イタリア・エチオピア紛争
トロツキー/訳 西島栄
【解説】これは、1935年10月のイタリア・ファシスト政権によるエチオピア侵略を目前にして、トロツキーがこの問題にもっと深い注意を向けるよう訴えた国際書記局宛ての手紙の一部である。(右の写真は、当時のエチオピア皇帝、ハイレ・セラシエ1世)
この手紙の中でトロツキーは、「もちろん、われわれはイタリアの敗北とエチオピアの勝利に賛成であ」ると述べるとともに、問題は反ファシズムではなく、反帝国主義であるとし、アフリカを侵略した敗北したイタリアの過去の政治家(フランチェスコ・クリスピ)の例を出して、侵略国側の敗北は、その国自身の発展にとってもプラスになることを指摘している。
なお、この手紙は本邦初訳。
L.Trotsky, The Italo-Ethiopian Conflict, Writings of Leon Trotsky(1935-36), Second Edition, Pathfinder, 1977.
国際書記局へ
われわれの同志たち、とりわけフランスの支部はイタリア・エチオピア紛争にあまりにも少ない注意しか向けていない。この問題はきわめて重要であり、第一にそれ自身のもつ重要性ゆえにそうであるし、第二にコミンテルンの転換の観点からしてそうである。もちろん、われわれはイタリアの敗北とエチオピアの勝利に賛成であり、したがって、われわれは、他の帝国主義諸国がイタリア帝国主義を支援するのを、あらゆる使用可能な手段によって妨げるためにあらゆることをしなければならない。それと同時に、エチオピアへの武器輸送を容易にするためにできるだけのことをしなければならない。
しかしながら、ここで強調しておきたいのは、この闘争はファシズムに矛先を向けたものではなく、帝国主義に矛先を向けたものだ、ということである。戦争に関して言えば、われわれにとって問題になるのは、ネグス(1)とムッソリーニのどちらが「よい」かではない。むしろ、問題なのは、階級的諸関係であり、帝国主義に反対する後進国の独立のための闘争である。クリスピ(2)
[左の写真]の敗北がイタリアの今後の発展に肯定的な影響を与えたことを示す短い歴史的論評をイタリアの同志たちが書いてくれることを望む。1935年7月17日
『トロツキー著作集 1935-36』(パスファインダー社)所収
新規、本邦初訳
訳注
(1)ネグス……エチオピアの皇帝を意味する言葉。当時のネグスは、ハイレ・セラシエ1世(1892-1975)。在位1930〜1974。ただし、イタリアがエチオピアを占領していた1936〜41年はイギリスに亡命。皇帝として独裁政治を強いていたが、1974年に反皇帝のクーデターが勃発し、監禁。1975年に共和制が実施。
(2)クリスピ、フランチェスコ(1819-1901)……イタリアの共和主義政治家。ガリバルディのイタリア統一運動に協力。国家統一が実現されると、君主主義者に転向し、1887〜79年、内相、1887〜91年、首相。ドイツと接近して、帝国主義膨張政策をとり、アフリカに繰り返し侵略。1893〜96年に第2次内閣を組閣し、アフリカ侵略を続行。1896年、アドゥワの敗戦で失脚。
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