自失のていたらくにあるが――の神託に依存しているという事情は、アメリカ資本が状況を理解するのを妨げ、それゆえこの状況から双方にとって大きな利益になることを熱心に引き出すのを妨げている。このことはわれわれも承知している。しかし、月日がたてば遅かれ早かれ、健全な配慮が自ずから道を切り開くであろう。
2 どの程度、そしてどのような形態で、外国資本はソ連の復興に協力することができるか?
われわれは二つの資本上の課題に直面している。(1)機械化、とりわけわが国農業のトラクター化。(2)わが国工業の固定資本
[基礎的資本]の更新。もし地球上にわがソ連邦しか存在していないとすれば、われわれはもちろんのこと、どちらの課題も自分自身の力で解決しただろう。だが、その場合、より長期の期間がかかる。しかしながら、農業の機械化と電化、および工業の設備更新に関してはまさに、5年、10年、ないしそれ以上の年月を見越した計画がソヴィエト連邦とアメリカ工業との間で結ばれるならば、それは巨大な意義をもつことだろう。その際、アメリカ合衆国がわれわれに供与する信用は、それを弁済する最良の保証を、わが経済の復興が促進されることのうちに見出すだろう。
3 あなたが私に設定した第3および第4の問題(ヨーロッパで最近高まっている保守化の波がわれわれの国際情勢にとって持つ意味についてと、われわれの国内課題について)に関しては、最近のソヴィエト大会で人民委員会議長の同志ルイコフ(1)と外務人民委員の同志チチェーリン(2)がこの問題に関して語ったことに、つけ加えることは何もない。
1925年7月30日付『プラウダ』
新規、本邦初訳
訳注
(1)ルイコフ、アレクセイ・イワノヴィチ(1881-1938)……古参ボリシェヴィキ、ブハーリン派指導者、経済学者。1899年以来の社会民主労働党員、1903年の分裂時にボリシェヴィキに。1905年革命後に亡命。ロシアに帰還した際に逮捕されシベリアに流刑。2月革命で釈放。1917年10月に内務人民委員。1917年から中央委員。1918年から最高国民経済会議の議長。1923年から政治局員。1924年から人民委員会議議長。1920年代にはスターリン派とともに反トロツキズム闘争に従事。1920年代末にスターリン派と対立し、右翼反対派として迫害される。1937年2月に逮捕。1938年の第3次モスクワ裁判で、でっち上げの罪で銃殺。1988年に名誉回復。
(2)チチェーリン、ゲオルギー・ワシリエヴィチ(1872-1936)……ロシアの革命家、ボリシェヴィキ、外交官。もともと帝政ロシアの外交官であったが、革命運動を支持して罷免される。ドイツに亡命し、社会民主党に入党。主にイギリス、フランス、ドイツで社会民主主義運動に従事。当初メンシェヴィキ。第1次大戦中は、最初は祖国防衛派であったが、のちに国際主義派になり、『ナーシェ・スローヴォ』に協力。10月革命後にボリシェヴィキに。イギリス滞在中、ボリシェヴィキの手先として逮捕・投獄。1918年に、イギリスの捕虜になっていたブキャナンの息子との捕虜交換でロシアに帰国。その後ソヴィエト政府の外交官として活躍。1930年以降、健康上の理由で政治活動から退く。
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