8月8日の声明に対する異論
トロツキーへの手紙
アドルフ・ヨッフェ/訳 西島栄
【解題】本稿は、「
8月の8日の声明」に対してトロツキーの親友であるアドルフ・アブラモヴィチ・ヨッフェ〔左の写真〕が寄せた批判の手紙である。「反対派の戦術に関する手紙――クレスチンスキーへの手紙」が示しているように、反対派の内部には、より妥協的な傾向のメンバーも少なからず存在したが、反対にヨッフェは、この手紙が示しているように、「8月の8日の声明」があまりにも妥協的にすぎることで厳しく批判している。とりわけ、この声明が「われわれはソ連共産党(ボ)と中央委員会のすべての決定を遂行するつもりである」と述べていることに対して、このような守れない約束をすることは相手側に絶好の非難の口実を与えるものであると批判している。ヨッフェのこの警告はすぐにその正しさが証明された。中央委員会多数派は、反対派のメンバーを次々と在外の大使や公使や国外代表部勤務に任命することで体よくロシアから追放したが、それに対して反対派が抗議すると、多数派は、中央委員会の決定に従うと言っておきながらその決定に従うのを拒否しているといって反対派を非難した。詳しくは8月27日付のジノヴィエフの手紙を参照せよ。ヨッフェはこの手紙を執筆した3ヵ月後には自殺し、トロツキーに遺言の手紙を残した。その手紙の中で、トロツキーに、妥協することなく最後まで闘うよう訴えている。そしてトロツキーは、ヨッフェのこの訴えをその生涯の最後まで守るのである。
なお、この手紙の日付は、フェリシチンスキー編集の『トロツキー・アルヒーフ』第4巻では8月12日になっているが、ヨッフェの娘の回想録とヨッフェの手紙類を編集収録した『わが父ヨッフェ』では8月27日になっている。
A. Иоффе. Письмо Троцкому. 12 августа, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.4, 《Терра−Терра》, 1990.
親愛なるレフ・ダヴィドヴィチ!
反対派の内部にも、中央委員会多数派が全党に確立した体制、すなわちわれわれ(反対派)がそれに反対してかくも強力な闘争を遂行している体制が浸透しはじめているのでしょうか? 「機構的上層部」が決定し、残りすべてがその決定を受け入れるだけという体制です。中央委員会と中央統制委員会の13人のメンバーが、反対派内部での事前の討議もなしに――その内容のみならず、そもそもそうした声明を出すこと自体をめぐっても――反対派全体の名において声明を出すことは許されるのでしょうか?
たとえば私はこのような声明を出すのは誤りだと考えています。たとえ、党の多数派が党の統一を支持し、分裂や分派に反対する気分にあるとみなしたとしても、だからといって、このような声明を出さなければならないという結論になるでしょうか? なんといっても党の多数派は日和見主義的気分にもあるのであり、だからといって、われわれもまた日和見主義的譲歩を行なわなければならないという結論を引き出す人は誰もいないでしょう。たしかに、トロツキーとジノヴィエフが中央委員会から除名されなかったという事実は、必然的に多数派の弱さと当惑ぶりを広範な大衆に印象づけることになるでしょうし、したがってまた、この事実を獲得するために、何らかの譲歩が行なわれたのでしょう。しかし、他方では、総会の例の解釈がたとえなくても、声明を出したという事実は同じく不可避的に、反対派が中央委員会からのこれらの同志たちの除名を恐れて声明を出したのだという印象をも与えることになるでしょう。
しかし、現在の具体的な状況の中では声明を出すことが必要だったとしても、まず第1に、それを全文公表することを多数派に事前に義務づけておくことはできなかったのでしょうか? 第2に、声明の中に見られるいくつかのまずい表現を避けることはできなかったのでしょうか?
(1)「われわれはもちろん、現在の党中央委員会のもとでも、コミンテルン執行委員会の現指導部のもとでも、ソ連邦を防衛することを無条件かつ断固として支持する」。これはたしかに基本的には正しいものですが、あたかもわれわれがこの指導部を正しく良いものとみなしているかのような印象を与えるような書き方をするべきだったのでしょうか? どうしてわれわれが現在の中央委員会と中央統制委員会の間違った指導のもとでも社会主義の祖国を防衛するのかについてはっきりと明確に語るべきだったのではないでしょうか?
(2)テルミドール主義について。ここでもまたあまりにも外交的すぎます。あたかもわれわれが、「わがボリシェヴィキ党がテルミドール主義の党になったかのような思想」を「拒否」しているだけでなく、わが党の公式の上層部がテルミドール主義になったという思想をも「拒否」しているかのような印象を与えるものとなっています。
(3)「われわれはソ連共産党(ボ)と中央委員会のすべての決定を遂行するつもりである」。どうしてこのようなことを言う必要があるのでしょうか? 私は、同志トロツキーと同志ジノヴィエフの昨年の声明
〔「10月16日の声明」のことと思われる〕は反対派に大いに害をなしたと思っています。われわれが今後とも中央委員会の多くの決定に反対して闘うだろうことをあらかじめ知っていながら、そして、中央委員会がこのことをわれわれを攻撃するのに利用する――われわれがまたしても自分の言葉を違え、自分のなした約束を守らなかったとしてわれわれを非難することによって――ことを知っておきながら、どうして反対派の名においてこのような約束を今さら繰り返す必要があるのでしょうか?(4)「われわれは分派のあらゆる要素を一掃するために必要なあらゆることを断固として遂行する決意である」云々と述べられ、この「分派のあらゆる要素」の責任が「党内体制が歪められている」ことに求められています。しかしこれでは言い回しが微妙すぎて、ここで言いたいことの意味が、われわれが「分派のあらゆる要素を一掃する」義務を負うのは、かかる「党内体制の歪み」がなくなったときだけであるとは、誰も理解してくれないでしょう。われわれは現在のところこのような「一掃」に取り組んでいないし、これでは、われわれが党を欺いているという非難を正当化しかねません。
もしこの種の声明が事前に討議に付されていたならば、以上のような誤りを避けえたでしょう。たとえ、これを誤りだと思っている反対派メンバーが少数だとしても、それでも彼らは、自分たちが既成事実の前に立たされており、自分が同意していない声明の責任を負わざるをえないとの意識を持つことでしょう。
以上の問題を討議に付してもらいたいと思います。
敬具
A・ヨッフェ
モスクワ、1927年8月12日(27日)
『トロツキー・アルヒーフ』第4巻所収
新規、本邦初訳
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