反戦反ファシズム大会

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、メキシコ共産党などスターリニストによって組織された反戦反ファシズム大会の本質について明らかにした論文である。この大会はメキシコ市で1938年9月12日に開催された。スターリニストは、この大会の場をファシズムに対抗して民主主義的帝国主義諸国をすべてのラテンアメリカ諸国の労働運動家や革命家に支持させようとしたが、プエルトリコとペルーの代議員は、同盟諸国も来る戦争に責任を負っていると主張した。

 なお、この大会における非ないし反スターリニスト代議員に宛ててトロツキーが書いたテーゼが「ファシズムと植民地世界」である。

 本稿は本邦初訳。

L.Trotsky, The Congress Against War and Fascism, Writings of Leon Trotsky(1937-38), Second Edition, Pathfinder, 1976.


 反戦反ファシズム大会の意義を明確に理解するためには、以下のような状況を踏まえる必要がある。

 1、この大会が、スターリンの命令にもとづいて、彼の外交的目的のためにゲ・ペ・ウによって組織されていること。大会に参加している連中は次の六つのグループに分かれる。(1)クレムリンの秘密エージェント。ゲ・ペ・ウの最も重要なエージェントもそこに含まれる。(2)さまざまなコミンテルン系の下部団体(青年組織など)のメンバー、(3)モスクワから直接間接に補助金を受け取っている自由主義派・急進派の知識人、労働組合官僚、など、(4)「民主主義」政府のエージェント、(5)ファシスト政府の秘密エージェント、(6)ありとあらゆる種類の素人政治家、平和主義的ご婦人、有名人になりたがっている連中など。

 第1グループが言うまでもなく決定的な役割を果たしている。第2のグループは、軍事的規律にのっとって第1グループに従属している。第3のグループはあらゆる問題状況に意識的に目を閉じている。第4グループと第5グループはスパイ偵察を目的としている。第6グループは何も理解しておらず、残りのすべてのグループのための煙幕として奉仕するために名前を連ねている。

 2、これらの「平和主義者」の大多数は帝国主義諸国からきた愛国主義的政治家たちである。これらの紳士諸君が「民主主義」や「文化」について語るとき、念頭においているのはもっぱら自分たちの帝国主義的民主主義であり、自分たちの帝国主義的文化である。したがってたとえば、ジュオー(1)氏(レーニンは機関紙の中で彼のことを裏切り者以外の何ものでもないと呼んだ)は、フランスの6000万人の植民地奴隷が次の戦争で奴隷所有者の「民主主義」のために死ぬべきであるのは自明であると信じている。イギリスの「平和主義者たち」は、北アメリカの平和主義者と同様、自分たちの帝国主義的祖国の利益になるかぎりで、その範囲でのみ平和を擁護する。しかも、彼らはみな、内心では、植民地および半植民地の人民を、自分たちの民主主義と自分たちの文化の肥料になることを運命づけられた歴史的道具であるとみなしている。

 3、もちろん、すべての国の労働者と農民は、誠実かつ真摯に平和を欲している。しかし、帝国主義政府に対する革命闘争を遂行する場合のみ平和を達成することができる。ジュオーやその類の連中が「人民戦線」を組織したのは、すなわちプロレタリアートを帝国主義政府の「左」翼に従属させたのは、まさにこの反帝国主義闘争を麻痺させるためであった。これは、帝国主義者どもが平和主義的大会を隠れ蓑として用い、後進国および弱小国の人民が最初に犠牲となる新しい戦争を準備する機会を与えている。

 4、特権的な帝国主義諸国(アメリカ、イギリス、フランス)は、自分たちが民主主義に対する独占権を有していると信じており、より弱体で後進的な諸国で民主主義を強化したり推進したりするつもりはさらさらない。スペインでは、イギリスは、スペイン民主主義よりもフランコ将軍の方を選んだ。なぜならフランコは、必然的にロンドンの銀行家に金融的に依存せざるをえず、したがってロンドンの銀行家たちにとって搾取のためのより有利で安定した条件が保障されるからである。ワシントン政府は、ラテンアメリカの独裁政権ときわめて仲むつまじくやっており、これらの政権をいずれも自分たちの従順な手先にしている。したがって、「民主主義」一般について語ることは的外れなのである。帝国主義的「民主主義」は、後進的で弱小の植民地諸国および半植民地諸国における民主主義に全面的に対立している。

 5、平時、帝国主義的「平和主義者」は、寛大な美辞麗句を惜しみなく用いる。しかし、国際紛争の際には、彼らは自国政府の立場に立ち、広範な大衆にこう語る。「「われわれは平和を守るためにできることはすべてやったが、メキシコ(およびその他の反対国)の強情さはわれわれの努力を失敗に帰させるものだ」。国際紛争の発生や戦争の勃発のさいには、彼らはみな自国の民族帝国主義の公然たる擁護者となる。

 6、ソ連人民に対する抑圧にもとづいたスターリンの対外政策は、全体として民主主義的帝国主義諸国の対外政策と一致している、あるいは一致させようとしている。スターリンは、フランス、イギリス、アメリカの現政府との和解を求めている。この目的に向けて、スターリンはコミンテルンの当該国支部を社会帝国主義政党に転化させた。スターリンは、最強諸国の支配階級に対して、自分が帝国主義的利害にとっての脅威ではないということを証明したがっている。スターリンがこのような政策を遂行できるのは、世界の労働者階級とすべての植民地・半植民地諸国人民の利益を犠牲にすることによってである。ありきたりの美辞麗句や古い革命的スローガンの遺物によってごまかすことは許されない。スターリンは、植民地・半植民地諸国の「革命的」「民族的」政策を支持しているが、それは関係する帝国主義諸国に脅しをかける範囲内でしかなく、これらの帝国主義諸国にスターリンと友好関係を結ぶことの価値を示すためである。

 最もはっきりとした事例はいわゆる「新世界」に見ることができる。アメリカ合衆国メキシコとの関係がそうである。スターリンの真の狙いは、ホワイトハウスの信頼と友好関係を勝ちとることである。このゲームにおいて、メキシコはスターリンの駒の一つにすぎない。スターリンが示したがっているのは、自分が――その気になれば――メキシコおよびラテンアメリカ全体におけるアメリカにとっての大きな脅威になりうるということである。しかし、彼にそうすることができるのは、後でメキシコとラテンアメリカの利益を北アメリカ帝国主義にしかるべき条件で売り渡す場合のみである。

 7、ファシズムに対する闘争も事態はましなものではない。今ではもはやこの問題を理論的レベルで論じる必要はない。スペインの生きた事例を指摘すれば十分である。スターリンと帝国主義的「民主主義者」とのブロックほどフランコを助けたものはない。スターリンは、英仏ブルジョアジーに対し、自分が保守的勢力として信頼するに値することを示すために――スペインのトレダーノ(2)やラボルデ(3)たちの助けを借りて、そしてゲ・ペ・ウの機構を使って――スペインの農地革命と労働者の社会主義運動を圧殺した。まさにこのおかげで、そしてもっぱらそのおかげで、フランコは勝利を収めることができたのである。

 8、スペインの経験は単なるリハーサルである。まったく同じ危険性が他の国を脅かしている。メキシコの利益と二つの最強の帝国主義的「民主主義」国の利益との対立は、石油と土地の問題においてはっきりと暴露された。今回のケース[メキシコが石油産業を接収したこと]では、メキシコは、すべての後進的な被抑圧・被搾取人民の代表者として行動している。帝国主義的民主主義者たちは、機会があれば、とりわけお膳立ての整った大会などでは、「よき隣人」政策や平和や諸国民の友好について気前よく語る。だがこれは、諸利益が相互に衝突する場合には、彼らが結局は自国の帝国主義政府の立場に立つことを妨げはしない。スターリンに関して言えば、彼は、帝国主義的「民主主義」との友好関係のために、あらゆる植民地・半植民地諸国を裏切ることを一瞬たりとも躊躇しない。

 9、メキシコの反戦反ファシズム大会は、モスクワによって構想され命令され組織されたものである。日本とのきわめて緊迫した関係から見て、スターリンは、まさに今こそ、アメリカ合衆国の国境線近くで自分の潜在力を見せたがっている。それはあたかも、拳銃をもてあそびながら、その銃口をアメリカに向けることができることを示唆しつつ、いつでも安全装置をかけることができること、あるいは、北アメリカやイギリスの軍司令部と完全に一致して正反対の方向に銃を撃つことができることを理解させようとしているかのようである。これが問題の本質である。その他のいっさいは単なる言葉であり、レトリックな美辞麗句であり、空虚なゼスチャーである。

1938年8月

『トロツキー著作集 1937-38』(パスファインダー社)所収

新規、本邦初訳

   訳注

(1)ジュオー、レオン(Jouhaux, Leon)(1879-1954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。第1次世界大戦においては自国の戦争努力を支持し、社会愛国派に。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の一人。

(2)ロンバルド=トレダーノ、ビセンテ(Rombardo Toledano, Vicent)(1893-1968)……メキシコのスターリニスト幹部で労働組合運動指導者。トロツキーがメキシコに亡命してから、メキシコ共産党の反トロツキー・カンパニアにおいて中心的役割を果たした。

(3)ラボルデ、ヘルナン(Raborde, Hernan)……当時のメキシコ共産党書記長。1940年代初頭、トロツキー暗殺の準備のためにメキシコ共産党が再編されたときに粛清された。

 

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