未知の差出人への手紙

トロツキー/訳 西島栄

【解題】本稿は、トロツキーに宛てられた、トロツキーの知らないある同志からの手紙に答えたものである。この手紙の中でトロツキーはとりわけ、労働規律の問題を取り上げて、「長期的な社会主義建設という状況下においては、労働規律はますます、労働者の自主性と、自分自身の労働の結果に対する関心の増大とに依拠するようにな」るとして、「全般的な路線は圧力をかけることや「ネジを巻く」方向にではなく、勤労者の自主性と問題関心の増大に、その世論による集団的なコントロールに、生産の正しい編成などに向けられるべき」であるとしている。これは戦時共産主義期のトロツキーの立場との完全な決別を意味している。本邦初訳。

 Л.Троцкий, ПИСЬМО НЕИЗВЕСТНОМУ АДРЕСАТУ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.2, 《Терра-Терра》, 1990.


   親愛なる同志! 

 あなたの手紙を非常に遅れて受け取りました。というのは、モスクワ外部の休暇地に届くのに1ヵ月かかるからです。そのせいで私の回答も遅れることになると思います。

 あなたは党内の意見の相違について尋ねており、報告者のデマゴギー的な説明について不平をこぼしています。あなたの書いていることが正しいとすれば、報告者の説明は単なるデマゴギーではなく、まったくの犯罪です。

 報告者は結語で、あなたの言葉によれば、「総会の一つでレフ・ダヴィドヴィチ・トロツキーははっきりと、自分はボリシェヴィキではなかったし、今後もそうではないだろうと言い放った」と述べたとのことです。この言葉以上にナンセンスなものを想像することができるでしょうか? ボリシェヴィキでない者がどうして、そもそもボリシェヴィキ党の党員であったり、その中央委員会のメンバーであったり、政治局員であったりすることが可能でしょうか? その報告者は私を誹謗しているのではなく、党を誹謗しているのです。言うまでもなく、彼の言葉は最初から最後まで、でっちあげられたものです。

 さらに報告者は次のように述べたとのことです――トロツキーが「社会民主主義者、メンシェヴィキ、エスエルの組織を合法化するというクワソフスキーの提案に賛成した」と。クワソフスキーなる人物を私はまったく知りません。彼が言っているのはおそらくオソフスキーのことでしょう。オソフスキーがメンシェヴィキやエスエルの合法化を何らかの形で提案したのかどうか、私は知らないし、それについてはまったく聞いたことがありません。いずれにせよ、私はこの種の提案といかなる関係もありません。プロレタリアート独裁が資本主義によって包囲されているという状況は、世界ブルジョアジーの手中にある突入部隊でしかないメンシェヴィキやエスエルの合法化の可能性を排除しています。

 もしあなたが、現在の状況においてわが国の経済を戦時共産主義や強権的圧力の措置によって引き上げることができると考えているとすれば、あなたは、私の意見では、大変な思い違いをしています。このような例外的な措置は、大衆がそれ以外の道はないと感じている相対的に短い期間しか効果を上げることができません。しかし、長期的な社会主義建設という状況下においては、労働規律はますます、労働者の自主性と、自分自身の労働の結果に対する関心の増大とに依拠するようになります。あなたは、白色陶土の採掘場で、地方の農民出身の、意識の低い労働者といっしょに働くことになったという経験を持ち出しています。たしかに、労働者の一定の層の意識が低ければ低いほど、それだけ自覚的な労働規律を打ち立てることは困難になります。しかし、全般的な路線は圧力をかけることや「ネジを巻く」方向にではなく、勤労者の自主性と問題関心の増大に、その世論による集団的なコントロールに、生産の正しい編成などに向けられるべきです。

 あなたは意見の相違の核心について書くよう求めています。しかし私は手紙の中でそうすることができるとは思いません。まったく明らかなことは、これまでいつもなされていたように、党大会前に全党討論を開始することを党が決定したならば、意見の相違を党の前で全面的に明らかにすることができるということです。来たる党協議会は党大会の開催時期を、したがって大会前の全党討論の時期を決定することになると思います。そのときには、意見の相違の本質がどこにあるのかを党に説明する完全な可能性が得られるでしょうし、それにもとづいて党は、党員にとって等しく義務的な決定を採択することができるでしょう。

 もちろん、討論は党にふさわしいやり方でなされなければなりません。すなわち、迫害や誹謗中傷やデマゴギーなしに、党の統一と戦闘性を維持することへの全般的な配慮にもとづいてなされなければなりません。誠実な党内討論の基本的条件は、全党員が意見の相違の本質について完全で正しい情報を得ることです。かつて、党内討論に関してウラジーミル・イリイチはこう書いています――「言葉を信じるものは、救いようのない愚か者であり、そのような人物はお話にならない」と。あなたが報告者の言葉を正しく伝えているとするならば、ウラジーミル・イリイチの通則を何よりも彼についてあてはめなければなりません。すなわち、このような報告者の言葉を信じず、証拠となる文書を求めるべきでしょう。

  共産主義的挨拶をもって

エリ・トロツキー

1926年9月21日

『トロツキー・アルヒーフ』第2巻所収

新規、本邦初訳 

 

トロツキー研究所

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