反対派と祖国敗北主義

――全ロシア金属労働組合中央委員会へ

トロツキー、ジノヴィエフ、エフドキーモフ/訳 湯川順夫・西島栄

【解題】1927年5月にイギリスがソ連との外交関係を断絶してから、スターリン=ブハーリン派は、反対派に対する攻撃の一環として「戦争の脅威」を系統的に利用するようになった。戦争の脅威が迫っているときに反対派が党の団結を乱し指導部を攻撃することは、社会主義の祖国であるソ連に対する犯罪行為であると言うだけでなく、より露骨に、戦争の際には反対派は祖国敗北主義的立場に立つかもしれないと示唆するようにさえなった。このような卑劣な攻撃に対し、合同反対派はこの戦争の脅威と祖国敗北主義の問題について多くの声明や説明を費やさざるをえなくなる。本稿はその一つである。後年、トロツキーは、第4インターナショナルとして、戦争の際にはソ連を無条件防衛するという立場を表明するが、これはこのときの論戦の立場を継続させたものでもある。

 Л.Троцкий, ЦК Всероссийской союза рабочих-металлистов, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР, Том.3, 《Терра−Терра》, 1990.


  親愛なる同志諸君!

 諸君の第7回中央委員会総会で、同志レプス()の報告にもとづく現在の情勢に関する決議が採択された。この決議は、反対派に関するひどく間違った乱暴な誹謗中傷を含んでいるので、われわれが金属労働組合に敬意を持っているからといって、それだけで諸君の決議を黙って見過ごすわけにはいかないように思われる。

 1、まず第1に、諸君が党ではない機関の中央委員会総会に党内で論争中の問題を持ち出したという事実に注目しなければならない。諸君の組合の過去の活動にも、一般にわが国の組合の活動にも、このような前例は見られない。非党員の人々に対して反対派に反対するよう訴えることによって、どうやら諸君は、われわれが党員だけでなく非党員の人々にも、われわれの立場が諸君の決議によって描き出された誹謗中傷的な主張とは無縁であることを説明させたいようだ。

 2、諸君の決議は、反対派が「祖国敗北主義的思想の破滅的なプロパガンダ」を展開していると主張している。何をもって祖国敗北主義と呼ぶのか? わが党の過去の全歴史において、祖国敗北主義とは、外敵との戦争において自国政府の敗北を望み、国内の革命闘争という方法によってそのような敗北を促進することと解されてきた。ここで問題になっているのはもちろん、資本主義国家に対するプロレタリアートの態度である。ところが、諸君は「祖国敗北主義」という言葉を反対派の政策に、すなわちソ連共産党内の思想的潮流の政策に適用している。このことによって諸君は、反対派が外敵、すなわち、資本主義諸国に対する闘争においてソヴィエト国家の敗北を望んでおり、そのような敗北を促進しようとしている、と言っていることになる。

 ソヴィエト国家に対する祖国敗北主義的態度なるものを反対派に帰することの破廉恥なまでのナンセンスさを暴露するには、祖国敗北主義の概念を定義するだけで十分である。なぜなら反対派メンバーこそ、このソヴィエト国家の創設とその防衛において党内の誰にも優るとも劣らぬ役割を果たしてきたし、現在も果たしているからである。

 3、何百人という最古参の党員たち、地下革命家、レーニンの最も緊密な協力者、10月革命の参加者にして組織者、内戦の参加者にしてその勝利の組織者、社会主義建設の参加者にして組織者――これらの人々が今ではあたかも祖国敗北主義者になったかのように人民大衆に言うことによって、諸君は最大級の混乱を大衆の意識の中に持ち込んでいるのであり、それはまったく計りしれない結果をもたらすことになるだろう。この決議を読んだ労働者と農民の中のすべての自覚した誠実な人々はこう自問するだろう。諸君が嘘をついていて、このようなとんでもない主張を振りまいているのか、それともソヴィエト国家がすでに根本的に変質してしまい、この国家の建設に最も緊密に加わった人々でさえもがその不倶戴天の敵になってしまったのか、と。諸君は、人民大衆を、何よりもその先進部隊である金属労働者を、このような結論に追いやっているのである。

 4、祖国敗北主義を云々する諸君の言葉は、最も重要な外交上のポスト、すなわち、労働者国家の利害を資本主義諸国から直接防衛するための部署が、現在ではほとんど反対派メンバーによって占められているという事実を考慮すると、わが国の労働と国際労働者にとってなおさら途方もない話しに思われるに違いない。ベルリンには同志クレスチンスキー(2)、パリにはラコフスキーとピャタコフとプレオブラジェンスキーとウラジーミル・コシオール(3)、ローマにはカーメネフとグレボフ=アヴィーロフ(4)、プラハにはアントーノフ=オフセーエンコとカナチコフ、ウィーンにはウフィムツェフとセマシコ、ストックホルムにはコップ、ペルシャにはムディヴァニ(5)、メキシコにはコロンタイ、そしてアルゼンチンにはクラエフスキー、等々、等々。これらすべての同志たちは反対派に属しており、その大多数はいわゆる83人の声明に賛同した。この声明の中で、反対派は基本的な政治的諸問題に対する態度を明らかにしている。もし反対派が「祖国敗北主義者」であるとすれば、どうしてわが党の中央委員会は、敵の直接の攻撃にさらされている労働者国家の最も死活の利益を保護する任務をそのような「祖国敗北主義者」に委ねたのか? 諸君の主張は、反対派に対する誹謗中傷であるだけでなく、中央委員会に対する誹謗中傷でもあるのだ。もし本当に中央委員会が「祖国敗北主義者」に、すなわちブルジョア世界に対するわが国家の勝利ではなく「敗北」を求める連中に外交上のポストを割り当てているのだとしたら、中央委員会は党と労働者国家に対して犯罪を犯していることになるだろう。

 5、問題はもちろん反対派の外交官に限られるわけではない。これまでに、10月革命以前からの党歴を持つ300人以上の同志たちが反対派の宣言に署名しており、そこには、長い地下活動の経験を持っている多くの同志が含まれている。署名者の中には、とりわけ以下の同志たちがいる。

 アントーノフ=オフセーエンコ……元革命軍事会議政治局主任

 バカーエフ……中央統制委員、元レニングラード・チェカ議長

 ベレニキー、G……元クラスノ・プレスネンスク地区書記

 ベロボロドフ……元中央委員、内務人民委員

 ボロンスキー……『クラスナヤ・ノーヴィ』編集長

 ゲルティク……1912年の『プラウダ』の創刊者

 エフドキーモフ……中央委員

 ゾーリン……イワフノ・ボズネセンスク県委員会の元書記、ソ連共産党中央委員候補

 ジノヴィエフ……中央委員、元コミンテルン議長

 ヨッフェ、A・A……元中央委員、元在ドイツ大使、元在日本大使

 イシチェンコ……水運労働者組合議長

 カフタラーゼ……元グルジア人民委員会議長

 カーメネフ……中央委員、元人民委員会副議長、労働国防会議元議長、在イタリア大使

 クレスチンスキー……元中央委員会書記

 クークリン、A・C……元中央委員、レニングラードのヴイボルク地区ソヴィエト議長

 リズディン……中央統制委員

 ムラチコフスキー……元軍管区司令官

 ムラロフ……中央統制委員、海軍主任監視官

 ナウモフ……陸海革命軍事会議元メンバー、元レニングラード県委員会ビューローのメンバー

 プリマコフ……軍団司令官

 ペテルソン、A……中央統制委員

 プトナ……中央委員、元最高国民経済会議副議長、在フランス通商代表  

 ラデック……元中央委員、元中国大学長

 ラコフスキー……中央委員、元ウクライナ人民委員会議長、在フランス大使

 サファロフ……元中央委員

 セレブリャコフ……元中央委員、

 スミルガ……中央委員、元ゴスプラン副議長

 スミルノフ、I・N……元中央委員、郵政人民委員

 ソスノフスキー、L・S

 ソローキン……労働者、モスクワ統制委員会メンバー

 トロツキー……中央委員、元軍事人民委員

 フェドロフ……元中央委員

 ハリトノフ……元中央委員

 シャーロフ……レニングラード県委員会ビューローの元メンバー、商業人民委員部など多くの官庁で勤務

 これらすべての同志たちは、宣言に参加した他の古参ボリシェヴィキの大多数と同様に、党から割り当てられた責任ある職務を果たしている。

 繰り返すが、「祖国敗北主義者」とは、国家の軍事力や経済力を掘り崩している人々のことである。祖国敗北主義者がどのようなものであれ何らかの重要な職務に就くことは、はたして許されることだろうか? もしそうだとすれば、党と労働者国家に対して敗北主義者をその任に就けたことの責任を直接負っているのは、党の中央委員会だということになるだろう。

 6、中央委員会には、諸君が転嫁しているような罪などないということは、もちろん諸君はご存知だ。まさか諸君は、自らに割り当てられた軍事、外交、経済、その他の職務を反対派のメンバーが多数派の支持者に比べて不十分にしか果たしていないなどとは言わないだろう。反対派の「祖国敗北主義」なる空文句が悪意ある嘘でありそれ以外の何ものでもないということは、諸君自身がとてもよく知っている。諸君がこのような嘘を撒き散らしているのは、わが党――諸君もわれわれもともに属している党――の内部の思想潮流に対する分派闘争のためである。そうすることによって、諸君は、党を途方もなく貶め、労働者国家に最大級の害を与えているのである。このようなとんでもない見解を反対派になすりつけ、そうした見解を流布することによって、諸君はソヴィエト国家の真の敵のための旗印をつくってやり、それを正当化してやっているのである。諸君の決議ほど党破壊的で分裂主義的なものを想像するのはまったく困難である。

 7、われわれは、諸君の決議の中で反対派に対してなされているそれ以外の主張には立ち入るつもりはない。それらはすべてほとんど同じ水準にある。党と労働者国家に対するわれわれのごく基本的な革命的責務は、力の及ぶかぎりのあらゆる手段を使って党と党外の大衆の前で諸君の悪意ある中傷に満ちた主張に反撃を加えることである。

 中央委員 エフドキーモフ

      ジノヴィエフ

      トロツキー

1927年7月1日

『トロツキー・アルヒーフ』第3巻所収

『トロツキー研究』第42/43号より

  訳注

(1)レプス、イワン・イワノヴィチ(1889-1929)……労働組合活動家、古参ボリシェヴィキ。1904年からの党員。1905〜1907年工場の党組織指導者。リガの金属労働組合の組織者。10月革命後、金属労働組合のペトログラード委員会書記。1921〜29年、金属労働組合中央委員会議長。1924年から党中央委員。

(2)クレスチンスキー、ニコライ(1883-1938)……古参ボリシェヴィキ、法律家。1903年以来の党員。1918〜21年、財務人民委員。1921年からベルリン駐在大使。1917〜21年、党中央委員。1919〜21年、中央委員会書記。合同反対派のメンバー。1927年、第15回党大会で除名。その後屈服。1938年、第3次モスクワ裁判の被告として銃殺。

(3)コシオール、ウラジーミル(1891-1938)……ロシアの革命家、1907年以来のロシア社会民主労働党の党員。民主主義的中央集権派の指導者。1926年に合同反対派に。1927年外交官としてパリに。1927年の15回大会で除名。1928年に逮捕・流刑。1938年にヴォルクタ収容所で銃殺。

(4)グレボフ=アヴィーロフ、N(1887-1942)……合同反対派メンバー、1927年にローマに外交官として派遣。

(5)ムディヴァニ、ポリトカルプ(ブドウ)(1877-1937)……グルジアの古参ボリシェヴィキ。1903年からの党員。1922年、グルジア・ソヴィエトの人民委員会議長。「連邦」問題でスターリンと対立し、グルジア反対派を形成。晩年のレーニンはムディヴァニらのグルジア反対派を支持。合同反対派メンバー。1927年に外交官としてパリに派遣。1928年にトロツキストとして除名。1930年、復党。1937年に銃殺。 

 

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