告発者の役割を演じる裏切り者

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、POUMの指導者がスターリニストによるでっち上げ裁判のかけられている時に書かれた論文であり、スターリニストによるこの弾圧に協力したアナーキストの偽善性を暴露している。

 なお、この論文は本邦初訳である。

Л.Троцкий, Предатели в роли обвинителей, Бюллетень Оппозиции, No.72, Декабрь 1938.


 外電の伝えているところでは、『ソリダリダ・オブレラ(労働者の連帯)』紙[カタロニア・アナーキストの機関紙]は、スペイン革命に対する十分な支援をしなかったとして世界プロレタリアートを非難したとのことである。何という偽善だ! プロレタリア革命に参加しなかったばかりか、それを弾圧するのに直接協力した紳士諸君からこんな非難を聞かされるとは。次のことを一個の法則として確立することができるだろう。革命というものは、それが決起した大衆に提示する社会的綱領の水準の高さに応じて国際的な支持を引きつけることができる、と。全世界のプロレタリアートは息をひそめながらスペイン革命の成り行きを見守っていた。だがそれもスペイン革命が社会主義に向けた大衆の本格的な前進であったかぎりのことである。スターリン=ネグリン一派が『ソリダリダ・オブレラ』のアナーキストの協力のもとにスペイン革命を押しつぶしたとき、勤労者の共感は、驚きから怒りへ、さらにまずいことには、無関心へと移り変わっていった。

 世界プロレタリアートに対する非難の偽善性は、POUM党員に対するバルセロナの裁判(1)の光に照らせばなおさら明白になる。POUM指導者たちがファシストと密通していたという告発についてはいちいち論じないことにしよう。世界中の誰一人として、まともな思考能力を持っているかぎり、このような下劣なでっち上げを信じはしないだろう! 検事の口から発せられた告発のうち唯一まともなものは、POUMの「極端に」革命的な行動が、世界の民主主義者(すなわちイギリスとフランス)の目から見てスペイン革命の権威を失墜させたということである。文字通りこのような告発がなされている。これは、バルセロナ政府が、革命を……イギリスとフランスの帝国主義者たちの許可のもとに遂行しようとしていたことを意味している。ゲ・ペ・ウの任務は、ジョージ王[イギリスの国王]、チェンバレン[当時のイギリス首相](2)、ルブラン大統領[当時のフランス大統領]() [右上の写真]などの連中にとって許容できる範囲を大衆が越えないようにすることにあった。この高尚な目的を達成することは、労働者と農民の運動を押しつぶし、革命党を破壊し、でっち上げ裁判を組織することなしには不可能であった。『ソリダリダ(!)・オブレラ』の告発者たちに対して、世界プロレタリアートはこう答えるしかないだろう。「裏切り者は口をつぐんでいろ!」と。

1938年10月22日

『反対派ブレティン』第72号

新規、本邦初訳

  訳注

(1)1937年半ばにスターリニスト警察によって逮捕されたPOUM指導者の裁判が1938年10月に行なわれた。POUM指導者たちは、裏切り行為やスパイ行為の非難を受けたが、1937年の5月蜂起に関与した罪で有罪を宣告された。

(2)チェンバレン、アーサー・ネヴィル(1869-1940)……イギリスの保守党政治家。ジョゼフ・チェンバレンの息子、オースティン・チェンバレンの弟。1918〜40年、下院議員、22年以降に大臣を歴任。1937年、首相。対独宥和政策を推進者で、38年のミュンヘン会談でファシスト・ドイツとの妥協政策を実現させたが、この会談はファシストを勢いづかせる結果になっただけであった。1939年、ドイツのポーランド侵攻によってドイツに宣戦布告したが、その後も曖昧な姿勢で戦争を指導した。1940年に首相を辞任し、対独強硬派のチャーチルと交代した。

(3)ルブラン、アルベール(1871-1950)……フランスの政治家、第3共和制最後の大統領。1900年に下院議員、1911年から植民相。1920年、上院議員、31年に上院議長。1932年〜39年、第3共和制の最後の大統領に。1940年、ペタンに政権を譲り、大統領を辞任。ドイツに逮捕、抑留された。

 

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