ボリビアにおける農業問題
トロツキー/訳 湯川順夫
【解説】これは、駐メキシコの前ボリビア全権大使のアルフレド・サンヒネスがコヨアカンに立ち寄ったときに、トロツキーに対して行なったインタビューである。この中でトロツキーは、ボリビアにおける農民の土地問題についてきわめて興味深い観点を述べている。トロツキーは一方で、大土地所有者の土地を没収してそれを集団農場として利用する必要性について述べつつ、他方で、農民自身が自分とその家族のための小さな土地を保有することを積極的に承認している。
L.Trotsky, The Agrarian Question in Bolivia, Writings of Leon Trotsky(1936-37), Pathfinder Press.
トロツキーの私に対する敬意は、私の外交上の地位のせいではなかった――トロツキーは、自分としてその種の関係を深めることはない、と私に語った――が、実は、彼は数日前、メキシコの『エル・ナショナル』で私の著作『ボリビアにおける農地改革』の書評を読んで、南米諸国の伝統的な保守主義の中で、南米の人間がこうした問題に興味を抱いていることに驚いたのであった。彼は私の名刺を受け取ったとき、私と知り合いになりたいと考えたのである…。
このインタビューで特に私が興味をもっていたのは、「赤い」指導者の考えを探ることであった。農民大衆の教育についての彼の助言とは何であったか…。そして彼はソヴィエトの地でムジーク
[農民]の無関心に対していかにして勝利を得たのか。ムジークは、アルティプラノ地域のインディオと同様に、目覚めて自分たち自身の個人生活を向上させようと望むこともなく型通りの日常的な農業生活システムを実践することを長年の習慣としてきた…。この点を通じて、私は次のことを知りたいと思った。すなわち、ロシア革命の指導者たちはどのように農民の精神の奥底にまで到達したのか、農民を鼓舞して大規模生産者にするためにどのような物質的手段を用いたのか、どうして農民がミール(すなわち、ボリビアのインディオの共同体と同様に、小農的個人所有の概念を保持しながら、耕地を集積して形成されている大規模な土地所有)からコルホーズ(これもまた大規模な土地所有であり、今では国家の所有するところとなっている)――コルホーズは農作業を調整し、技術的に指導し、機械を使った農業を開発するために大量の資源を管理している――への驚くべき飛躍に踏み出したのか。ロシアと同じ奇跡を実現するためにボリビアで用いられるべき方法について彼の見解を知りたかったのである。このように私はレオン・トロツキーに提起した。「赤い」指導者は注意深く私の話に耳を傾けた。その時点では彼はわれわれの農業問題を全面的に研究していないように私には思われた。だが、彼は私に、あたかもこの問題に関する全般的概念を提起するかのように、次のように語った。われわれのインディオ大衆の性格を知らないし、インカの土地所有の推移を綿密に追跡していないけれども、出発点として、インディオの伝統的な所有制度と「活動」は基本的に尊重されるべきであると考えられるが、農作業の組織化と作物の栽培には新たな方法が提起されるべきである、と。農業と酪農の開発は、中欧のすべての国でなされてきたように、農業の量と質を改善し、したがってまた農民大衆の栄養摂取を向上させるために、そしてわれわれの気候に固有の農産物を輸出する能力をわが国に与えるために、広範な土台の上に築かれなければならない。なぜなら適切に管理される農業が最も安定した富の源泉となり、通貨価値を高い水準に保ってくれるからである、と彼は語った。
彼はさらに次のように続けた。「それがあなた方のなすべき第一のことである。あなた方の国の政府は、もちろん、大土地所有者に栽培のあり方を変えさせるべきである。そして大規模農業生産を実現するための手段を大土地所有者が利用できるようにするべきだ。彼らの所有する土地が膨大で、その全部の土地が耕作されるわけではないときには、そのようにしてはじめて、彼らの土地のうち耕作規模に本人に見合った部分を彼らが保持するのを許すことができる」。彼は私に、次のような情報を得ていると語った。すなわち、ラテン・アメリカのすべての国で、大規模土地所有を破壊するのが困難であるのは、人口密度が低いためにその種の解決が要求されておらず、政治的指導者が土地の所有権について保守的考えをもっているからだ、と。
彼は、鋭い皮肉を交え、明るい笑顔を見せながら、次のように付け加えた。「だが、西ヨーロッパ諸国もまた、われわれよりもゆっくりだけれども、土地を社会的に利用するために、土地を収奪、没収するより洗練された措置をとっている。すなわち、遊休地への累進課税、土地の耕作によってではなく大土地所有の法外な拡大によって増える個人地代に対する増税などの措置である」。
彼は、もしボリビアの農民が「精霊を信じている」のなら(私はインディオの心理のこの側面について述べた)、彼らの偉大な精神的源泉にまで分け入って、インディオからそうした慣習を振るい落とし、農民に対して厳しい規律を課さなければならないが、同時にそうした慣習を変革するにあたっては、保護的で愛情のこもった態度をとらなければならない、と私に述べた(トロツキーはアメリカ大陸滞在中に変わった!)。
「その『停滞的な』文化からインディオを抜け出させて、全面的に機械化された仕事方式を導入することが、その無関心と闘う唯一の方法である。何百万人ものインディオの農奴と、停滞的な共有地」(「それはアイマラ族
[アンデス山脈のインディオ]のアイルだ」と口を挟んだのを覚えている)「や、スペインのアシェンダ型の伝統的な農業から引き離すことである。アシェンダは、古いミールとほとんど同じシステムであるが、もっぱら大土地所有者に奉仕するものである」と彼は続けた。「そのシステムはボリビアには存在しない。この国でのインディオのペオン(小作農)は自分自身の労役および地主のための耕作者としての労役によって税を支払わなければならない。同時にペオンは自らのサヤノを耕す」と私は指摘した。
トロツキーは次のように続けた。「インディオの農民が、自分たちの慣習的あり方から抜け出し、集団農場の積極的な構成員になるためには、科学的に監督され、組織されたロシアのコルホーズ・システムに移行する必要がある。だが、各農民はそれぞれ、菜園を耕し家畜を飼育して自分の家族で消費するための、自家用の小さな土地を確保し続けるだろう」。
次に、彼は私に次のような鋭い意見を述べた。「農民の素朴な貪欲さは本人が生れる前から存在しているものである。それは全世界において同じで、インディオもロシアのムジークも変わらない。そうであるから、農民が興味を抱き前進するようにするために、集約的生産の有効性を農民に対して明らかにしなければならない。自分が稼ぐ金とともに、必需品が生じ、それから農民は商品を求めるようになるだろう。インディオは農場の共有地で働くに違いない」。
[サンヒネスは、トロツキーが述べたすべてのことに同意したが、この点については、個人所有とインディオとを結ぶきずなを根拠にして、同意しなかった。この個人所有は、それと並存する協同組合や集団の耕作に完全に適合しているのであるのだが、サンヒネスは、その歴史的な土地所有の伝統のために、インディオが所有への愛着を完全に断って働くようになるという変化の可能性を除外していた]。
「あなたが述べたすべての点からすると、ボリビア・インディオの農村での所有制度は、ロシアにおける別のタイプの集団主義的農業組織であるアルテリに最も近いように思われる。われわれは、それを現在の時代に適応させることによって近代化したので、あなた方も同じことをすべきだろう。アルテリでは、ロシア農民は、自分の生計や家族の扶養や自営農場の耕作、鶏や家畜の飼育を確保するために、個人用の小さな土地を所有しており、それはあなたが私に語ってくれたボリビアのインディオが所有しているのと同じものである。このことは、これらの農民が自分たちの働く集団農場に所属する可能性を除外するものではない。大土地所有者だけから一定の土地を没収し、集団農場を一定程度離れた距離のところに設けるようにすれば、それをボリビアで実現できるだろう。この方法にもとづくなら、農民の個人経営は、農民に個人所有の土地を与えることによって保障されるだろう。同時に、農民は集団農場でも働き、それによって社会の福祉に貢献するだろう。限られた大きさのアシェンダは破壊されないだろう。スペイン系中南米人の共和国の伝統に深く根を降ろしている大土地所有は、一度に完全に破壊することができないのであれば、集団農場の設立を通じて徐々に分解されていくだろう」。
1937年4月24日
英語版『トロツキー著作集 1936-37』所収
『トロツキー研究』第31号より
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