日中戦争に関する決議について
トロツキー/訳 初瀬侃・西島栄
【解説】日中戦争をめぐるトロツキーの新聞向け声明(「
日本と中国」)や一連の手紙(「日中戦争について」)にもかかわらず、国際左翼反対派の一部に、日中戦争をめぐって曖昧な態度が見られたため、トロツキーは国際書記局に宛てて改めてこの問題をめぐる原則的立場を論じた手紙を送った。この手紙の示している原則的立場は政党であるが、軍事問題については検討の余地がある。トロツキーは「中国の軍隊は、ブルジョア軍として所有者の利益のために、労働者のストライキと農民の反乱を鎮圧する。この場合には、われわれはあらゆる可能な手段でこれに対抗する」と述べているが、そのような「対抗」はそれほど容易なものではない。蒋介石軍からは独立して(そしてそれに対立して)労働者農民が武装していないかぎり、そのような「対抗」はそもそも不可能だった。この文書には、この点の考察が欠けている。
本稿の最初の翻訳は『トロツキー著作集
1937-38』下(柘植書房)だが、『トロツキーの中国論』(パスファインダー社)所収の英語底本にしたがって全面的に訳しなおされ、散見されたいくつかの誤訳が修正されている。L.Trotsky, Concerning the Revolution on the War, Leon Trotsky on Chaina, Pathfinder Press, 1976.
国際書記局へ
親愛なる同志諸君
ひどく遅くなったが、日本と中国に関する書記局の決議について手短に書こう。これほど遅れたのは、この問題について以前私が書いた手紙で十分だと思っていたからである。しかしそうでなかったようだ。極左的考慮に導かれた若干の同志たちは、蒋介石と日本の天皇のあいだで多少なりとも「中立」の立場を守ろうしていたが、今では、彼らによれば諸君によって提起されたという第2線の塹壕に後退しようとしている。
私は、諸君の文書のどの部分にも、どの文章にも異議を唱えることはできない。どの主張もそれ自体として正しいが、各部分間の釣り合いは十分現実的ではないように思われる。戦争はすでに起こっている。最初の問題は、中国の同志とその他すべての人々は、この戦争を自分たちの戦争として受け入れているのか、それとも支配階級が自分に課した戦争としてこの戦争を拒絶しているのか、ということだ。極左主義者たちはこの根本的問題に答えることを回避しようとしている。彼らは蒋介石の過去と未来の犯罪を非難することから始める。これはニューヨーク(エーラー派(1))やブリュッセルでは可能だが、中国では、とりわけ上海では不可能な、まったく教条主義的な方法である。われわれは蒋介石を労働者の死刑執行人としてよく知っている。しかしこの蒋介石は今やわれわれの戦争である戦争を指導せざるをえない。この戦争では、われわれの同志たちは最良の闘士でなければならない。彼らが蒋介石を政治的に批判する場合には、彼が戦争をやっているということではなく、戦争を非効果的にやっていること、ブルジョア階級に高い税金を課さず、労働者・農民を十分に武装させていないこと、等々に向けられなければならない。
他の諸国の同志たちは、これまでわが中国支部の最も重要なスローガンが「日本に対する戦争を準備せよ」であったことをほとんど知らない。そしてこのスローガンは正しかった。いまや中国の同志たちは抗日戦争と軍事的準備の最も強力な主唱者であったという大きな利点を持っている。彼らは同じ地平でその政治活動を継続しなければならない。私はこの点では、極左派に対して少しも譲歩できないと信じている。彼らは……そう、潜在的な社会愛国主義者である。彼らは自らの「中立」の処女性を守るために喜んで「いっさいの戦争」を拒否しているかぎりにおいて、受動的な国際主義者にとどまっているが、事態が、各々の戦争を区別する必要性を強制する時には、彼らはいとも簡単に社会愛国主義にすべり落ちるかもしれない。
スペイン革命が、われわれのカードルを国際革命に向けて準備させるための貴重な実例であるように、日中戦争はわれわれのカードルを来るべき世界大戦に向けて準備させるための古典的実例である。ここでは帝国主義の略奪者どもが、半植民地国を完全な植民地国に転化するためにこの国との孤独な戦争に従事している。日本の労働者は、「われわれの搾取者どもがこの不実な侵略戦争を私に押しつけている」と言わなければならない。中国の労働者は、「日本の強盗どもがこの自衛戦争をわが人民に押しつけている。これはわれわれの戦争である。しかし不幸にして戦争の指導権は悪党に握られている。われわれはその指導を厳格にチェックし、それを取りかえる準備をしなければならない」と言わなければならない。これこそ煽動と宣伝の唯一の現実的方針である。
次のような議論を耳にしたことがある。「中国の軍隊はブルジョア軍隊だ。だがわれわれが持てるのはプロレタリア赤軍だけである」。この議論はブルジョア的(半ブルジョア・半封建)植民地国と帝国主義的奴隷所有国との相違がわかっていないことの「軍事的」現われである。もちろん中国の軍隊は、ブルジョア軍として所有者の利益のために、労働者のストライキと農民の反乱を鎮圧する。この場合には、われわれはあらゆる可能な手段でこれに対抗する。しかし日本との戦争では、この同じ軍隊が中国の人民の進歩的な民族的利益を――不十分に、無意識に――防衛する。そのかぎりでは、われわれはこれを支持する。中国の軍隊と日本の軍隊とを同一視することは、抑圧者と被抑圧者を、強盗とその被害者を同一視することに他ならない。
次のような議論も耳にする。「蒋介石の指導下にあるこの反日帝戦争を支持することによって、われわれはイギリス帝国主義とアメリカ帝国主義に奉仕し、彼らの道具になるかもしれない」。超急進主義はまたしても革命的行動に対する障害物となっている。
一例をあげよう。ある工場で会社の守衛が労働者を攻撃し、何人かを殺傷したとする。労働者は憤激し、労働組合のペテン師さえストライキを呼びかけないわけにはいかない。そこへ1人の極左派の男が登場して、手を振り上げて警告を発する。「ストライキはやるべきでない。なぜなら、労働組合指導者はわれわれの完全な解放を保障できないペテン師だからであり、しかもわれわれがストライキをやれば、競争相手の会社に奉仕して別の搾取者の道具になってしまうからだ」。
ストライキの場合は、こんな議論は労働者の怒りを買うだけだ。しかし、大規模な戦争にこれと同じ態度で臨むとすれば、それは比べものにならぬほど激しい怒りを呼び起こす犯罪的なものである。蒋介石が中国の解放を実現できないことは明らかである。しかし彼は中国のこれ以上の奴隷化に歯止めをかけようとしており、それは今後の解放へ向けての小さな一歩である。
結局のところ、われわれがイギリスを「助ける」ことになると言うのは正しくない.ある強盗に対して武器をもって自己を防衛しうる人民は、明日には別の強盗を排撃することができるだろう。このことを理解し、自国の独立の残存物を防衛する人民の先頭に意識的かつ勇敢に立つ革命党――ただこのような党だけが戦争中に労働者を動員し、戦後には民族ブルジョアジーから権力を獲得することができるのである。
繰り返すが、極東情勢はきわめて典型的で明確である。いかにしてなぜベルギーの指導的同志たちが、現実に戦争が始まろうとする決定的瞬間に、「われわれは自分たちの綱領を放棄することなく全面的に中国の側に立つ」という私のきわめて簡潔な新聞向け声明に疑問符をつけることができたのか、われわれは何度も何度も自問してみなければならない。1914年以降における戦争問題に関するわれわれのこれまでの論文・著作はすべて、少なくとも指導的同志たちがあらゆる戦争に目を開いて対処できるようすることを目的としていた。ところが不幸にしてわれわれは、最も明確で疑問の余地のない戦争が勃発した時に、ベルギーの同志たちの一部が疑問符をつける以外に宣伝の方法を知らなかったことを知るのである。
私は、以前に出した手紙の一つ
(2)で、中国の労働者が積極的に戦争に参加する義務を強調した上述の新聞向け声明(1937年7月30日)(3)の性格が、中国の同志たちの直面している特殊な情勢に対する考慮によっても規定されていることを説明しておいた。蒋介石と結びついたスターリニスト死刑執行人が中国のボリシェヴィキを「日本の手先」として中傷しようとすることは明らかであった。それは現在すでに起こっている。中国におけるゲ・ぺ・ウの手先は、ニューヨークのゲ・ぺ・ウ機関紙(『デイリー・ワーカー』(4))に、今度は中国でやろうとしている新しいでっち上げを伝える外電を送っている。真の国際主義は、あらゆる機会に紋切り型の言葉を繰り返すことにあるのではなく、各国の特殊な諸条件と各支部のかかえている諸問題をきちんと考察し、それによってこれらの支部の課題実現を容易にすることにある。中国のボリシェヴィキが置かれている恐ろしく困難な状況を考える時、ベルギーの機関紙に載せられた理解不能な疑問符は重大な誤りである。だからこそわれわれは、この問題について、極左派、中間派、懐疑派、曖昧派のいずれにもいささかの譲歩もできないのである。この問題をめぐる闘争は徹底的に遂行しなければならない。
最良の挨拶をこめて
L・トロツキー
1937年10月27日
『トロツキーの中国論』(パスファインダー社)所収
『トロツキー著作集
1937-38』下(柘植書房)より訳注
(1)エーラー派……アメリカ合衆国労働者党のセクト主義的分派で、社会党との合同に反対した。指導者はフーゴ・エーラー。1935年10月に規律違反が理由で除名され、革命的労働者連盟を組織した。
(2)トロツキー「
日中戦争について」(1937年9月23日)のこと。(3)トロツキー「
日本と中国」(1937年7月30日)のこと。(4)『デイリー・ワーカー』……アメリカ共産党の中央機関紙。
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