第5の車輪

トロツキー/訳 初瀬侃・西島栄

【解説】本稿は、アナーキストの国際組織(AIT)のパリ大会を批判的に論評した論文である。この論文の中でトロツキーは、アナーキスト指導者の政治的・理論的破産を容赦なく暴露している。

 本稿は最初、『トロツキー著作集 1937-38』下(柘植書房)に訳出されたが、今回アップするにあたって、『スペイン革命 1931-39』(パスファインダー社)所収の英語版にもとづいて全面的に訳文が改訂されている。

 L.Trotsky, The Fifth Wheel, The Spanish Revolution (1931-39), Pathfinder, 1973.


 各国のアナルコ・サンディカリズムのグループを代表するいわゆる国際労働者協会(AIT)の大会が12月8日から17日までパリで開催された。周知のように、このインターナショナルの中で唯一大きな支部はスペインのCTNである。その他の組織(スウェーデン、ポルトガル、フランス、ラテン・アメリカの組織)はすべてまったく取るに足りないない規模である。

 もちろん、たとえ小さな組織であっても、それが階級闘争の将来の発展に貢献する独立した革命的立場を有しているならば、それはきわめて重要な存在となりうる。しかし、AITの情報ブレティン(『ボレティン・デ・インフォルマシオン』のドイツ語版67号)に掲載された短い報告からもわかるように、パリの特別大会はガルシア・オリベル()[右の写真]の政策、つまりブルジョアジーへの屈服の政策の全面的勝利に終わった。

 この1年間というもの、2、3のアナーキスト出版物、とくにフランスのそれは、スペインのCTNの行動様式を控え目に批判してきた。この批判には十分な根拠がある。CTNの指導者たちは、国家なき共産主義を建設する代わりにブルジョア国家の大臣になったのだから! しかしながら、こうした事情も、AITのパリ大会が「CTNの路線を承認」することを妨げはしなかった。しかも、スペインのアナルコ・サンディカリストの指導者たちは指導者たちで、自分たちがブルジョンジーを救うために社会主義革命を裏切ったのはもっぱら「国際プロレタリアートの団結の不十分さ」によるものだと大会において説明したのである。

 この種の説明に何ら目新しいものはない。あらゆる改良主義的裏切り者たちはこれまで常に、自己の裏切りに対する非難をプロレタリアートの上に転嫁してきた。社会愛国主義者たちが「民族的」軍国主義を支持するのは、もちろん彼らが資本の下僕だからではなく、大衆が「真の国際主義にまで成熟していなかった」からだ。労働組合の指導者がスト破りとして立ち現われるのは、大衆が闘争に「習熟していない」からだ、等々。

 情報ブレティンに掲載された報告は、パリ大会で出された革命的批判については一言も触れていない。この点でもアナーキスト紳士諸君は完全にブルジョア自由主義者にならっている。なぜ下層民に上層内部の意見対立を聞かせる必要があろうか? これはアナルコ・ブルジョア大臣の権威を揺がすだけである、と。フランスのアナーキストからの「左翼的」批判に対する大会の回答は、フランスのアナーキストに先の帝国主義戦争における自分自身の行動を彷彿とさせたことであろう。

 一部のアナーキスト理論家からすでに聞いたところでは、戦争や革命のような「例外的」状況の時期には、自己の綱領の諸原則を放棄しなければならないそうである。このような革命家は、たとえて言えば、雨が降る「例外的」状況の場合だけ水が浸み込むが、雨の降らない時には完璧に「浸み込み防止」になっているレインコートのようなものである。

 パリ大会の諸決定は、ガルシア・オリベル一派の政策とまったく同じ水準にある。AITの指導者たちは、第2インターナショナル、第3インターナショナル、アムステルダム・インターナショナルに対して、「反ファシズム国際統一戦線」の結成を提唱するアピールを決議した。資本主義との闘争については一言も触れられていない! 闘争方法は次のように宣言されている。「ファシスト諸国の製品のボイコット」と……「民主主義的政府に圧力をかけること」。プロレタリアートを解放するにはなんと頼もしい方法である!

 第2インターナショナルの指導者ブルムは、明らかに「圧力」をかける目的で、「民主主義的」フランスの首相になり、そしてフランス・プロレタリアートの革命運動を粉砕するためにあらゆることをなしたのではなかったか。ブルムは、スターリンとともに、そしてガルシア・オリベルの協力を得ながら、ネグリン()とプリエト()がスペイン・プロレタリアートの社会主義革命を絞め殺す手助けをした。この一連の行為の中で、ジュオー()はきわめて重要な役割を果たした。

 革命的プロレタリアートと闘うための三つのインターナショナルの統一戦線は、このような行為によって、とっくの昔にでき上がっていたのだ。この統一戦線の中でCNTの指導者たちは、目立つものではなかったが十分に破廉恥な位置を占めていた!

 パリ大会は、スペインのアナーキストの裏切りを全世界のアナーキズムの上に転嫁することを意味する。このことは、AITの書記長が今後スペインのCNTによって任命されることになったという事実にとくにはっきりと示されている。言いかえれば、これからは、AITの書記長はスペインのブルジョア政府の官吏となるのである。

 アナーキストの紳士諸君、半アナーキストの理論家・半理論家諸君、諸君はこの事実についていったい何を言うべきなのか? 諸君は、スペインのアナルコ・サンディカリストの例にならって、ブルジョア民主主義の車につけられる5番目の車輪[無用の長物の意]の役割を果たすことに同意するのか?

 もちろん多くのアナーキストは完全に安らかな気持ちでいるわけではない。しかし、彼らはこの不安を克服するために話題を変える。なぜスペインやAITのパリ大会のことばかり語るのか…クロンシュタットやマフノについて語っていればいいときに?…これこそ喫緊の問題だ…。

 アナーキストのインターナショナルはどうやら、その解体と腐朽の点で第2・第3インターナショナルに遅れをとることを望んでいないようだ。だが、それだけになおさら、誠実な労働者アナーキストは速やかに第4インターナショナルへの道を見いだすであろう。

1938年1月27日

『スペイン革命 1931-39』(パスファインダー社)所収

『トロツキー著作集 1937-38』下(柘植書房)より

  訳注

(1)ガルシア・オリベル、ホセ(1901-?)……スペインのアナーキスト右派、CNTの指導者。1936年から内戦の終了まで、スペイン人民戦線政府の司法長官をつとめる。

(2)ネグリン、フアン (1894-1956) ……スペイン社会党右派。1936〜37年、人民戦線のカバリェロ内閣の蔵相。スターリニストの強い影響下にあり、1937年5月の「5月事件」をきっかけに、首相を兼任(共和制最後の首相)。内戦敗北後、パリ、次いでメキシコに亡命、1945年まで亡命共和国政府の首班をつとめた。

(3)プリエト・イ・トゥエロ、インダレシオ(1883-1962)……スペイン社会党の右派指導者。人民戦線政府のカバリェロ内閣の海空軍相。1938年にスターリニストの圧力で解任。

(4)ジュオー、レオン(1879-1954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の一人。

 

トロツキー研究所

トップページ

1930年代後期