再びスペインの敗北の原因について
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、スペイン革命の敗北の原因をめぐるグイリェルモ・ベガス・レオンというメキシコの文筆家の所論を批判し、革命の原則的問題を改めて論じた論文である。この論文には、スペイン革命を裏切った指導勢力(スターリニスト、アナーキスト、POUM、社会民主主義者、ブルジョア共和主義者)に対する怒りが先行するあまり、スペイン革命の実態と経過についてかなり強引な一般化をしている部分が多々見受けられる。この点については、『トロツキー研究』第22号の特集解題論文「トロツキーとスペイン革命」を参照のこと。
本論文が最初に訳出されたのは『トロツキー研究』第22号。今回、アップするにあたって、若干訳注を補った。
Л.Троцкий, Еще раз о причинах поражение испанской революции, Бюллетень Оппозиции, No.75-76, Март 1939.
傘の発明者
昔のフランスのユーモア作家、アルフォンス・アールは、あるプチブルがどのように傘を発明したかについて書いている。雨の降る通りを歩いていた1人のプチブルは、通りを屋根で覆うことができればいいのではないかと考えた…。だがそんなことをすれば空気の循環が妨げられるだろう…。そこで、屋根を移動式にして、個々人を覆えばいいのではないか。だがそれをどうやって動かすのか? 何とかして手に軸心を取りつけて歩行者がその屋根を動かすようにすることが必要だ、云々。最後になってとうとうその発明者は叫んだ。何だ、それこそが傘じゃないか! このような発明者は今や毎日のように「左翼」の中で見つかる。
ボリシェヴィズムは何年にもわたって改良主義政策の信用を失墜させてきた。しかし、反動が訪れると、スターリニストはその下僕どもといっしょになって、再び改良主義の傘を発明しはじめる。「人民戦線」(ブルジョアジーとの連合政治)、民主主義の祖国を防衛するプロレタリアの義務(社会愛国主義)、等々。そして彼らはそれをまったく新しい無知でもって行なうのである!
メキシコの新聞『エル・ポプラ』は、その認識の深さ、思想の誠実さ、政治的立場の革命的性格の点で、ほとんど全世界にその名を馳せているが、その中でグイリェルモ・ベガス・レオン(この名前はわれわれの読者にはまったく知られていない)は、新しく発明された傘を使って、スペインの「人民戦線」政策を擁護している。曰く、スペインの戦争は、社会主義のための戦争ではなく、ファシズムに対する戦争である。ファシズムに対する戦争においては、工場や土地の接収といった冒険に従事してはならない。このような計画を提起することができるのはファシズムの友人だけである、云々。歴史の諸事件も、安手の新聞活字の王国で生きているこのような人々にはお手上げのようだ。
G・レオンは、これと同じ傘がロシアのメンシェヴィキと社会革命党(ケレンスキーの党)によって使われたことを知らない。彼らは当時、ロシア革命は「民主主義」革命であって社会主義革命ではないと、飽きもせず繰り返していた。若い民主共和国を脅かしているドイツとの戦争においては、生産手段の収奪のような冒険に従事することはホーエンツォレルン家を助けることを意味する、と。彼らの中には少なからずゴロツキどもがいるので、彼らもまた、ボリシェヴィキがこのようなことをするのは何か秘密の思惑があってのことだと断言した。
革命の階級的性格
革命が「反ファシズム」的なものかプロレタリア的なものか、あるいはブルジョア的なものか社会主義的なものか、これは政治的レッテルで決定されるものではなく当該国の階級的構造によって決定される。だいたい19世紀半ば以降における社会の発展過程はレオンによって看過されている。だが、資本主義諸国におけるこの発展こそが中小ブルジョアジーを洗い流し、後景に押しやり、価値を引き下げたのである。スペインを含む近代社会の主要な諸階級はブルジョアジーとプロレタリアートである。小ブルジョアジーは権力を――少なくとも長期にわたっては――わがものとすることはできない。それはブルジョアジーかプロレタリアートの手に移らなければならない。スペインにおいて、ブルジョアジーは、その所有に対する心配に駆り立てられて完全にファシズムの陣営に移行した。ファシズムに対する真剣な闘争を遂行することができる唯一の階級はプロレタリアートである。それだけが被抑圧大衆、何よりもスペインの農民を結集することができる。だが、労働者の権力は社会主義の権力となるしかない。
中国とロシアの例
しかし――とレオン氏は反対する――当面する目標はファシズムに対する闘争ではないか。われわれのすべての力をこの当面する目標に集中させるべきだ、云々、云々。もちろん、そうだとも! だが、どうか教えてもらいたい。ファシズムに対する闘争の最中、どうして土地を地主の手元に、工場をブルジョアジーの手中に、残しておかなければならないのか、これらの連中はいずれもフランコの陣営にいるというのに? もしかしたら、農民と労働者が土地と工場をわがものとするのに「まだ成熟していない」からか? だが彼らは、自らのイニシアチブで土地と工場を接収することによって自らの成熟ぶりを証明した。共和派と自称する反動どもが、スターリニストの指導のもと、この力強い運動を「反ファシズム」の名のもとに粉砕することができたが、それは実際にはブルジョア的所有のためであった。
別の例を取り上げよう。現在、中国は日本に対する戦争を遂行している。これはまさに略奪者と抑圧者に対する戦争である。この戦争を口実として、蒋介石政府はスターリン政権の助けを借りて、あらゆる革命運動を粉砕した。何よりも、土地を求める農民の闘争を。搾取者とスターリニストは言う、「今は土地問題を解決する時ではない。今問題になっているのは、天皇に対する共同の闘争だ」。だが、もし中国の農民が現在まさに土地の所有者となっていたならば、彼らが日本の帝国主義者に対して死に物狂いで土地を守るために戦ったであろうことは、明々白々ではないか。
今ここでもう一度10月革命の場合を思い起そう。10月革命は外国からのいかなる軍事援助もなかったにもかかわらず3ヵ年にわたる無数の敵との闘争に勝利した。その敵の中には最も強力な帝国主義列強の干渉軍も含まれていた。このような勝利が可能になったのはまさに、この戦争の間中、農民が土地を労働者が工場を自分の手中に確保していたからに他ならない。社会主義革命と内戦とが一体であったからこそロシア革命は無敵だったのである。
レオン氏のような紳士諸君は、革命の性格を、それをブルジョア自由主義的と呼ぶかどうかによって決定し、それが現実の階級闘争のうちにどのように表現されているのか、それがどのように革命的大衆によって感じ取られているか――たとえ必ずしも明確に理解されていないとしても――によっては決定しない。だがわれわれはスペイン革命を自由主義的偽善者アサーニャ
(1)の目を通して見るのではなく、バルセロナとアストリアスの労働者とセビリヤの農民の目を通して、すなわち、けっして人民戦線という議会主義の傘のためではなく、工場と土地とよりよき未来のためにたたかっている人々の目を通して見るのである。
「反ファシズム」という空虚な抽象
「反ファシズム」と「反ファッショ」という概念そのものが虚構であり嘘である。マルクス主義はあらゆる現象に対し階級的見地からアプローチする。アサーニャが「反ファッショ」であるのは、ブルジョア知識人が議会的ないしその他のキャリアを積むのをファシズムが妨げる場合のみである。ファシズムとプロレタリア革命のどちらかを選択する必然性に迫られれば、アサーニャは常にファシズムの側に立つだろう。革命の7ヵ年にわたる彼の政策全体がこのことを証明している。
他方、「ファシズム反対、民主主義擁護!」のスローガンは数百、数千万の人民を引きつけることはできない。戦争中においては共和派の陣営内にいかなる民主主義もなかったし、またありえないという1つの事実からしてそうである。フランコの陣営においても、アサーニャの陣営においても、これまで存在してきたのは、軍事独裁、検閲、強制動員、飢え、流血、死である。「民主主義擁護!」という抽象的スローガンは自由主義的ジャーナリストにとっては十分なものであっても、抑圧された労働者と農民にとってはそうではない。彼らは奴隷状態と貧困以外の守るべき何ものも持たない。彼らがファシズムを粉砕するのに全力を傾注するのは、新しいよりよい生活条件を実現することができる場合のみである。したがって、ファシズムに対する労働者と貧農の闘争は、社会的な意味で防衛的なものではなく、ただ攻撃的なものでしかありえない。それゆえ、レオンが、より「権威ある」俗物にしたがって、「マルクス主義はユートピアを拒否する。『反ファシズム』闘争の最中に社会主義革命を遂行するという考えはユートピアである」という教えを垂れているとき、彼は「指で宙を撃っている
[まったく的外れなことをする]」のである。実際には、資本主義経済を転覆することなしにファシズムと闘争することができるという考えこそ最も反動的で最悪のユートピア主義なのだ。
勝利は可能だった
これらの紳士諸君のまったくの無知ぶりにはまったく驚かされる! 彼らは、民主主義革命とその内的な階級メカニズムが分析されている世界の諸文献――何よりもマルクスとエンゲルスのそれ――についてまったく何の知識も持っていない。どうやら彼らは、共産主義インターナショナルの最初の四つの大会の基本文書も、第4インターナショナルの理論的探求についても読んだことがないようだ。現代においてはファシズムに対する闘争は権力のためのプロレタリアートの階級闘争の方法による以外は考えられないということを、それらの文献は初心者にもわかるように説明し解説しているというのに。
これらの紳士諸君は、歴史が入念に社会主義革命のための条件を準備し、役割を割り当て、勝利の凱旋門に大文字で「社会主義革命の入り口」と書きしるし、勝利を確保し、しかる後に、指導者たちを慇懃に招待して、大臣あるいは大使といったしかるべきポストにつけてくれるものと空想している。だが残念ながら、否だ。現実はより複雑で、より困難で、より危険である。日和見主義者、反動的愚物、プチブルの臆病者たちは、社会主義革命が日程にのぼる状況というものを理解したことはないし、これからもけっして理解しないだろう。そうするためには革命的マルクス主義者、すなわちボリシェヴィキでなければならない。そうするためには、資本のエゴイスティックな階級的恐怖を表現しているにすぎない「教育ある」小ブルジョアジーの世論を払いのけることができなければならない。
CNTとFAIの指導者たちは自ら1937年5月の蜂起ののち次のように語った。「われわれが望みさえすればいつでも権力をとることができた。なぜならすべての勢力はわれわれの側にあったからである。だがわれわれはいかなる独裁も望まなかった」云々、云々。ブルジョアジーのアナーキスト召使が何を望んだのか、あるいは望まなかったのは、結局のところ2次的な問題である。しかしながら、彼らがたしかに認めたことは、当時、蜂起したプロレタリアートが権力をとることができるほどに強力であったということである。もしプロレタリアートが裏切り的ではない革命的な指導部を有していたなら、アサーニャ政権の全国家機構を転覆し、ソヴィエト権力を樹立し、土地を農民に与え、工場を労働者に与えただろう。そして、スペイン革命は社会主義革命となり、無敵となっただろう。
しかし、スペインに革命党が存在していなかったため、そして、その代わりに存在していたのが、自分のことを社会主義者あるいはアナーキストと考える有象無象の反動家たちであったため、彼らは「人民戦線」の旗のもと、社会主義革命を圧殺しフランコの勝利を確保してやることに成功したのである。
イタリアのファシストとドイツのナチによる軍事干渉と、英仏「民主主義」国の卑怯な態度に言及することで敗北を正当化しようとするのは、滑稽千万である。敵は常に敵である。反動は、可能であればいつでも干渉してくる。帝国主義的「民主主義」は常に裏切るだろう。先のような言い分がしているのはすなわち、プロレタリア革命はそもそも不可能だ、ということに他ならない! しかし、イタリアとドイツにおけるファシズムの勝利それ自体はどうなのか? そこにはいかなる干渉もなかった。その代わりにわれわれがそこで有していたのは、強力なプロレタリアートと強大な社会党、ドイツの場合には同じく強大な共産党であった。それではなぜファシズムに対して勝利することができなかったのか? それはまさに、両国の指導的諸党が、問題を「反ファシズム」闘争に切り縮めたからである。ただ社会主義革命だけがファシズムを敗北させることができるというのに! スペイン革命は最も偉大な学校であった。その非常に高くついた教訓をゆめゆめおろそかに扱ってはならない。大ボラ、おしゃべり、ひとりよがりの無知、知的寄生を一掃せよ! われわれは真剣に学び、そして誠実に未来を準備しなければならない。
1939年3月4日
『反対派ブレティン』第75・76号
『トロツキー研究』第22号より
訳注
(1)アサーニャ・イ・ディアス、マヌエル(
1880-1940)……スペインのブルジョア政治家、弁護士。1931年6月のスペイン共和国政府の首相。1933年に右翼の圧力で辞任。1936年2月の人民戦線の勝利で再び首相に。1936年6月〜1939年3月大統領。1939年に人民戦線政府の崩壊で亡命。
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