46人の声明

プレオブラジェンスキー、ブレスラフ、セレブリャコフ他/訳 西島栄

【解説】本稿は、1923年の左翼反対派の結成を事実上告げ知らせることになる、46人の反対派党員による声明である。この声明は、10月8日のトロツキーの手紙の直後に出されたことで、政治局多数派は、トロツキーと46人の声明署名者とが連携をとって反対派活動を始めたとの推測を行なった。

 署名した46人のうち、トロツキー派(プレオブラジェンスキー、セレブリャコフ、アントーノフ=オフセーエンコ、ピャタコフ、ムラロフ、ペレボロドフ、イワン・スミルノフ、ヴォロンスキー、カシオール、エリツィン、アリスキー、ダニシェフスキーなど)と、民主主義的中央集権派(オシンスキー、サプローノフ、マクシモフスキー、V・スミルノフ、ドロブニス、ラファイル、ボグスラフスキーなど)が二大潮流であった。

《Заявление 46-ти》в поитбюро ЦК РКП(б), Известия ЦК КПСС, No.6, 1990.


 極秘

 ロシア共産党中央委員会政治局へ

 極度に深刻な状況からして、われわれは(わが党の利益のため、労働者階級の利益のため)、政治局多数派の政策が継続されているせいで党全体が深刻な困難におびやかされていると率直に言わなければならない。今年の7月後半から始まった経済的・金融的危機はあらゆる政治的帰結をともない、とりわけ党内に重大な影響をもたらしたが、この危機は、党の政策が経済面でも、とりわけ党内関係面でも不十分であることを無慈悲に暴露した。

 経済分野における中央委員会の決定は場当たり的で非系統的なものであり、ちぐはぐに機能している。そのため、最初のうちには、不十分な指導にもかかわらず、いやむしろ指導の欠如にもかかわらず、自然発生的にわが国経済によって工業、農業、金融、輸送の各分野で大きな成功が達成されたが、われわれは今ではこうした成功が停止する危険性に直面しているだけでなく、深刻な全経済的な危機にも直面している。

 まずわれわれは、チェルボネツ貨(財政赤字が解消されるまでのあいだ自然発生的に主要な通貨となった)が近いうちに激しく動揺するという危険性に直面している。われわれは、国営銀行が――深刻な衝撃の危険性なしに――工業および工業生産物の商取引に融資することができないだけでなく、輸出用穀物の購入資金を調達することができないという信用危機に直面している。われわれはまた、高価格のために工業生産物の販売停止という事態に直面している。この高価格は、一方では、工業において系統的で組織的な指導が欠落していることから、他方では、誤った信用政策から生じている。われわれは、穀物を農村から購入することができないために穀物の輸出計画を実行することができないという事態に直面している。われわれは農産物の極端な低価格という事態に直面しており、この低価格は農民にとって破滅的なものであり、農業生産の大規模な縮小という危険性をもたらしている。われわれは賃金支払いの中断という事態に直面しており、これは労働者のあいだで当然の怒りを引き起こしている。われわれはまた財政の紊乱に直面しており、これは直接に国家機構の紊乱を引き起こし、予算作成のさいの「革命的」削減方法、および予算執行のさいの新たななし崩し的削減の手法は、過渡的措置であることをやめ、恒常的な現象になった。それは絶え間なく国家機構を揺るがすとともに、削減のさいの計画性が存在しないために、その削減は場当たり的で自然発生的なものになっている。

 以上は、すでに始まりつつある経済的・信用的・財政的危機を構成する諸要素の一部である。広範で十分に考え抜かれた一連の措置が計画的かつ精力的に実施されないならば、そして現在におけるような指導の欠如が今後も続くならば、われわれは極度に先鋭な経済的動揺に直面することになるだろうし、それは不可避的に国内の政治状況をいっそう悪化させ、われわれの対外的な活動とその行動能力を麻痺させることになるだろう。われわれが現在、かつてなくこの対外活動を必要としているのは明らかである。世界革命とすべての国の労働者階級の未来はそこにかかっている。

 

 党内関係の分野に関しても、同じ誤った指導が見出せる。それは党を麻痺させ士気阻喪させつつあり、このことは現在の危機の進展の中でとりわけ明白なものになっている。

 われわれは、このことの原因が現在の個々の党指導者たちの政治的無能力にあるとは考えていない。反対に、われわれの状況評価における意見の相違が何であれ、またそれを変えるための諸方策を選択するさいの意見の相違が何であれ、われわれは、わが党の現在の指導者たちが、いずれにせよ党によってプロレタリア独裁の指導的ポストに就けられたとみなしている。むしろわれわれは、外的な公式上の統一の影に隠れて、実際には、ある狭いグループの見解やシンパシーに合致した人々や活動方針だけが一面的に選択されていることに原因があると考えている。党の指導部がこうした狭い了見によって歪曲されているため、党は、かなりの程度、生きた現実に敏感で無数の紐帯によってこの現実と結びついた独立の集合体であることをやめつつある。その代わりわれわれが目にしているのは、党がますます、そしてほとんど露骨な形で、書記ヒエラルキーと「平党員」に、上から選ばれた職業的専従党員と、党の運営に参加していない他の下部党員とに分裂しつつある事態である。

 この事実はすべての党員に知られている。中央委員会ないし県委員会のあれこれの命令に納得できなかったり、何らかの疑問を抱いたり、あれこれの誤りを「こっそり」指摘する人々は、すでに党会議で発言することを恐れている。さらには、相手が信頼のおける人間でないかぎり、すなわち「口の固い」人物でないかぎり、党員同士で話をすることさえ恐れている。事実上、党内での自由な討論は姿を消し、党の世論はますます弱体化しつつある。現在、党もその広範な党員大衆も県党会議や党大会を提起・選出していないし、この後者もまた各県委員会や党中央委員会を提起・選出していない。それどころか、書記ヒエラルキーと党のヒエラルキーがますます党会議や党大会の参加者を選別するようになっている。そして党会議や党大会はかなりの程度、このヒエラルキーが管理運営する場になっている。党内に確立された体制はまったく耐えがたいものになっており、それは党を特別に選ばれた官僚機構に置きかえることによって、党のあらゆる自主性を殺している。これらの官僚は普段は滞りなく機構を運営することができるが、危機的状況においては必然的にしくじりを犯し、重大な事態に直面するとまったくお手上げ状態になる。

 現在の状況の原因は、第10回党大会後に客観的に形成された党内の一分派独裁の体制が時代遅れになっていることにある。われわれの多くはこの体制にあえて抵抗しなかった。1921年の転換とその後のレーニンの病気は、われわれの一部の意見によれば、一時的措置として党内部の独裁を必要としたからである。他の同志たちは、最初からこの措置を懐疑的ないし否定的に見ていた。案の定、第12回党大会の時にはすでにこの体制は時代遅れになっていた。それはその裏面を見せはじめた。党内の紐帯は弱まった。党の活気は死に絶えた。党内部の極端に反対派的で明らかに不正常な諸潮流が反党的性格を帯びはじめたのは、今日的な諸問題をめぐる同志的な党内討論が存在しないからである。このような討論が行なわれていれば、これらの潮流の不正常な性格が党大衆にとっても、その潮流に参加している大多数の同志たちにとっても、容易に明らかになっただろう。しかし同志的な討論がなされなかったために、党外から党員を指導する非合法グループが形成され、党を労働者階級から孤立させる結果をもたらした。

 ソヴィエト・ロシアにおける経済危機と党内における分派独裁体制の危機は、現在の状況が近い将来に抜本的に変更されないかぎり、ロシアにおけるプロレタリアート独裁とロシア共産党の両方に深刻なダメージを与えるだろう。この重荷を両肩に背負っているかぎり、ロシアのプロレタリア独裁とその指導者(ロシア共産党)は、迫り来る世界的激動の時代に、プロレタリア闘争の全戦線にわたる敗北の展望をもって入ることになるだろう。もちろん、現在の状況全体からして、党の路線の変更を問題にしたり、新しい課題を議題にのせたりすることは時宜を得ないことだとみなすことで問題を片づけてしまうのは、一見したところ非常に簡単であるように見える。しかし、こうした意見が、現状に対して目を閉じる官僚的立場であることはまったく明らかである。なぜなら、現在の危険性はまさに、きわめて錯綜した国内外の情勢を前にして本当の意味での思想的・実践的統一が存在しないことにあるからである。党内の争いは、それが秘密裏なものになればなるほど、激烈なものになる。われわれがこうした問題を中央委員会の前に提起しているのは、まさに、党を引き裂いている諸矛盾から党を最も速やかに最も痛みの少ない形で脱出させ、党を健全な土壌の上に置くためである。われわれは意見と行動の真の統一を必要としている。迫り来る試練は、全党員による全面的で、兄弟的で、完全に自覚的で、すぐれて能動的で完全に統一された行動を必要としている。

 分派体制は根絶されなければならない。何よりもその先導者たちによって根絶されるべきである。そして分派体制は同志的統一と党内民主主義の体制に置きかえられなければならない。

 以上のことを実現するために、そしてまた経済的・政治的・党内的危機から脱出するための必要な措置を講じるために、われわれは、中央委員会が、最も著名な活動的党員を含む中央委員の協議会を最初の緊急の一歩として召集するよう要求する。なお、その際には、現在の状況について中央委員会の多数派と異なった意見を持つ一連の同志たちも招待リストに含められなければならない。

   1923年10月11日

   E・プレオブラジェンスキー

   S・V・ブレスラフ

   L・セレブリャコフ

 現在の状況の原因について解釈しているこの書簡の一部分には同意できないし、また、これまで取られてきた方法によっては解決できない諸問題に党が真剣に取り組んでいると信じているが、この書簡の結論には完全に同意する。

  A・ベレボロドフ

 1923年10月11日

 私は、原因に関するいくつかの論点で意見を異にするが、同書簡の全体としての趣旨に同意する。

               A・ローゼンゴリツ

  M・アリスキー

 基本的にこの訴えの思想に同意する。わが党のすべての欠陥に直接的で率直な注意を向ける必要性はきわめて大きく、それゆえ私は、蓄積されてきた諸困難から脱出することを可能にする実際的な道を具体化するために、この書簡で言われている協議会を召集するという提案を全面的に支持する。

          アントーノフ=オフセーエンコ

  A・ヴェネディクトフ

  I・N・スミルノフ

  G・ピャタコフ

  V・オボレンスキー(オシンスキー)

  N・ムラロフ

  T・サプローノフ

  A・ゴリツマン

 党内情勢と国際情勢は、尋常でない努力と党の力の統一をかつてないほど必要とするまでになっている。この声明に参加することで私は、それが党の統一を再建し、来る事態に対する党の備えを立て直すための唯一の道であるとみなす。言うまでもなく、現時点では、党内闘争はいかなる形態でも問題になりえない。必要なのは、中央委員会が状況を冷静に評価することであり、党内部と非党員大衆双方の不満を取り除くための緊急の措置を講じることである。

     1923年10月11日 A・ゴリツマン

                  

  V・マキシモフスキー

  L・ソスノフスキー

  ダニシェフスキー

  P・メシャツェフ

  G・ホレチコ

 この声明の最初の部分に見られる一連の評価には同意できない。党内状況の評価に関しても同意できない。しかしそれと同時に、私は、党内状況からして抜本的な諸措置を取ることが必要であると深く確信している。なぜなら、現在、この党内状況は安全なものではないからである。

                 A・ブーブノフ

             1923年10月11日

  A・ヴォロンスキー

  V・スミルノフ

  E・ボッシュ

  I・ブイク

  V・カシオール

  E・ロカツコフ

 経済情勢の評価に同意する。現在、政治的独裁の弱体化は危険なものになっており、一連の刷新的措置が必要である。協議会を開催することが絶対に必要だとみなす。

                 コガノヴィッチ

  ドゥロブニス

  P・コワレンコ

  A・E・ミンキン

  V・ヤコブレヴァ

 ここでの実践的諸提案に全面的に同意する。

                 B・エリツィン

 私は同志ブーブノフの留保を共有する。

                M・レヴィティン

 ブーブノフと同じ留保を置きつつ、同声明の指摘する事実に同意する。ただし、その形式および調子は共有しない。しかし、それだけにいっそう、この声明の実践的諸方策の部分に同意することが必要だと考える。

                 I・ポリュドフ

  O・シュミデリ

  V・ヴァガニャフ

  I・ストゥコフ

  A・ロバノフ

  ラファイル

  S・ヴァシリチェンコ

  ミハイル・ジャコフ

  A・プザコフ

  N・ニコラーエフ

 私は最近、党中央の活動から離れていたので、導入部分の最初の二つのパラグラフに関しては保留するが、残りの部分には同意する。

                   アヴェリン

 国の経済的・政治的情勢に関する記述に同意する。党内状況の部分は少し誇張されていると思う。党の統一を維持するための措置をただちに講じることはまったく必要である。

              M・ボグスラフスキー

 前半部分、すなわち国の経済情勢に関する部分には完全には同意できない。経済情勢はたしかにきわめて厳しいし、極度に注意深い態度が必要であるが、これまでのところ党は、現在指導者である人々よりも優れた指導者になりうるような人々を出したことはない。

 党内情勢の問題に関しては、声明で述べられたことはかなりの部分真実であり、緊急の措置を講じる必要があると思う。

                F・ドゥードニク

 

 『ソ連共産党中央委員会通報』1990年、第6号

『トロツキー研究』第40号より

 

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