第11章 意見の相違の虚実

 スターリン・グループは、われわれの真の見解とではなく、われわれがけっして主張したことも主張することもないでっち上げた見解と論争するよう不断に努力しているが、このことほど、彼らの政治的不誠実さのほどを物語るものはない。

 ボリシェヴィキがメンシェヴィキやエスエル、その他の小ブルジョア的諸潮流と論争したとき、ボリシェヴィキは労働者に対して自己の反対者の見解の実際の姿を体系的に提示した。しかしメンシェヴィキやエスエルがボリシェヴィキと論争したときには、彼らはボリシェヴィキの真の見解を論破する代わりに、ボリシェヴィキがけっして言わなかったことをボリシェヴィキに帰した。メンシェヴィキとエスエルは、労働者に対してボリシェヴィキの見解を少しでも正確に提示することはできなかった。なぜならそうした場合、労働者はボリシェヴィキを支持しただろうからである。階級闘争の力学全体によって、これらの小ブルジョア・グループはボリシェヴィキを「陰謀家」「反革命の共犯者」、後には「ヴィルヘルムの手先」等々というレッテルを貼って闘わざるをえなくなった。

 現在も、われわれ自身の党内部の小ブルジョア的偏向者たちは、われわれのレーニン主義的見解と闘うのに、われわれが一度も考えたことも言ったこともない考えをわれわれになすりつけることによってしかそうすることができない。もしわれわれが自分の真の見解を少しでも自由に擁護することができたならば、わが党員の圧倒的多数がわれわれを支持するであろうことをスターリン・グループは重々承知している。

 誠実な党内論争のための最も初歩的な条件さえ守られていない。世界的な意義をもつ中国革命の問題に関して、党中央委員会はこれまで反対派が述べた見解を一行たりとも印刷していない。党に隙間なく蓋をかぶせ、反対派を党の出版物から排除した後で、スターリン・グループはわれわれに対して絶え間ない論争をしかけ、日々ますますひどくなる一方のナンセンスと犯罪とをわれわれに帰している。しかし党員は日々ますますこれらの非難を信じないようになっている。

 1、われわれが、資本主義の現在の安定化は数十年におよぶ安定化ではない、われわれの時代は依然として帝国主義戦争と社会革命の時代である(レーニン)と言うと、スターリン・グループはわれわれが資本主義の安定化のあらゆる要素を否認しているかのように言う。

 2、われわれがレーニンにしたがって、わが国で社会主義を完全に建設するには、一つないしいくつかの先進資本主義国でプロレタリア革命が勝利する必要があること、マルクス、エンゲルス、レーニンが証明したように、一国だけで、とりわけ後進国で社会主義が完全に勝利することは不可能であると言うと、スターリン・グループは、われわれが社会主義を、ソ連邦における社会主義建設を「信じていない」かのように言う。

 3、われわれがレーニンにしたがって、わがプロレタリア国家の官僚主義的歪曲の増大を指摘すると、スターリン・グループは、われわれがそもそもソヴィエト国家をプロレタリア国家とみなしていないかのように言う。われわれがコミンテルンに対して次のような声明をすると(参照、第7回コミンテルン拡大執行委員会に宛てた1926年12月15日付のジノヴィエフ、カーメネフ、トロツキー署名の声明)――「われわれと直接ないし間接に連帯しようと試みながら、同時にわが党と国家のプロレタリア的性格およびソ連邦における建設の社会主義的性格を否定する者は誰であろうとわれわれの側からの容赦ない拒絶に会うだろう」(1)――、スターリン・グループはわれわれの声明を隠蔽し、われわれを中傷しつづける。

 4、われわれが、テルミドール主義分子は国内で十分に本格的な社会的基礎をもって成長していると指摘し、さらに、党指導部がこれらの現象およびわが党内の一定の構成分子に対するその影響に対してもっと系統的で確固とした計画的反撃をするよう要求すると、スターリン・グループは、あたかもわれわれが党そのものをテルミドール派とみなし、プロレタリア革命がすでに変質してしまったと主張しているかのように言う。われわれがコミンテルン全体に対して次のように声明すると(前述の声明の第14項参照)――「われわれがわが党の多数派を『右翼的偏向』として非難しているというのは、本当ではない。われわれはただ、ソ連共産党内に、今や不釣合いなまでに大きな影響力を持つにいたった右派の潮流とグループが存在しているが、党はそれを克服することができるだろう、と考えているだけである」(2)――、スターリン・グループはこのわれわれの声明を隠蔽し、われわれを中傷しつづける。

 5、われわれがクラークの巨大な成長を指摘し、レーニンにしたがって、クラークは平和的に「社会主義に根づく」ことはできない、クラークはプロレタリア革命の最も危険な敵であると指摘すると、スターリン・グループはわれわれが「農民を収奪」することを望んでいると非難する。

 6、われわれが、私的資本の地歩が強化され、その蓄積と影響力が国内で不釣合いに成長しているという事実に対してわが党の注意を喚起すると、スターリン・グループは、あたかもわれわれがネップそのものに反対し、戦時共産主義の復活を要求しているかのように非難する。

 7、われわれが、労働者の物質的諸条件の分野における党の政策が正しくない、失業と住宅不足に対する措置が不十分であると指摘し、とくに住民の非プロレタリア層が国民所得に占める割合が不釣合いに増大していると指摘すると、われわれは「同業組合主義」的偏向を犯しており「デマゴーグ」だと言われる。

 8、われわれが、工業が国民経済の必要から系統的に立ち遅れており、その必然的な結果として、不均衡、商品飢饉、スムイチカの掘りくずしが生じていると指摘すると、われわれは「超工業化論者」と呼ばれる。

 9、われわれが、誤った価格政策のせいで物価の高騰が軽減せず、私的資本が私腹を肥やす結果になっていると指摘すると、スターリン・グループはあたかもわれわれが物価引き上げ政策を支持しているかのように言って非難する。われわれが1年前にコミンテルン全体に対して次のように声明したとき(前掲声明の第6項参照)――「反対派はいかなる場合でもけっして価格引き上げを要求したり提案したりしたことはないし、むしろわが国の経済政策の主要な誤りがまさに、工業製品の不足を解消することに向けて十分精力的に対処していないことであり、そのことが不可避的に小売価格の高騰をもたらしているとみなしてきた」(3)――、この声明は党から隠蔽され、われわれへの中傷がつづけられている。

 10、イギリス・ゼネストを裏切りチェンバレンの手先の役割を公然と演じているイギリス総評議会の反革命家との「誠実な協定」なるものにわれわれが反対すると、あたかもわれわれが労働組合内部での共産党員による活動と統一戦線の戦術に反対しているかのように非難される。

 11、われわれが、ソ連邦の労働組合がアムステルダム・インターナショナルに加入することや、第2インターナショナル指導部とのいかなるいちゃつきにも反対するという立場を表明すると、「社会民主主義的な偏向」であると非難される。

 12、われわれが、中国の将軍に賭ける政策、中国の労働者階級をブルジョア的国民党に従属させる政策、マルトゥイノフのメンシェヴィキ的戦術に反対すると、われわれは「中国における農地革命」に反対し、「蒋介石とぐるになっている」と非難される。

 13、われわれが、世界情勢の評価にもとづいて戦争が接近しつつあるという結論に達し、このことについて時宜を失せず党に警告すると、あたかもわれわれが「戦争を望んでいる」かのような卑劣な非難が浴びせかけられる。

 14、われわれがレーニンの教えに忠実に、戦争が接近するにしたがってとりわけ堅固で明確な階級的路線が必要になると指摘すると、あたかもわれわれがソ連邦の防衛を望んでおらず、「条件的防衛論者」、半祖国敗北主義者であるかのような恥知らずな非難がなされる。

 15、われわれが、全世界の資本家・社会民主主義者の新聞雑誌がソ連共産党における反対派に対するスターリンの闘争を支持し、スターリンを左翼への弾圧のゆえに称賛し、反対派を切除して中央委員と党から除名するよう訴えているというまったく議論の余地のない事実を指摘すると、『プラウダ』は、そしてそれに追随して党とソヴィエトのすべての出版物は、毎日毎日、ブルジョアジーと社会民主主義者が「反対派に賛成」しているかのような虚偽の報道を繰り返す。

 16、われわれが、コミンテルンの指導権を右派の手に渡すことや数百数千の労働者ボリシェヴィキをコミンテルンから除名することに反対すると、スターリン・グループはあたかもわれわれがコミンテルンを分裂させようとしているかのように言って非難する。

 17、現在の歪曲された党体制のもとで、反対派党員に自己の真の見解を党に知らせようとすると、最も誠実な党員であってもソ連共産党から追放され、「分派主義」と非難され、「分裂主義的行動」の罪をでっち上げられ、最重要の意見の相違がゴミ屑のように投げ捨てられる。

 18、彼らの昨今のお気に入りの非難は、われわれが「トロツキズム」を信奉しているという非難である。だが、われわれは、コミンテルン全体に対してジノヴィエフ、カーメネフ、トロツキーの署名した声明の中で次のように言明している(1926年12月15日付の前掲声明を参照)――「われわれが『トロツキズム』を擁護しているというのは本当ではない。トロツキーは、レーニンと論争になった何らかの原則的問題に関してはすべて、とりわけ永続革命と農民の問題に関しては、レーニンが正しかったとコミンテルンの前で宣言した」(4)。コミンテルン全体に対してなされたこの声明を、スターリン・グループは印刷することを拒否し、われわれを「トロツキズム」であると非難しつづけている。

 前述の声明は、もちろん、過去のレーニンとの意見の相違にのみあてはまるのであって、スターリンとブハーリンが良心のかけらもなしにでっち上げた「意見の対立」とは無関係である。彼らは、とっくに過去のものとなった意見の相違を10月革命の過程で生じた意見の相違に人為的に結びつけている。

 スターリン・グループは、1923年のグループと1925年のグループの間に存在していた過去の意見の相違を持ち出すことによって、本政綱に示された反対派の見解を「後景に退け」ようとしているが、これは卑劣なやり口である。これらの意見の相違は現在ではレーニン主義の土台の上ですっかり消え去っている。ボリシェヴィキの両グループが1923〜24年の論争において犯した誤りと誇張は、党内と国内における事態がまだ明瞭になっていなかったことから生じたものであって、今では訂正され、日和見主義に反対するレーニン主義のためのしかるべき共同闘争にとって何の障害にもなっていない。

 スターリンとブハーリンのグループは、個々の文章を文脈から切り離して引用し、レーニンの古い論争的評価を不公平に取捨選択して粗雑かつ不誠実に利用し、それでいてレーニンの他のずっと最近の評価を党から隠し、党の歴史やごく最近の事実さえも直接に偽造し、そして最も重要なことには現在のすべての係争問題を歪曲しあからさまに改竄している。そうすることでこのグループは、ますますレーニンから遠ざかりながら、問題になっているのがあたかもトロツキズムとレーニン主義との闘争であるかのように党を欺いて信じ込ませようとしている。だが実際には、闘争はレーニン主義とスターリン主義的日和見主義との間で展開されているのである。それはちょうど修正主義者たちが、「ブランキズム」との闘争という見せかけのもとに、実際にはマルクス主義との闘争を行なっていたのと同じである。スターリンの路線に反対してわれわれが一致団結して共同闘争を進めることができたのは、われわれがみな完全に一致して、真にレーニン主義的なプロレタリア路線を擁護しようと欲し、実際に擁護しているからにほかならない。

 この政綱こそ、「トロツキズム」という反対派非難に対する最良の回答である。誰でもこれを読み通せば、これが最初の頁から最後の頁までレーニンの教えに立脚し、真のボリシェヴィズムの精神に貫かれていることがわかるだろう。

 党はわれわれの真の見解を知ることができなければならない。さまざまな意見の相違、とりわけ、中国革命のような偉大な世界的意義を持った問題に関する意見の相違について、でっち上げではないちゃんとした文書にもとづいて党に知らせなければならない。レーニンは、意見の相違が存在する場合には、言葉を信じるのではなく、文書を要求し、論争する両者の言い分に耳を傾け、最も良心的な形で実際の意見の相違を解明し、偽りの主張を退けるようわれわれに教えた。われわれ反対派はこのレーニンの勧告を繰り返すものである。

 第14回党大会で起こったような事態、すなわち大会の数日前に突如として意見の相違が表面化するような事態に関しては、そのような可能性自体永遠になくしてしまわなければならない。レーニンの時代に常にそうであったように、実際の相違点を誠実に議論し解決するための条件をつくり出さなければならない。

 

   訳注

(1)トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ「反対派はなぜスターリンの決議に反対投票するか」、『トロツキー研究』第42/43号、140〜141頁。

(2)同前、144頁。

(3)この一文は、「反対派はなぜスターリンの決議に反対投票するか」にはない。

(4)同前、144頁。

 

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