スペインでの勝利は可能か

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、社会党左派のカバリェロ政権下で遂行されているスペイン内戦において革命派のとるべき戦略と戦術について明らかにしたものである。この中でトロツキーは、社会主義革命なしにはたとえ共和派が勝利したとしても、フランコ体制と同じようなファシズム体制が成立するだろうとの予測を述べている。

 なお、この論文が書かれた直後に、バルセロナで無政府主義者による武装蜂起が勃発し(5月事件)、それはスターリニストによって鎮圧された。この事件の責任を取らされる形でカバリェロは首相を辞任し、それに代わってカバリェロ政権下で蔵相であった社会党右派のネグリンが首相になる。これ以降、革命派に対する共和陣営内部の弾圧と迫害が激化することとなる。

 本稿の最初の翻訳は『ニューズ・レター』第18号。今回アップするにあたって、訳注を追加するとともに、「編集部より」の翻訳を追加しておいた。(右上の写真は、行進する共和派の女性民兵)

Л.Троцкий, Вожможно ли победа в Испании?, Бюллетень Оппозиции, No.56/57, Июль-Август 1937.


 もう一度基本的な諸事実について検討しよう。フランコ軍はアサーニャの、すなわち人民戦線の直接的な庇護のもとで建設された。この人民戦線には社会党員とスターリニストが含まれ、後にはアナーキストも含まれた。

 戦争の長期的性格は、人民戦線、すなわちスターリニスト官僚の保守的なブルジョア的綱領の結果である。

 人民戦線の政策が国と革命に対する支配力を長期間保てば保つほど、大衆の疲弊と幻滅の危険性が、そしてファシズムの軍事的勝利の危険性がますます大きくなる。

 こうした状況に対する責任は全体としてスターリニスト、社会民主主義者、アナーキストに、より正確に言えば、その指導者たちに帰せられる。彼らは、ケレンスキー、ツェレテリ、エーベルト、シャイデマン、オットー・バウアーらのひそみにならって、人民の革命をブルジョアジーに従属させている。

 以上のことは、こうした状況が続くかぎりラルゴ・カバリェロ[右の写真]がフランコに軍事的に勝利することは考えられないということを意味するのか? 二つの相対立する陣営の物質的・精神的資源を前もって計算することは不可能である。闘争の進展それ自体が力関係を検証し明らかにする。しかし、われわれは軍事的勝利それ自体に興味があるのではなく、革命の勝利に、すなわちある階級の別の階級に対する勝利に興味があるのである。共和国軍を全力を挙げて支援することは必要である。だが、フランコ軍にラルゴ・カバリェロ軍が勝利しても、それ自体はまだ革命の勝利ではおよそない。

 「あなたが念頭に置いているのはいったいどういう革命なのか」と、人民戦線の俗物はわれわれに尋ねる、「民主主義革命か社会主義革命か? フランコ軍に対するラルゴ・カバリェロ軍の勝利はファシズムに対する民主主義の勝利だ。すなわち、反動に対する進歩の勝利だ」。

 このような議論に対しては苦笑なしに聞くことはできない。1934年以前、われわれはスターリニストに倦むことなく説明してやった、帝国主義時代においてさえ民主主義はファシズムよりもましであるということを。すなわち、両者の間で敵対的な衝突が生じているあらゆる場合において、革命的プロレタリアートにはファシズムに反対して民主主義を支持する義務がある、と。

 しかしながら、われわれは常に次のようにつけ加えておいた。われわれはブルジョア民主主義を擁護するのに、ブルジョア民主主義の手段によってではなく、階級闘争の方法によってそうすることができるし、そうしなければならない。そして、この階級闘争の方法は、次には、ブルジョア民主主義をプロレタリア独裁によって置きかえるための準備を整えることになるのだ、と。このことはとりわけ、ブルジョア民主主義を擁護する際に――手に武器を持ってそうする場合でさえ――、プロレタリア党はブルジョア民主主義に対するいかなる責任も負わないこと、その政府に入ったりせず、人民戦線の全政党に対する批判と行動の完全な自由を保持すること、そうすることで次の段階においてブルジョア民主主義を転覆する準備を行なうことを意味する。

 他のいかなる政策も犯罪であり、内戦の直接的結果のいかんにかかわらず不可避的に崩壊する運命にあるブルジョア民主主義を打ち固めるセメントとして労働者の血を用いる絶望的な試みである。

 「しかし君は農民を無視している」と、1923〜29年製の惨めなコミンテルン文献をたっぷり読んだある愚物は叫ぶ。農民の「無視」について最も喜んで叫びたてるのは、土地所有者との統一戦線の名のもとに農民の革命的利益を裏切っている紳士諸君である。スペイン農民は労働者と肩を並べて戦う意志を十分はっきりと示した。プロレタリアートに必要なのはただ、地主の搾取者を収奪する道へと実際に足を踏みだすことだけである。しかし、プロレタリアートが革命的土地綱領へと前進するのを妨げた者こそまさに、スターリニストとその新しい弟子である「社会党員」と「アナーキスト」(!?)である。

 スターリン=カバリェロ政府は、自らの軍隊に、私的所有を擁護する「民主主義的」防衛隊としての性格を吹き込むことに全力を尽くしている。これこそが人民戦線の本質である。残りのいっさいは現象的なものである。まさにそれゆえに、人民戦線はファシズムの勝利を準備しているのである。このことを理解しない者は、現実に対して目と耳を塞ぐ者である!

 資本の民主主義的防衛部隊が資本のファッショ的防衛部隊に対して軍事的に勝利することは可能だろうか? 可能である。しかし、現在においてはファッショ的防衛の方が資本の要求により合致しているので、たとえスターリン=カバリェロ政府が軍事的に勝利しても、その勝利は堅固なものでも永続的なものでもないだろう。プロレタリア革命なしには、「民主主義」の勝利は結局同じファシズムにいきつく回り道にすぎないであろう

 アンドレウ・ニンは、スペイン・プロレタリアートの英雄的な闘争にもかかわらず革命が「後方に投げ返された」ことを認めている。だが彼は、その投げ返しがPOUM指導部の直接的な協力のもとで実現したことをつけ加えるのを忘れている。POUMは、その一歩ごとに他のすべての政党に対して自らの党を対置することでプロレタリアートの勝利を準備する代わりに、「決定的な瞬間に」社会党とスターリニストに、すなわちブルジョアジーに適応してきた。動揺と適応というこの致命的な政策がどのような結果をもたらすかについてわれわれは、革命が始まったばかりの6年前にニンに予言しておいた。われわれはすべての思考する労働者に、数百の手紙・論文の形をとったニンとわれわれとの論争を再読するよう勧めたい。ニンの現在の動揺は完全に昨日の動揺から結はたしているものである。

 ニンは言う、「われわれがカタロニア政府から追放されて以来、反動は強化された」。実際には次のように言うのが正しい。「カタロニア政府へのわれわれの参加は、ブルジョアジーに、自らを強化しわれわれを排撃し公然と反動の道に入る機会をより進んで与えた」と。POUMは実際には、現在でさえ部分的に人民戦線にとどまっている。POUMの指導者は、社会主義革命の道をとるようカタロニア政府を哀願調で説得しようとしている。POUM指導者は、国家に関するマルクス主義の教えについて何とかCNT指導者に理解させようとうやうやしく努力している。POUMは自らを人民戦線の「革命的」助言者とみなしている。こうした立場は無力で、革命家にふさわしくないものである。

 必要なのは、人民戦線政府に対して大衆を公然かつ大胆に動員することである。必要なのは、アナーキストを自称しながら実際には単なる自由主義者にすぎない紳士諸君の裏切りを、サンディカリストとアナーキストの労働者にわかるように暴露することである。必要なのは、ブルジョアジーの最悪の手先と化しているスターリニズムを容赦なく鞭打つことである。必要なのは、自らをブルジョア政府の助言者ではなく、革命的大衆の指導者とみなすことである。

 ブルジョア的スターリン=カバリェロ体制の民主主義軍の純粋に軍事的な勝利は、もちろんのこと可能である。しかし、その直接的な結果は何だろうか?

 「規律」と「軍隊の統一」の名のもとに労働者組織、とりわけその左翼に対して現在加えられている暴力は、ボナパルティズムの学校以外の何ものでもない。問題とされているのはプロレタリアートの内的規律ではなく、ブルジョアジーへのプロレタリアートの軍事的従属である。軍事的勝利は「共和国」軍の司令部の自覚を著しく高め、そのボナパルティズム的傾向を十分に養うだろう。他方で、労働者の血を代償にして勝ちとられた軍事的勝利は、プロレタリアートの前衛の自覚と堅固さを高めるだろう。言いかえれば、資本のファッショ派軍に対する資本の共和派軍の勝利は不可避的に共和派陣営内部での内戦を引き起こすだろう

 この新しい内戦においてプロレタリアートが勝利することができるのは、ただ、労働者と半プロレタリア的農民の多数の信頼をいかにして獲得するかを知っている革命党をプロレタリアートが有している場合のみである。もしこのような党が決定的な瞬間に存在していないならば、共和派陣営内部の内戦は、フランコ将軍の独裁と性格上ほとんど違いのないボナパルティズムの勝利をもたらす危険性がある。まさにそれゆえ、人民戦線は結局同じファシズムにいきつく回り道なのである。

 アサーニャがフランコ軍を準備し武装させたように、社会主義者の仮面をかぶった第2のアサーニャであるカバリェロは、「共和派」将軍の仮面をかぶった第2のフランコ軍――スペイン版のカヴェニャック(1)あるいはガリフェ(2)――を準備するだろう。このことを理解することができない者は軽蔑に値する!

 『ラ・バターリャ』[POUMの機関紙]4月4日号に「勝利のための13のポイント」という論文が掲載されている。すべてのポイントが、POUM中央委員会が当局に与えようとしている助言の性格を有している。POUMは「労働者と農民の組合および兵士の代表大会の召集」を要求している。形式的には労働者と農民と兵士の代表者による大会が要求されている。だが問題なのは、POUMがブルジョアジーと改良主義者の政府に対して、この大会を召集するよううやうやしく提案していることである。あたかも、この大会が「平和的に」ブルジョア政府にとって代わるかのようである。革命的スローガンが無内容な空文句になりはてている!

 第4のポイントはこう言う。「労働者階級によって統制された軍隊の創設」。改良主義者と同盟しているブルジョアジーがニンの統制する軍隊を創設しなければならない、というわけだ。軍隊という最も決定的な問題において、POUM指導者の立場の空虚さが最も致命的な形であらわれている。軍隊は支配階級の道具であり、それ以外ではありえない。軍隊は、それを支配するものによって、すなわち国家権力によって統制される。プロレタリアートは、ブルジョアジーとその改良主義的下僕によって作られた軍隊を統制することなどできはしない。革命党はそのような軍隊に自らの細胞を建設し、軍隊の中の先進部分を労働者の側に獲得する準備をすることができるし、そうしなければならない。この基本的な革命的任務は、POUM中央委員会によって、ブルジョア軍隊の労働者による「統制」という甘ったるいユートピアによっておおい隠されている。POUMの公的な立場は二律背反性によって貫かれている。そうでないわけがあろうか。なぜなら、二律背反性こそ中間主義の魂なのだから。

 「革命は後方へ投げ返された」とニンは深刻そうに宣言するが、実際には彼自身が後退する準備をしている。あるいはおそらくニンは、ころがり落ちつつある革命を民主主義段階で押しとどめる準備をしている。いかにして? 明らかに言葉のブレーキによってだ。もしニンが自らの言葉を十分に考え抜くことができたならば、革命がプロレタリア独裁にまで高まるのを指導者の紳士諸君が妨げているかぎり、この革命がファシズムにころがり落ちるのは必然的であることを理解したことだろう。ドイツの場合しかり、オーストリアの場合しかり、そしてスペインの場合もそうなるだろう。しかもはるかに短期間に。状況を最後まで考え抜かなければならない。

 現在スペイン労働者は平和的手段で権力をとることができるとニンが言うとき、彼はまったくの嘘を語っている。現在でさえ、権力は、スターリニストとアナルコ改良主義者と同盟した軍事指導者と官僚の手中にある。これらの紳士諸君はすべて労働者と闘争するにあたって外国のブルジョアジーとソヴィエトの官僚に依拠している。こうした状況のもとで平和的な権力獲得について云々することは自らと労働者階級を欺くことである。

 3月末の同じ演説の中でニンは、やつらが労働者から銃を奪おうとしていると述べ、自分たちの銃を手放すなと労働者に勧告している。この助言はもちろんのこと正しい。しかし、ある階級が別の階級を武装解除しようとしており、別の階級、すなわちプロレタリアートが銃を手放すのを拒否しているということは、内戦が差し迫っていることを意味している。平和的な権力獲得という甘ったるく誤った展望は、プロレタリア独裁に関するニンのあらゆる急進的言辞を引っ繰り返してしまう。しかも、ニンの政策の本質はまさにこの甘ったるい展望にあるのだ。それこそ、彼がその急進的な言辞から実践的な結論を引き出すのを避けるのを可能にし、中間主義的動揺の政策を続けるのを可能にしているのである。「トロツキスト」に対する、すなわちニンがボリシェヴィキを装うことを妨げている真の革命家たちに対するニンの反動的な攻撃は、この甘ったるい展望を維持する必要性から生じているのである。

 きわめて特徴的なのは、労働者から武器を取り上げようとしているのは誰なのかをニンがはっきりと正確に言おうとしていないことである。だが、反革命的計画の立案者を名指しし、彼らとその党に烙印を捺し、人民大衆が彼らに憎悪の目を向けるようにすること、これこそ革命家の直接的な義務なのだ。

 「汝の武器を放棄するな」と労働者に言うだけでは十分ではない。必要なのは、労働者から武器を取り上げようとする連中を武装解除するよう労働者に教えることである。

 POUMの政策は、その内容の点でも口調の点でも、現在の差し迫った情勢にまったく合致していない。POUM指導部は、自分たちが他の政党よりも「先進的である」と考えることで自分を慰めている。しかし、これではまったく不十分だ。比較すべきなのは他の政党に対してではなく、情勢に対してであり、階級闘争の進展状況に対してである。革命の運命を決するのは結局のところ、陰謀と策略に従事している大臣の紳士諸君でもなければ党委員会でもなく、一方では、スペインの何百万もの労働者と農民であり、他方ではスペインと世界のブルジョアジーである。

 ニンの国際政策は彼の国内政策と同じぐらい悪い。「われわれは第4インターナショナルを支持していない。われわれはトロツキストを支持していない」とPOUM指導者はことあるごとに誓い弁明する。同時に、彼らは自分たちがマルクスとレーニンの思想に依拠していると宣言する。嘘だ! 第4インターナショナルの路線の外部には、スターリン=カバリェロの路線しかない。POUM指導部はこの二つの路線のあいだを絶望的にジグザグしている。ニン、アンドゥラデ(3)、ゴルキン(4)の技術は――マルクスとレーニンの教えに矛盾して――、問題の明確な定式化、正確な分析、批判に対する誠実な回答を避けることにある。まさにそれゆえ、革命のあらゆる新しい段階が始まるごとに彼らは不意を打たれるのである。しかも最悪の経験はまだ先にあるのだ!

 類は友を呼ぶ! POUM指導部は、スターリニストの下僕の役割を果たしているドイツ社会主義労働者党(SAP)の惨めな日和見主義の徒党や、あらゆる存在価値を失ったイギリス独立労働党の指導者と結びつき、そしてその他の、いかなる綱領も、いかなる革命的規律も、いかなる未来もない半日和見主義者・半冒険主義者とつきあっている。類は友を呼ぶ。POUM指導部の国際政策は国内政策における中間主義的動揺を補完しているにすぎない。

 ブルジョア的世論の臍の緒と手を切らなければならない――鋭く、きっぱりと、大胆に。アナルコ・サンディカリスト指導部を含むあらゆる小ブルジョア諸政党と手を切らなければならない。事態を最後まで考え抜かなければならない。大衆に、その最も底辺の最も抑圧された下層に降りていかなければならない。勝利がほっといてもやってくるかのような幻想でもって彼らを眠らせるようなことはやめなければならない。彼らに真実を語らなければならない。それがいかに苦いものであろうとも。資本の小ブルジョア的手先に対する不信を教えなければならない。自分自身に対する信頼を教えなければならない。諸君の運命を彼らの運命に不可分に結びつけなければならない。ブルジョア国家に反対して、自分たち自身の闘争組織――ソヴィエト――を建設するよう教えなければならない。

 現在のPOUM指導部がこのような転換をやり遂げるだろうと希望することができるだろうか? 悲しいかな、革命の6年間の経験はこのような希望の余地を残していない。POUMの内外にいる革命家が、もしニン、アンドゥラデ、ゴルキンを「説得」し「獲得」することに――ちょうどニンらがラルゴ・カバリェロ一派を獲得しようとしたように――自己を制限するならば、破産することになるだろう。革命家は労働者に、その底辺に顔を向け、ニンの動揺と右顧左眄に反対しなければならない。プロレタリア戦線の統一は中間主義への屈服を意味しない。革命の利益は党の形式的な統一に優先される。

 現在POUMはどれだけの数のメンバーを有しているだろうか? ある者は2万5000人と言い、別の者は4万人と言う。しかしながら、この問題は決定的な意義を有してはいない。2万55000人も4万人もそれ自体としては勝利を保障するものではない。問題を決するのは、一方では党と労働者階級との関係であり、他方では労働者階級と農村の被抑圧大衆との関係である。動揺的で右顧左眄する指導部を持った4万人の党はプロレタリアートを四散させ、それによってまさに破局を準備するだけである。堅固で先見の明のある指導部を持った1万人の党は大衆への道を見いだし、スターリニストと社会民主主義者、ほら吹きとおしゃべり屋の影響を一掃し、ファシスト軍に対する共和国軍の一時的で不安定な勝利を保証するだけでなく、搾取者に対する勤労者の全面的勝利を保証するだろう。スペイン・プロレタリアートはこのような勝利を実現する力のあることを三たび証明してきた。すべての問題は指導部にあるのだ!

1937年4月23日

  編集部より

 この論文は3ヶ月以上前に執筆されたとはいえ、その意義を完全に保持している。バルセロナの5月事件はまたしても次のことを示した。すなわち、カタロニア労働者の革命的勇気とエネルギーにもかかわらず、党なしには、マルクス主義的指導部なしには勝利は不可能だということである。POUM指導者の誤り、とりわけ、プロレタリアートの能動性を圧殺し彼らの委員会を解体・破壊することを「使命」とするブルジョア=スターリニスト政府に参加したことは、革命的大衆の先頭に立つ可能性をPOUMから奪い取った。

 現在、POUMは「人民」戦線政府によって過酷に迫害されている。組織は解散させられ、機関紙の発行は禁止され、POUMの指導者全員が投獄され、フランコとの「結びつき」なる破廉恥な誹謗中傷にさらされている。ブルジョアジーとスターリニストによる弾圧と中傷に対してPOUMの闘士との完全な連帯を表明することは、ボリシェヴィキ・レーニン主義者の基本的な義務である。だが、POUMの政策と連帯するとすれば、それは犯罪であろう。スペイン革命家に対する最良の援助は、マルクス主義的批判を行なうこと、すべての真実を彼らに語ることである。スペイン革命が危機に瀕している今日、これはいつにもまして必要不可欠なことである。

『反対派ブレティン』第56・57号

『ニューズ・レター』第18号より

  訳注

(1)カヴェニャック、ルイ(1802-1857)……フランスの共和派軍人。1848年の2月革命後に陸軍大臣。6月のパリ労働者の蜂起のさい、鎮圧軍総司令官として独裁権をふるって放棄を徹底的に鎮圧。同年12月の大統領選挙ではナポレオンに敗北。

(2)ガリフェ、ガストン(1830-1909)……フランスの反動的将軍。普仏戦争でアフリカ猟騎兵を率いて活躍。その後捕虜となるが、釈放後、ベルサイユ軍を率いてパリ・コミューンを徹底的に弾圧。1899年、ヴァルデク=ルソー内閣で陸軍大臣に。

(3)アンドゥラデ、フアン(1897-1981)……スペインの共産主義者。社会主義青年同盟の指導者から共産党へ。1921年にスペイン共産党の中央委員。1930年に左翼反対派に。1935年に左翼反対派と分裂し、ニンとともにPOUM結成に参加し、同党の指導者に。

(4)ゴルキン、フリアン(1902-1987)……スペインの革命家、別名ガルシア・ゴメス。モスクワから帰国後、左翼反対派に。その後、マウリン率いるイベリア共産主義連盟に、その後POUM(マルクス主義統一労働者党)の指導者の国際書記。トロツキーの暗殺に関する著作あり。

 

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