スペイン、スターリン、エジョフ
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本稿は、スペイン共和制政府崩壊後に、スペイン革命におけるスターリニストの犯罪の実態を亡命者たちの証言から明らかにすることを目的とした論文である。スペイン革命の過程で、ゲ・ペ・ウの手先は、POUMの指導者アンドレウ・ニンを拷問して虐殺するなど、ありとあらゆる卑劣な犯罪に手を染め、革命を内部から破壊し、道徳的に堕落させた。これらの犯罪は、革命を脅かすトロツキストを粛清するという名目でなされたが、実際には、最も誠実な革命家たちを葬り去ることで、スペイン革命に対する最大の打撃となった。
なお本稿は本邦初訳である。
Л.Троцкий, Испаия, Стлин и Ежов, Бюллетень Оппозиции, No.75-76, Март-Апрель 1939.
エジョフ
(1)は多くの理由があって不興を買っているが、疑いもなくそれはスペインの事件とも関わっている。共和国政府軍の崩壊は、ゲ・ペ・ウの最も緊密で積極的な協力のもとに起こったのであるが、それはゲ・ペ・ウ自身にとっても、クレムリンに鎮座するその主人にとっても最大の危険性となっている。スターリンに奉仕する国際的な卑劣漢によってイベリア半島でなされた無数の犯罪は、今や不可避的に明るみに出されつつある。何十、何百、何千もの証言者、犠牲者、参加者がスペインから亡命・脱出し、全世界に散っている。彼らは、スペインにおけるゲ・ペ・ウの犯罪行為に関する自らの証言をもあらゆるところに持ち込むだろう。真理は、あらゆる国の住民に広範囲に知られるようになるだろう。もし共和派が少なくとも勝利を収めていたならば、多くの者はスターリンの犯罪を寛大に見る方へ傾いたことだろう。「勝者を裁くことはできない」。しかし、今やまったく明らかなのは、革命家に対する下劣な虐殺が、たった一つの結果しかもたらさなかったこと、すなわちフランコの勝利を容易にしたということである。多くの人々の目から眼帯が取り外されつつある。
スターリンは、その伝統的方法に合致して、エジョフをさっさと辞任させることで、こう言おうとしたのである。「これらはすべてエジョフの罪であって、私の罪ではない」。しかし、今さら誰が、ますます愚策になりつつあるこのような臆病な策略を信じるだろうか? スペインにおける犯罪行為に対し、全世界の労働者階級の面前で責任を問われているのはスターリン個人である。そして彼は、コミンテルンの裏切り的政策にも、ゲ・ペ・ウの強盗的政策にも個人的に責任を負っている。
※ ※ ※
世界のほとんどどの国にも、何らかの形でゲ・ペ・ウの手に陥り、そこから逃れてきた人々がいる。スペインの崩壊後、このような人々の数は著しく増大した。やむをえず自らの鋭い爪から犠牲者を解き放たなければならなくなったとき、ゲ・ペ・ウのエージェントはたいていこう言う、「覚えておけ、われわれの腕が遠くまで伸びることを!」。こうした脅迫に対する恐怖ゆえに多くの人々は口をつぐんでいる。
何としてでも、恐怖に駆られているこれらの人々をして、真実を語る気にさせなければならない。すべての国のわれわれの同志たちは、ゲ・ペ・ウのかつての犠牲者・半犠牲者たちに、自分の知っていることを語ることこそが彼らの直接の責務であることを説明しなければならない。彼らの暴露した事実が大衆的な広がりをもつならば、ソ連にいる彼らの親戚が迫害を受けることもないだろう。第4インターナショナルの諸組織は、これらの暴露に大衆的広がりを与えることができるし、そうしなければならない。現在、これこそ、国際スターリニスト・マフィアとの闘争におけるきわめて重要な課題である!
1939年3月4日
『反対派ブレティン』第75・76合併号
新規、本邦初訳
訳注
(1)エジョフ、ニコライ(
1895-1938)……ソ連のスターリニスト。労働者の出身で、1936〜38年にゲ・ペ・ウの長官として大粛清遂行の先頭に立つ。あまりにも不評を買ったため、1938年にゲ・ペ・ウ長官を罷免され、発狂、自殺した。
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