トロツキー写真館

  

『ドイツ社会民主党』

トロツキー『ドイツ社会民主党』(1907年)

 「私と妻とパルヴスの3人で、ザクセンのスイスと呼ばれる地方へ徒歩旅行に出かけた。夏の終わりにさしかかる頃で、いく日もすばらしい天気が続き、朝は肌寒いほどで、私たちはミルクと山の空気を満喫した。私と妻は道のない谷間を下りようとして、あやうく頭から落ちそうになった。私たちは、ボヘミア地方の、小役人の避暑地であるヒルシュベルクという小さな田舎町に行き、そこで数週間すごした。お金が底をつきかけると――そうした事態は周期的に訪れた――、パルヴスか私があわてて社会民主党の機関誌に論文を書くのであった。このヒルシュベルクで私は、ペテルブルクのボリシェヴィキ出版社のためにドイツ社会民主党に関する小冊子を書いた。その中で私は、ブルジョア社会が危機に瀕したときドイツ社会民主党の巨大な機構は保守的秩序を支える主要な力となりうるという考えを、改めて(最初は1905年)展開した。しかし、さすがにその時は、私自身、この理論的仮説がどれほどまで実地に確認されるかについては予想していなかった。ヒルシュベルクから、私たちはそれぞれ別方向に散った。私はシュトゥットガルトの第2インターナショナルの大会へ、妻は子供に会いにロシアへ、パルヴスはドイツへ。」(『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

前へ次へ

第1期第2期第3期

 

トロツキー研究所

トップページ

トロツキー写真館