インドを裏切る者たち
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、帝国主義的民主主義と植民地インドとの関係を論じた短い論評である。『クラーベ』は第4インターナショナルのスペイン語雑誌で、この雑誌にトロツキーは多くの論文・手紙をペンネームで発表した。
本稿は本邦初訳。
L.Trotsky, The Betrayers of India, Writings of Leon Trotsky(1938-39), Second Edition, Pathfinder, 1974.
この問題に関しては、われわれはインドの政治情勢を論じたスタンリーの論文(1)を掲載するつもりである。この論文は、イギリス「民主主義」がインドの民主主義を阻止するために追求している侵略政策をきわめて説得的に暴露している。イギリスの人口は4000万である。インドの人口は3億7000万である。4000万人の帝国主義国の民主主義を維持するために、3億7000万人の国の民主主義を圧殺しなければならない、これが帝国主義的民主主義の本質である。
勝利せる革命のみがインドを解放することができる。イギリス資本と密接に結びついているインド・ブルジョアジーは革命を恐れている。インドのブルジョア・インテリゲンツィアは、自国のブルジョアジーを恐れている。人民革命を準備する代わりに、これらの紳士諸君はいつも同じ古い「人民戦線」を、すなわち恐れをなした自由主義者と恐れをなしたあらゆる色合いの民主主義者との同盟を提唱する。この仕事においてスターリニストはもちろん最前線に立つ。直接的な敵であるイギリス帝国主義に反対する大衆の革命運動にブレーキをかけるために、これらの紳士諸君は日本の脅威に反対する煽動を繰り広げる。このようなやり方で、インドの民主主義に対する奴隷所有者の同情を、それと同時にイギリス・ブルジョアジーとの同盟を夢想しているスターリンに対する同情を勝ち取ろうとしているのだ。彼らにとって植民地人民は、ボナパルティスト寡頭制
[スターリニスト体制のこと]が帝国主義的民主主義と交渉するための小銭にすぎない。1939年3月4日
『クラーベ(鍵)』1939年3月号掲載
『トロツキー著作集 1938-39』(パスファインダー社)所収
新規、本邦初訳
訳注
(1)シャーマン・スタンリーはアメリカ社会主義労働者党(SWP)の党員で、1940年にバーナム=シャハトマン派から離れる。彼の論文は『クラーベ』誌の1939年3月号に「インドは連邦化に同意するか」という題名で掲載される。
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