経済的敗北主義という非難について
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、合同反対派としての闘争が開始される直前の過渡期における一連の覚書の一つである。この覚書では、反対派はロシア経済の破綻と崩壊を望んでいるという主流派の攻撃に反論したものである。
Л.Троцкий, ОБВИНЕНИЯ В ХОЗЯЙСТВЕННОМ ПОРАЖЕНЧЕСТВЕ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.1, 《Терра-Терра》, 1990.
党の経済的指導に対する批判を、敗北主義、すなわち経済的危機――国の経済的情勢の悪化とそこから生じるところの大衆の不満――を期待することと同一視しようとする試みは何度となく行なわれてきた。これよりひどい中傷を想像することは難しい。ただ生産力の増大、工業の発展、経済の全般的な成功にもとづいてのみ、系統的で深く考え抜かれた確固たる計画的指導の必要性が完全に明らかになりうるのだ。経済的失敗、生産力の発展の遅れないし生産力の衰退から生じる困難は、明日の不満や不信を引き起こすことによって、ソヴィエト体制を揺るがすことにしかつながらない。経済的上昇から生じるより複雑な新しい課題のみが党内世論を教育し、それを鍛え、より高い水準に引き上げることができるのである。マルクス主義者の目から見れば、この初歩的な考えは証明を必要としない。
まったく同じことが党内体制についても言える。経済的上昇にもとづいてのみ、党が真の民主主義の方へと発展することが考えられうる。経済生活が健康に脈打つこと、工業の成長、賃金の上昇、初歩的な要求の充足、こういったものが労働者大衆の団結、その能動性の増大、その自立にとって必要不可欠な前提条件である。ここ数年の熟練労働者の間での失業者の存在は官僚主義的機構の体制が発展し団結するための前提条件であった。これはまったく疑いない。労働者も生産者も自分の足元にある地盤が堅固になればなるほど、ソヴィエト組織や労働組合や党の中で自分たちが自立的であると感じるようになる。したがって、経済に対する真の社会主義的指導のための闘争や、党内における真のボリシェヴィキ的体制のための闘争を、経済的失敗や敗北を望むことに結びつけようとするいかなる試みも、まったくのでたらめ以外のなにものでもないと言っておく必要がある。経済の管理ないしは党の指導における進歩的傾向は、ただ次々と新しい経済的および文化的成果にのみ、工業と農業の成長にのみ、そして国の全般的な発展にもとづいた労働者の意識、その文化性、その能動性の向上にのみ立脚することができる。このようなものが、一貫した反対派の方針である。
原注 まさにこうした観点から、ウォッカの国営販売の導入を、きわめて深刻な原則的誤りであるとみなさなければならないのである。それが農村での自家製酒にうまく取って代る前に、都市でその広範な活動分野を獲得するということを予見しなければならなかったのだ。それは労働者大衆の物質的水準を破壊した。それは彼らの文化的成長を低めた。それは彼らの目に移る国家の権威をおとしめた。その財政上の収益は、それが社会主義建設の基本的な力たる労働者階級を生理的かつ精神的にむしばむことによって経済に与えた打撃を、けっして埋め合わせはしない。
エリ・トロツキー
1925年12月12日
『トロツキー・アルヒーフ』第1巻(テラ社)所収
新規、本邦初訳
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