現今の状況(覚書)

トロツキー/訳 西島栄

【解題】本稿は、1927年2月時点でのトロツキーの覚書である。この時期は、1926年の10月16日の声明から1927年4月12日の中国での上海クーデター事件に至るまでの「息継ぎ」期にあたり、主流派と反対派との党内闘争は一定の小康状態にあった。この時期、反対派は、1927年の2月における中央委員会総会において、工業品価格の引き下げに関する決議に賛成するなど、主流派を党内的手段で少しずつ反対派の政策の方向に押しやることを追求していた。しかしながら、この小康状態は、衝撃的な4月事件の勃発によって終焉を迎える。

 なお本稿は本邦初訳である。

 Л.Троцкий, ТЕКУЩИЙ МОМЕНТ (для памяти), Дневники и письма, 《Издательство гуманитарной литературы》, Мос., 1994.


 1、「すべての矛盾を克服し、すべての危険性を防止し、われわれの目の前にあるすべての課題を解決するような、何らかの経済的処方箋は存在するのか?」。

 この問いは間違った形で立てられている。もしこのような処方箋が存在するのだとしたら、それは、一国だけで社会主義を建設することができるということを意味するだろう。

 過渡期の現段階の状況――いわゆる世界の「安定化」という条件下でのそれ――は、深刻な矛盾に満ちている。

 われわれのきわめて重要な課題は以下のようなものである。

 (a)プロレタリアートの革命的武器としての真の意味でのレーニン主義党を堅持すること。それゆえ、矛盾と危険をプロレタリアートから隠さないこと。それどころか、それらを認識することに向けて彼らを教育することが必要である(革命家の選抜)。

 (b)階級的機軸にもとづいた機動的な政策をとることによってプロレタリアートの独裁をできるだけ全面的な形で維持すること、そしてそれをヨーロッパにおけるプロレタリア革命の原則と結びつけること(このことから、一方ではクラーク・ネップマン・官僚に対する一定の関係が、他方では貧農に対する一定の関係が生じる。中農に対する関係は、貧農とクラークに対する一定の関係を基準にして生じる)。

 (c)その間に、社会主義建設の道をできるだけ前進すること。そのためには、わが国経済と世界経済との相互関係を明確に理解すること、国内の資源を正しく評価し、それを世界市場の資源と結びつけて賢明に利用することが必要である。基準はいわゆる「独立」ではなく、発展テンポである。

 

  2、現在の時期における階級的諸勢力の相互関係

 工業および商業においては経済の社会主義的要素の相対的な成長。

 商工業分野においては資本主義的要素の絶対的成長(その相対的な縮小をともなったそれ)。

 農業においては、経済のクラーク的・農場主資本主義的が絶対的のみならず相対的にも成長している。

 総合して、社会主義的要因が国民経済全体から立ち遅れている(不均衡、鋏状格差)。

 政治においては、これはすでに、プロレタリアートに損失を与える方向で力関係の変化をもたらしている。

 文化的成長にもかかわらず、プロレタリアートの階級的自覚は低下している。この原因。鋏状価格差、失業、賃金の伸びの遅れ、アルコール中毒の急速な増大。求心的傾向に対する遠心的傾向の優位性が、官僚主義によって強力に増大している。

 都市と農村における中小ブルジョア的分子の政治的能動性の成長。これらの昨日まで支配してきた諸階級にあっては、政治的権利の要求が当然ながらその経済的土台を追い越している。プロレタリアートの階級的路線の後退は、中小ブルジョア分子の自信を養い、幻想を培っている(これは、党がどれだけ危険性を理解し、プロレタリアートを、その脅かされつつある地位を守るために動員することがどれだけできるか、その程度に応じてのみ幻想のままでとどまる)。

 

   比較せよ。

 現在の党勢調査への不参加(戦争の危険性)。

 デニーキンの危険性が迫っていた時の党員週間。

 中央委員会総会と科学部門活動家の大会。

 

  3、当面する政治的展望

 右からの階級的圧力の不可避的な増大。この圧力に個々の先鋭な一撃がともなう可能性がある。右からの一定部分の支配。

 ミリュコーフ――ウストリャーロフ――カミンスキー(1)

 諸階級の政治的重心移動とその外的な公式上の克服を見きわめること(選挙規程、課税政策、スペッツに対する態度、等々)。

 きわめて重要なのは、右からの攻勢のすべての徴候を追い、強調し、説明し、警告を発し、反撃の準備をすることである。これがわれわれの予測の基本方針である。

 圧力の増大は不可避的に、プロレタリアート内部の求心的傾向を強めるだろう。今後の展望は、当面する時期においては「防衛的」な性格を持つだろうが、その後不可避的に攻勢へと転じることになるだろう。この課題――党の革命的・プロレタリア的中核を通じて階級的防衛を準備すること――を、現在の「最後通牒派」[民主主義的中央集権派]は理解することができない。現在の状況下でこの課題をささいなものだとみなすことは、事業を滅ぼすことを意味する。

 他方では、反対派の路線の正しさが日々確認されている現在、自らの路線から逸脱しつつある解党主義的な反対派分子[労働者反対派]は不可避的に、最右派の陣営に投げ込まれるだろう。こうした連中に対してとるべき態度は、非和解的に一線を画すことでなければならない。われわれは、党の大衆活動家たちと足並みをそろえることができるし、そうしなければならない。彼らは、過去の時期の慣性に引きずられており、客観的情勢のせいで国内および党内における政治的な重心移動を理解することを妨げられている。だがわれわれには、侮辱された高官や半高官出身の「反対派」とのいかなる接点もない。これらの連中は、路線を正すための長期にわたる先鋭な党内闘争の必要性におびえている。

 

    工業品価格の引き下げ問題

 われわれが1926年4月に予言したように、この1年間、不均衡は縮小せず、逆に拡大した。「わが国にはこの1年間に、鋏状価格差がいっそう大きくなった。工業が成長しているにもかかわらず、去年よりも価格の開きが大きくなった」(ミコヤン(2))。工業品価格の現実的で長期的な引き下げを達成することができるのは、一般向けの大量商品の比率を変更することによってのみである(工業品の量を増大させながらその原価を引き下げること)。

 われわれの全般的な戦略的路線が価格引き下げに向けられていることは――御用新聞がまったく正反対の主張をしているにもかかわらず――、われわれ全員にとってまったく議論の余地のないことである。現在の経済情勢全体は価格の引き下げを差し迫った戦術的課題にしている。

 すべての基本的な価格形成要因および一般にすべての経済的諸要因を変えることなしに工業品価格を引き下げることは、ある程度までは、政治的性格を持った緊急避難措置である。この措置が多少なりとも成功すれば、それは賃金に対する労働者の不満を緩和することができるだろうし、購買者たる農民の不満も和らげることができるだろう。すでにこのこと一つとっただけでも、総会決議を最も断固として首尾一貫して良心的に遂行することが必要になる。

 しかし、価格引き下げを、租税や国家財政や工業などの各分野における並行的な措置をとることなしに、行政上の緊急避難的性格を持った孤立した措置として遂行することは、将来において不均衡をいっそう拡大する可能性がある。数億ルーブルが国営経済から私的経済に移動しかねない。その結果として、消費者向け価格の10%減が完全に達成された場合でも、工業に資金調達するという課題は、現在よりもはるかに先鋭なものとしてわれわれの前に立ちはだかることになるだろう。この場合、工業を発展させるためには、それが失った資金を工業に取り戻させることが必要になるかもしれない。なぜなら、商品取引の回路を通じては、失った資金の一部しか取り戻すことができないからである。工業に数億ルーブルを取り戻すことができるのは次の2つのどちらかのやり方によってである。国家財政と信用を通じてか、卸売り価格の新たな引き上げによってか、である。

 しかし、現在の財政構造のもとで、国家財政に助けを求めることは、直接税や間接税の新たな引き上げをもたらすかもしれない。これはまたしても、原価の上昇と一般向け商品の増大不足をもたらすかもしれないし、さらなる価格引き下げを不可能にしたり、場合によって価格の再上昇をもたらすかもしれない。そして、これはこれで、農業との相互関係をいっそう悪化させることにつながりかねないし、何よりも農業原料の基礎を縮小することにつながりうる。

 したがって、すべての経済政策と調和していないような行政的緊急避難としての価格引き下げは、完全な実践的成果を挙げた場合でさえも、すなわち6月1日までに小売り価格を実際に10%引き下げることに成功した場合でさえも、その後には、価格の上昇ないし安定化の新たな時代に取って代わられる可能性があるのである。

 まさにそれゆえ、現在遂行されている[価格引き下げ]カンパニアを全面的に支持し、それが他の者によって正しく遂行されているかどうかを注意深く追い、ここではいかなるトリックも許すことなく、カンパニアの経過を集会や新聞雑誌で良心的に報告させつつも、つまり一言で言えば、最近の総会決議の実現のために全力を尽くして働きかけつつも――けっして許されないのは、広く蔓延している行政的幻想を助長したり、経済的俗流主義に陥ることによって、単に流れに身を任せて泳ぐことである。必要なのは、落ち着いて、事態に即して、粘り強く、主要な経済的諸過程の結びつきと、その諸過程から出てくる主要な課題を党に理解させることである。その課題とは、緊急避難措置としてではなく、系統的な価格引き下げに向けた唯一の道として、工業の発展テンポを加速させ、一般向け工業製品を増大させることである。

 

    資本建設の問題

 諸状況の組み合わせの中から[1927年2月の中央委員会]総会ではじめて明らかになったのは、資本投資の問題が多年にわたる建設計画の問題であり、すなわち、独立した社会主義建設から生じている新しいタイプの計画の問題であるということであった。総会は最高国民経済会議(ヴェセンハ)の年間数値という形で経済的追随主義の現われとぶつかった。4月には、数年間にわたる建設計画の必要性を検討することを拒否しながら、総会は、その10ヵ月後には、来年度の資本建設の計画が5ヵ年計画の構成部分とならなければならないとする決議を採択した。こうして、新しい計画に関しては、貴重な1年を失うことになり、これは不可避的に何百万ルーブルを失うことを意味するだろう。

 4月には、1926〜27年における資本建設の目標数値を遅滞なく10億ルーブルに設定するという提案が拒否された。だが10ヵ月後、建設シーズン直前に、目標数値が9億4700万ルーブルに設定された。年間の目標数値の設定が遅れたことは、かなりの程度、その実現を困難にしたし、いずれにせよ新たな何百万もの無駄な出費を国に費やさせることになった。

 4月総会において、ドニエプロ総合建設事業は農民の蓄音機だと説明された(3)。数ヵ月後には、今年からすでにこの事業に取り組むことが決定された。

 これらの事例において(それほど明確ではないがその他の事例においても)、容易に次のことを指摘することができるだろう。現在支配的となっている経験主義(経済的予測と計画的事業に対する俗悪な蔑視)が実践的には無力な追随主義を意味しており、国民経済に非常に高くつくものとなっていることである。

1927年2月19日

『日記と手紙』所収

新規、本邦初訳

   訳注

(1)カミンスキー、グリゴリー・ナウモヴィチ(1895-1938)……1913年からボリシェヴィキ。1917〜20年、トゥーラ地方で党活動、国家活動に従事。1923〜29年、全ロシア農業協同組合同盟の中央委員会の副議長。1925年からロシア共産党中央委員会候補。1930年から党モスクワ委員会書記。1937年に逮捕され、1938年に銃殺。1955年に名誉回復。

(2)ミコヤン、アナスタス・イワノヴィチ(1895-1978)……1915年からのボリシェヴィキ。カフカース地方で革命活動に従事。ロシア革命・内戦期にはバクーで活動。1918年、イギリス干渉軍に26名のコミッサールとともに逮捕されたが、奇跡に敵に1人だけ銃殺を免れた。1922〜26年、北カフカース党地方委員会書記。1926〜30年、通商人民委員。1930〜34年、補給人民委員。1934〜38年、食糧工業人民委員。1935年から党政治局員。1937〜46年、外国貿易人民委員。1946〜65年、副首相。1956年の第20回党大会で「スターリン批判」の口火を切った。1964年、最高会議幹部会議長に。1965年に引退。

(3)1926年の中央委員会4月総会におけるスターリンの発言。

 

 

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