スペインの青年に顔を向けよ
トロツキー/訳 西島栄
【解説】この手紙は、POUMのメンバーから送られてきた手紙に対する回答である。
この手紙の中でトロツキーはあいかわらずPOUMに対する断定的で致命的な評価を与えている。トロツキーはPOUMを「大衆組織ではなく、マウリン、ニンなどの周囲に集まった小セクトでしかない」としているが、このPOUMはこの手紙が書かれた数ヵ月後には、数万の隊列を誇る大衆組織に成長する。トロツキーのここでのPOUM評価が、ニンやアンドゥラデに対する個人的憎悪から生じたまったくの過小評価であったことは明らかである。他方で、トロツキーに忠実であったスペインの「ボリシェヴィキ・レーニン主義者」は、スペイン革命の嵐の中でもけっして数十名を越えることのない小セクトであり続け、スペイン革命の成り行きにいかなる影響も及ぼさなかった。
どんなすぐれた指導者であれ、外国からの助言と指令によって革命党を建設することはできないことをこの事実は物語っている。また逆に、どんな革命党も試行錯誤しながら自分自身で路線を決定し、自らの誤りを通じてはじめて学び成長するのである。この成長段階を飛び越すことはできない。外部からの助言はこの成長段階を多少なりとも短縮することはできても、なくすことはできない。POUMは多くの誤りを犯したが、それはその成長過程における必要な誤りだったのである。
本稿は本邦初訳。
L.Trotsky, Orient to the Spanish Youth, Writings of Leon Trotsky: Supplement (1934-40), Pathfinder, 1973.
親愛なる同志のみなさん
友好的な手紙をありがとう。あなた方の心情の誠実さを疑うどんなわずかな理由もありません。しかしながら、政治は個人的な感情によって影響されるものではありません。それは正しい原則と勇気と不屈さを必要とするのです。残念ながら、これら三つの要素は、POUMの指導部は言うまでもなく左派共産党
[スペインの左翼反対派組織]の指導部にも欠けていたし、今もそうです。スペインの情勢は途方もなく革命的マルクス主義グループに有利です。適切な政策をもってすれば、このようなグループは、この5年間でスペイン革命の指導勢力になっていたでしょう。不幸なことに、アンドレウ・ニン、アンドゥラデ(1)、その他は、この情勢を台無しにするためにできることは何でもしました。彼らは原則を軽々しく扱い、革命家の義務に関するあらゆる真剣な討論を回避し、常に最小抵抗線を追求してきました。そして彼らは、ボリシェヴィキ・レーニン主義者の国際政策に損害を与えているあらゆる異論派との連帯を表明してきました。
彼らは、第4インターナショナルに反対し、マウリン(2)と呼ばれる無原則な小ブルジョアと同盟しました。アンドレウ・ニンとアンドゥラデは、自分たちの旗を裏切った者として歴史的に記憶されるでしょう。
あなた方に関して言えば、親愛なる同志諸君、けっしてPOUMをマルクス主義の側に獲得することはできないでしょう。なぜならそれは大衆組織ではなく、マウリン、ニンなどの周囲に集まった小セクトでしかないからです。この5年間の経験は、その方面においてはこれ以上なすべきことは何もないことを証明しました。あなた方は青年の方に、大衆組織の方に顔を向けなければなりません。1年前、あなた方は社会党の青年を獲得する絶好の機会を得ました。ところが、ニンとマウリンの側における受動性と保守主義の政策があなた方をさえぎりました。この仕事は、スターリニストの成功にもかかわらず、開始されなければなりません。必要なのは、マウリンやニンその他の連中に背を向けて、青年層に浸透することです。さもなくば、あなた方のあらゆる麗しい計画は、空虚な空文句のままでしょう。私はまったく歯に衣着せず語っています。なぜならあなた方には無駄にできる時間などまったくないからです。
スペインのある同志に宛てた手紙(3)をあなた方に送ります。それはドイツ語で書かれています。それをスペイン語に訳して、私の考えに関心を持つ可能性のあるすべての同志たちに回覧してください。
P・S 先ほど1936年4月10日付の『ラ・バターリャ(闘争)』
[POUMの機関紙]を受け取りました。そこには、ブルジョア雑誌『エリ・リベラル』から拝借してきた定式が見出しに記載されています。「人民戦線はスペインにおける唯一の保守的保証である」。これはまったくの真実です。しかし、ならばなぜPOUMは、この保守的保証を構築するのを助けたのでしょうか? ニンとアンドゥラデはいったいそれを何だと認識していたのでしょうか? ところが、ボリシェヴィキ・レーニン主義者の国際文献はとっくに人民戦線の裏切りのメカニズムを分析していたし、それを知らしめていました。しかし、あなた方の指導者は、他のあらゆる問題の場合と同じく、最小抵抗線を選択し、革命に最大級の損害を与えたのです。
1936年4月14日
『トロツキー著作集:補遺 1934-40』(パスファインダー社)所収
新規、本邦初訳
訳注
(1)アンドゥラデ、フアン(1897-1981)……スペインの共産主義者。社会主義青年同盟の指導者から共産党へ。1921年にスペイン共産党の中央委員。1930年に左翼反対派に。1935年に左翼反対派と分裂し、ニンとともにPOUM結成に参加し、同党の指導者に。
(2)マウリン、ホアキン(1897-1973)……スペインの労働運動活動家、CNT指導者、共産主義者。ブハーリンの右翼反対派を支持して1929年にスペイン共産党から追放。「カタロニア労農ブロック」を組織。1935年、アンドレウ・ニンと協力して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年に内戦が勃発したとき、POUMの国会議員であったマウリンはフランコの軍隊に逮捕され、投獄された。1947年、釈放されると、アメリカに亡命していっさいの政治活動をやめてしまった。
(3)スペインのある同志に宛てた手紙……トロツキー「
スペインにおける第4インターナショナルの任務」(1936年4月12日)のこと。
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