思弁ではなく行動のための戦略を

(北京の友人たちへの手紙)

トロツキー/訳 酒井与七・西島栄

【解説】この論文は、北京の反対派の同志に宛てた手紙というスタイルで、中国における左翼反対派の任務を簡潔に述べたものである。この中ではとりわけ、現時点での民主主義的スローガン(国民議会、農地改革、民族独立)の重要性が繰り返し強調されている。また、日本軍との闘争は、今の状況下では直接のスローガンにはならないと述べている点は興味深い。

 なお本稿は、英語版から酒井氏が最初に訳し、その訳文を西島が『反対派ブレティン』のロシア語原文で入念にチェックして修正を施したものである。

Л.Троцкий, Стратегия действия, а не спекуляций, Бюллетень Оппозиции, No.32, Декабрь 1932.


 中国における現在の政治情勢の基本要素は何だろうか? 革命における二つの最重要問題である民族問題と農地問題が再び先鋭化しつつある。農民戦争がきわめて緩慢なペースであるとはいえ全体として勝利的に進行しつつある状況は、国民党独裁が農村を満足させることも脅すこともできないことを明白に示している。日本の上海侵略と事実上の満州併合は国民党独裁の軍事的破産を露わにした。権力の危機――それは、基本的に、この数年間おさまることはなかったが――は必然的に先鋭化せざるをえなかった。軍閥間の争いは国家的統一の名残りをも破壊しつつある。

 農民戦争が農村と結びついている知識人を急進化したのに対し、日本の侵略は都市の小ブルジョアジーを政治的に刺激している。これはますます権力の危機を激化させている。いわゆる「民族」ブルジョアジーの一部でさえ、国民党はむさぼり食うだけで、ほとんど何も与えないという結論に到達しはじめた。国民党による「教育」期間に終止符を打つよう要求することは、軍事独裁が議会主義に道を譲るよう要求することを意味する。

 左翼反対派の出版物は時おり蒋介石の体制をファシストと呼ぶことがあった。この定義は、イタリアの場合と同じように、中国の軍事警察権力が単一のブルジョア政党のもとに集中され、他のすべての政党ととりわけ労働者諸組織が完全に排除されているという事実にもとづいていた。しかし、この数年間、スターリニストがファシズムの問題に関して混乱を持ちこんだ経験を経た今日では、国民党独裁をファシズムと同一視することは正しくないだろう。ヒトラーは、その先行者であるムッソリーニと同じく、何よりも反革命的小ブルジョアジーを支柱にしているし、ここにファシズムの核心がある。国民党はそのような支柱を持っていない。ドイツの農民はヒトラーを支持し、この事実によって間接的にフォン・パーペンを支持しているが、中国では農民は蒋介石に対して激烈な戦争を展開している。

 国民党の体制はファシズムよりもボナパルチズムの特徴をより多くそなえている。国民党はいかなる広範な社会的基盤も持たず、一方における帝国主義および買弁勢力の圧力と、他方における革命的大衆運動の圧力の中間に立っている。しかし、ボナパルチズムが安定しているかのように振舞えるのは、農民の土地への渇望が満たされているときだけである。これは中国にはあてはまらない。かくして、この軍事独裁は無力であり、敵側がばらばらのおかげで維持されているにすぎない。だが、敵側による攻撃が強まると、この体制自身がばらばらになり始める。

 1925〜27年の第2次中国革命において道徳的ならびに物理的に最大の打撃をこうむったのはプロレタリアートであった。労働者が現在、他の諸階層から――学生をはじめとする小ブルジョアジーだけでなく、ある意味で農民からも――立ち遅れているのはこのためである。他方では、労働者階級が再び闘争の部隊に登場しないかぎり、第3次中国革命が勝利することができないだけでなく、そもそも開始することさえできないことは、まったく明らかである。

 現在の中国における前革命的状況に最も適合しているスローガンは、革命的民主主義のスローガンである。

 どのような旗のもとであろうと、農民が闘争するのは土地問題をめぐる小ブルジョア民主主義的課題のためであることは、マルクス主義者にとってあえて証明を要しない事柄である。日本の侵略によって再び焦眉の課題に引き上げられた中国独立のスローガンは、民族的民主主義のスローガンである。軍事独裁体制の無力と軍閥による国の分断は、政治的民主主義のスローガンを現実の日程にのぼらせている。

 学生は「国民党政府打倒!」と叫んでいる。労働者前衛の諸グループはこのスローガンを支持している。「民族」ブルジョアジーは立憲体制への移行を要求している。農民は、土地の欠乏、軍事的・官僚的くびき、高利貸しなどに対して反乱を起こしている。このような状況のもとで、プロレタリア政党は他の中心的政治スローガンとして国民議会(憲法制定議会)を掲げなければなければならない。

 このことは政府に国民議会の開催を要求することを意味するのだろうか、それともわれわれ自身で国民議会を組織するのだろうか――このよう問いが出されることだろう。このように問題を立てることは、少なくとも現在の段階においてあまりにも形式主義的にすぎる。ロシア革命は多年にわたって「専制打倒」と「憲法制定議会万歳」の二つのスローガンを結びつけてきた。誰が憲法制定議会を召集するのかという問題に対して、われわれは以前から次のように答えてきた。それは未来が指し示すだろう、すなわち、革命そのものの過程の中でそれが形成される際の力関係によって決まるだろう、と。このようなアプローチは中国においても正しい。国民党政府が自らの崩壊の危機に直面して何らかの代議制議会を召集しようとするとき、これに対するわれわれの態度はどのようなものだろうか? すなわち、どのようにしてわれわれはかかる状況を革命の利益のために利用するだろうか――選挙をボイコットすることによってか、それとも選挙に参加することによってか? 革命的大衆は、国民議会召集の事業を遂行する独自の政府機関を樹立することに成功するだろうか? プロレタリアートは民主主義的要求のための闘争過程の中で自らのソヴィエトの創設することに成功するだろうか? このソヴィエトは、国民議会の召集そのものを無意味なものにしてしまうだろうか? これらの問題について今の時点で予言することは不可能である。だが、われわれの任務は日程表にもとづいて予言することではなく、政治情勢から導き出されるスローガンのもとに労働者を動員することである。われわれの戦略は革命的行動のための戦略であり、抽象的思弁ではない。

 現在、事態の論理によって、革命的宣伝の矛先は何よりも国民党政府に向けれられている。われわれは、蒋介石の独裁が国民議会にとって主要な障害であり、中国から軍閥を一掃できるのは武装蜂起という手段によってだけであることを大衆に説明する。口頭ならびに文書による煽動、ストライキ、集会、デモ、ボイコットの具体的な目的がどのようなものであっても、これらは、その当然の帰結として「国民党打倒!」と「国民議会万歳!」のスローガンを掲げなければならない。

 真の民族解放を実現するためには国民党を打倒しなければならない。しかし、このことは、国民党が打倒されるまで帝国主義との闘争を引き延ばすことを意味するものではない。外国の抑圧者に対する闘争が広がれば広がるほど、国民党の困難がますます深まる。国民党に反対する大衆動員が成功すればするほど、帝国主義に反対する闘争はますます発展する。

 日本による侵略という先鋭な瞬間に労働者と学生は武器を求めた。誰に要求したか? 国民党に対してである。国民党の打倒を目指しているからといって、この要求を放棄するとしたら、それは愚劣なセクト主義だろう。われわれは国民党を打倒しようとしているが、まだ打倒するところまで到達していないのである。労働者の武装を精力的に要求すればするほど、それだけすみやかに国民党の打倒に近づくだろう。

 公式共産党はその極左主義的路線にもかかわらず「ロシアと中国の国交回復」という要求を支持している。これは国民党に直接あてたスローガンである。このスローガンを掲げることは国民党を「信頼する」ことを意味するものでは断じてない。逆に、このスローガンの目的は大衆の面前で政府の状況をますます困難なものにすることにある。一部の国民党指導者はすでにソ連邦との国交回復というスローガンを支持せざるをえなくなっている。このような紳士諸君には言葉と行為の間に大きなギャップがあることをわれわれは承知しているが、他のすべての問題と同じように、ここでも大衆的圧力が事態を決定するだろう。

 もし革命の鞭のもとで国民党政府が農地問題について部分的な譲歩を行ないはじめたり、国民議会らしきものを召集しようとしたり、労働者に武器を与えざるをえなくなったり、ソ連邦との国交回復に向かったりするならば、われわれがただちにこれらの譲歩を利用することは言うまでもない。それと同時にわれわれは、国民党の譲歩が不十分なものであることを証明する完全な権利を保持し、そうすることによってこれらの譲歩を国民党打倒の手段の一つに転化するのである。一般にこのようなものがマルクス主義の政治における改良と革命の相互関係である。

※  ※  ※

 しかしながら、農民戦争の急速な広がりは、中国における議会制民主主義のスローガンと課題のための時間と余地がもはやないことを意味するのではないだろうか? この問題に改めて立ち戻ることにしよう。

 もし中国の革命的農民が自分たちの闘争組織を「ソヴィエト」と呼ぶならば、その名称に反対しなければならない理由はない。われわれとしては言葉によって惑わされないようにすればよい。純農民地域におけるソヴィエト権力が首尾一貫した安定的な革命的権力になりうると信じるとすれば、それはあまりに軽率であろう。ソヴィエト権力が実際に樹立された唯一の国における経験を無視するわけにはいかない。ペトログラードやモスクワをはじめとするロシアの工業中心地においてソヴィエト権力は1917年11月以降、確固として一貫して存続しつづけたが、すべての広大な周辺地域(ウクライナ、北カフカス、ザカフカス、ウラル、シベリア、中央アジア、アルハンゲリスク、ムルマンスク)ではソヴィエト権力は、外国の侵略のためだけでなく内部の反乱によっても、形成されては消滅するという過程を何度も繰り返した。中国のソヴィエト権力は純粋に農民的で、純粋に周辺的なものであり、今日なお工業プロレタリアートの支柱をまったく獲得していない。この権力が不安定で不確実であればあるほど、ますますそれはソヴィエト権力から遠ざかる。

 ドイツの新聞『ローテ・アウフバウ』に掲載されたコー・リンの論文は、紅軍部隊の36パーセントが労働者であり、57パーセントが農民で、7パーセントが知識人であると主張している。率直に言って、私はこの数字には大いに疑問を持っている。同論文の筆者によると武装反乱勢力の数は35万人であり、これに以上の構成比を掛けると、約12万5000人の労働者がいることになる。36パーセントという割合を紅軍部隊だけに適用すると、15万人の兵士のうち5万人以上が労働者であるということになる。本当にそうなのだろうか? そうだとしても、それはどういう労働者なのだろうか? 彼らはかつて労働組合や党や革命的闘争に参加していたのだろうか? だが、いずれにせよ、これは決定的な問題ではない。工業中心地に強力な独立したプロレタリア組織が存在していないかぎり、未経験ないし経験不足の革命的労働者の大多数は必然的に農民的・小ブルジョア的環境に溶解してしまう。

 今年初めにコミンテルンの出版物に掲載された王明の論文は、都市における運動の広がり、この運動における労働者の独立の度合、共産党の影響の大きさについて、私の判断しうるかぎりでは、はなはだしく誇張した記述をしている。現在の公式出版物の問題は、分派的利害のために事実がひどく歪曲されていることである。とはいえ、昨年秋に始まった運動を主導しているのが大学生であり、一般に学校の生徒であるということは、王明の論文からさえ容易に知ることができる。大学のストライキが工場のストライキよりもかなり目だった役割を果たしている。

 労働者を立ち上がらせ、彼らを団結させ、民族運動と農民運動に立脚できるようにし、こうして両運動の指導権を獲得すること――以上がわれわれの課題である。労働時間、賃金、団結権、等々のようなプロレタリアートの直接的要求をわれわれの煽動の基礎にしなければならない。しかしこれだけでは不十分である。中国の独立、土地を農民(貧農)に、国民議会――この三つのスローガンだけが、今日、プロレタリアートを民族の指導者の地位に引き上げることができる。

 スターリニストは、反乱に立ち上がった農民が自分たちの組織をソヴィエトと呼ぶやいなや革命的議会主義の段階がすでに過ぎ去ったものと思っている。これは重大な誤りである。農民の反乱がプロレタリア的ソヴィエトの支柱になりうるのは、プロレタリアートが実践においてその指導能力を農民に示す場合だけである。プロレタリアートによる指導がないとき、農民運動は一つのブルジョア徒党に対して別のブルジョア徒党を優位な位置に押し上げるだけであり、その後には結局、地方的小グループに分解してしまう。国民議会は、その中央集権的機能ゆえに、土地革命の発展における重要な段階を画することになる。農村「ソヴィエト」と「紅軍」の存在は、農民による革命的代表の選出をうながすだろう。現段階において、これが農民運動を民族運動およびプロレタリア運動と政治的に結びつける唯一の方法である。

※  ※  ※

 公式の中国共産党は、日本帝国主義に対する民族革命戦争のスローガンが現在の「基本的かつ中心的スローガン」であると主張している(『共産主義インターナショナル』1932年第1号所収の王明の論文)。これは、問題の設定の仕方として一面的で、さらには冒険主義的でさえある。帝国主義に対する闘争は中国プロレタリアートの基本的任務であり、この闘争は蜂起と革命戦争の道によってしか最後まで遂行することはできない。しかし、だからといって、日本帝国主義に対する闘争が現時点における中心的スローガンになっているということにはけっしてならない。問題は国際的観点から解決されなければならない。

 今年初め、コミンテルンでは、日本が中国に対する軍事行動を開始したのはソ連邦に対する戦争にまでただちに事態を推し進めるためであると考えられていた。そこで私は次のように書いた。東京の政府が満州における日本の軍事拠点を少なくともある程度打ち固めることなしにソ連邦との戦争にあえて踏みこむとすれば、それは彼らが完全に正気を失っている場合だけである、と。このような情勢評価をとらえて、最も俗悪で愚劣このうえないアメリカのスターリニストは、私が日本の参謀本部のために働いているのだと主張した…。しかし、ここ数ヵ月間の事態は何を示しただろうか? 軍事的冒険の結果に対する日本の支配層の間での危惧があまりに強かったために、軍部は、ミカドの政府を満州の完全な併合に向かわせるために、日本の政治家数名をあの世に送らなければならなかった。今日なおソ連邦に対する戦争はきわめて現実的な展望であること、このことにまったく議論の余地はないが、政治においては時間がきわめて重要な要素なのである。

 日本との戦争が今現在の時点で不可避であるとソヴィエト政府が本当に考えているならば、融和政策、すなわち「ダチョウの政策」[危機に際して小手先の手段で問題を回避しようとすること]を遂行する権利も、そのような可能性もないはずである。ところが実際には今年、ソヴィエト政府は、日本の艦隊にソヴィエトの石油を供給する協定を日本政府との間で締結したのである。戦争が今現在差し迫っているのであれば、石油を日本に供給することはプロレタリア革命に対する直接的な裏切りを実行することを意味する。ここでは、ソヴィエト政府のあれこれの声明や実践的措置がどれほど正しいものであるかという問題に立ち入らないことにする。だが一つのことだけは明らかである。すなわち、度外れて熱心なアメリカのスターリニストとは対照的に、モスクワのスターリニストが堅持している方針は日本との平和であって、戦争ではないということである。

 9月24日の『プラウダ』は次のように書いている。

「世界ブルジョアジーは心の底から日ソ戦争を切望していた。……しかし、ソ連邦が日中紛争に対する不干渉の立場を厳格に守ってきたこととソ連邦がとっている確固とした平和政策のおかげで、衝突は回避されている……」。

 アメリカやその他の諸国の駄弁家どもの立場に何か政治的意味があるとすれば、それは次のことだけである。すなわち、彼らは、ソヴィエト権力を世界ブルジョアジーがとっているのと同じ方向[日本との融和政策]に押しやったということである。われわれは何も、彼らが日本の参謀本部に意識的に奉仕していると言いたいわけではけっしてない。彼らにはプロレタリア革命に意識的に奉仕する能力がないと言っておくだけで十分だろう。

 中国プロレタリアートは、ソヴィエト連邦との外交関係の回復だけでなく、ソ連邦との緊密な攻守同盟の締結という要求も掲げている。このことは、中国プロレタリアートの政策が国際情勢全体および何よりもソヴィエト連邦の政策ときちんと噛み合っていなければならないことを意味する。日本がいまソ連邦を攻撃するならば、この戦争に中国を引き込むことは中国プロレタリアートとその党にとって死活の問題になるだろう。この戦争によって中国革命は無限の展望を与えられるだろう。しかし、国際情勢と国内的条件のゆえに、ソ連邦は、極東における戦争を回避するかそれをできるだけ遅らせるために、重大な譲歩を余儀なくされている。また日本はソ連との戦争行為に踏み切れるほど十分に強力ではない。以上のことから、日本帝国主義に対する戦争は、少なくとも現時点においては、中国共産党の中心的闘争スローガンにはなりえないのである。

※  ※  ※

 王明は、「大衆運動の再構築」、「国民議会の召集」、「中国とソヴィエト連邦との外交関係の回復」という中国左翼反対派のスローガンを引用している。そして王明は、反対派の合法機関紙に掲載されている論文があたかもこれらのスローガンをきちんと根拠づけていないかのように言いなし、それを唯一の理由にして、中国の左翼反対派を「反革命的トロツキスト=陳独秀グループ」と呼んでいる。

 たとえこれらの革命的スローガンの根拠づけが不十分であることを認めたとしても、だからといってこれらのスローガンやそれを定式化した組織が反革命的になるわけではない。しかし王明とその同類は、その地位と給料を失わないよう、是が非でも「トロツキスト」の反革命性について語らなければならないのである。

 ボリシェヴィキ=レーニン主義者の正しさは、1924年から1932年の全期間における中国での事態の展開によって証明されているが、スターリニストはこのボリシェヴィキ=レーニン主義者に対してかくも手厳しく対処する一方で、自分自身に対しては、すなわち自らが繰り返し犯す誤りに対しては、きわめて寛大である。

 日本が上海を攻撃したとき、国民党は「帝国主義と闘う労働者、農民、兵士、商人、学生の統一戦線」を呼びかけた。しかし、これこそまさに有名なスターリン=マルトィノフ式の「四民ブロック」だ!  第2次中国革命の時期以後、中国に対する外国のくびきは弱まるどろか、逆に強まっている。国の発展の必要性と帝国主義体制との矛盾も先鋭化している。それゆえ、四民ブロックを擁護する古いスターリニストの論拠はこれまでに倍する力を得た。しかし現在のスターリニストは国民党のこの呼びかけを大衆欺瞞の新たな企図であると解釈している。正しい! だが彼らは次のことを説明し忘れている。すなわち、1924〜27年に、どうしてコミンテルン指導部は、中国ブルジョアジーがその欺瞞を最後まで貫き通すのを助けたのか、どうしてコミンテルンの綱領の中に国民党への奉仕という哲学が見出せるのか、である。

※  ※  ※

 言うまでもなく、われわれは民主主義的地方自治、官僚の人民選挙といったスローガンを支持できるし、支持しなければならない。民主主義的綱領は軍事独裁体制との関係できわめて大きな一歩前進を意味する。われわれは個別的で部分的な民主主義的スローガンを中心的スローガンと結びつけ、これらのスローガンを労働者の革命的団結と武装の問題に結合しなければならない。

 「愛国主義」と「民族主義」の問題は、あなた方の手紙に含まれている他のいくつかの問題と同じく、用語上の問題であり、基本的問題ではない。被抑圧人民の革命的手段による民族的解放を擁護するボリシェヴィキは、外国帝国主義だけでなく、民族的運動内部における国民党タイプのブルジョア搾取者にも反対し、民族解放をめざす人民大衆の運動をあらゆる手段をもって支援する。しかし、完全に権威を失墜し汚辱にまみれている「愛国主義」なる用語をあえて用いる必要があるだろうか? 私は疑問である。これは、小ブルジョア的なイデオロギーと用語法に順応しようとする傾向ではないだろうか。そのような傾向がわれわれの隊列の中に実際に出現するようなら、その傾向と容赦なく闘わなければならないだろう。

 形式主義的に問題を立てるならば、戦術的・戦略的諸問題の多くが解決不可能であるように見える。しかし、それらの問題を弁証法的に――すなわち諸階級と諸政党の現実の闘争という枠組みにおいて――とらえるなら、それらの問題はたちまちしかるべき位置づけを与えられるようになる。革命的弁証法は、生きた行動の中でこそ最もうまく身につけることができる。われわれの友人ならびに同志である中国のボリシェヴィキ=レーニン主義者が中国革命の複雑な諸問題を情熱的に討論するだけでなく、発展しつつある闘争にも同じぐらい情熱的に参加するものと私は確信している。われわれがよって立つのは、思弁ではなく行動のための戦略という立場である。

1932年10月3日

『反対派ブレティン』第32号

『トロツキー著作集 1932』下(柘植書房新社)より

 

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