第12章 日和見主義反対――党の統一のために

 以上われわれは、中央委員会の多数派が国内外政策のすべての基本的諸分野において犯した重大な誤りに関して自らの見解を率直に書き表してきた。われわれは、中央委員会多数派のこうした誤りによって革命の基本的梃子であるわが党がいかに弱められたかを示してきた。それと同時にわれわれは、このいっさいにもかかわらず、党の政策をその内部から正すことができることを示してきた。しかしそのためには、党指導部の犯してきた誤りの基本的性格がいかなるものかという問題を明確かつ率直に自らの前に立てなければならない。

 これらの誤りの本質は日和見主義の誤りである。発展した形態の日和見主義とは――レーニンの古典的定義によれば――労働者階級の大多数に対立するところの、労働者階級の上層とブルジョアジーとのブロックである。ソ連邦にいま存在している諸条件のもとでは、完成された形態の日和見主義とは、労働者階級の上層が、労働者と貧農の広範な大衆の利益を犠牲にして、成長しつつある新ブルジョアジー(クラークとネップマン)および世界資本主義との協定をめざすものであろう。

 このような潮流がわが党の一定の諸グループの中に――萌芽的な形態で、あるいは発達した形態で――存在していることをわれわれが指摘すると、それを根拠にしてわれわれが党を中傷していると非難するのは馬鹿げている。なぜなら、われわれはまさにこの党を脅やかしているこうした潮流に立ち向かうよう党に訴えているからである。同じく馬鹿げているのは、あたかもわれわれが党の一部や中央委員会について、革命を意識的に裏切っているとかプロレタリアートの利益を意識的に踏みにじっていると非難しているかのように問題を立てることである。たとえ心の底から労働者階級の利益に配慮しているつもりの者でさえ、誤った政治路線を指令しうるのである。たとえわが党の最も極端な右翼の代表者であっても、彼らがとり結ぼうと準備しているブルジョア分子との協定は、労働者と農民の利益のために必要なものであり、レーニンがまったく許容しうると考えたようなマヌーバーの一つにすぎないと確信している。資本主義への退行傾向の公然たる代表者である右派グループでさえも、テルミドールを意識的に望んでいるわけではない。そしてこのことは、幻想と自己満足と自己欺瞞の典型的政策を遂行している「中間派」についてはなおさらあてはまる。

 スターリンとその最も近しい側近たちは、自らの強力な機構にもとづきさえすれば、ブルジョアジーの全勢力を――闘争の中で打ち負かさなくても――うまく出し抜くことができると確信している。疑いもなくスターリニストたちは、中国の将軍たちを一定期間「もてあそび」、彼らを革命の利益のために利用した後には、絞り尽くしたレモンのように投げ捨てればよいと、まったく大真面目に信じていた。スターリンとスターリニストは明らかに、自分たちがパーセル(1)のような連中を「もてあそんで」いるのであってその逆ではないと、まったく大真面目に信じていた。スターリンとスターリニストは、「自国の」ブルジョアジーに「自由に」譲歩をし、後にこれらの譲歩をいかなる結果も伴うことなく自由に取り戻すことができると、まったく大真面目に信じていた。

 スターリニストたちは、事実上を政治決定から排除し、そうすることで党による抵抗を回避し、易々とマヌーバーを弄することができると官僚主義的に過信している。スターリニストの上層部が決定を下し、行動し、その後で党にこの決定を「審議」させる。しかし、これによって弱体化させられるのは、場合によっては麻痺させられるのは、まさに正しい政治的マヌーバー――必要かつ時宜をえたそれ――を行ないうる勢力なのであり、あるいはまた、明らかに誤ったマヌーバーを指導部が行なってもその結果を緩和したり取り除いたりすることのできる勢力なのである。このように、中央委員会の右派の調停主義的傾向とその中間主義グループのマヌーバーとが重なり合い、蓄積されていった結果、次のような事態をもたらしている。ソ連の国際的地位の弱体化、ソ連におけるプロレタリアートの地位の、他階級に比しての弱体化、プロレタリアートの物質的生活条件の相対的悪化、プロレタリアートと貧農との紐帯の弱体化、中農との同盟関係の動揺、国家機関におけるプロレタリアートの役割の低下、工業化のテンポの減速。テルミドール主義――すなわちプロレタリア的政策の軌道から小ブルジョア的政策の軌道へと退行していくこと――の危険性という問題を提起したときに反対派が念頭に置いていたのは、中央委員会多数派の政策のこうした結果であって、その意図ではない。

 わが党の歴史と性格が、第2インターナショナルの諸党とは巨大な相違があることは、誰のにとっても明白である。ソ連共産党は3つの革命の炎で鍛えられ、世界中の敵に対抗して権力を奪取し、第3インターナショナルを組織した。党の運命は、最初に勝利したプロレタリア革命の運命なのである。だが革命は党の内的生活のテンポをも規定する。党内におけるあらゆる思想的過程は、強い階級的圧力のもとで進行するため、急速に発展し成熟する傾向にある。まさにそれゆえ、わが党内で、レーニン主義的路線からのあらゆる離脱に対して時機を失せず決定的な闘争を行なうことがとりわけ必要なのである。

 ソ連共産党における日和見主義的危険性は、現在の状況においては深い客観的な原因を有している。(1)ブルジョアジーによる国際的な包囲と資本主義の一時的・部分的な安定化が、「安定志向」の気分をつくり出していること。(2)ネップは、社会主義への道として無条件に必要であったが、部分的に資本主義を復活させたため、社会主義に敵対する諸勢力もまた復活していること。(3)農民が圧倒的多数を占めている国では、小ブルジョア的自然発生性が、各級ソヴィエトのみならず、党内にも流れ込まざるをえないこと。(4)党の独占的地位は、革命のために無条件に必要であるが、これもまた一連の特殊な危険性を生み出している。すでにレーニン時代の第11回党大会は、エスエルやメンシェヴィキの諸党が合法であったならばこれらの諸党に属していたであろう人々(富農、上層職員、インテリゲンツィアの出身者)の大きなグループが今ではわが党に入っていることを、直截かつ率直に指摘した。(5)党が指導している国家機関もまた、多くのブルジョア的・小ブルジョア的分子を党内に持ち込み、党に日和見主義を感染させていること。(6)スペッツや最上層の職員やインテリゲンツィアはわが国の建設事業に必要ではあるとはいえ、わが国のさまざまな機関――国家機関・経済機関・党機関――に非プロレタリア的影響力を持ち込んでいること。

 まさにそれゆえ、党のレーニン主義的反対派の翼は、スターリン・グループの明白な、日々脅威を増している退行に対してこれほど執拗に警鐘を鳴らしているのである。党の偉大な過去とその古参カードルが、どんな状況、どんな時でも、日和見主義的堕落の危険を防ぐ保証になるなどと主張するのは、犯罪的な軽率さである。このような考えはマルクス主義とは何の共通性もない。レーニンの教えはそうではなかった。第11回党大会でレーニンは次のように述べている。

 「歴史上あらゆる種類の変質が見られた。信念や、献身や、その他のすぐれた精神的資質にたよるのは、政治ではまったく不真面目なことである」(第18巻第2分冊、42頁)(2)

 帝国主義戦争以前にヨーロッパの社会主義政党の大多数を構成していた労働者は、日和見主義的退行には無条件に反対であった。しかし彼らは、当時はまだ重大なものではなかった日和見主義的誤りを時機を失せず克服することができなかった。彼らはこれらの誤りの意義を過小評価した。強大な労働官僚層と労働貴族層を生み出した長期にわたる平和的発展の時期の後に起こる最初の深刻な歴史的動乱が、日和見主義者のみならず中間主義者をもまたブルジョアジーに降服することを余儀なくさせ、大衆がこの危機的な瞬間に武装解除されたまま放置されるかもしれないる、ということを労働者は理解しなかった。第2インターナショナルの左翼を構成していた革命的マルクス主義者たちのことを戦前に何か非難することができるとすれば、それは彼らが日和見主義を民族自由主義的労働者政策と呼ぶことでその危険性を誇張したことにあるのではなく、反対に、彼らが当時の社会主義諸政党の中の労働者層を、プロレタリアートの革命的本能を、階級的諸矛盾の先鋭化を当てにして、実際にはこの危険性を過小評価し、それに対抗して革命的下部大衆を動員する努力が不十分であったことにある。われわれはこの誤りを繰り返そうとは思わない。われわれは、指導部の路線を時機を失せず矯正するという課題を自らに課し、まさにそうすることで、わが党の分裂と新党形成をめざしているという告発に答えるものである。プロレタリアート独裁にとっては、労働者大衆と貧農の指導者としての単一のプロレタリア党がどうしても必要である。この統一、しかも分派闘争によって弱められないこの統一は、プロレタリアートがその歴史的使命を実現するために無条件に必要である。このことを実現することができるのは、勝手な解釈で薄められず修正主義で歪曲されていないマルクスとレーニンの教えにもとづいている場合のみである。

 反対派は、わが国の社会主義的改造の前提条件としての工業化の一定のテンポのために闘争し、農村の支配をめざしているクラークの成長に反対して闘争し、労働者の生活水準のすみやかな向上のために闘争し、党・労働組合・ソヴィエト内部の民主主義のために闘っている。反対派は、労働者階級とその党との乖離を引き起こしかねない思想のために闘っているのではなく、反対に、ソ連共産党の真の統一にとっての基盤を強化するために闘争している。日和見主義的誤りを正すことなしには、見せかけの統一しか存在しえないだろう。そのような統一は、増大するブルジョアジーの攻撃を前にして党を弱体化し、戦争が起こった場合には、行軍中に敵の砲火を浴びながら党を立て直すことを余儀なくされるであろう。わが党のプロレタリア的中核は、反対派の真の見解を知れば、それを分派的スローガンとしてでなく、まさに党の統一の旗として受け入れ、そのために闘うだろう。このことをわれわれは疑わない。

 わが党はこれまでのところ、指導部の誤りを十分明確には認識しておらず、それゆえこの誤りを正すことができなかった。復興期におけるわが国工業の極端に急速な成長テンポは、中央委員会多数派が党と労働組合の中で系統的に鼓舞してきたあの日和見主義的幻想の基本原因の一つであった。労働者の状態が内戦の時期と比較して当初は急速に改善されたことは、労働者の広範な層にネップの諸矛盾を急速に易々と克服できるという希望を生じさせた。このことは、党が時機を失せず日和見主義的逸脱の危険性を見抜くのを妨げた。

 レーニン主義的反対派が党内で成長したため、党官僚の最悪の分子はボリシェヴィズムの実践において前代未聞の方法に訴えざるをえなくなった。いつまでも党細胞での政治的諸問題の討議を禁止しつづけることができなくなった党官僚の一部は、第15回大会を前にして、党内問題の討議を野次や口笛や照明を消すといった手段で破壊することを目的としたグループを結成した。

 わが党に直接の身体的暴力の方法を導入しようとするこのような試みは、すべての誠実なプロレタリア的分子の憤激を巻き起こすであろうし、不可避的にそれ自身の組織者にも災いとなって返ってくるだろう。党機構の最悪の部分によるいかなる策謀も、反対派から党員大衆を引き離すことはできない。反対派の背後には、わが党のレーニン主義的伝統、世界の労働者運動全体の経験が横たわっており、反対派は、現代の国際プロレタリアートの観点から国際政治と経済建設の諸問題を設定している。復興期の後に不可避的にますます先鋭になりつつある階級矛盾は、現在の危機からの活路に関するわれわれの見解をますます確証するであろうし、プロレタリアート前衛をレーニン主義のための闘争にますます強固に結集するだろう。

 戦争の危険性の増大は現在すでに、党員労働者が革命の根本的諸問題についてもっと深く考えるよう促しており、そのことによって必然的に、日和見主義的誤りを矯正する事業に労働者がより積極的に参加するよう余儀なくしている。

 わが党の労働者部分は、この間、党指導部から大量に追い出され、「反対派バッシング」――その目標は、左派が右派であり、右派が左派であると言いくるめることであった――の破滅的な影響をこうむってきた。しかし彼らは、やがて生気を取り戻し、実際に生起していることのいっさいを理解し、党の運命をそれ自身の手中に握ることだろう。この方向に向けて先進的労働者を援助すること、これこそが反対派の課題であり、本政綱の課題である。

 最も重要で最も差し迫った問題、わが党の全メンバーを深刻に悩ませている問題は、党統一の問題である。そして実際に、プロレタリア革命の今後の運命は最も直接的にこの問題に依存している。プロレタリアートの無数の階級敵は、われわれの党内論争の成り行きを真剣に追っており、悪意ある喜びやもどかしさを感じながらわが隊列における分裂を待ち望んでいる。わが党の分裂、別党の結成は、わが国の革命にとって最大級の危険性を意味するだろう

※   ※   ※

 われわれ反対派は、別党を結成しようとする試みはいかなるものであれきっぱりと断罪する。別党のスローガンは、ソ連共産党からレーニン主義的反対派を追い出そうとしているスターリン・グループのスローガンである。われわれの課題は、何らかの新党を結成することではなく、ソ連共産党の路線を正すことである。ソ連邦におけるプロレタリア革命は、ただ単一のボリシェヴィキ党が存在する場合のみ完全な勝利と勝ちとることができる。われわれは、ソ連共産党の内部で自分たちの見解のための闘争を遂行しており、「別党」のスローガンを冒険主義的スローガンとしてきっぱりと断罪する。「別党」のスローガンは、一方では党機構の中の分裂主義者たちの志向を表現しており、他方では、レーニン主義者の課題があらゆる困難にもかかわらずソ連共産党の内部でレーニン主義の思想の勝利を勝ちとることであることを理解できない絶望の気分を表現している。レーニンの路線を誠実に擁護する者は誰も、「別党」という考えを抱いたり、分裂の思想をもてあそぶことはできない。ただレーニンの路線を他の何かで置き換えようと願う者のみが、分裂の道や別党の道に向かうことができるのである。

 われわれは全力を尽くして、別党に反対して闘うだろう。なぜなら、プロレタリアートの独裁は、その機軸としての単一のプロレタリア党を必要としているからである。それは単一党を必要としている。それはプロレタリア党を必要としている。すなわち、その政策がプロレタリアートの利益によって規定され、プロレタリア的中核によって遂行される党を必要としている。わが党の路線を正すこと、党の社会的構成を改善すること――これは、別党の道によってではなく、プロレタリアートの革命党としての党の統一を強化し保証することによって達成されるのである。

 10月革命の10周年記念に際し、われわれは次のような深い確信を表明する。無数の犠牲を払って資本主義を打倒した労働者階級が今になって、自己の指導部の誤りを正すことができず、プロレタリア革命を強力に推進することができず、また世界革命の中心たるソ連邦を防衛することができないなどということはありえない、と。

 日和見主義反対! 分裂反対! レーニン主義党の統一のために!

 

   訳注

(1)パーセル、アルバート(1872-1935)……イギリスの労働組合活動家で、イギリス総評議会の指導者。英露委員会の中心的人物。1926年に起こったゼネストを裏切る。

(2)レーニン「ロシア共産党(ボ)中央委員会の政治報告」、邦訳『レーニン全集』第33巻、292頁。

 

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