防衛のための統一戦線
社会民主党労働者への手紙
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、ヒトラーがすでに政権に就き、クーデターの危険性が目の前に迫っていた危機的時期に書かれたものである。ここにおいてトロツキーは、最後の力を振りしぼって、ドイツの労働者に向けて社共の反ファシズム統一戦線を結成し、ファシズムに対する共同闘争に立ち上がるよう訴えている。とりわけ、本稿は、社会民主党労働者を念頭において、できるだけわかりやすく、かみくだいて、問題の所在となすべき課題について論じている。とりわけ注目すべきなのは、ドイツにおけるプロレタリア革命の形態についてかなり具体的に論じているところである。トロツキーは、ドイツにおいては、その労働者階級の数の多さと高い比重と高い文化的水準ゆえに、プロレタリア独裁がロシアにおけるような苛酷な形態をとることはないだろうと断言している。そして、言論・出版の自由に関しても、社会民主党の新聞が抑圧されることはないだろうと述べている。
また、トロツキーは本稿において、社会民主党労働者とともにプロレタリアートの独裁に達することを望んでいると明言しており、これは、ファシズムに対する防衛的統一戦線の水準をはるかに越えた展望である。これは、後進国であるロシアと先進国であるドイツとの根本的な相違に配慮したものである。ロシアにおいては、メンシェヴィキはまったく取るに足りない勢力にすぎず、その労働者党員のほとんどは1917年2月革命後の数ヶ月間でボリシェヴィキの側に移った。トロツキーが述べているように、メンシェヴィキに残ったのは、小ブルジョア的残党だけであった。1917年末に行なわれた憲法制定議会でも、メンシェヴィキは大都市部でまったくの泡沫政党にすぎなくなった。これは、ロシアのような後進国では、都市労働者に深く根づいた改良主義政党が発展しえないという現実を表現している。それに対し、先進国では、社会民主党は労働者に深く根ざした強固な勢力であり、社会民主党労働者はプロレタリアートの有機的で分離不可能な一部をなしている。彼らを無視して、あるいは彼らと敵対して権力を取ることはできない。たとえ革命情勢の急速な盛り上がりがあったとしても、社会民主党労働者はそう簡単に自分の党を捨てて共産党に馳せ参じるという事態にはならないだろう。社会民主党労働者が自分の党と指導者を見捨てて共産主義者になるスピードおそらく、労働者の権力獲得を可能にするような情勢の先鋭化のスピードよりも、はるかに遅いであろう。このタイム・ギャップこそが、1918年11月革命の中途半端さを生んだのである。
この現実をふまえるならば、本稿でトロツキーが行なったようなアプローチを発展させなければならない。社会民主党労働者が自分の党と指導者にまだ見切りをつけていない段階で、どのようにして共産党は権力獲得の展望を切り開くのか、ということである。社会民主党労働者とともにプロレタリアート独裁に到達するための具体的な形態を見出さなければならない。これは、個別的な課題をめぐる統一戦線の結成よりもはるかに複雑で高等な問題である。だが、この問題を解かずには、先進国における革命は不可能である。一歩一歩敵の陣地を獲得していくという「陣地戦論」は、この問題をいささかも解決するものではない。それは、革命に先立って共産党がことごとく主要な陣地を獲得することができるという実現不可能な前提を立てることによって、問題そのものを回避しようとする試みである。
本稿は、この課題の解決に向けた最初の一歩であった。だが、その後の情勢の急展開、すなわち本稿が書かれたわずか4日後に起きた国会放火事件と共産党への大弾圧、3月5日の選挙におけるナチスの勝利、その後の急速な独裁権力化、プロレタリアートの受動的な敗北、等々によって、この課題はこれ以上深められることなく終わった。本稿が世に現われた時にはすでに、情勢は決していた。トロツキーは、それ以降、第4インターナショナルの建設を最重要課題とするようになり、共産党と社会民主党との統一戦線の具体的なあり方という問題は完全に後景に退いてしまった。どちらも歴史によって死を宣告された時代遅れの組織にすぎないとみなされた。これは、その後の歴史が示すように、明らかに両党に対する過小評価にもとづいていた。
本稿の底本はロシア語原文ではなく、パスファインダー社の『ドイツにおける反ファシズムの闘争』所収の英訳である。ロシア語原文は残念ながら手に入らなかった。
Leon Trotsky, The United Front for Defense: A Letter to a Social Democratic Worker, The Struggle Against Fascism in Germany, Pathfinder Press, 1971.
本小冊子は、個人的には著者が他の党派に属しているにもかかわらず、社会民主党の労働者に直接あてたものである。共産主義と社会民主主義との意見の相違は非常に深刻である。私は、これを非和解的なものとみなしている。しかしながら、事態の推移はしばしば労働者階級の前に、両党の共同行動をいやおうなく要求するような課題を提起する。このような行動は可能であろうか? 歴史的経験と理論が示しているように、まったく可能である。いっさいは、条件とこの当該の課題の性格にかかっている。ところで、プロレタリアートの前にある課題が、新しい目標を達成するために攻勢をとることではなく、すでに獲得した陣地を防衛することであるときには、共同行動を行なうことははるかに容易である。
ドイツにおいて問題はまさにこのように提起されている。ドイツ・プロレタリアートは、退却し陣地を放棄しつつある。たしかに、われわれは革命的攻勢のただなかにあると叫びたてるおしゃべり屋にはこと欠かない。これらの連中は明らかに、自分たちの右と左を区別することのできない人々である。攻撃の鬨の声がいずれ発せられることに疑間の余地はない。だが現在の問題は、算を乱した退却を押しとどめ、防衛のために勢力の再編成を行なうことである。軍事技術におけると同じく、政治においても、問題を理解することはその解決を容易にする。美辞麗句に酔うことは敵を助けるだけである。現在生じている事態をはっきりと理解しなければならない。すなわち、階級敵たる独占資本と封建的大地主(彼らは11月革命によって見逃された)が、全戦線にわたって攻勢に出ているということである。敵は、異なった歴史的起源を有する二つの手段を用いている。第1に、ワイマール憲法にもとづいて成立したこれまでの全政府によって準備された軍事的・警察的機構。第2に、国家社会主義、すなわち、労働者に対抗して金融資本が武装させ挑発している小ブルジョア反革命の集団、である。
資本および地主階層の目的は明白である。すなわちプロレタリアートの組織を粉砕し、プロレタリアートから、攻勢に出る可能性を奪い去るだけでなく、自らを防衛する可能性をも奪い去ることである。周知のように、社会民主主義が20年にわたって継続してきたブルジョアジーとの協力関係は、資本家の心情をいささかも柔らげなかった。これらの連中は、ただ一つの「法」、すなわち利潤のための闘争しか認めない。そして彼らは、苛烈で仮借のない決意をもってこの闘争を遂行し、何ものを前にしても止まらない。ましてや、自分たち自身の法律の前で足を止めはしない。
搾取者階級は、できるだけ少ない出費で、内乱を経ずに、ワイマール共和国の軍事的・警察的手段をかりて、プロレタリアートを武装解除し原子化することを望んでいた。しかしながら彼らは、きわめて当然のことながら、「合法的」手段だけでは、労働者をまったくの無権利状態に投げ入れるのに十分ではないのではないかと懸念している。それゆえ、彼らは補助勢力としてファシズムを必要としている。ところで、独占資本によって肥え太らされたヒトラーの党は、補助勢力ではなくドイツにおける唯一の支配勢力となることを欲している。この情勢は、政権与党間の絶え間ない衝突を生み出し、その衝突はときに先鋭な性格を帯びるにいたっている。救世主たちが相互に陰謀にふけるぜいたくをすることができるのは、プロレタリアートが戦わずして陣地を放棄し、計画も秩序も指導方針もなしに退却しているからである。敵は傍若無人にも、次なる打撃をどこでどのように加えるかを公然と議論している。前線攻撃か、共産党の左側面への急襲か、労働組合の背後に深く侵透し連絡を遮断するか、等々…。ワイマール共和国によって救われた搾取者たちは、まるで何か使い古された大皿でも問題にしているようにワイマール共和国について論じている。彼らは、これをまだしばらくの間利用すべきか、あるいは即座に投げ棄てるべきか、自問している。
ブルジョアジーは、マヌーバーの完全な自由を、すなわち手段、時期、場所の選択の完全な自由を享受している。その指導者たちは、法の武器を匪賊の武器と結びつける。プロレタリアートは、何ものをも結びつけようとせず、自らを防衛していない。その部隊は分裂させられ、その指導者たちは、勢力の結集がそもそも可能かどうかを力なく論じている。このようなものが、統一戦線に関する果てしない討論の本質である。もし前衛的労働者が情勢を自覚して論争に有無を言わせぬ形で介入しないならば、ドイツ・プロレタリアートは、今後何年もの間、ファシズムの十字架にかけられることになるだろう。
遅すぎはしないか?
ここで私の話し相手たる社会民主党員が私を遮ってこう言うかもしれない。「貴君が統一戦線を宣伝するのは遅すぎるのではないか? それ以前は何をしていたのか?」。
この抗議は正しくないだろう。反ファシズムの防衛的統一戦線の問題が提起されたのはこれが最初ではない。私自身、国家社会主義者が最初の大成功をおさめた後の1930年9月に、この問題に関してすでに発言する機会があったことに言及させていただきたい。私は共産党労働者に向けて次のように書いた。
「共産党は、ドイツの国家内部で労働者階級が獲得した物質的・精神的陣地を防衛しなければならない。最も直接的な形で問題になっているのは、労働者階級の政治組織、労働組合、新聞と印刷所、クラブや図書館等々の運命である。共産党労働者は社会民主党労働者に次のように言わなければならない。『われわれの党の政策は非妥協的なものだ。しかし、もし、今夜ファシストが君の組織に殴り込みをかけてきたら、私は武器を手にして君を助けにいこう。君は、私の組織が危険にさらされているときに、助けにくると約束するか?』。現在の時期における政策の核心は以上のようなものである。すべてのアジテーションは、この基調にしたがって遂行されなければならない。
われわれがこのアジテーションを……粘り強く真剣に思慮深くやればやるほど、そして、あらゆる工場や労働者地区で防衛のための実際的な組織的措置を提出すればするほど、ファシストの攻撃がわれわれの不意を打つ危険性はますます少なくなるだろうし、この攻撃が労働者の隊列を破壊するかわりに、より強固にしてゆく可能性はますます高まるだろう。」(1)。
以上の引用文を含む小冊子は2年半前に書かれたものである。もし、この政策が機を失せずに採用されていたならば、ヒトラーは現在首相ではなかったろうし、ドイツ・プロレタリアートの陣地は難攻不落なものとなっていたであろう。このことは、今日まったく疑いない。しかし、過去に遡ることはできない。犯した誤りおよび時間を無駄に過ごした結果として、防衛の問題は今日はるかに困難になっているが、課題は以前と変わらず残されている。今日においてもなお、プロレータリアトに有利な方向で力関係を変えることは可能である。この目的のためには、防衛に関する一つの計画、一つの体系を持ち、諸勢力を結合しなければならない。だが何よりも、防衛の意志を持たなければならない。急いでつけ加えておくが、防衛に自己を限定することなく、機会がありしだい攻勢に転ずる用意のある者のみが、正しく自己を防衛することができるのである。
この問題に対して、社会民主党はどのような態度をとっているであろうか?
不可侵条約
社会民主党の指導者は、共産党に対して「不可侵条約」を結ぶことを提案している。『フォアヴェルツ』紙上でこの文句を最初に読んだときには、私は、これは思いつきの、あまりうまくない冗談だと考えた。しかしながら、不可侵条約の定式は今や流行であり、現在あらゆる議論の中心となっている。社会民主党の指導者は、試されずみの熟達した政治的能力を十分有している。それだけになおさら、どうして彼らが、自分たちの利益に反するこのようなスローガンを選ぶことができたのかを尋ねたくなる。
この定式は外交術から借りてきたものである。この種の条約のもつ意味は、戦争の動機を十分に有した二つの国家が、ある一定期間、互いに武力には訴えないことを約束しあうということである。たとえば、ソヴィエト連邦は、ポーランドとのあいだで、条件を厳しく限定したこの種の条約に署名した。戦争がドイツとポーランドとのあいだに勃発したと仮定しても、同条約はソ連邦に、ポーランド救援におもむく義務をまったく負わせない。不可侵であるということ、ただそれだけなのである。それは防衛のための共同行動をけっして含まず、むしろ反対にそうした行動を排除する。そうでなければ、条約はまったく別の性格を帯び、まったく他の名前で呼ばれるだろう。
ところで、社会民主党の指導者は、このような定式にどのような意味を与えているだろうか? 共産党が社会民主党組織を侵犯する恐れがあるというのだろうか? それとも、社会民主党が共産党に対する十字軍を企てる準備をしているということだろうか? 実際には、問題になっているのはまったく別のことである、外交用語を使用するならば、語るべきは不可侵条約ではなく、第三者、すなわちファシズムに対する防衛的同盟である。目的は、共産党と社会民主党とのあいだの武力闘争――戦争の危険はまったく問題になりえない――を停止したり排除したりすることではなく、社会民主党と共産党の力を結合させ、国家社会主義者の武力攻撃――それは今や両党に向かって開始されている――に対抗することにある。
信じがたいことに思えるが、社会民主党指導者は、ファシズムの武力行使に対する純防衛の問題を、共産党と社会民主党との政策論争の問題にすりかえる。それはまさに、列車の脱線をいかに防ぐかという問題を、2等車の旅行者と3等車の旅行者とのあいだに挨拶が必要かどうかという問題にすりかえるに等しい。
いずれにせよ不幸なのは、「不可侵条約」という陳腐な定式が、[共産党と社会民主党との闘争停止という]より下位の目的――この名のもとに、この定式が無理やり持ち込まれたのだが――にさえ役立つことができないということである。相互に攻撃しないという2国間の約束は、けっして両者の闘争、論争、陰謀、マヌーバーを取り除かない。ポーランドの半御用新聞は、不可侵条約にもかかわらず、口角泡をとばしながらソ連邦について論難している。一方ソヴィエトの新聞の側にも、ポーランドの政治体制に愛想を振りまく気などさらさらない。実際には、社会民主党指導者は、プロレタリアートの政治的課題を常套的な外交的定式にすりかえることによって、誤った路線に向け舵を切ったのである。
共同で防衛を組織すること――過去を忘れず、未来を準備すること
社会民主党のより慎重なジャーナリストたちは、こうした自分たちの考えを次のような意味に翻訳している。すなわち、自分たちは「事実にもとづく批判」に反対しているのではなく、疑心暗鬼、侮辱、中傷に反対しているのだ、と。これはきわめて称讃に値いする態度だ! だが、どうやって、許容できる批判と許容しえないキャンペーンとのあいだの境界を見出すのか? そしてどこに不偏不党の裁判官がいるのか? 一般的に言って、批判というものは、批判される者にとってけっして気持ちのいいものではない。とりわけ、その批判の本質的な点に対し、批判される側が反論できない時にはなおさらである。
共産党による批判の是非という問題は、また別の問題である。もし、共産党と社会民主党がこの問題に関して同じ意見ならば、この世界には、互いに独立した二つの党はもはや存在しないだろう。共産党による論争にはたいした価値がないと仮定したとしても、だからといってこのことがファシズムの致命的危険性を弱めたり、あるいは、共同防衛の必要性をなくしたりするだろうか?
しかしながら、この構図の裏面、すなわち、共産主義に対する社会民主党自身の論争を取り上げてみよう。『フォアヴェルツ』(たまたま手もとにあった号を取り上げよう)は、不可侵条約の問題について、シュタンプファー(2)の行なった演説を掲載している。この同じ号には、次のようなキャプションつきの漫画が掲載されている。ボリシェヴィキがピウスツキ(3)との不可侵条約に署名しながら、社会民主党とは同様の条約を結ぶことを拒否している、というものである。さて、漫画もまた一つの論争的「攻撃」であり、このような特殊な論争がとりわけ不適切であることも、しばしばである。『フォアヴェルツ』は、社会民主党員のミュラー(4)がドイツ帝国宰相であった時期に、ソヴィエトとドイツとのあいだに不可侵条約が結ばれていた事実を完全に忘れている。
2月15日付のこの『フォアヴェルツ』は、同じページにおいて、最初の段で不可侵条約の理念を擁護し、四つめの段では、新たな賃金表の交渉中にエシンガー社の共産党系の工場委員会が労働者の利益を裏切ったとして、共産党を糾弾している。ここでは、はっきり「裏切った」という言葉を使っている。この論争(これは事実にもとづいた批判なのか、それとも中傷キャンペーンなのか)の動機はきわめて単純である。すなわち、エシンガー社の工場委員会選挙がこの時期に行なわれていたのである。われわれは、統一戦線の利益のために、『フォアヴェルツ』に対して、この種の攻撃をやめるよう要求することができるだろうか? そのためには、『フォアヴェルツ』がそれ自身であることを、すなわち社会民主党の新聞であることをやめなければならないだろう。もし『フォアヴェルツ』が、共産党について自らが書いていることを本当に信じているならば、その第1の義務は、共産党の誤り、罪悪、「裏切り」を労働者に対して暴露することである。それ以外のいかなることがなしえようか? 戦闘協定の必要性は、二つの党が存在しているという事実から生じているが、この事実を取り除きはしない。政治活動はその歩みを止めはしない。各党は、たとえ統一戦線の問題に対して最も寛容な態度をとるとしても、自分自身の将来について考えないわけにはいかないのである。
対立しあう者たちは、共通の危険を前にして隊列を接近させる
エシンガー社の工場委員会の共産党委員が、社会民主党の工場委員に向かって次のように宣言するところを想像してみよう。「『フォアヴェルツ』が、賃金表の問題に対する私の態度を裏切行為として特徴づけたのだから、私は君とともに、ファシストの弾丸から自分のこめかみと君の首を守ろうとは思わない」。こうした行動をどんなに甘く採点しても、この回答はまったく馬鹿げたものであるとしか言いようがないだろう。
良識ある共産主義者、真面目なボリシェヴィキは、社会民主主義者にこう言うだろう。「貴君は、『フォアヴェルツ』によって表明された見解に対する私の敵意を知っている。私は、この新聞が労働者のあいだで持っている危険な影響力を掘りくずすために、全力をつくしているし、今後もつくすだろう。しかし、私はそれを言葉によって、批判と説得によって行なっているし、今後も行なうつもりである。だがファシストは、『フォアヴェルツ』を力づくで取り除こうと望んでいる。私は、貴君とともに、君たちの新聞を力のかぎり防衛することを約束しよう。だが私は、最初の呼びかけに応じて貴君もまた、『ローテ・ファーネ』に対する見解がどうであろうとも、同紙の防衛に馳せ参じてくれることを期待している」。これは、非の打ちどころのない問題提起の仕方ではないだろうか? このような方法は、プロレタリアート全体の基本的利益に合致したものではないだろうか?
ボリシェヴィキは、社会民主主義者に向かって、彼らがボリシェヴィズムおよびその新聞に対して抱いている意見を変えることを要求しない。さらに、ボリシェヴィキは、共産主義に対して社会民主主義者が抱いている意見について協定の続いているあいだずっと沈黙を守るよう誓約することを要求したりしない。このような要求は絶対に実現不可能なものであろう。共産主義者はこう言う、「私が君を納得させられず、君が私を納得させられないかぎり、われわれは、各自が必要と判断する論拠および表現によって、まったく自由にお互いを批判しあうだろう。だが、ファシストがわれわれの口に猿ぐつわをはめようとするときには、われわれはいっしょになって反撃するだろう!」。良識ある社会民主党労働者が、この提案を拒否することができるだろうか?
共産党の新聞と社会民主党の新聞との論争は、どれほど辛辣なものであろうとも、これらの新聞の植字工がファシスト徒党の攻撃に対して、自分たちの印刷所の共同防衛を組織するために、戦闘協定を結ぶことを妨げはしない。ドイツ国会および州議会における社会民主党と共産党の国会議員、州議会議員、等々は、ナチスが仕込み杖や椅子に訴えるときには、お互いを物理的に防衛しなければならない。まだこれ以上例証が必要だろうか?
特殊な場合において真実であるものは、一般的にも真実である。すなわち、労働者階級の指導権をめぐって社会民主党と共産党が闘争を展開することは避けられないが、しかしこの闘争は、労働者階級全体に打撃が打ち下ろされる危険性があるときには、お互いの隊列を接近させることを妨げることはできないし、そうしてはならないのである。それは自明のことではないだろうか?
二つの分銅と二つの秤
『フォアヴェルツ』紙は、共産党が社会民主主義者(エーベルト(5)、シャイデマン(6)、ノスケ(7)、ヘルマン・ミュラー、グルツェジンスキー(8))に対してヒトラーへの道を切り開いたと非難していることに憤激している。『フォアヴェルツ』紙には憤激する正当な権利がある。だが同紙は一言多い。彼らは叫ぶ、こんな中傷屋たちとどうして統一戦線を結成することができるのか、と。さてこれはいったい何だろうか? 感傷主義か? 淑女ぶった神経過敏か? いや、それははっきり言って偽善の匂いがする。実際のところ、ドイツ社会民主党の指導者たちは、ヴィルヘルム・リープクネヒト(9)とアウグスト・ベーベル(10)が、社会民主党は限定された目的のためなら悪魔やその祖母と協定する用意があると繰り返し声明したことを忘れることができなかった。社会民主党の創設者たちは、その際、悪魔がその角を博物館にしまいこんだり、その祖母がルーテル
[ルター]教に改宗したりすることを、けっして求めはしなかった。では、1914年以来、カイザー[ヴィルヘルム2世]、ルーデンドルフ(11)、グレーナー(12)、ブリューニング(13)、ヒンデンブルク(14)と統一戦線を組んできた社会民主党の政治家たちのこの淑女ぶった神経過敏さは、いったいどこから生じているのか? この二つの分銅と二つの秤――すなわち、一つはブルジョア政党用の、もう一つは共産党用のそれ――は、いったいどこから来たのか?カトリック中央党の指導者は、唯一の救済者であるカトリック教会の教義を否定するいっさいの背教者を、永遠の苦悩を運命づけられた呪われたる人間であると信じている。だがこのことは、とくに処女受胎を信じているわけではないヒルファーディング(15)が、政府および議会において、カトリックとの統一戦線を実現することを妨げはしなかった。社会民主党は、中央党とともに「鉄の戦線」(16)を樹立した。だからといってカトリックは、教会内部で彼らの猛烈なプロパガンダや論争を一瞬たりともやめはしなかった。どうしてヒルファーディングは共産党に対してのみこのような要求を突きつけるのか? 相互批判――すなわち、労働者階級内部における諸潮流の闘争――の完全な停止か、さもなくばあらゆる統一行動の拒否か。「全か無か!」。社会民主党はブルジョア社会に対して、けっしてこのような最後通牒を発したことはなかった。社会民主党労働者のすべては、この「二つの分銅、二つの秤」についてとくと考えてみるべきである。
今日においてさえ、集会の場で誰かがかが、ウェルス(17)に向かって、共和国に最初の首相と最初の大統領を送った社会民主党がこの国をヒトラーに導いたのはどうしてなのかと質問するとしよう。ウェルスは間違いなく、その責任の大半はボリシェヴィズムにあると答えるだろう。『フォアヴェルツ』はこの説明をうんざりするほど繰り返さない日はないと言っても過言ではない。共産党と統一戦線を組むためには、『フォアヴェルツ』が労働者に対して、自分たちが真実であると考えることを述べる権利および義務を放棄しなければならないなどと、諸君は思っているのだろうか? 共産主義者は明らかにそのようなことを必要としていない。反ファシズム統一戦線は、プロレタリアートの闘争という書物の一章にすぎない。その前の諸章を消し去ることはできない。過去を忘れることはできない。われわれは過去に立脚しなければならない。われわれは、エーベルトとグレーナーの同盟やノスケの果たした役割について忘れはしない。われわれは、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトがいかなる状況のもとで死んだかを覚えている。われわれボリシェヴィキは、労働者に何ものも忘れるなかれと教えた。われわれは悪魔に向かって自分の尻尾を切れとは要求しない。それは彼に痛い思いをさせるだけで、われわれの利益にはまったくならない。われわれは悪魔を、自然が創り出したままのかたちで受けとる。われわれは、社会民主党指導者の懺悔やマルクス主義に対する忠誠を求めはしない。われわれが求めているのは、死の脅迫をつきつけている敵に対する社会民主党の闘争の意志である。われわれの側としては、われわれがしたいっさいの約束を、共同闘争において実行する用意がある。われわれは勇敢に闘い、その闘争を最後まで遂行することを約束する。戦闘協定にとって、それは十分すぎるほどのものである。
諸君の指導者は闘うことを欲していない
しかしながら、社会民主党指導者が、どのようにしてファシストと闘うのかというこの単純な質問に答える代わりに、あらゆる論争点、不可侵条約、共産党員の唾棄すべきやり口、等々について語るのはなぜかという問題が、依然として残されている。社会民主党の指導者たちが闘うことを欲しない理由は単純である。彼らは、ヒンデンブルクがヒトラーから救い出してくれることに希望を抱いていたのだ。今では彼らは何か他の奇跡を期待している。彼らは闘うことを欲していない。彼らはとっくの昔に闘う習慣を失っている。闘争は彼らを恐怖させるのだ。
シュタンプファーは、アイスレーベン(18)のファシスト・ギャング団の行為について次のように書いている。「権利および正義に対する信頼は、ドイツにおいてまだ死んでいない」(2月14日付『フォアヴェルツ』)。
抵抗なしにこの言葉を読むことはできない。闘争のための統一戦線を呼びかける代わりに、坊主の慰め。曰く「正義に対する信頼は死んでいない」。だが、ブルジョアジーにはブルジョアジーの正義があり、プロレタリアートにも彼ら自身の正義がある。武装した不正義はつねに、武装解除された正義を圧倒する。人類の歴史全体がその証明である。正義というこの武装解除された亡霊に訴える者は、労働者を欺くことである。ファシストの暴力に対してプロレタリアートの正義が勝利することを望む者は誰でも、闘争のためのアジテーションを行ない、プロレタリア統一戦線の機関を設立しなければならない。
社会民主党のどの機関紙誌を見ても、闘争のための本格的な準備していることを示唆するものはただの一行も見出すことはできない。このたった一つの単純なことがない。あるのは、一般的な美辞麗句、不確定な未来への先送り、漠然とした慰めだけである。「ナチスには行動を起こさせよう、そしてそれから…」。そしてナチスは行動を起こす。彼らは一歩一歩前進し、平穏に一つまた一つと陣地を占領する。これらの反動的な小ブルジョア的悪党は、危険な賭けを好まない。だが、彼らは危険を犯す必要などさらさらないのだ。彼らは前もって、敵が戦わずして退却すると確信している。そして彼らはその計算において誤ることはないのである。
もちろん、戦闘参加者が跳躍のための助走をするために後退しなければならないことはしばしばある。しかし、社会民主党の指導者は跳躍するつもりはない。彼らは跳躍することを欲していない。そして彼らのすべての論述は、この事実を隠蔽するために行なわれている。ほんのごく最近まで彼らは、ナチスが合法性の範囲にとどまるかぎり、戦闘の余地はないと宣言しつづけていた。今ではこの合法性がいかなるものであったかは明らかである。すなわちそれは、クーデターに対する一連の約束手形でしかなかった。そして、このクーデターはもっぱら、社会民主党指導者がクーデターの合法性に関する美辞麗句でもって労働者を眠らせ、以前の国会よりもいっそう無力な新しい国会に対する希望でもって彼らを慰めているかぎり、可能である。ファシストにとって、これは願ってもないことだ。
今日では、社会民主党は、不確定な未来における闘争について語ることをやめた。『フォアヴェルツ』は、すでに労働者組織および報道機関の破壊が開始されている問題に関して、「発達した資本主義国においては、生産の諸条件が労働者を工場に集結させる事実を忘れてはならない」ことを政府に「指摘する」。この言葉の意味するものは、社会民主党指導部が、プロレタリアートの三つの世代によってつくり出された政治的、経済的、文化的組織の破壊をあらかじめ容認するということである。「その場合でも」労働者は企業そのものによって工場に集結したままでいることだろう。問題がそれほど簡単に解決されるのなら、プロレタリア組織が何の役にたとう?
社会民主党および労働組合の指導者たちは、手を洗い清め、脇に退いて、待機する。もし、「企業によって集結させられた」労働者自身が、規律の拘束を打ち破り、闘争の口火を切るならば、指導者は明らかに1918年の時のように、調停者および仲裁人として介入し、労働者の背中に乗っかって、その失った地位を取り戻すことを余儀なくされるだろう。
指導者たちは、不可侵条約に関する空虚な美辞麗句によって、彼らの戦闘拒否および闘争に対する恐怖を、大衆の目から隠蔽しているのだ。社会民主党労働者の諸君、諸君の指導者は闘うことを欲していない!
それではわれわれの提案はマヌーバーか
ここで社会民主党員は再びわれわれを遮って言うだろう。「貴君は、ファシズムと闘争するわれわれの指導者の意志を信じていないのだから、統一戦線に関する貴君の提案は、明らかにマヌーバーではないのか?」。さらに彼は、労働者に必要なのは「マヌーバー」ではなく統一であるという趣旨の『フォアヴェルツ』に掲載された見解を繰り返すだろう。
この種の議論は、かなり説得力をもって聞こえる。実際には、それは空虚な美辞麗句である。そうだ、われわれ共産主義者は、社会民主党および労働組合の官僚が、全力をつくして闘争を回避し続けることを確信している。危機的な瞬間には、労働組合官僚のかなりの部分は公然とファシストの側へくら替えするだろう。他の一部はこっそり貯めこんだ金融資産を外国に移したあとに、時機を見はからって亡命することだろう。以上の行動はすでに開始されており、それが今後いっそう拡大することは避けられない。だがわれわれは、改良主義官僚の中で今や最も有力なこの部分を、社会民主党ないしは労働組合全体と混同したりはしない。社会民主党のプロレタリア的中核は確実に闘うだろうし、党機構のかなりの部分をもその背後に引ずっていくだろう。一方の変節漢、裏切り者、逃亡者と、他方の闘うことを欲する人々とのあいだの境界線は、いったいどこを通るだろうか? それは経験でしか知ることはできない。まさにそれゆえ、社会民主党官僚に対するどんなわずかな信頼も持つことなしに、共産党は、社会民主党全体に直接呼びかけるのである。こういうやり方によってのみ、われわれは、闘争を欲する者と脱走しようとする者とを区別することができるのである。もしわれわれがウェルス、ブライトシャイト(19)、ヒルファーディング、クリスピーン(20)、その他に対する評価を誤まっているというなら、彼らは自らの行動によってわれわれを反駁すればよい。われわれは公然と「われ罪を犯せり(mea culpa)」と告白するだろう。もし以上のことがわれわれの「マヌーバー」にすぎないとしたら、それは大義に役立つ正しく必要なマヌーバーなのである。
君たち社会民主主義者が自分の党にとどまっているのは、自党の綱領、自党の戦術、自党の指導部を信頼しているからである。われわれが考慮に入れているのはこの事実である。諸君は、われわれの批判を誤りであるとみなしている。それは諸君の特権である。諸君には、共産主義者の言うことを信ずる義務はまったくないし、真面目な共産主義者は誰ひとりとしてそんなことを要求しないだろう。しかし、共産主義者の側も、社会民主党の官僚たちにいかなる信も置かず、社会民主主義者を、マルクス主義者、革命家、真の社会主義者とはみなさない権利がある。さもなければ共産主義者は別個のインターナショナルと党を創立する必要などなかったろう。事実をあるがままに取り上げなければならない。統一戦線を雲の中にではなく、過去の発展全体によってつくり出された基礎の上に築かなければならない。もし諸君の指導部が労働者を反ファシズム闘争に導くだろうと本当に信じているならば、諸君はどうして共産党のマヌーバーを恐れる必要があるのか? 『フォアヴェルツ』が飽きもせず論じているマヌーバーとはいったい何なのか? 慎重に考えてみよう。それこそ、「マヌーバー」という空虚な言葉によって諸君をおびえさせ、それによって統一戦線から諸君を切り離そうとする、諸君の指導者たちのマヌーバーではないのか?
統一戦線の課題と方法
統一戦線はそれ自身の機関を持たなければならない。それがどのようなものになるかはあれこれ想像する必要はない。状況それ自体によってこの機関の性格が定められるだろう。多くの地方で、すでに労働者は、統一戦線組織の一つの形態を示唆した。それは、あらゆる地域的プロレタリア組織や機関にもとづいた一種の防衛連合である。このイニシアチブを理解し、深め、強固にし、拡大しなければならない。それによって、この防衛連合を産業中心地全体に押し及ぼし、それらを相互に結合させ、防衛のためのドイツ労働者大会を準備しなければならない。
失業者と就業労働者がますます相互に引き離されているという事実は、たとえファシスト十字軍によって利用されなかったとしても、団体協約にとってだけではなく、労働組合にとっても、致命的な危険性を内包している。社会民主主義者と共産主義者との統一戦線は、まず何よりも、就業労働者と失業者との統一戦線を意味している。これなしには、ドイツにおけるいかなる真剣な闘争もまったく考えることはできない。
RGO(赤色労働組合反対派)は、共産主義分派として、自由労働組合に加入しなければならない。ここに統一戦線が成功するための基本的条件の一つがある。共産主義者は、労働組合内部において、労働者民主主義の諸権利と、何よりも批判の完全な自由を享受しなければならない。その代わり共産主義者の側は、労働組合の規約とその規律を尊重しなげればならない。
ファシズムに対する防衛は孤立した問題ではない。ファシズムは、金融資本の手中に握られた棍棒にすぎない。プロレタリア民主主義を粉砕する目的は、労働力の搾取率を引き上げることである。ここに、プロレタリア統一戦線のための広大な舞台がある。すなわち、日々のパンのための闘争は拡大され先鋭化されて、現在の情勢のもとでは直接に、生産の労働者統制のための闘争にまでいたるのである。
工場、鉱山、その他の大産業部門は、労働者の労働によってのみその社会的機能を果たすことができる。労働者は、所有者が企業をどちらの方向に向かわせるのか、なぜ生産を縮小し労働者を放逐するのか、どうやって価格を定めるのか、等々ということを知る権利を持たずにいられるだろうか? 資本家はこう答えるだろう、「商業上の秘密」と。だが「商業上の秘密」とは何か? それは、労働者および人民全体に対する資本家の陰謀にほかならない。労働者は、生産者であり消費者であるという二重の資格において、自らの勤める企業のあらゆる活動を統制する権利を獲得しなければならない。そして、自分自身および人民全体の利益を擁護するために、事実および数字を手にして、不正とペテンの仮面を剥がさなければならない。生産の労働者統制のための闘争は、統一戦線のスローガンとなりうるし、またそうならなければならない。
組織に関していうと、社会民主党労働者と共産党労働者との協力に必要な形態は、容易に見出されるだろう。必要なのはただ、言葉から行動に移ることだけである。
社会民主党と共産党との非和解的性格
しかし、資本の攻勢に対する共同防衛が可能ならば、もっと進んで、あらゆる問題に関する二つの党の真のブロックを形成することはできないものだろうか? そのときには、両者間の論争はそれ自体、内部的で、平和的で、誠意あるものになるだろう。ザイデヴイッツ(21)型のある種の左翼社会民主主義者は、周知の通り、社会民主党と共産党との完全な統一を夢みるところまで至っている。しかし、これはすべて不毛な夢にすぎない! 共産党と社会民主党を相互に引き離しているのは、根本的な問題をめぐる対立である。両党の対立の本質を最も単純な言葉に置きかえるとすれば、次のようになる。社会民主党が、自らを資本主義の民主主義的医師とみなしているのに対し、われわれは、資本主義の革命的墓掘り人なのである。
両党の非和解的性格は、ドイツの最近の情勢展開をふまえるなら特別明瞭な形で立ち現われる。ライパルト(22)は、ブルジョア階級が、ヒトラーを政権に導きいれることによって、「国家への労働者統合」を破壊したことを嘆いており、しかも、そのことから生じる「危険」についてブルジョアジーに警戒するよう訴えている(1933年2月15日付『フォアヴェルツ』)。こうしてライパルトは、プロレタリア革命からブルジョア国家を保護することを望むことによって、ブルジョア国家の番犬に成り下がっている。こうしたときに、ライパルトとの同盟を夢想することなどできようか?
『フォアヴェルツ』は毎日のように、数十万の社会民主主義者が「より立派でより自由なドイツという理想のための」戦争で死んだことを自慢げに吹聴している…。ただ同紙は、なぜこのより立派なドイツがヒトラーとフーゲンベルク(23)のドイツになったのかということを説明し忘れている。実際には、ドイツ労働者は、他の交戦国の労働者と同じく、肉弾として、資本の奴隷として死んでいった。この事実を理想化することは、1914年8月4日の裏切りを継続することである。
『フォアヴェルツ』は、1848年から1871年にわたってドイツの民族統一のための闘争を支持したマルクス、エンゲルス、ヴィルヘルム・リープクネヒト、べーベルの言葉をあいかわらず引用している。偽りの引用だ! 当時間題になっていたのはブルジョア革命を完成させることであった。すべてのプロレタリア革命家は、封建制度の遺物である割拠主義や地方分離主義と闘わなければならなかった。すべてのプロレタリア革命家は、民族国家創設の名のもとに、この割拠主義および地方分離主義と闘わなければならなかった。現在では、この種の目的は、中国、インドシナ、インド、インドネシア、その他の後進的植民地・半植民地国においてのみ進歩的性格を持っている。ヨーロッパの先進諸国にとっては、民族的境界は、かつての封建的境界とまったく同じく反動の鉄鎖と化している。
「民族国家と民主主義は双生児である」と『フォアヴェルツ』は繰り返す。まったくその通りだ! しかしこの双生児は、年をとり、体も不自由になって、老衰に陥った。経済的全体としての民族国家、およびブルジョアジーの支配形態としての民主主義は、生産力および文化を縛る鎖に変貌した。もう一度ゲーテを思い起こそう。「生まれたものはすべて死ぬに値する」。
さらに数百万もの人命を、「回廊」(24)、アルザス=ロレーヌ、マルメディー(25)のために犠牲にすることもできる。紛争の元になっているこの小さな土地の上に死体を3層、5層、10層も積み重ねることもできる。すべてこれらのことを民族防衛の名で呼ぶこともできる。しかし、人類はそのせいで前進することができない。それどころか四つ這いとなって、野蛮に向かって後退していくだろう。活路は、ドイツの「民族解放」の中にはなく、民族的障壁からヨーロッパを解放することのうちにある。それは、封建領主がその時代に割拠主義に終止符を打ちえなかったと同様、ブルジョアジーが解決しえない課題である。したがって、ブルジョアジーとの連合は二重の罪になる。プロレタリア革命が必要なのである。ヨーロッパおよび全世界のプロレタリア共和国連邦が必要なのである。
社会愛国主義は、資本主義の侍医の綱領である。国際主義は、ブルジョア社会の墓掘り人の綱領である。この対立は克服しがたい。
民主主義と独裁
社会民主主義者は、民主主義的憲法が階級闘争に優先すると考えている。われわれにとっては、階級闘争が民主主義的憲法に優先する。戦後のドイツが経てきた経験は、戦争中に経てきた経験と同じく、跡を残さずに過ぎ去ることなどありえない。11月革命は社会民主党を政権に就けた。社会民主党は、大衆の強力な運動を、「権利」と「憲法」の道にしたがわせた。その後ドイツにおいて生じたすべての政治的変動は、ワイマール共和国にもとづいて、その枠内で展開した。
その結果は見てのとおりである。ブルジョア民主主義は、合法的に、平和的に、ファシスト独裁に転化しつつある。その秘密ははなはだ単純である。すなわち、ブルジョア民主主義もファシスト独裁も、同一の階級、すなわち搾取者階級の道具なのだ。憲法、ライプツィヒの最高裁判所、新しい選挙制度、等々に訴えることによって、この二つの道具の置きかえを妨げるのは、絶対に不可能である。必要なのは、プロレタリアートの革命的力を動員することである。憲法に対する物神崇拝は、ファシズムに対する絶好の助け舟となっている。今日それはもはや予測や理論的主張ではなく、生きた現実となっている。私は、社会民主党の労働者たる貴君に質問する。ワイマール民主主義がファシスト独裁への道を切り開いたというのに、どうしてワイマール民主主義が社会主義への道を切り開くなどと期待することができるのか?
――だが、われわれ社会民主党労働者は、民主主義的国会において多数派を獲得することができるのではないか?
――それはできない相談だ。資本主義は発展を停止し、腐敗しつつある。産業労働者の数はもはや増大しない。プロレタリアートの主要部分は、慢性的失業の中で荒廃しつつある。こうした社会的事実それ自体が、戦前のような、議会で労働者政党が安定した系統的な発展を遂げるという可能性を排除している。だがたとえ、あらゆる可能性に反して、労働者の議会代表が急速に成長することになったとしても、ブルジョアジーは平和的収奪を受け入れるだろうか? 政府機関が完全にブルジョアジーの手中にあるというのに! またブルジョアジーが時機を逸し、プロレタリアートが議席の51パーセントを獲得するのを許すと仮定したとしても、国防軍、警察、鉄兜団、ファシスト突撃隊は、今日これらの徒党が、意に沿わないあらゆる地方議会をやすやすと解散させているように、この国会を解散させはしないだろうか?
――ということは、国会も選挙制度も打倒せよ、というわけか?
――いや、私が言いたいのは、そういうことではない。われわれはマルクス主義者であって、アナーキストではない。われわれは、議会を利用することを支持している。議会は、社会変革の道具ではないが、労働者結集の手段ではある。しかしながら、階級闘争の発展につれて、国の支配者は誰なのか、金融資本なのか、プロレタリアートなのか、という問題を解決するべき時が到来する。民族国家と民主主義に関する一般的な言辞をもてあそぶことは、このような状況のもとでは、最も恥知らずな嘘になる。われわれの目の前で、ドイツの取るに足りない少数派が、いわば国家の半分を組織して武装させ、それでもって残りの半分を粉砕し絞め殺そうとしている。今日問題となっているのは、2次的な改革ではなく、ブルジョア社会の生死なのである。いまだかつてこのような問題が、投票によって決せられたことはなかった。今日、議会ないしライプツィヒ最高裁にすがる者は、労働者を欺き、事実上ファシズムを助けているのである。
他の道は存在しない
――この情勢のもとでは、何をなすべきだろうか、と私の話し相手たる社会民主党員は尋ねるだろう。
――プロレタリア革命だ。
――それから?
――プロレタリアートの独裁。
――ロシアのように? 窮乏と犠牲? 意見の自由の完全な抑圧? いや、私はごめんこうむる。
――まさにわれわれが単一の党を形成しえないのは、貴君が革命と独裁の道へ足を踏み出していないからである。だがそれにもかかわらず、貴君の抗議は、自覚的プロレタリアにふさわしくないということを言わせていただきたい。たしかに、ロシア労働者の窮乏は深刻である。しかしまず第1に、ロシアの労働者は、何のためこのような犠牲を払っているのかを知っている。たとえ彼らが敗北を喫することになったとしても、人類は、彼らの経験から多くのものを学びとるだろう。だがドイツ労働者階級は、帝国主義戦争の時期に、いったい何のために自らを犠牲にしたのか? あるいはまた失業の期間における犠牲はどうか? その犠牲は何をもたらし、何を生み出し、何を教えるのか? より良き未来への道を切り開く犠牲のみが人間にふさわしい。以上が、まずは貴君に聞いてもらいたい私の最初の反論である。だが、それはあくまでも最初の反論であって、唯一のものではない。
ロシア労働者の犠牲は深刻である。なぜならば、ロシアにおいては、特殊な歴史的要因のせいで、そこで生まれた最初のプロレタリア国家は、独力で窮乏から這い上がらざるをえなかったからである。ロシアがヨーロッパで最も後進的な国であったことを忘れないでほしい。ロシアのプロレタリアートは、住民のごく小さな一部分を構成しているにすぎなかった。この国においては、プロレタリアートの独裁は、必然的に最も苛酷な形態を帯びざるをえなかった。このことから次のような結果が生じた。すなわち、権力を握る官僚制の成長、そして、この官僚制の影響下に陥った政治指導部による一連の誤り。もしも1918年の末に、ドイツ社会民主党が、権力のすべてがその手中にあった時期に、敢然と社会主義の道へと突き進み、ソヴィエト・ロシアとの確固たる同盟を結んでいたならば、ヨーロッパの全歴史は違った方向をとり、人類は、ずっと短期間に、はるかに少ない犠牲で、社会主義に到達していただろう。そうならなかったのは、われわれの責任ではない。
しかり、ソヴィエト連邦における独裁は現在、極端に官僚的で歪んだ性格を帯びている。私自身、一度ならず新聞雑誌において、労働者国家の歪曲形態である現在のソヴィエト体制を批判してきた。何千何万という私の同志たちが、スターリン官僚制に反逆したかどで、監獄や流刑地を満たしている。しかしながら、現在のソヴィエト体制の否定的側面を批判するときでも、正しい歴史的展望を保持しなければならない。ロシア・プロレタリアートよりもはるかに数が多く文化水準の高いドイツ・プロレタリアートが、もし明日にでも権力を獲得するならば、それは、巨大な経済的・文化的展望を切り開くばかりではなく、ただちにソヴィエト連邦における官僚独裁を抜本的に弱めるだろう。
プロレタリアートの独裁が、赤色テロルの方法――われわれはそれをロシアで適用せざるをえなかった――と必然的に結びつくものであると考えてはならない。われわれは先駆者であった。罪にまみれたロシアの有産階級は、新制度が持続するとは信じていなかった。ヨーロッパおよびアメリカのブルジョアジーはロシアの反革命を支援した。このような状況のもとで持ちこたえるためには、恐ろしい力の緊張と、階級敵に対する仮借ない懲罰に頼るしかなかった。ドイツにおけるプロレタリアートの勝利は、まったく異なった性格を帯びるだろう。権力を失ったドイツ・ブルジョアジーは、もはやそれを奪い返す望みを持たないだろう。ソヴィエト・ドイツとソヴィエト・ロシアとの同盟は、両国の力を倍加させるどころか、10倍にもするだろう。ヨーロッパの残りすべてにおいて、ブルジョアジーの地位は非常に掘りくずされているので、彼らの軍隊をプロレタリア・ドイツに向けて進撃させことはできないだろう。たしかに、内乱は不可避である。そうなるに十分なほどファシズムが存在している。しかし国家権力で武装し背後にソ連邦を有するドイツ・プロレタリアートは、自らの側に小ブルジョアジーの主要部分を引き寄せることによって、たちまちのうちにファシズムを分解させるだろう。ドイツにおけるプロレタリアートの独裁は、ロシアにおけるプロレタリアートの独裁とは比較にならないほど穏健で文化的な形態をとるであろう。
――その場合、何ゆえ独裁なのか?
――搾取と寄生の根絶するため、搾取者の抵抗を粉砕するため、搾取の復活への彼らの未練を断ち切るため、すべての権力、すべての生産手段、すべての文化的手段を、プロレタリアートの手に集中するため、社会の社会主義的改造のために、あらゆる力、あらゆる手段を利用するのを可能にするためである。他の道は存在しない。
ドイツ・プロレタリアートが革命を行なうのは、
ロシアではなくドイツである
――しかしながら、わが国の共産主義者の中には、われわれ社会民主主義者に対して「待ってろよ、われわれが権力に到達したらすぐに、おまえらを銃殺してやるからな」と脅迫してくる者がしばしばいる。
――危機の瞬間には行方をくらますような一握りの愚か者、ほら吹き、自惚れ屋のみが、このような脅迫を加えることができる。まじめな革命家は、革命的暴力の不可避性とその創造的役割を認めながらも、同時に、社会の社会主義的改造における暴力の適用が非常にはっきりとした限界を有することを理解している。共産主義者は、社会民主党労働者との相互理解と和解を追求することによってのみ、自らの準備を整えることができる。ドイツ・プロレタリアートの圧倒的多数による革命的団結は、革命的独裁が行使する抑圧を最小限にとどめるだろう。ソヴィエト・ロシアがやむをえずとった手段を奴隷的に引き写すことが問題になっているのではない。そのようなことはマルクス主義者にふさわしくない。10月革命の経験を利用することは、盲目的にそれを真似ることを意味しない。各国の社会構造の相違と、何よりもプロレタリアートの比重およびその文化水準を考慮に入れなければならない。ライプツィヒ最高裁の同意のもとに、立憲的・平和的手段なるものによって、社会主義革命を遂行することできると信じることができるのは、どうしようもない俗物だけである。ドイツ・プロレタリアートは、革命を避けることはできない。だが、その革命においては、彼らはロシア語ではなく、ドイツ語を話すだろう。私は、彼らがわれわれよりもはるかに上手に話すだろうことを信じて疑わない。
何を防衛するのか
――大いにけっこう、だがわれわれ社会民主主義者は、いずれにせよ、民主主義によって権力に到達しようと思っている。君たち共産主義者は、これを馬鹿げたユートピアとみなしている。こうした場合、防衛のための統一戦線は可能だろうか? というのは、何を防衛すべきかを明確に理解しておかなければならないからだ。もし、われわれと諸君がそれぞれ別のものを防衛するとすれば、共同行動に達することはないだろう。君たち共産主義者は、ワイマール憲法の防衛に同意するのか?
――それは時宜をえた質問だし、腹蔵なく答えるよう努めよう。ワイマール憲法は、ある一定の諸制度、諸権利、諸法律のシステム全体を表現している。頂点から始めよう。共和国は一人の大統領を戴いている。われわれ共産主義者は、ファシズムからヒンデンブルクを擁護することに同意するだろうか? ヒンデンブルクが自らヒトラーを権力に就けた以上、私にはその必要は感じられない。次に来るのは、ヒトラーを首相に戴いている政府である。この政府はもはや、ファシズムから防衛されるにおよばない。3番目に来るのは議会である。本稿が発表されるころには、3月5日の選挙から生じる議会の性格はすでに定まっていることだろう。しかしながら、国会の構成が現政府に対して敵対的であることが明らかになり、ヒトラーが国会を抹殺しようと決意したならば、そして社会民主党が、国会のために闘う決意を見せたならば、共産主義者は、全力をあげて社会民主党を助けるだろう。このことは、今の時点ですでに確信をもって言えることである。
われわれ共産主義者は、君たち社会民主党労働者に対立して、あるいは諸君なしで、プロレタリアートの独裁を樹立することはできないし、またそうしようとも思わない。われわれは、諸君といっしょにこの独裁に到達することを望んでいる。そしてわれわれは、ファシズムに対する共同防衛をこの方向に向けた第一歩であるとみなしている。明らかに、われわれの見地からすれば、国会は、プロレタリアートが野蛮なファシストに対して防衛しなければならない主要な歴史的獲得物ではない。もっと貴重なものがある。ブルジョア民主主義の枠内において、またそれに対する不断の闘争と平行して、何十年もかけてプロレタリア民主主義の諸要素が形成された。すなわち、労働者政党、労働者新聞、労働組合、工場委員会、クラブ、協同組合、スポーツ協会、等々である。ファシズムの使命は、ブルジョア民主主義の破壊を仕上げることよりも、プロレタリア民主主義の最初の輪郭を粉砕することにある。それに対し、われわれの使命は、すでにつくり出されているプロレタリア民主主義のこうした諸要素を、労働者国家のソヴィエト体制の土台に据えることにある。この目的のために、ブルジョア民主主義の殻を破って、そこから労働者民主主義の核をとりだしてやらなければならない。ここにプロレタリア革命の本質がある。ファシズムは、労働者民主主義の生命線をおびやかしている。これこそが、統一戦線の綱領を明確に定めている。われわれには、諸君とわれわれの印刷所ばかりではなく、さらに言論・出版の自由の民主主義的原則を防衛する用意があるし、諸君とわれわれの会議所ばかりではなく、さらに集会・結社の自由に関する民主主義的原則をも防衛する用意がある。われわれは唯物論者であり、したがって魂を肉体から切り離さない。われわれが依然としてソヴィエト体制を樹立する力を持たないかぎりにおいて、われわれは、ブルジョア民主主義の圏内に身を置いている。しかし、それと同時にわれわれは、それに対するいかなる幻想も抱かない。
言論・出版の自由について
――それでは、諸君が首尾よく政権を掌握したら、社会民主党の新聞に対していかなる態度に出るのか? ロシアのボリシェヴィキがメンシェヴィキの新聞を禁止したように、われわれの新聞を禁止するのか?
――問題の立て方が誤っている。「われわれの」新聞とはいかなる意味か? ロシアにおけるプロレタリアートの独裁は、メンシェヴィキ労働者の圧倒的多数がボリシェヴィキの側に移行して初めて可能になった。そのときメンシェヴィズムの小ブルジョア的残党は、「民主主義」の復活、すなわち資本主義復活のためのブルジョアジーの闘争を助けようとしていた。しかしながら、ロシアにおいてさえも、われわれは、けっしてわれわれの旗の上にメンシェヴィキ新聞の禁止を記さなかった。革命的独裁を救い維持するために遂行しなければならなかった闘争の、信じがたいほど苛酷な条件のせいで、そうせざるをえなかったのである。ソヴィエト・ドイツにおいては、状況は、すでに述べたように、はるかに有利であり、報道・出版の体制は必然的にその影響を受けるだろう。ドイツ・プロレタリアートが、この分野において、弾圧に訴える必要があるとは思われない。
もちろん、私は、「(ブルジョア的)言論・出版の自由」の制度、すなわち、印刷工場、製紙工場、出版社、その他を所有する者のみが、すなわち、資本家のみが新聞・書籍を出版しうるような状況を、労働者国家がただの一日でも許容するだろうなどと言いたいのではない。ブルジョア的「言論・出版の自由」とは、虚偽のウイルスを最も完成された技術的形態で撤き散らすことを任務とする数百・数千の新聞によって、民衆に資本主義的偏見を押しつける金融資本のための独占を意味する。プロレタリア的な「言論・出版の自由」とは、労働者の利益のために印刷工場、製紙工場、出版社を国有化することを意味する。われわれは肉体から魂を切り難さない。ライノタイプ
[当時の植字機械]もなく、輸転機もなく、紙もない「言論・出版の自由」は、惨めな虚構である。プロレタリア国家においては、印刷の技術的手段は、市民の諸グループに、その真の数的比重に応じて供与されるだろう。どうやってか? 社会民主党は、その支持者の数に応じて印刷手段を獲得するだろう。私には、その時この数がそんなに高いとは思われない。もしそうだったら、プロレタリア独裁の体制そのものが不可能となろう。しかしながら、この問題の解決は未来に委ねよう。しかし、いずれにせよ、小切手帳の厚みに応じてではなく、特定の綱領、特定の潮流、特定の党派に対する支持者の数に応じて、出版の技術的手段を配分するという原則自体は、最も誠実で、最も民主的で、最も正当なプロレタリア的原則である。そうではないだろうか?――おそらく。
――それではわれわれに手を差し出すのか?
――もう少し考えたい。
――私はそれ以外のことを求めてはいない、親愛なる友よ。本稿におけるすべての考察の目的は、プロレタリア政冶のあらゆる重大問題について、もう一度貴君に考えてもらうことにあるのだ。
プリンキポ
1933年2月23日
『ドイツにおける反ファシズムの闘争』(パスファインダー社)所収
訳注
(1)1930年9月の論文「コミンテルンの転換とドイツの情勢」のこと。
(2)シュタンプファー、フリードリヒ(1874-1957)……ドイツ社会民主党の指導者。『フォアヴェルツ』の編集長。
(3)ピウスツキ、ヨゼフ(1867-1935)……ポーランドの国家主義政治家、独裁者。1918〜21年大統領、在任中の1920年、ソヴィエト・ロシアに対する干渉戦争を遂行。リガ条約でソヴィエト・ロシアの一部を割譲。1921年、憲法に反対して下野するも、1926年にクーデターを起こして首相に。その後、独裁政治を死ぬまで継続。
(4)ミュラー、ヘルマン(1876-1931)……ドイツ社会民主党の指導者で、1928年6月から1930年3月までドイツの首相。トロツキーがドイツへの亡命権を申請したとき、そのビザ発行を拒否した責任者。このミュラー政府は社会民主党を中心とする連合内閣であったが、景気の停滞と賠償支払いの圧迫の中で、左右からの追撃を受けて1930年3月27日に辞任。彼の後を継いで首相になったのが、中央党のブリューニング。
(5)エーベルト、フリードリヒ(1871-1925)……ドイツ社会民主党の右派。第1次大戦中は排外主義者。1919年にドイツの大統領。ドイツ革命を弾圧し、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの暗殺に関与。
(6)シャイデマン、フィリップ(1865-1939)……ドイツ社会民主党右派。1903年から国会議員。第1次世界大戦においては党内排外主義派の指導者。1919年に首相。ドイツ労働者の蜂起を鎮圧し、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトの暗殺に関与。
(7)ノスケ、グスタフ(1868-1946)……ドイツ社会民主党の右派指導者。1919年に国防大臣として、スパルタクス団を弾圧。カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルク暗殺の責任者。
(8)グルツェジンスキー、アルベルト(1879-1919)……ドイツ社会民主党の幹部で、ベルリンの警察署長。1932年のパーペンのクーデターに対して形ばかりの抵抗しかしなかった。
(9)リープクネヒト、ヴィルヘルム(1826-1900)……ドイツの革命家。マルクス、エンゲルスの友人で、ドイツ社会民主党の初期の指導者。
(10)ベーベル、アウグスト(1840-1913)……ドイツ社会民主党の創始者で第2インターナショナルの指導者。旋盤工から社会主義者になり、リープクネヒトとともにアイゼナハ派を指導し、1875年にラサール派と合同。カウツキーとともに中央派を代表。『婦人論』、『わが生涯』など。
(11)ルーデンドルフ、ヴィルヘルム(1865-1937)……ドイツの反動的将軍。第1次大戦にお いてヒンデンブルクのもと、東部戦線で多くの武功をあげ、ドイツの英雄に。1916年、ヒンデンブルクとともに軍部独裁を行なう。1918年の革命後、一時亡命するが、カップ・リュトヴィッツ一揆に参加。
(12)グレーナー、ヴィルヘルム(1867-1939)……ドイツの反動派将軍。1919年のスパルタクス弾圧に積極的に関与。1928年から1932年まで国防大臣。
(13)ブリューニング、ハインリヒ(1885-1970)……ドイツのカトリック中央党の指導者。1930年3月にヒンデンブルク大統領によってドイツの首相に任命。1930年7月から、解任される1932年5月までドイツを統治。ブリューニングは、憲法48条の大統領特権行使を条件に組閣を引き受け、議会の多数派を無視して、繰り返し大統領緊急令(特例法)を発布して政治を行なった。1932年5月末に辞任。
(14)ヒンデンブルク、パウル・フォン(1847-1934)……ドイツのユンカー出身の軍人。第1次世界大戦中は参謀総長として戦争を指導し、国民的人気を博す。1925年に大統領に。1932年4月に再選。1933年1月にヒトラーを首相に任命。
(15)ヒルファーディング、ルドルフ(1877-1941)……ドイツ社会民主党指導者、オーストリア・マルクス主義の代表的理論家。ヘルマン・ミュラー内閣の蔵相。1929年の世界恐慌の中で財政赤字が深刻になったとき、ヒルファーディングは蔵相として財政改革案を提案し、営業税の引き下げと消費税の増税という産業界の意向に沿った案を出したが、ドイツ工業全国連盟を中心とする産業界に満足を与えることができず、辞任を余儀なくされた。『金融資本論』など。
(16)「鉄の戦線」……1931年12月に社会民主党指導者が、労働団体や自由主義グループやカトリックともに結成した「ファシズムに対する抵抗のための鉄の戦線」のこと。
(17)ウェルス、オットー(1873-1939)……ドイツ社会民主党右派。第1次大戦中は排外主義者。ベルリンの軍事責任者としてドイツ革命を弾圧。1933年まで、ドイツ社会民主党国会議員団の指導者。共産党との反ファシズム統一戦線を拒否し、ファシズムに対する妥協政策をとりつづける。
(18)アイスレーベン……旧東ドイツの中西部の都市で、古い鉱山町。ナチスの突撃隊はとりわけアイスレーベンをはじめとする鉱山で攻撃を繰り返していた。
(19)ブライトシャイト、ルドルフ(1876-1945)……ドイツの革命家、独立社会民主党の創設者の一人。1918〜1919年、プロイセンの内務大臣。1920年からドイツ国会議員。1922年に社会民主党に再加盟。ヒトラーの権力掌握後にフランスに亡命。ヴィシー政府によって逮捕され、ゲシュタポに引き渡され、ブーヘンワルト収容所で死亡。
(20)クリスピーン、アルトゥール(1875-1946)……ドイツ独立社会民主党の指導者の一人。1920年、独立社会民主党のコミンテルン加盟に反対して、1922年に社会民主党に再入党。
(21)ザイデヴィッツ、マックス(1892-?)……ドイツ社会民主党の左派で、1931年10月に社会民主党から離脱し、社会主義労働者党(SAP)を創設。その後、SAPから離れ、1933年にスウェーデンに亡命。第2次大戦後、東ドイツの党および政府の中でいくつかの重要なポストに就いた。
(22)ライパルト、テオドール(1867-1947)……ドイツの労働組合指導者で、社会民主党主導の「自由労働組合」の組織者。後にドイツ労働総連合(ADGB)の議長。第2次世界大戦後、東ドイツでスターリニスト党と社会民主党の合体を主張。
(23)フーゲンベルク、アルフレート(1865-1951)……ドイツの大銀行家、大資本家、右派政治家。1909〜1918年、クルップ製鋼の重役。1916年以降、約150社に及ぶフーゲンベルク大コンツエルンを結成。1919年より国家人民党議員。ワイマール共和国に反対し、1928年に国家人民党の党首となり、ヒトラーと同盟を結んだ。1933年1月30日、最初のヒトラー政権の経済相になったが、1933年6月に解任。
(24)「回廊」……ポーランド回廊のこと。ポラメニア東部を通った細長い地域で、ポーランドのバルト海への出口となっている。もともと東プロシアの一部でドイツ領であったが、1919年にベルサイユ条約でポーランドに割譲された。
(25)マルメディ……ベルギー東部のリージュ州の町。1919年にベルサイユ条約でドイツから割譲された。
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