8月8日の声明
トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ他/訳 山本ひろし・西島栄
【解題】以下の声明は、トロツキーとジノヴィエフを党中央委員会から除名するという脅しのもと、8月合同総会において反対派に突きつけられた3つの問い(ソ連の無条件防衛の問題、ドイツ共産党の左翼反対派との決別の問題、別党問題)に対し、中央委員および中央統制委員である13人の反対派メンバーが合同反対派を代表して答えたものである(それゆえ、この声明は「13人の声明」とも呼ばれる)。同声明は、反対派の立場と一致する範囲で、一定の妥協を行なったものである。この声明のおかげで、しばらくはトロツキーとジノヴィエフは中央委員会にとどまることが可能となったが、結局、その2ヵ月後に開催された10月合同総会で両名は除名されるに至る。
この8月8日の声明は、主流派との一定の妥協を求めたという点で1926年の
10月16日の声明と同じ性質を持ったものだが、その姿勢はかなり異なる。10月16日の声明においては、反対派の側の譲歩姿勢が非常に明瞭で、批判的立場からは「屈服」とさえ映りかねないものであったが、この声明においては、そうした要素はあまり見られない(ただし、トロツキーの盟友ヨッフェは、これでもまだ「外交的にすぎる」として1927年8月12日付のトロツキーへの手紙の中で批判している)。とりわけ、ドイツ共産党から除名された左派グループ(マスロウ=フィッシャー=ウルバーンス派)に対する態度に大きな違いが見られる。10月16日の声明では、この派は次のように無条件に非難されていた。「われわれの見解に対する態度がどうであれ、コミンテルンの支部内でコミンテルンの路線に反対しているグループの分派活動を直接・間接に支持することは絶対に許されないとみなす。とりわけ、党とコミンテルンからすでに追放されているルート・フィッシャーやマスロウのような人々の活動をどんな形であれ支持することは許されない」。
しかし、今回の声明では、次のようになっている。
「われわれは、ドイツの共産主義運動が公然たる分裂と2つの党の形成という危機に脅かされていることを認識する。<われわれは、除名されたウルバーンス=マスロウ・グループとの組織的な結びつきを維持することは許されないとするコミンテルンの決定に従うとはいえ、除名の決定は以下のような事実を考慮して再検討されるべきであると主張するし、コミンテルンの中でその主張をやめるつもりはない>。すなわち、除名された者のなかには、労働者大衆とかたく結びついた数百の古参の革命的労働者がおり、彼らはレーニンの大義に忠実であり、最後の瞬間まで真剣かつ全面的にソ連を防衛するだろう」。
このような大きな変化が生じたのは、トロツキーらが当初、ドイツのこの左派グループについての主流派のデマを信じていたのが、その後、この左派グループ自身の機関紙を入手し、それを慎重に検討した結果、主流派の言い分がでたらめであったことを確認したからである。トロツキーは、4月2日の文書「ドイツ共産党の左翼反対派について」の中で、その点を詳細に分析するとともに、6月の中央統制委員会会議における第1の演説「
戦争の危険性とテルミドールの危険性」の中で、この顛末について明らかにしている。「マスロウのグループはソ連を攻撃などしていない。私自身、去年の秋頃は、『プラウダ』にもとづいてある程度はそう信じていた。その時はまだ、マレツキーの真の正体についてまだ十分わかっていなかったのである。そして、彼の背後にいて、彼を支え、彼を支配している連中の正体についてもだ。そのため私はこの言い分を信じ、10月16日の声明の中で、マスロウ・グループがソ連を攻撃していると書いてしまった。しかしこれは嘘だったのだ!」
なお、< >部分はもともとの声明にはなく、『プラウダ』に掲載される際に主流派の圧力に押されて追加されたものである。ただしその表現の細部については反対派自身の判断にもとづいている。
また、この合同総会において、同声明は主流派の条件を受け入れた前半部分と、逆に主流派の側の態度を批判した後半部分とに人為的に分割され(※ ※ ※ 以下の部分が後半部分)、後者は発表されないこととなった。この人為的な分割に対して、反対派は総会の場で強く抗議したが、総会の決定には従うという態度をとった(「声明の分割への抗議――8月合同総会における第3の演説」参照)。
文書全体の底本は、『トロツキー・アルヒーフ――ソ連邦における共産党内反対派
1923-1927』第4巻にもとづいており、< >内部分は、『左翼反対派の挑戦』第2巻(パスファインダー社)所収の英文にもとづいている。Авдеев, Лиздин, Раковский, Бакаев, Муралов, Евдокимов, Петерсон, Соловьев, Зиновьев, Пятаков, Троцкий, Каменев, Заявление, 8 августа, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.4, 《Терра−Терра》, 1990.
問題の論争的形態は避けて、基本的な論点に即して答えたい。
第1の問いについて。われわれは帝国主義に対してわが社会主義の祖国を防衛することを無条件かつ断固として支持する。
われわれはもちろん、現在の党中央委員会のもとでも、コミンテルン執行委員会の現指導部のもとでも、ソ連邦を防衛することを無条件かつ断固として支持する。
もし〔1927年7月11日付けのオルジョニキッゼ宛ての〕同志トロツキーの手紙におけるクレマンソーに関する一節が、戦争の困難さに乗じて権力のための闘争を行なうという趣旨のまったく誤った解釈の何らかの根拠を与えたとすれば、われわれはそのような解釈をきっぱりと拒絶する。同時にわれわれは、戦時においても党は中央委員会の政策が誤っているとわかったならば批判を差し控えたり、その政策を正すことを躊躇すべきでないという信念を持ちつづけている。
国際問題に関するわれわれの決議草案はとりわけ次のスローガンを提出している。
ソ連と交戦しているすべてのブルジョア国家を敗北させること――すべての資本主義諸国の誠実なプロレタリアートは「自国」政府の敗北のために積極的に活動すべきである。「自」国の奴隷所有者を助けることを望まないすべての外国兵士たちを赤軍の側に移行させること。ソ連はすべての勤労者の祖国である。われわれは1917年10月から祖国防衛主義者である。われわれの「祖国」戦争(レーニン)は「世界の社会主義軍の一部隊としてのソヴィエト共和国のための」戦争である、われわれの「祖国」戦争は「ブルジョア国家への出口ではなく、国際社会主義革命への出口である」(レーニン)(1)。ソ連に対する祖国防衛主義者でない者は国際プロレタリアートの明々白々な裏切り者である。
テルミドール主義の問題に関して、われわれは次のように言う。テルミドール主義分子はわが国でますます増している。彼らは十分本格的な社会的基盤を有している。<われわれは、レーニン主義者の路線と党内民主主義によって、党やプロレタリアートがこうした勢力に打ち勝つことを疑ってはいない>。
われわれが要求しているのは、党指導部が、こうした現象に対して、そしてそれが党の一部に与えている影響に対して、より系統的かつ計画的に断固とした反撃を行なうことである。われわれはわがボリシェヴィキ党<とその中央委員会や中央統制委員会>がテルミドール主義の党になったかのような思想を拒否する。
第2の問いについて。われわれは、ドイツの共産主義運動が公然たる分裂と2つの党の形成という危機に脅かされていることを認識する。<われわれは、除名されたウルバーンス=マスロウ・グループとの組織的な結びつきを維持することは許されないとするコミンテルンの決定に従うとはいえ、除名の決定は以下のような事実を考慮して再検討されるべきであると主張するし、コミンテルンの中でその主張をやめるつもりはない>。すなわち、除名された者のなかには、労働者大衆とかたく結びついた数百の古参の革命的労働者がおり、彼らはレーニンの大義に忠実であり、最後の瞬間まで真剣かつ全面的にソ連を防衛するだろう。
ドイツにおける別党の結成は巨大な危険をもたらすだろう。その危険を防ぐためにあらゆる必要な手段がとられるべきである。われわれは、ソ連共産党(ボ)中央委員会がコミンテルン執行委員会を通じて、この危険性を防止するために以下の方策をとるよう提案する。ウルバーンスのグループが独自の機関紙を発行するのをやめ、コミンテルンのすべての大会決定に従うという条件を受け入れるすべての除名者をコミンテルンで復権させること、党出版物および一般に党の隊列内およびコミンテルン内で自己の見解を擁護する機会を保証すること。
第3の問いについて。われわれは、別党を作ろうとするいかなる試みをも断固として糾弾する。われわれは、ソ連における別党の道は革命にとって完全に壊滅的であると考える。われわれは、別党に向かうあらゆる傾向と全力を尽くしてあらゆる手段を行使して闘争する。分裂の試みに対しても同じく断固として無条件に糾弾する。われわれはソ連共産党(ボ)と中央委員会のすべての決定を遂行するつもりである。われわれは分派のあらゆる要素を一掃するために必要なあらゆることを断固として遂行する決意である。こうした分派主義の要素が形成されたのは、党内体制が歪められているもとで、われわれが、全国で読まれている機関紙でまったく誤って宣伝されているわれわれの見解の真実の内容を全党に伝えるために闘うことを余儀なくされたことに起因している。
※ ※ ※
われわれに課せられた問いに答えたので、次に中央委員会と中央統制委員会の合同総会の前で、われわれの以下の深い確信を表明しておくことが必要であるとみなすものである。
党内平和をつくり出し、分派主義と閉鎖主義を真に一掃するための試みが1926年10月16日のあとと同じ結果になってしまうことを避けるために、以下のことが絶対に必要である。
1、モスクワ委員会の宣伝煽動局が発行したパンフレット『戦争と戦争の危険性について』や、反対派を反革命家と宣言するイワノヴォ・ヴォズネセンスク党新聞の論文、そして、合同総会の開かれているときにあえて「ちょうど利潤率の高い企業の株価が株式市場で上がるのと同じように、反対派ブロックの宣言は、敵の大国の軍事政権の中で売れ筋商品となっている」などと書く本年8月5日付の『レニングラード・プラウダ』の論文などを、中央委員会と中央統制委員会の合同総会の名のもとに糾弾すること。
2、意見の違いを理由にして反対派に対して党からの除名その他の弾圧手段をとるのをやめさせること。そして除名されたメンバーを党に復帰させること。
3、レーニン時代に党内で深刻な意見の相違が生じたときになされたようなやり方で15回大会の準備を行なうこと。すなわち、
(a)大会の2ヵ月前に党内の少数派のテーゼ、論文、政綱を党の出版物で発表すること。
(b)意見の相違に関わる最も重要な文書を全党員がよく知ることができるようにすること。また全面的な討論にもとづいてよく考え抜かれた決定にたどり着くことを可能にすること。
(c)意見が食い違っている諸問題について同志的な討論を保証すること。誇張しない、人格攻撃をしない、など。
(d)15回大会を準備する主要スローガンとして「何としてでもソ連共産党とコミンテルンの統一を守ろう」を採用すること。
1927年8月8日
アヴデーエフ、リズディン、ラコフスキー
バカーエフ、ムラロフ、スミルガ
エフドキーモフ、ペテルソン、ソロヴィヨフ
ジノヴィエフ、ピャタコフ、トロツキー
カーメネフ
『トロツキー・アルヒーフ』第4巻所収
『左翼反対派の挑戦』第2巻所収
『トロツキー研究』第
42/43合併号より訳注
(1)レーニン「今日の主要な任務」、邦訳『レーニン全集』第27巻、163頁。
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