メキシコの第2次6ヵ年計画
トロツキー/訳 湯川順夫
【解説】メキシコの第1次6ヵ年計画は1934年にメキシコ議会で可決された。それは、「社会主義に向かう協同組合主義的システム」の確立を目指し、大規模な公共事業計画、最低賃金と労働時間を規制する労働法規、一定の土地の分配、農業機械や家畜の購入についての地区協同組合への援助などを含んでいた。第2次6ヵ年計画の討議は1939年2月に始まった。計画は、与党PRM(メキシコ革命党)によって起草され、1940年9月の大統領候補、マヌエル・アビラ・カマチョの政綱として位置づけられた。これは、有産階級の資産のさらなる没収と国有化、女性参政権、義務軍事教練、メキシコの経済的独立、メキシコ民衆の生活水準の向上をうたっていた。1939年2月、それがまだ討論段階にあるときに、この計画はCTMの大会で承認された。PRMは、11月にこの計画を採択し、正式にカマチョを大統領候補に指名した。大幅に修正された最終草案は1940年2月に発表されたが、それには、民間投資家への保証、「民主的政府形態を支持する他国と協調する」との誓約が含まれていた。
トロツキーは、この論文の中で、この第2次6ヵ年計画案をとりあげ、さまざまな観点から評価を試み、建設的で具体的な批判を加えている。とりわけ注目に値するのは、農業集団化に関してソ連の実例(スターリンの強制的農業集団化)を反面教師として、「必要なのは、エミリアーノ・サパタの仕事を完成させることであって、ヨシフ・スターリンの方法をサパタに重ね合わせることではない」と述べている点、また、国の工業化に関して、一定の条件のもとで外国資本の導入を奨励している点である。これは、1920年代半ばにおける自らの工業化路線をメキシコの条件に適用したものと言えるだろう。
L.Trotsky, On Mexico's Second Six Year Plan, Writings of Leon Trotsky(1938-39), Pathfinder Press.
計画ではなくプログラム
ここでわれわれが扱っているのは、言葉の真の意味での「計画」ではない。私的所有が支配的な社会では、政府が「計画」にしたがって経済生活を管理することは不可能である。この文書は、代数式を含んでいるが、算術的事実を含んでいない。言いかえれば、それは政府の活動のための一般プログラムであって、厳密に言えば「計画」ではない。
残念なことに、この計画の起草者は、土地を含む生産手段が共有化されていない社会における政府活動の限界を考慮に入れていない。起草者たちは、明らかにソ連邦の5ヵ年計画をモデルとみなしており、社会構造の根本的相違を考慮に入れることなく、それと同じ用語をしばしば使っている。後でみるように、代数式は、ソ連邦の報告や公式声明から借りて来た展望の中に慰めを見出す一方で、しばしばメキシコにおける生活の最も緊急の課題を無視するための手段なのである。
国家機構の改革
この文書は、第2段落の6ヵ年計画を遂行するための「大統領に付属する専門機関」を設置するという提案から始まっている。この提案は、むしろ副次的で行政的な性格のものであるが、それにもかかわらず、根本的誤りを含んでいるように思われる。計画を遂行する際の政府の活動は、純然たる政府活動そのものの範囲を越えることはできない。他ならぬ国民経済全体を変革するという任務を持っている「専門機関」を政府の上に置くことは、正規の政府と並んで「スーパー政府」、すなわち、行政的混乱を生み出すことを意味するだろう。
戦争中のさまざまな諸国の経験およびソ連邦の経験にもとづくより現実的な提案は、計画に最も直接に関与し、大統領またはその直接の代理の監督下に置かれている省庁の長官によって構成される限定された政府委員会を創設することであろう。この場合、政府の全般的な活動は、計画に関する活動と並んで、同一の人々の手中に集中し、無駄の繰り返し――この官僚的災厄――が可能なかぎり最小限になるだろう。
第3段落は、政府のさまざまな機構への「国民の中の組織された部分の機能的参加」を提案している。この定式はきわめてあいまいで、考えられるあらゆる種類の解釈を許してしまう。われわれはまず何よりも次の点を指摘しておく。すなわち、この提案は国家機関の正常な活動を制限し、ほとんど克服しがたい混乱状態を生み出すことによって、組合等々の官僚的ヒエラルキーを、しかるべき限定なしに国家の官僚的ヒエラルキーに組み込んでしまいかねない(実際にはほとんど実現不可能だが)、と。
メキシコの外交政策
この最も重要な領域で、計画は一般的表現に頼っている。それは、ただの一国すら国名を挙げていないし、一般論としても根本的に誤った行動指針になっている。
計画は、「民主主義と自由」の名のもとに、メキシコが現在「民主的政府形態をもつラテン・アメリカ諸国および全大陸の諸国」との間に結んでいる諸関係を改善するよう提案している。われわれはたちまちさまさまざまな矛盾に直面する。南北アメリカ大陸についてその政策は、その国の国内体制がどうであれ、すべての国と友好関係を結ぶことであるのに対して、他の大陸については、その処方箋はいわゆる「民主的」諸国とだけの友好関係を支持するというものである。計画は、メキシコを自らの石油利権のための領地のように扱っている「民主的な」イギリスとの友好関係をいかに発展させるべきかを示していない。ロンドンの許しを乞い、「民主主義と自由」の名において民主的関係をただちに再確立する必要があるのだろうか? さらに、4500万人の人口をもつ「民主的」母国と3億7000万人の人民をもつが民主主義を奪われたインドとの間で現在発展しつつある闘争において、その世界的地位をしっかりと強めるためにメキシコはその積極的な友好の手をどちらの側に差し伸べるべきだろう? 計画の根本的弱点は、抑圧国と被抑圧国との間の対立を抽象的な民主主義概念に解消してしまっていることにある。この後者の分裂の方が、奴隷所有者の陣営の民主主義国とファシスト国への分裂よりもはるかに深く、はるかに重大な意味をもっているのだ。
石油会社の接収とイギリスに対するメキシコ政府の断固たる態度が、メキシコに対する「民主的」資本主義国の「共感」をひどく損なうことになったが、同時に、こうした行動は、インドおよびすべての植民地や被抑圧国でのメキシコの威信を途方もなく高めた。引き出すべき唯一の結論は、半植民地国が実際の抑圧者や潜在的抑圧者の民主的形態にだまされたままではいないということである。
メキシコがその独立を守り発展させるうえで、そして自国の未来を確かなものにするうえで、唯一とりうる方法は、帝国主義的奴隷所有者同士の対立と衝突を利用すること(ただしどちらの側にも自己同一化してはならない)、そして、隷属させられた国々および一般に被抑圧人民大衆の尊敬と支持を自らに確保することである。
農地改革
プログラムのこの部分は、メキシコの生活にとって最も重要な部分であるが、この国の必要に関する分析にもとづいてではなく、ソ連邦の文書の語彙から借りてきたいくつかの一般的な定式にもとづくものであり、しかも国の現実にまったく誤って適用されている。
第8段落は、「農民委員会への土地の返還、譲渡、拡張は、1935〜38年の時以上のテンポで進行するだろう」と述べている。同時に、第13段落の(c)項は、次の6年間の「すべての公有地の集団的利用の組織化」について述べている。プログラムの以上の二つの側面にはまったく相互の整合性ない。二つは互いに付け足されているにすぎない。
メキシコの今日の主要問題は何か? それは、農地改革ないし民主主義的農地革命である。農民の生活は、封建的な財産形態および奴隷的関係とその伝統の遺物の大量の蓄積という事態によって特徴づけられる。中世の野蛮な風習からの遺物を農民自身の力で大胆かつ決定的に解体することが必要である。寄生的・半寄生的大土地所有者、農民に対する地主の経済的、政治的支配、強制的な農業労働、準家父長的小作制度――これは根本的には奴隷制に等しいものであった――、以上ができるかぎり短期間で決定的に解体しなければならないものである。さて、プログラムはこの任務――それは民主主義革命にとって不可欠である――の次の6年以内に完遂することすら要求していないにもかかわらず、同じ時期内における共有地の全面集団化を要求している。これではまったく首尾一貫していないのであって、それは最も悲惨な経済的・社会的・政治的結末につながりかねない。
「全面集団化」
A、集団化は、農村での小規模農業を大規模な農業に置き換えることを意味する。この変化は、大規模農業の仕事に適した高度に発展した技術が存在する場合にのみ、有利である。このことは、提案されている集団化のテンポが工業、農業機械生産、肥料生産などの発展に適合していなければならないことを意味する。
B、しかし、技術だけでは十分ではない。農民自身が集団化を受け入れなければならない。すなわち、農民が自国の経験や他国の経験にもとづいて集団化の利点を理解しなければならない。
C、最後に、人的資源――少なくともその多くの部分――を共有地の経済的、技術的管理のために、教育し、準備しなければならない。
計画それ自身は、第15段落で、「適切な教育を受けている農民」に頼る必要があると述べ、十分な数の学校、とりわけ農業学校の設置を要求している。たとえわれわれがそうした学校を今後6年間に十分な数だけ設立することができるとしても、必要なスタッフはその後一定の期間を経ないと準備できないことは明白である。国家的強制による無知と貧困の集団化は、農業の前進を意味せず、むしろ農民を反動陣営に追いやることに不可避的につながるだろう。
農地革命を6年以内に完了してはじめてメキシコは、この土台にもとづいて、きわめて慎重に、いかなる強制もなく、そして、農民に対して大いに共感的な態度を示しつつ、集団化という目標に向けて前進することができるのである。
ソ連の実例
ソ連は、ブルジョア民主主義革命だけでなくプロレタリア革命をも実現した。ロシアの農民は、非常に貧しかったけれども、メキシコの農民ほど貧しくはなかった。ソヴィエト工業はメキシコよりもかなり発展していた。にもかかわらず、土地の共有化の後、すなわち、全面的な民主主義的農地革命の後でさえ、個人農経営に比べると農業の集団化部門は長年にわたって農業経済のわずかの割合しか構成していなかった。たしかに、大土地所有制などが廃止されてから12年後、支配官僚は、ここでは立ち入って説明する必要もない理由から「全面集団化」に移行した。その結果はよく知られている。農業生産は半分に減少し、農民が反乱し、ひどい飢饉の結果として数百万人が死亡した。官僚は個人農業を部分的に再び確立せざるをえなかった。前進を開始するために、国有工業はコルホーズのために数十万台のトラクターと農業機械を生産しなければならなかった。
メキシコでこうしたやり方を真似ることは完全な失敗に向かって突き進むことを意味するだろう。土地を、すべての土地を農民に与えることによって民主主義革命を完遂することが必要である。この確立された成果にもとづいて、農民に対してはさまざまな農業方式の実験を考察し比較するための無制限の時期を与えなければならない。農民を技術的にも財政的にも援助しなければならないが、強制してはならない。
要するに必要なのは、エミリアーノ・サパタ(1)
[右の写真]の仕事を完成させることであって、ヨシフ・スターリンの方法をサパタに重ね合わせることではない。
農業信用
プログラムの農業に関する部分全体は、第1ステップを完了する前に第3ステップと第4ステップに取り組もうとする誤った見通しによって損なわれている。この見通しの歪みは信用の問題に関してとりわけ顕著である。第16段落の(d)項は、「小農的経営を維持するという目的を放棄して」、すべての農業信用を共有地に拡大するよう要求している。国家が自発的な集団化に特別な財政的恩恵を与えるべきであるのは言うまでもない。だが、均衡は維持されなければならない。集団経営が成長できるようにし続けなければならないが、個人農もまた「全面集団化」を成し遂げるのに必要な歴史的一時期の間、存続し、成長し続けなければならないし、この時期は数十年を要するかもしれない。
強制の方法が用いられる場合、それは、一方において農業の水準を低下させ、国を窮乏化させながら、国家の犠牲のもとで存在する集団農場を創設するにすぎないことになるだろう。
国の工業化
この分野では、プログラムはきわめて曖昧で抽象的になっている。6年間で共有地を集団化するためには、農業機械、肥料、鉄道、工業全般の生産のために膨大な支出が必要になるだろう。そして、少なくとも初歩的レベルにおける一定の技術的発展が、集団化の後ではなく集団化に先立って実現されなければならないので、以上のすべては直ちに必要である。こうした必要な手段はどこからもたらされるのか? この点について計画は、外国からの融資よりも国内の融資を優先するという若干の章句を除けば、沈黙している。だが、国は貧しく、外国資本を必要としている。この厄介な問題については、対外債務の破棄を主張しないということが言われているだけである。そしてそれがすべてである。
たしかに、民主主義的農地革命の実現、すなわち、すべての耕地を農民に引き渡すことは、比較的短期間のうちに国内市場の能力を高めるだろう。だがそれにもかかわらず、工業化のテンポは非常に緩やかになるだろう。今では相当量の国際資本が、たとえささやかな(だが確実な)収益しか得られない部門であっても投資分野を求めている。外国資本を無視して集団化と工業化について語るのは、言葉に酔っているにすぎない。
反動派が石油会社の接収は新しい資本の流入を不可能にすると言うが、それは間違っている。政府は国の死活の資源を防衛するが、それと同時にとりわけ混合企業の形で、すなわち政府が参加し(状況に応じて、株式の10%、25%、51%を政府が保有)、一定期間が経過してから残りの株式を買い取るというオプションを契約に書き込むという企業形態で、産業利権を与えることができる。政府の参加は、他国の最良の技術者と組織者の協力のもとで国の専門的、行政的スタッフを教育できるという利点をもっている。オプションとしての企業買い取りまでに契約で定められた一定期間があるので、投資家の間に必要な信頼が作り出されることだろう。工業化のテンポは加速するだろう。
国家資本主義
プログラムの起草者は、6年という期間内に国家資本主義を完全に建設したいと望んでいる。しかし、既存の企業を国有化することと、限られた手段でもって、手つかずの土地に新しい企業を設立することとは別である。
歴史上、国家の監督下で工業が創造された例は、たった一例だけである――ソ連邦がそれである。だが、
(a)そのためには社会主義革命が必要だった。
(b)過去からの産業の遺産が重要な役割を果たした。
(c)公的債務が破棄された(1年で15億ペソ分)。
これらすべての利点にもかかわらず、国の産業復興は、利権の授与とともに始まった。レーニンは、国の経済発展という観点からも、ソヴィエト政権のスタッフを技術的・行政的に教育する観点からもこれらの利権を重視した。メキシコでは社会主義革命は起こっていない。国際情勢は公的債務の破棄さえ許さない。繰り返すが、この国は貧しい。そうした条件下で、外国資本に対して扉を閉ざすのはほとんど自殺行為であろう。
国家資本主義を建設するためには、資本が必要である。
労働組合
第96段落は、まったく正しくも「今日よりももっと強力に労働者階級を保護する」必要について語っている。次の点を付け加えるだけでよいだろう。「資本主義的搾取の行きすぎに反対するだけでなく、労働官僚の横暴に対しても労働者階級を保護する必要がある」と。
プログラムは、民主主義およびその不可欠な基礎となる労働者組織について多くのことを述べている。もし組合自身が民主的であって、全体主義的でないとすれば、それは絶対正しいだろう。組合内の民主的体制が、自身の官僚に対する労働者の統制を保障し、そうすることによって最も目にあまるその横暴を取り除かなければならない。組合の最も厳格な報告責任制が公的問題にならなければならない。
※ ※ ※
以上の覚書は、プログラムの――大げさだが、残念ながら空虚な――定式と比べると、非常に穏健でほとんど保守的な精神に染まっているように思えるかもしれない。しかしながら、われわれの観点の方がより現実的であると同時により革命的なものであるとわれわれは信じている。プログラムの中心点は農業問題である。農村における封建的遺物の全面的な一掃を厳しく遂行することに比べると、全面集団化を空々しく唱えることの方が1000倍も容易である。この一掃作戦こそ本当に次の6年間のすばらしいプログラムとなるだろう。農民は10行で書かれたそのようなプログラムを理解し、クレムリンの公式文書を翻訳したこの漠然としたくどい文書よりもはるかに暖かくそれを受け入れるであろう。
1939年3月14日
英語版『トロツキー著作集(1938-39)』所収
『トロツキー研究』第31号より
訳注
(1)サパタ、エミリアーノ(1879-1919)……メキシコの民族革命家・農民運動指導者。インディオの小作農民出身で、早くから小作人の土地闘争を指導。1910年に反ディアス独裁闘争に決起。「土地と自由」を合言葉に農民軍を主体としたゲリラ闘争を展開し、一時はメキシコの南部6州を支配下に治めた。しかし、1919年に陰謀にひっかかって暗殺される。
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