ネグリン政府の予算案に賛成するべきか?
ジェームズ・キャノンへの手紙
トロツキー/訳 西島栄
【解説】1937年の5月事件をきっかけに、POUMやアナーキスト左派に対する弾圧が激しくなるとともに、中央政府の側でも、社会党左派のカバリェロから右派でスターリニストとの関係が深いネグリンに首相が交代した。この更迭劇は、中央政府の政策をいっそう右寄りにするとともに、中央政府におけるスターリニストの影響力が決定的に高まった。
こうした中で、このネグリン政府に対する態度をめぐって、トロツキストの隊列の中でも左右のブレが生じた。左のブレは、ネグリン政府がブルジョア=スターリニスト政府であることを理由に、共和派政府に対するいかなる支援にも反対するというものであり、右のブレとしては、フランコ軍に対するほとんど唯一の軍事的勢力となったネグリン政府の予算案に対して賛成投票することに同意する傾向が生じたことである。この左右の日和見主義に関しては、「
スペイン情勢に関する質問への回答」(1937年9月14日)が全体的に扱っているが、このキャノンへの手紙は、とりわけ予算案への賛成投票問題に絞って論じている。本稿は、邦訳初訳である。なお、題名は、内容に即して訳者がつけた。
L.Trotsky, Letter to James P. Cannon, The Spanish Revolution 1931-39, Pathfinder Press, 1973.
親愛なる同志キャノン
昨日受け取った同志シャハトマンの手紙に少し不安を覚えた。[アメリカ共産主義者同盟]全国委員会によって採択されたスペインに関する最後のテーゼは、不十分なように思われる。同志ウェーバー(1)がこちらにいたとき彼とこの問題について討論した。ネグリン政府に対するいわゆる物質的援助の問題があまりにも一般的な形で定式化されており、そのせいで、セイラム(2)らの「左翼」反対派に一定の基礎を与えるものになっている。私は、これは基本的な意見の相違の問題ではなく、不十分な定式化の問題であると確信していたし、今もそう確信している。私は、全国委員会のテーゼをより正確なものにするために、そして、エーラー派
(3)の立場に対してマルクス主義的立場をより具体的に対置するために、ロサンゼルスのディック・ローレの質問に文書の形で回答を与えた。しかし、シャハトマンの手紙はいくつかの疑念を呼び起こした。それが杞憂であればいいのだが。国会において予算案に賛成投票することは、「物質的」支援ではなく、政治的連帯の行為である。ネグリンの予算案に賛成票を投じることができるのなら、どうして彼らの政府に自分たちの代表を送り込んではならないのか? それもまた「物質的」支援として解釈することができるのではないか。
フランスのスターリニストは、フランスの人民戦線政府に完全な信任を与えているが、そこには参加していない。われわれはこの種の不参加を、最も有害で最悪の参加形態であると呼んでいる。ブルム(4)とショータン
(5)に彼らの行動にとって必要ないっさいの手段を与えることは、政治的な意味で連立政府に参加することである。同志シャハトマンの出している問題――「前線用のライフルの購入に100万ペセタの予算を投じることをどうして拒否しえようか」――は、改良主義者によってこれまで100回も1000回も革命的マルクス主義者に投げかけられてきたものと同じである。「国防費のみならず学校や道路を建設するのに必要な何百万、何千万の予算にどうして諸君は反対投票するのか?」。われわれは、フランコと闘争する必要性と同じぐらい学校と道路の必要性を認識している。われわれは「資本主義的」鉄道を利用するし、子供たちを「資本主義的」学校に通わせている。しかし、われわれは資本主義政府の予算案に賛成票を投じることを断固拒否してきたのである。
コルニーロフとの闘争において、われわれは、ケレンスキーに対する政治的連帯と解釈されかねないような投票をソヴィエトでしたことはなかった。
アジテーションの観点からして、今やわれわれの反対投票を説明することにいささかの困難さもない。「われわれはライフル購入に200万ペセタを要求しているが、彼らは100万しか認めなかった。われわれはライフルを労働者の管理のもとで配分するよう要求したが、拒否された。われわれは、治安警察の持っている武器を取り上げて、彼らのライフルを前線に送るよう要求したが、拒否された。どうして、このような政府にわれわれの金とわれわれの信任を自発的に与えることができようか?」。すべての労働者はわれわれの行動を理解し、それに賛成するだろう。
ネグリン政府の行動はすべて、戦時の必要性という旗のもとになされている。もしわれわれが、彼らのやり方にもとづく戦時の必要性に対する政治的責任を引き受けたならば、政府の行なうあらゆる重大な措置に政治的な賛成票を与えることになるだろう。同じく、われわれは彼らを機関紙や集会で評価することになるだろう。こうしてわれわれは、POUM流の政権与党になってしまうだろう。このような状況のもとで、どうしてわれわれはネグリン政府の転覆を準備することができようか。私の回答の核心はこうである。われわれは、ネグリン政府の存在にもかかわらず軍事的にフランコと闘争し、それと同時に、われわれは政治的にネグリン政府の転覆を準備する。もしこの根本的問題で同意できるのならば、実践的結論の点で意見の相違が生じることはありえない。
あなたは、スペイン問題に関する同志フェレーケン
(6)に反対した私の論争的な手紙(7)を受け取っただろうか? この手紙を諸君のブレティンに掲載することは可能だろうか? 現在それは二重の意味で必要であるように思われる。(1)フェレーケンの完全に日和見主義的な立場を暴露するために、(2)二次的な問題で極左的である人々がいかに容易に偉大な事件を前にして日和見主義者になるかを示すために、である。この2週間、国際書記局やバルセロナ組織、フランス支部やドイツ支部などが発行しているすべての国際ブレティンを読んだが、とりわけスペインの事件に関する分析レベルの高さに大いに感銘を受けた。これらの優れた文献すべてがアメリカ合衆国の指導的同志たちによって読まれ研究されているかどうか、私は知らない。最良の論文は英語に翻訳されて、一部は国内ブレティンに、他のものは『ニュー・インターナショナル』に掲載されるべきだろう。
最良の挨拶をもって
トロツキー
1937年9月21日
(キャノンとシャハトマンに宛てた別の手紙の一部より)
P・S 1936年11月1日付の『ソーシャリスト・アピール』の最初の頁に掲載されている社説には、次のような文章があった。「革命的労働者は、武器をブルジョア民主主義政府にではなく労働者と農民に渡すよう訴えるアジテーションを継続しなければならない」。
これが書かれたのはラルゴ・カバリェロ政府のときであり、革命的労働者に対する血の弾圧がなされる以前のことである。だとすれば、現在、どうしてネグリン政府の軍事予算に賛成票を投じることができようか。
L・T
1937年9月25日
『スペイン革命
1931-39』所収新規、本邦初訳
訳注
(1)ウェーバー、ルイス・ジェイコブス(
1896年生)……別名ジャック。古参のアメリカ共産党員で、後に左翼反対派。サラの夫。第2次世界大戦末期に社会主義労働者党から離れる。(2)セイラム、アティリオ……アメリカ社会党の左派「アピール・アソシエーション」のメンバーで、1937年にトロツキストとして除名され、社会主義労働者党に入党。その中で極左グループを率い、スペイン問題では、スペインのブルジョアジー政府に対するいかなる支援にも反対という立場をとった。
(3)エーラー派……アメリカ労働者党のセクト主義的分派。指導者はフーゴ・エーラー。
(4)ブルム、レオン(
1872-1950)……フランス社会党の指導者。ジョレスの影響で社会主義者となり、1902年に社会党入党。1920年、共産党との分裂後、社会党の再建と機関紙『ル・ポピュレール』の創刊に努力。1925年、社会党の党首に。1936〜37年、人民戦線政府の首班。社会改良政策をとったが、スペインの内戦に不干渉の姿勢をとる。第2次大戦中、ドイツとの敗北後、ヴィシー政府により逮捕。ドイツに送られる。戦後、第4共和制の臨時政府首相兼外相。(5)ショータン、カミール(
1885-1963)……フランスの急進社会党指導者。1930年、1933〜34年、1937〜38年、首相。(6)フェレーケン、ジョルジュ(
1894-1978)……ベルギーの革命家、トロツキスト。ベルギー共産党の中央委員から左翼反対派に。1930年代、第4インターナショナルのベルギー支部の指導者。1936〜38年、スペイン革命の問題をめぐってトロツキーと論争。戦後、『トロツキスト運動におけるゲ・ペ・ウ』などの著作あり(7)「
スペインの経験を通じた諸個人と諸思想の検証」のこと。
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