反対派の「蜂起主義」
に関する同志モロトフの演説について
トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄
【解題】反対派に対する主流派の攻撃がエスカレートする中で、モロトフは8月合同総会の中で反対派に対して、「反対派の路線は、1918年の左翼エスエルの路線と同様に、党とソヴィエト政権に対する蜂起主義につながる」と述べるにいたった。本稿は、8月合同総会の開会中にこの問題に関して反対派の代表メンバーの連名で出された声明である。この声明の中で、「反対派は、中傷にも物理的壊滅の脅しにもひるむことはないだろう。動揺した諸個人は反対派を去るだろうが、事態の展開に確信を深めた何千人もの下部党員がわれわれのもとに加わりつつある。脅しで反対派を怯えさせることはできない。弾圧で反対派を打ち砕くことはできない。われわれは、自らが正しいとみなしていることを最後まで守り抜くだろう」と高らかに宣言したが、この4ヵ月後の第15回党大会ではジノヴィエフを中心とするグループは主流派に降伏することになる。
Каменев, Петерсон, Зиновьев, Раковский, Пятаков, Евдокимов, Смилга, Лиздин, Муралов, Соловьев, Троцкий, Авдеев, Бакаев, Членам и кандидатам ЦК и членам ЦКК. Объединенному пленуму ЦК и ЦКК ВКП (б), 4 августа 1927 г, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.4, 《Терра−Терра》, 1990.
ソ連共産党中央委員会と中央統制委員会の合同総会(8月総会)へ
土曜日の同志モロトフの演説によってわれわれは、スターリンの狭い分派が何を欲し何をめざしているかについて理解することができた。祖国敗北主義や「条件的な祖国防衛主義」という中傷に答える中で、われわれは過去においても宣言したし、ここで再び繰り返すが、反対派は誰に対しても防衛の条件など提起してはいない。反対派は勝利の条件を作り出すために闘っているし、闘い続けるであろう。
同志モロトフ
〔左の写真〕はこの点についてこう宣言した――しかも、これが彼の演説全体の唯一の目的であった。すなわち、反対派の路線は、1918年の左翼エスエルの路線と同様に、党とソヴィエト政権に対する蜂起主義につながる、と。これらの言葉がはっきりと明白に特徴づけているのは、反対派の路線ではなく、スターリンの中央グループの路線である。左翼エスエルは、わが党と一時的な連立関係にあったが、別個の独立した党であった。左翼エスエルは、ドイツ軍と闘うべきかそれとも講和を結ぶべきかという問題をめぐってわが党ととりわけ鋭く対立した。左翼エスエルは、ソヴィエト大会で自分たちが少数派であることがわかると、ソヴィエト権力に対する武装蜂起に決起した。革命にとって幸いなことに、この蜂起はわれわれによって粉砕された。
左翼共産主義者も、左翼エスエルと同じ時にブレスト講和に反対した。この分派は、最も先鋭でしばしばまったく許しがたい方法でもって闘争を展開し、社会主義祖国に対する条件的防衛の立場をも主張し、内戦と外国からの脅威がある最中に分裂でもって党を脅した。それでも、事態はけっして「蜂起」にまで至らなかっただけでなく、分裂にも至らなかった。党からのたった1人の除名すらなかった。そのわけは、レーニン指導下の党中央委員会が意見の相違を激化させようとしなかっただけでなく、わが党の指導部が――左翼エスエルによる公然たる蜂起が行なわれ、左翼共産主義者は左翼エスエルと部分的に協力したにもかかわらず(数回にわたる共同投票)――、「蜂起主義」に関するどんなわずかの挑発的な嫌疑もけっして許さなかったからである。この一点だけをとっても、党の精神や方法におけるレーニン主義とスターリニズムとの根本的な相違は明白である。
同じ党の中の現在の反対派メンバーに対して「蜂起主義」を云々するモロトフの発言は、偶然ではない。それは、ずっと前に周到に練り上げられた計画の一環なのである。同志諸君、諸君の多くは、この計画の全貌を見ることも知ることもないまま、その一部をすでに実行している。昨年7月、われわれは諸君にこの計画の第1段階――党指導部の根本的な変更――について、声明への補足(1)の中で警告した(参照、『1926年10月23〜26日の中央委員会と中央統制委員会の合同総会の速記録』、36頁)。計画の第1段階の完全な成就が近づきつつある現在、モロトフの演説はわれわれを第2段階(最終段階)に直面させた。反対派に対して「蜂起主義」という用語を用いることによって、スターリン分派の中核は、反対派の壊滅という考えに党を慣れさせようとしているのである。
われわれは、この点に関して中央委員会と中央統制委員会にできるだけ早く警告する必要があると考えている。
反対派が条件的な祖国防衛主義という観点に立っているというのは本当ではない。その代わり、スターリン分派が、防衛事業の分野でも、反対派と党の残りの部分との間にくさびを打ち込もうとし、戦争の脅威が差し迫ったものになりつつあるときに最も傑出した党内の軍事活動家をハバロフスク、日本、アフガニスタンなどに追い出し、そうすることで国の防衛を弱体化させつつあるというのは、まったく本当である。
反対派が別党を準備しているというのは本当ではない。その代わりスターリン分派が、党的な手段だけでなく国家機構を使ってでも党を自分たちに永遠に従属させたいと望んでいるというのは、まったく本当である。
革命がテルミドール期に入ったとか、わが党がテルミドール派である、と反対派が信じているというのは本当ではない。だが党は窒息させられており、その抵抗力は弱められた。そして、テルミドール分子がわが国には存在しており、罰を受けることなく党内で台頭しつつある。共産主義の不倶戴天の敵であるウストリャーロフ(2)は執拗に反対派の完全な壊滅をスターリンに要求しているが、これこそテルミドールの明白でまったく曖昧さのない言葉である。そして、スターリンが党の左翼の壊滅を自分の仕事の主要な中身としているが、それによって彼は、その意図がどうであれ、ウストリャーロフ一派を鼓舞し、彼らを強化し、プロレタリアートの立場を弱めているのである。
反対派の道が党とソヴィエト権力に対する蜂起に通じているというのは本当ではない。その代わり、スターリン分派がその目標を達成するために、われわれの物理的壊滅を冷厳にもくろんでいるというのは、まったく本当である。反対派の側には、蜂起の脅威を暗示するような徴候はまったくない。その代わり、スターリン分派の側には、党の主権がよりいっそう簒奪される真の脅威が存在している。モロトフの口を通じて、この脅威が公然と示された。スターリン分派上層部は、「蜂起主義」を口実にして、実際に反対派壊滅の道を一歩一歩準備する一方で、事態がけっしてそこまでは行かないだろうとか、反対派を脅かす必要があるだけだと請け合って、中央委員会や中央統制委員会の動揺しているメンバーを言葉の上でなだめている。このようにして、スターリン・グループは、より広範な党員層を自分の陰謀に少しずつ引き込み、剥き出しの形態でなら今日でさえ不可避的に彼らを尻込みさせるような計画にしだいに慣らしていっているのである。
以上の点をかんがみて、われわれは、あえて言うまでもなく明らかなことをここで言っておく必要があると考える。反対派は、中傷にも物理的壊滅の脅しにもひるむことはないだろう。動揺した諸個人は反対派を去るだろうが、事態の展開に確信を深めた何千人もの下部党員がわれわれのもとに加わりつつある。脅しで反対派を怯えさせることはできない。弾圧で反対派を打ち砕くことはできない。われわれは、自らが正しいとみなしていることを最後まで守り抜くだろう。われわれは党のプロレタリア的中核を信頼している。われわれは、事態がレーニン主義的路線に有利に、すなわち、反対派に有利に働きつつあることを知っている。われわれは、「蜂起主義」や「別党」によってでも、そもそも激動や弾圧によってでもなく、党の路線を平時にも戦時にも矯正することができると確信している。
反対派を怯えさせることはできない。だが、ますます危険なものになっている簒奪派の潮流から党の革命的統一を防衛しなければならない。反対派は、事態の経過にもとづいて自己の見解を粘り強く頑強に説明する権利を保持する。党規約のさらなる蹂躙に反対し、党大会の権利の侵害に反対し、党の言論や党の出版物を人為的に選抜されたスターリン分派の手中に奪取することに反対し、国家機構による反対派の言論封殺に反対し、スターリニストの指導的中核が余人でもって替えることのできないものだとする教義に反対し、簒奪派の理論と実践に反対し、反対派は、党の革命的統一とプロレタリア独裁の堅固さと両立するあらゆる手段でもって非妥協的に闘うだろう。反対派は、スターリン分派がプロレタリア革命の根本問題を閉ざされた壁の中で決定することを許さないだろう。決定する主体となるべきは党であり、党が決定するだろう。われわれは、ソ連共産党とコミンテルンの革命的統一を全面的かつ最後まで擁護するだろう。
それと同時に、われわれは改めて繰り返すが、党内状況を改善すること、党内闘争を緩和すること、党と中央委員会がそのすべての力を――どの活動分野であっても――党とソヴィエト国家のために正しく用いることができるよう手助けすること、そして最後に、真の意見の相違を党が全面的に検討し第15回党大会において正しい路線を形成することを保障するような諸条件をつくり出すこと、以上のことを可能にするあらゆる提案をわれわれは受け入れる用意がある。
1927年8月4日
カーメネフ、ペテルソン、ジノヴィエフ
ラコフスキー、ピャタコフ、エフドキーモフ
スミルガ、リズディン、ムラロフ
ソロヴィヨフ、トロツキー、アヴデーエフ、バカーエフ
『トロツキー・アルヒーフ』第4巻所収
『トロツキー研究』第
42/43合併号より訳注
(1)トロツキー、ジノヴィエフ他「13人の声明」、本誌、56〜82頁。
(2)ウストリャーロフ、ニコライ(
1890-1937)……ロシアの弁護士、経済学者。革命前はカデットで、内戦時はコルチャックと協力し、ソヴィエト権力と敵対。その後、中国に亡命。ネップ導入後、ソ連政府で平和的に資本主義が復活するものと信じて、ネップを支持。『道標転換』誌を編集し、ソ連との協力を訴え、「道標転換派」と呼ばれる。1920年代の党内論争では、スターリン派を支持。1935年、ソ連に戻り、ソヴィエト政府のために活動。1937年に逮捕、粛清。
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