国際書記局への手紙

スペイン内乱と第4インターナショナルの任務

トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは、スペインでフランコの内乱が勃発し、スペイン情勢が急転換したことを受けて、改めてスペインにおける第4インターナショナルの任務とPOUMの誤りを明らかにした手紙である。この手紙はもともと発表を予定しない完全に内部向けのものであったにもかかわらず、1936年8月にフランスの主流派トロツキストの機関紙『労働者の闘争』に掲載されてしまった。これによって、トロツキーおよび国際書記局とスペインのPOUM指導者との関係はなおさら悪化することになった。

 本稿はすでに『ニューズ・レター』第17号に掲載済みであるが、今回アップするにあたって、訳注を補っておいた。

L.Trotsky, Letter to the International Secretariat, The Spanish Revolution (1931-39), Pathfinder Press, 1973.


 親愛なる同志諸君。

 スペインにおける諸事件は、それがいかなる結果になろうとも(そして、私はそれが好ましい結果になることを望んでいるが)、フランスをはじめ、あらゆる国で、第4インターナショナルの発展にとって歴史的な重要性を持つことになるだろう。

 人民戦線の問題は今やすべての労働者の前に完全な明瞭さをもって提示されている。多くのフランス社会党員はこう自問している(たとえば、哀れなモーリス・パズ(1)による『ル・ポピュレール』[フランス社会党の機関紙]の論文)。「2月以降権力を握っているスペイン人民戦線の指導者たちはどうして軍隊に対処するための必要な措置をとらなかったのだろう? 何という大失策だ! 云々」。これらの人々が理解していないのは、「大失策」の問題がまったくもって階級的利害の問題に他ならないということである。ブルジョア左翼が労働者階級と同盟を結ぶことを余儀なくされたとき、ブルジョアジーは労働者階級への対抗物として将校団をかつてなく必要とする。なぜなら、この時、最も重要な問題、すなわち私有財産の保護の問題が提起されるからである。

 これはけっして失策ではない! スペインの人民戦線政府は政府ではなく、単なる内閣にすぎない。真の政府は軍部や銀行、等々にある。フランス急進党[フランスの小ブルジョア政党]は、将校団に手をつけないという条件で労働者階級と同盟を形成することを認められた。しかし、労働者が自分たちの要求を押しつけ続けるなら、国家機構全体は最終的に労働者に襲いかかるだろう。SAP派[ドイツ社会主義労働者党]は人民戦線を、プロレタリアートの戦術を豊かにするものだとみなしている。彼らが人民戦線の階級的性格を見ることができないのは、彼らが役立たずの連中だからである。急進党は人民戦線の右翼でしかない。実際、急進党はフランスでは支配階級を代表している。そして、急進党を通じてフランスの金融資本は、人民戦線の内部においても、プロレタリアートに対しても、その支配を維持しているのである

ダラディエ

 フランスにおいて、問題はスペインよりも明確かつ先鋭に提起されている。ダラディエ(2)は軍隊を自己の庇護のもとにおいている。ファシスト的な大言壮語をする半ダースの将校を解任することなど問題ではない。将校団の全体が心の底から労働者階級に敵意を抱いていることである。もし彼らを解任しようとすれば、「軍隊を解体しようとしている」と言われるだろう。だがヒトラーは門口まで迫っている! ブルジョアジーは――そして急進派ブルジョアジーも含めて――何ぴとにもその将校団に手をつけることを許さない。「共産党員」も誰かがそれに手をつけることを欲しない。なぜなら、その将校団でもってソヴィエト連邦を「防衛」しなければならないからだ。そして、明日にはこの同じ将校団が人民戦線を――すなわち何よりも労働者階級を――攻撃するだろう。そして軍事独裁を樹立し、ソ連に対抗してヒトラーと同盟を結ぶだろう。破局には事欠かない現代のような時代においては、情勢の転換があるたびごとに、日和見主義政策の犯罪的な結果が10倍もの激しさで明らかとなる。

 われわれはまた、今年の始めにPOUM指導者のマウリン(3)とニン(4)によって犯された犯罪行為をより明確に理解しなければならない。思考力のあるすべての労働者はこれらの人々に対して次のように尋ねることができるし、尋ねるだろう。「君たちはどうして何も予測しなかったのか? どうして君たちは、急進派ブルジョアジーに対する最大限の不信をわれわれに教えこむ代わりに、人民戦線の綱領に署名し、われわれの信任をアサーニャ(5)とその同僚たちに与えてしまったのか? 今やわれわれは君たちの誤りの代償を血であがなっている」。労働者は特別の怒りをニンとその友人たちに向けなければならない。なぜなら、数年前に人民戦線政策の正確な分析を与え、その各段階を具体化し明確化した潮流に、彼らは属していたからである。そして彼は知らなかったなどという言い訳――あらゆる指導者にとって恥ずべき言い訳――に頼ることはできない。なぜなら、彼がかつて署名した文書を少なくとも読んでいないわけがないからである。

 スペインの事態は、スペインとフランスの、そしてあらゆる地域の第4インターナショナルに新しい偉大な可能性を開くだろう――まさに中間主義的諸潮流の犠牲において。ロンドン・ビューロー(6)が、このような状況のもとで、11月の「平和大会」に自分たちのメンバーでさえ召集することができるかどうか、まったく疑わしい。いずれにせよ、われわれは、日の目を見ることがないかもしれないこのような大会に出席を約束したり、その大会に何らかの権威を与えることに、いささかも関心はない。われわれがなすべきことは、偉大な大衆に顔を向け、大衆組織への道を切り開くことである。何としてでも、いかなる手段をとってでも、そして、保守的な頑固さに影響されたり麻痺させられたりすることを許すことなく、である。しかし、これらの大衆を前にして、われわれはその独立性を保持し、うぬぼれ屋の中間主義者とのいかなる妥協も、彼らとわれわれとの間の境界を消し去ることも、すなわち一言で言えば、いかなる犯罪的な協調をも避けなければならない。

心からのあいさつを込めて

1936年7月27日

『スペイン革命(1931-1939)』所収

『ニューズ・レター』第17号より

  訳注

(1)パズ、モーリス(1896-1985)……フランスの弁護士で、初期の左翼反対派のメンバー。1927から29年まで発行されていた『流れに抗して』誌にかかわる。1929年に、トルコ滞在中のトロツキーを訪れたが、その年に反対派の展望を非現実的とみなして、反対派から離れる。フランス社会党に入党して、その指導者となり、ポール・フォール派に属した。

(2)ダラディエ、エデュアール(1884-1970)……フランスのブルジョア政治家、急進社会党の指導者。1924年以降、植民地大臣、公共事業大臣、陸軍大臣などを歴任。1933年、首相。34年に第2次内閣を組閣。2月日の右翼の暴動で崩壊。1936〜37年、ブルムの人民戦線政府の陸軍大臣(国防相)。1938年、首相。ナチス・ドイツの圧力に屈してミュンヘン協定に調印し、対独宥和政策を実施。労働運動を弾圧し、人民戦線政府の崩壊を導く。1940年、陸軍大臣、外務大臣。同年、ヴィシー政府により逮捕。1943〜45年、ドイツに抑留。1957年、急進社会党党首。

(3)マウリン、ホアキン(1897-1973)……スペインの労働運動活動家、CNT指導者、共産主義者。ブハーリンの右翼反対派を支持して1929年にスペイン共産党から追放。カタロニア労農ブロックを組織。1935年、アンドレウ・ニンと協力して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年に内戦が勃発したとき、POUMの国会議員であったマウリンはフランコの軍隊に逮捕され、投獄された。1947年、釈放されると、アメリカに亡命していっさいの政治活動をやめてしまった。

(4)ニン、アンドレウ(アンドレス)(1892-1937)……スペイン共産党の創始者、スペイン左翼反対派の指導者。最初はサンディカリストで、10月革命の衝撃で共産主義者に。左翼反対派の闘争に参加し、1927年に除名。スペインの左派共産党(国際左翼反対派のスペイン支部)を結成。その後トロツキーと対立し、1935年にホアキン・マウリンらを指導者とするカタロニア労農ブロックと合同して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。1936年の人民戦線に参加。カタロニアの自治政府の司法大臣に。スターリニストの策謀で閣僚を解任され、1937年、スターリニストの武装部隊に誘拐され、拷問の挙句、虐殺される。

(5)アサーニャ・イ・ディアス、マヌエル(1880-1940)……スペインのブルジョア政治家、弁護士。1931年6月のスペイン共和国政府の首相。1933年に右翼の圧力で辞任。1936年2月の人民戦線の勝利で再び首相に。1936年6月〜1939年3月大統領。1939年に人民戦線政府の崩壊で亡命。

(6)ロンドン・ビューロー……正式名称は「革命的社会主義政党のロンドン・ビューロー」。旧国際労働協会(IAG)で、第2インターナショナルと第3インターナショナルに属さないが、第4インターナショナルの結成に反対している中間主義左翼政党の連合体。ドイツの社会主義労働者党(SAP)、イギリスの独立労働党(ILP)、スペインのPOUM、フランスの社会主義労働者農民党(PSOP)が参加。

 

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