永続革命論
トロツキー/訳 西島栄
【解説】本書は、トロツキーがアルマ・アタに流刑中の時期に、同じく流刑されていながら左翼反対派から離脱しつつあったカール・ラデック(後に完全に離脱しスターリニストに)が草稿の形で執筆した永続革命論批判に対して回答したものを主内容とし、翌年、トルコに追放された後にいくつかの章を書き加えて出版したものである。ラデックの批判書そのものは発表されていないので、その内容の全体像については知ることはできないが、トロツキーによる反論と引用から察するかぎり、永続革命論に対して1905年の時点から加えつづけられてきた、とりわけ、1924年の文献論争の時期にトロイカ派から加えられた中傷的批判の域を出ていないようである。トロツキーは、ラデックの批判論文をとくに重視したわけではないが、これを機会に永続革命論に対する典型的な攻撃の本質を暴露するとともに、自分の永続革命論を体系的に解説し、新しい革命世代(とくに東方の革命世代)を教育する手段にしようと考えた。そのため、単にロシアの経験を理論的に再確認するだけでなく、中国革命の敗北の教訓を踏まえて、永続革命論の適用範囲を植民地諸国にまで広げ、より一般的・総合的なものに仕上げることに意を用いた。
こうして、トロツキーは、ラデックの批判論文を熟読し、そこで展開された低レベルの永続革命論攻撃に一つ一つ答えていくという苦行に取り組んだのである。
不思議なことに、それから80年近く経ったが、いまだに低レベルの永続革命論攻撃をする論者が後を絶たない。最近では、その種のスターリニスト的攻撃を行なうのはスターリニスト自身ではなく、元トロツキスト、あるいはより広く元・反スタ急進主義者の面々である。いちばん最近の事例は柄谷行人である。この80周遅れの隔世スターリニストは、『at』(
太田出版)というブント系知識人を執筆陣にそろえた新雑誌に「革命と反復」という連載を行なっており、その第2章(2005年12月号)でトロツキーの永続革命論を取り上げ、ありきたりのスターリニスト的デマゴギーに塗りたくられた永続革命論攻撃を延々と展開している。おそらくは急進主義者であった頃からまともにトロツキーを読んだことも研究したこともないこのお調子者は、トロツキーの思想と行動についていわば典型的なスターリニスト的誤解と中傷の一覧を(今ではスターリニストでさえ言わない水準のものを)提供してくれている。たとえば、トロツキーがレーニンよりも1年も早くネップを提起した人物であるという常識すら知らない柄谷は、「1921年3月、トロツキーの反対にもかかわらず、レーニンは新経済政策(ネップ)に転換した」(24頁)などと書く始末である。さらに、トロツキーが「クロンシュタットの反乱を先頭に立って弾圧し」(同頁)たと書き散らし(実際には、クロンシュタット反乱弾圧の先頭に立ったのはジノヴィエフであり、トロツキーは後景に退いていた)、「労働組合から自治権を奪った」(同頁)と断言している(実際には、トロツキーは労働組合を真の自治的統治機関に転化することをめざした)。
柄谷はこうした個々の問題における非難では満足せず、より根本的な有罪判決をトロツキーに下す。ソ連におけるスターリニスト独裁と経済低迷の真の責任は、ブルジョア革命の「飛び越え」を主張してそれを実行したトロツキーにこそあると宣告する(20頁)。このような無理をしたから結局、70年後にブルジョア革命をやり直すはめになったのだ、と勝ち誇ったように柄谷は言う。
だが、まず第1に、ロシア革命はトロツキーの理論が存在しようがしまいが、それが勝利の軌跡をたどった場合には本質的に1917年と同じ過程をたどったであろう。ただ、トロツキーがいなければ、生みの苦しみがより長引き、その間に犠牲がより増えただけである。第2に、もしロシア革命が敗北していれば、すなわち10月革命によるいわゆる「飛び越え」なるものがなければ、ロシアでは穏健な社会主義政権ないしまともな民主主義政権が維持されたのではなく、コルニーロフ以上の野蛮な独裁者によるブルジョア独裁政権が長期間にわたって支配したことだろう。したがって、この場合でもやはり70年後か、それよりも後にブルジョア革命のやり直しが必要になったことだろう。「飛び越え」に失敗した1936〜39年のスペイン革命がその格好の事例を示している。ソ連の崩壊という後知恵を振り回す者が、どうしてスペイン革命の敗北とフランコ独裁という、数十年前に知りえた後知恵の方を忘却するのか?
第3に、ロシア革命に続いて西欧で社会主義革命が実現しないかぎり、ロシアの労働者国家は長期にわたって維持できないこと、それが早晩、変質しやがて崩壊するということは、最初からトロツキーがその永続革命論にもとづいて予測していたことであり、したがって、ソ連の崩壊は、永続革命論の誤りを証明するものではなく、その反対にその理論的妥当性を証明するものなのである。
だが、そもそも「飛び越え」とはいったい何のことを言っているのか? それが文字通りの意味、すなわちロシアにおけるブルジョア革命の段階を飛び越えて直接に社会主義革命に移行することを意味するというのであれば、そのような思想は、本書の第2章が説得的に示しているように、トロツキーとは実は何の関係もない。トロツキーが主張したのは、スターリニストや柄谷が非難するようなブルジョア革命の「飛び越え」ではなく、その反対に、プロレタリアート独裁によるブルジョア革命の完遂と、それと社会主義革命の第1段階との有機的な結合なのである。この問題に対しては、本書が、とりわけその第2章と第6章が非常に説得的に論じている。ぜひ熟読してもらいたい。
悔い改めた元急進主義者が行き着く先は常に、トロツキーに対する、とりわけその永続革命論に対する右翼スターリニズムの立場からの攻撃と清算なのだということを、この最新の事例はよく示している。トロツキーの永続革命論を全面否定することは、かつて急進主義という大罪を犯した者にとって、ブルジョア社会と完全に和解するために必要不可欠な通過儀礼なのである。
本書は、戦後、比較的早い時期に姫岡玲治という当時のブント活動家(後に本名の方で著名なブルジョア経済学者となった)によって英語版から日本語に翻訳されたが(現代思潮社)、藤井一行氏が指摘しているように、重要な誤訳が多数含まれており、その中にはトロツキーに対する根本的誤解の元となるようなものさえ存在する。そこで今回、ロシア語版にもとづいて全体を訳しなおした。底本は、「
ロシア革命の歴史から」にアップされているトロツキーの「永続革命論」と、「イスクラ・リサーチ出版」から出版されている『永続革命論』である。なお、「チェコ語版序文」と「フランス語版序文」は本邦初訳である。Л. Д. Троцкий. Перманентная революция, Гранит, 1930.
Л. Д. Троцкий. Перманентная революция(сборник), Iskra Research, 1993.
Л. Троцкий.
Перманентная революция,Из архивов русской революции
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