第1章 はじめに
レーニンは、彼が出席した最後の党大会における演説で次のように述べた。
「われわれは〔ネップ導入後の〕この1年間を生きぬいてきた。国家はわれわれの手中にある。だが、新経済政策のもとでこの1年間に、国家は、われわれの思うように動いてきたであろうか? いやそうではなかった。われわれはそのことを認めようとしないが、国家はわれわれの思うようには動かなかった。では、国家はどう動いたか? 自動車がいうことをきかなくなることがある。見たところは操縦者が乗っているが、自動車は、その人の向けようとする方向には進まず、他の誰か――非合法のものとも、違法のものとも、どこから来たものともわからない誰か、投機者なり、私的経営資本家なり、あるいはその両方――が向けようとする方向に進んでいる。とにかく自動車は、その自動車のハンドルを握っている人の思うような方向には必ずしも進まず、しばしばまったく違った方向に進んでいる」(1)。
われわれの諸政策の基本問題を判断する際には、この言葉の中で与えられている基準を当てはめるべきである。どの方向に自動車は、国家は、権力は進みつつあるのか? それは、労働者と膨大な農民大衆の利害と意志との表現者であるわれわれ共産主義者の望む方向に進みつつあるのか、それともその方向には進んでいないのか? それとも「必ずしも」その方向に進んでいないのか?
レーニン死後に過ぎ去ったこの数年間に、われわれは幾度となく党の中央諸機関に、また後には党全体に対して次の事実に注意を向けようと努力してきた。すなわち、レーニンによって指摘された危険が、誤った指導のゆえに何倍にも増幅したことである。「自動車は、われわれの望む方向には進んでいない」。新しい党大会を目の前に控えて、われわれがこうむっているあらゆる迫害にもかかわらず、力を倍加させてこの事実に党の注意を向けることがわれわれの義務であると考える。なぜならわれわれは、この状況は矯正することができるし、党自身がこれを矯正できると確信しているからである。
レーニンは、自動車がしばしばわれわれに敵対する諸勢力が向けようとする方向に進んでいると述べることで、きわめて重要な2つの事情にわれわれ全員の注意を向けさせた。第1に、わが国にはわれわれの大義に敵対するクラーク、ネップマン、官僚という勢力が存在しており、わが国の後進性と政策上の誤りを利用し、しかもその際、事実上、国際資本主義全体に依拠していることである。第2に、これらの勢力は非常に強大なので、わが国の政府と経済という自動車を必要な方向に進ませず、さらには、自動車のハンドルを自ら握ろうと――最初は隠蔽された形で――さえ試みることである。
レーニンの言葉は、われわれ全員に以下の義務を課した――(1)クラーク、ネップマン、官僚という敵対的な諸勢力の成長を注意深く監視すること。(2)国が全般的に復興するにつれて、これらの勢力がしだいに結束し、われわれの計画に「修正」をほどこし、われわれの政策にさらなる圧力を行使し、われわれの機構を通して自らの利益を実現させようとするだろうことを、しっかり理解すること。(3)この敵対的諸勢力の成長、結束、圧力を何としてでも弱めるための措置をとり、彼らがめざしている――たとえ目に見えなくとも――事実上の二重権力の創出を阻止すること。(4)労働者階級とすべての勤労大衆に対し、こうした階級的過程についての全真実を包み隠さず語ること。今やこの点にこそ、「テルミドール」の危険性とそれに対する闘争に関する問題の土台が存在している。
レーニンがこの警告を発して以来、わが国では多くの改善が見られたが、悪化した点も多い。国家機構の影響力は増大し、それとともに労働者国家の官僚主義的歪曲もまた増大している。資本主義が、農村では絶対約にも相対的にも増大し、都市でも絶対的には成長しており、そのため、わが国のブルジョア分子の間に政治的な自覚が生まれはじめている。これらの分子は、仕事や日常生活の中で接している一部の共産党員を堕落させようとしており、しばしば一定の成果を挙げている。第14回党大会でスターリンが掲げた「左に砲火を向けよ」というスローガンは、党内の右派分子と国内のブルジョア的・ウストリャーロフ的分子との結合を促進しないわけにはいかなかった。
「誰が誰を
〔どちらが勝つか〕?」という問題は、発展の社会主義的道か資本主義的道か、この2つの道に照応して国民所得をどのように分配するのか、プロレタリアートの全面的な政治権力か、それとも新たなブルジョアジーとこの権力を分けあうのか、といった分岐をめぐって、経済・政治・文化の諸戦線のすべての参加者による絶え間ない階級闘争によって決着がつけられる。小農をはじめ一般に小所有者が圧倒的多数派である国では、この闘争の最も重要な過程がしばらくのあいだは微細で目に見えない形で進行し、その後、突如として表面化して「不意に」爆発する。資本主義的な自然発生性は何よりも、農村における階層分化と私的所有者の成長のうちに表現されている。農村の上層は、都市におけるブルジョア分子と同様、わが国の国家経済機構のさまざまな部門とますます密接に絡み合っている。この機構は、新しいブルジョアジーが国民所得のうちの自己の分け前を増加させるための闘争をかなり成功させている事実を、統計上の煙幕によって覆い隠すのをしばしば助けている。
商業機関――国営、協同組合経営、私営の――は、総生産の10分の1以上という、わが国民所得の莫大な一部をむさぼり食っている。他方では、私的資本はこの数年間、仲買人として、総取引高の5分の1をかなり上まわる額(絶対額では年50億ルーブル以上)を占めてきた。これまで、大衆消費者は、必要とする生産物の50%以上を私的資本家の手から受け取ってきた。私的資本家にとってはこれが利潤と蓄積の主要な源泉なのである。農業生産物と工業生産物との鋏状価格差、卸売価格と小売価格との鋏状価格差、各農業部門や各地域、各季節ごとの「不均衡」、国内価格と国際価格との鋏状価格差(密輸)が、儲けの恒常的源泉である。
私的資本は、貸付で暴利をむさぼり、国債によって儲けている。
工業でも私的所有者の役割はきわめて大きい。それは、たとえ最近の時期には相対的には減退してきたとしても、なお絶対的には増大している。正規の私的資本主義工業の生産高は年4億ルーブルにのぼる。小工業、手工業、家内工業は18億ルーブル以上を生産している。合計すると、国有以外の工業の生産額は、全商工業生産物の5分の1以上で、一般市場で売買される大衆商品の約40%を構成している。この工業の大部分はあれこれの仕方で私的資本と結びついている。商業資本と手工業資本による手工業労働者に対する搾取のさまざまな形態――公然ないし隠然の――は、新しいブルジョアジーにとってきわめて重要で、しかもますます増大しつつある蓄積源泉である。
税金、賃金、価格、信用は、国民所得を分配し、ある階級を強め他の階級を弱める主要なテコである。
農村における農業税は総じて逆累進性をとっていて、弱小農民には重く、強力な農民とクラークにはより軽くのしかかっている。概算によれば、(ウクライナや北カフカースやシベリアのような階層分化が深く進行している地方を除外しても)ソヴィエト連邦における34%の弱小農家が純所得の約18%を占めている。まったく同じ18%の所得総額を、農家全体のせいぜい7・5%を構成するにすぎない最上層が占めている。にもかかわらず、この両グループは、ほぼ同等の税金を、すなわち総納税額のそれぞれ20%を支払っている。このことから明らかなように、貧農の一戸あたりの税金負担額は、クラークや一般に「強い」農家の負担額よりもはるかに重い。第14回党大会における指導者たちの危惧とは反対に、われわれの租税政策はクラークを「収奪」するものではまったくないし、富農がますます多くの貨幣と現物を自己の手中に集中するのを妨げるものでもない。
われわれの予算における間接税の占める割合は、直接税の割合を減らしつつ驚異的に増大している。それだけでも、税負担の重みは富裕層から貧困層へと自動的に移っていく。1925〜26年度における労働者への課税は前年度の2倍になったが、一方その他のその他の都市住民への課税は6%も減少している(『財政通報』1927年、第2号、52頁)。酒税は、まさに工業地帯でますます耐えがたいほど負担となりつつある。
1926年における1人あたり所得増(1925年と比較しての)を階層別に見ると――いくつかの概算によれば――、農民が19%、労働者が26%、商人と工業家が46%を占めている。もし「農民」を3つの基本グループにわけたならば、、クラークの所得が労働者よりもはるかに大きく増加したことが、いかなる議論の余地もなく明らかになったことだろう。商人と工業家の収入は、納税資料にもとづいて算定されており、疑いもなく過小評価されている。しかしながら、このいくぶん潤色された数字さえも、階級対立の増大を明らかに物語っている。
農産物価格と工業生産物価格との鋏状価格差は、この過去1年半の間にさらに拡大した。農民はその生産物を売って戦前の1・25倍以下の代金を受け取ったが、工業生産物を買って戦前の2・2倍以上の代金を支払った。農民のこの支払い超過――それはまたしても主に下層農民が負担しており、昨年は約10億ルーブルに達している――は、農業と工業との対立の増大をもたらすだけでなく、農村における階層分化を著しく先鋭化させている。
卸売価格と小売価格との不均衡は、国営工業に損失を与えているだけでなく、消費者にも損失を与えている。ということはつまり、得をしている第三者がいることを意味する。この利益を得ている者こそ、私的所有者であり、したがってまた資本主義なのである。
1927年の実質賃金は、せいぜい1925年の秋と同じ水準にとどまっている。しかしながら、疑う余地なく、この2年間にわが国は豊かになってきたし、国民総所得は増大し、農村のクラーク的上層は驚くほど急速に貯蓄を増やし、私的資本家・商人・投機師の蓄積は著しく拡大している。明らかに、わが国の国民総所得に労働者階級が占める割合は低下し、他方では他の諸階級の割合は増大した。これは状況の全体を評価するうえで最も重要な事実である。
わが国の発展における諸矛盾と敵対勢力の成長を公然と指摘することを、パニックに陥っているとか悲観主義であると主張しうるのは、心の奥では、わが国の労働者階級とわが党がこれらの困難と危険に対処することができると信じていない者だけである。われわれはこのような観点には立たない。危険をはっきりと直視しなければならない。まさにこの危険とより有効に闘いそれを克服するためにこそ、われわれはそれらを正確に指摘するのである。
クラーク、ネップマン、官僚という敵対勢力の一定の成長は、ネップのもとでは不可避である。何らかの行政的命令や単純な経済的圧力によっては、これらの勢力を根絶することはできない。ネップを導入してそれを遂行することによって、われわれ自身がわが国の中に資本主義的諸関係のための一定の場所を創出したのであり、今後も長期間にわたってその存在を不可避なものとみなさなければならない。レーニンは、労働者たちが知っておかなければならない赤裸々な事実を想起させるためにこう述べた。
「われわれが小農の国に生活しているかぎり、ロシアの資本主義には、共産主義よりも堅固な経済的土台がある。このことを明記しておかなければならない。……誰でも、われわれが資本主義の根を引き抜いてしまってはいないこと、国内の敵の土台を、基礎をくつがえしてはいないことを知っている」(『レーニン全集』第17巻、488頁)(2)。
レーニンが指摘したこの最重要の社会的事実は、すでに述べたように、単純に根絶することはできない。しかし、貧農に依拠し中農と同盟した労働者階級の、計画的で系統的な正しい政策を通して克服することができるし、打ち勝つことができる。この政策の基本は、プロレタリアートのあらゆる社会的陣地を全面的に強化すること、そして、世界プロレタリア革命の準備および発展とできるだけ密接に結びつけて社会主義の管制高地をできるだけ急速に向上させることのうちにある。
正しいレーニン主義的政策にはまたマヌーバー〔迂回行動〕も含まれている。資本主義勢力に対する闘争において、レーニンは、敵を出し抜くための部分的な譲歩や、後でより確実に前進するための一時的な退却という手法をもしばしば採用した。マヌーバーは今でも必要である。しかし、直接の攻撃によっては打倒できない敵に対して、巧みに交わしたりマヌーバーを行使したりする場合でも、レーニンは常にプロレタリア革命の路線にとどまっていた。レーニン指導下の党は常に各々のマヌーバーの理由を理解していたし、その意味と限界をわきまえていたし、それ以上越えてはならない境界、プロレタリアートが再び攻勢に移るべき地点を知っていた。レーニン時代には、退却は退却と、譲歩は譲歩と呼ばれた。そのおかげで、マヌーバー〔迂回行動〕中のプロレタリア軍は常にその団結、戦闘精神、明確な目的意識を維持したのである。
だが昨今、指導部にこうしたレーニン主義的な方法からの決定的な離反が生じた。スターリン・グループは党に目隠ししたまま党を指導している。敵勢力を隠蔽し、いつでもどこでも順風満帆の外観を公式につくり出すことによって同グループは、プロレタリアートにいかなる展望も与えない、いやもっと悪いことには誤った展望を与えている。彼らはジグザグに進み、敵対的自然発生性に順応したり迎合したりし、プロレタリア軍の力を弱体化し混乱させ、受動性、指導部への不信、革命の事業への不信が増大するのを促進している。レーニン主義的なマヌーバーを引き合いに出すことによってスターリン・グループは、一方の側から他方の側への無原則的な飛び移りを糊塗している。このような飛び移りは、党にとって予期しえぬもの、理解不能なものであり、党を混乱させ士気阻喪させている。それはただ、敵に時を稼がせて敵の前進を助ける結果にしかなっていない。スターリン=ブハーリン=ルイコフのこの種のマヌーバーの「古典的」実例は、国際舞台では中国政策と英露委員会の政策であり、国内ではクラークに対する政策である。これらすべての問題において党と労働者階級が真実や真実の一部を発見したのは、根本的に誤った路線の重大な結果が党と労働者階級の頭上に降りかかってきた後においてのことでしかなかった。
スターリン・グループが党の中央諸機関の政策を事実上決定してきたこの2年間ののち、このグループは以下の事態になるのを防ぐうえで無力であったことが完全に証明されたとみなすことができるだろう。(1)わが国の発展を資本主義的道に切り換えたいと思っている諸勢力の途方もない成長、(2)クラーク、ネップマン、官僚の力の増大に比しての、労働者階級と貧農の立場の弱体化、(3)世界資本主義との闘争における労働者国家の全般的な地位の弱体化、ソヴィエト連邦の国際的状況の悪化。
スターリン・グループの直接の罪は、党と労働者階級と農民に対して現状に関するすべての真実を説明する代わりにこの真実を隠蔽し、敵対勢力の成長を過小評価したことであり、真実を求めてそれを明らかにしようとした人々の口をふさいできたことである。
彼らは全状況が右からの危険性を示している時に左に砲火を集中した。プロレタリア革命の運命に対するプロレタリアートの正当な警告を表現しているあらゆる批判を、暴力的かつ機械的に抑圧した。右翼的偏向をあからさまに黙認した。党のプロレタリア的かつ古参ボリシェヴィキ的中核の影響力を弱めた、等々、等々。これらはすべて、どんな時にもましてプロレタリアートの能動性、党の警戒心と団結、レーニン主義の遺訓に対する忠誠心が必要とされる瞬間において、労働者階級を弱体化し、武装解除している。
彼らは誤りを犯すたびに、それを隠蔽する必要に迫られてレーニンを歪曲し、修正し、再解釈し、補足する。レーニンの死後、多くの新理論がつくり出されたが、その意図はもっぱら、国際プロレタリア革命の路線からのスターリン・グループの退行を理論的に正当化することである。メンシェヴィキと道標転換派、さらにはブルジョア・メディアまでもが、スターリン=ブハーリン=マルトゥイノフの政策と新理論を、「レーニンから離れる」動き(ウストリャーロフ)、「国家的理性」、「現実主義」、革命的ボリシェヴィズムの「ユートピア」の放棄とみなしている。また、レーニンの盟友たるボリシェヴィキの一部隊を党の指導部から放逐したことを、新しい軌道に移行する実践的な措置とみなして公然と歓迎している。
この間に、確固とした階級的政策によって抑制も矯正もされていないネップの自然発生的過程は、さらに危険な転換を準備しつつある。
2500万の小農経営が、ロシアにおける資本主義的な諸傾向の基本的な源泉をなしている。この広範な層からクラーク的上層が分離独立し、資本の本源的蓄積過程を実現し、社会主義の陣地の足元を掘りくずしつつある。この過程の今後の運命は究極的には、国有経済の成長と私有経済との成長との相互関係のうちに存している。工業の発展の立ち遅れは農民の階層分化のテンポを速め、そこから生じている政治的危険性を何倍も増大させている。レーニンは次のように述べている。
「他の諸国の歴史においては、クラークは一度ならず地主・君主・僧侶・資本家の権力を復活させてきた。これまでのヨーロッパ革命においてすべてそうであった。そこでは、労働者が弱体であったゆえに、クラークは、再び共和制から君主制へ、勤労大衆の権力から再び搾取者・富裕者・寄生者の独裁に逆転させることに成功した。……クラークは、地主、ツァーリ、僧侶とは、たとえいがみあったとしても和解することができるし、しかもやすやすと和解することができるが、労働者階級とはけっしてできない」(『労働者の同志諸君、最後の決戦に進もう!』、レーニン研究所出版、1〜2頁)(3)。
このことを理解しない者、「クラークが社会主義に根づく」と信じる者は、ただ革命を坐礁させるだけである。
わが国には、互いに相いれない2つの基本的立場が存在している。一つは、社会主義を建設しつつあるプロレタリアートの立場であり、もう一つは、わが国の発展を資本主義の軌道に切り換えようとしているブルジョアジーの立場である。
ブルジョアジーとそれに追随する小ブルジョア階層の陣営は、商品生産者の私的なイニシアチブと個人的な利害関心にいっさいの希望を賭けている。この陣宮は、「強い農民」に期待を寄せ、協同組合、工業、外国貿易をまさにこの農民に奉仕させている。この陣営は、社会主義工業は国家予算をあてにするべきではない、工業の発展テンポは資本主義的農場主(ファーマー)の蓄積の利益を損うものであってはならない、と考えている。労働生産性向上のための闘争とは、強大化しつつある小ブルジョアにとっては、労働者の筋肉と神経に圧力をかけることを意味する。価格引下げのための闘争とは、彼らにとっては、商業資本の利益のために社会主義工業の蓄積を削り取ることを意味する。官僚主義との闘争とは、小ブルジョアにとって、工業を分散化し、計画原理を弱め、重工業を後景に退けることを意味している。すなわち、またしても「強い農民」に順応し、近い将来に外国貿易の独占を廃棄することを意味している。これがウストリャーロフの道である。この道の名称は、分割払いでの資本主義化である。わが国で強力なこの傾向は、わが党の一定のグループにも影響を及ぼしている。
プロレタリア的道は、レーニンの以下の記述のうちに表現されている。
「資本主義に対する社会主義の勝利、社会主義の確立は、プロレタリア国家権力が搾取者のあらゆる反抗を完全に鎮圧し、完全な安定性を確保し、搾取者を完全に服従させて、大規模な集団的生産と最新の(経済全体の電化にもとづいた)技術にもとづいて全産業を組織する場合にはじめて確実なものとみなすことができる。こうしてはじめて、都市は後進的で階層分化した農村に、根本的な援助、技術的および社会的援助を与え、この援助によって土地耕作の、一般に農業労働の生産性を大いに高める物質的基礎がつくり出されるのであり、こうして小農が、実例の力と自分自身の利益を通じて、集団的な機械制の大規模農業に移るよう促すのである」(コミンテルン第2回大会決議)(4)。
以上の観点にもとづいて、党のすべての政策(予算、税制、工業、農業、国内商業、外国貿易、等々)は立てられなければならなない。これが反対派の基本的な立場である。これが社会主義への道である。
この2つの立場のあいだを――ますます第1の立場に近づきながら――動揺しているのがスターリンの路線であり、それは、左には短い、右には深いジグザグ運動によって構成されている。レーニンの道は、絶え間なく資本主義的自然発生性と闘争しながら生産力の社会主義的な発展をめざす道である。ウストリャーロフの道は、10月革命の獲得物を徐々に蚕食することによって資本主義の土台の上で生産諸力の発展を実現すること意味する。スターリンの道は、実践的には生産諸力の発展の停滞、社会主義的要素の比重の引き下げへと至る道であり、そのことによってウストリャーロフの道の勝利を準備している。スターリンの路線は、慣用的な言い回しや表現の仮装によって現実の退行を隠蔽しているだけになおさら危険で破滅的である。経済復興の過程が基本的に終了したことで、経済発展のすべての基本的課題が正面から提起され、まさにそのことによって、スターリンの政策の足元が掘りくずされている。なぜなら、スターリンの立場は、中国革命であれ、ソ連邦における固定資本の更新であれ、大規模な諸問題を処理するにはまったく不適当なものだからである。
現指導部のきわめて先鋭で深刻な誤りのせいで状況が極端に緊迫しているとはいえ、事態を改善することはまったく可能である。しかし、そのために必要なのは、党の指導部の路線を、レーニンが指示した方向に転換すること、しかも大きく転換することである。
訳注
(1)レーニン「ロシア共産党(ボ)中央委員会の政治報告」、邦訳『レーニン全集』第33巻、269頁。
(2)レーニン「第8回ロシア・ソヴィエト大会」、邦訳『レーニン全集』第31巻、523頁。
(3)レーニン「労働者の同志諸君! 最後の決戦に進もう!」、邦訳『レーニン全集』第28巻、46〜47頁。
(4)レーニン「農業問題についてのテーゼ原案」、邦訳『レーニン全集』第31巻、152頁。
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