第4章 国営工業と社会主義建設

工業の発展テンポ

 「社会主義の唯一の物質的基礎となりうるものは、農業をも改造しうるような機械制大工業である」(レーニン、第18巻、第1分冊、316頁)(1)

 現在の初期的発展段階と現在の与えられた歴史的状況――すなわち資本主義の包囲と世界革命の遅延――における社会主義的発展の基本的条件は、工業化のテンポが、少なくとも以下の諸問題を近い将来に解決するのに十分なほど急速なことである。

 (1)国内におけるプロレタリアートの物質的地位を絶対的にも相対的にも強化しなければならない(就業労働者数の増大、失業者数の減少、労働者階級の物質的水準の改善、とくに公衆衛生の規準に見合うよう1人当りの居住面積を拡大すること)。

 (2)工業・運輸・発電所の生産量を、少なくとも国全体の需要と予備資源の増大に立ち遅れないように増大しなければならない。

 (3)農業は、段階的により高度な技術的基盤の上に移行し、工業にますます多くの農業原材料の供給を保証することができなければならない。

 (4)生産力の発展水準、技術、労働者階級と勤労大衆の物質的状態の改善において、ソヴィエト連邦は、資本主義諸国にこれ以上立ち遅れてはならず、逆に近い将来に追いつかなければならない。

 (5)工業化は、国土の防衛ととりわけ軍需産業のしかるべき成長を保証するものでなければならない。

 (6)社会主義的・国営企業的・協同組合的諸要素は系統的に成長しなければならず、前社会主義的な経済ウクラード(資本主義的ウクラードおよび前資本主義的ウクラード)の諸要素に関しては、一部は切除し、別の一部は従属させ転換しなくてはならない。

 工業・電化・運輸の分野における相当な成功にもかかわらず、工業化は、必要でありまた可能である発展水準から遠く隔っている。工業化の現在のテンポと来たる数年間に予定されているテンポは、明らかに不十分である。

 言うまでもなく、すべての困難を一撃で解決したり、経済と文化の系統的な上昇の長期にわたる時期を飛び越すことを可能にするような政策は存在しないし、ありえない。しかし、まさにわが国の経済と文化の後進性こそが、わが国のできるだけ早急な工業化のために、力と手段の例外的な集中、すべての蓄積の正しく時宜を得た動員、すべての予備資源の正しい活用を必要としているのである。

 工業・運輸・電化・建設が、ソ連の住民および国民経済と社会システム全体の必要と要求から慢性的に立ち遅れているために、わが国の経済取引全体が万力の中で締め上げられ、農業生産物の商品部分の現金化とその輸出が縮小し、輸入はきわめて狭い枠内に閉じ込められ、商品原価と価格が上昇し、チェルヴォネツが不安定化し、生産力の発展にブレーキがかけられ、プロレタリアートと農民大衆の物質的福祉の成長が遅れ、失業が驚くほど増大し、住宅事情が悪化し、工業と農業とのスムイチカが掘りくずされ、国の防衛能力が弱体化している。

 工業の不十分な発展テンポは、それはそれで農業の成長の遅延をもたらす。だが、農業生産力の断固たる成長とその商品化の増大なしには、いかなる工業化も不可能なのである。

 

価格

 工業製品の原価と卸売・小売価格を系統的かつ不断に引き下げ、それを世界市場の価格に接近させることなしには、工業化のしかるべきテンポはないし、ありえない。生産活動をより高度な技術的基礎の上に移行させるだけでなく、勤労大衆の要求をよりよく満足させるという意味での真の進歩は、まさにこの点にあるのである。

 あたかも反対派が価格の引き上げを望んでいるかのようなナンセンスで下劣な叫びに終止符を打つべき時である。価格引き下げを志向している点で全党は完全に一致している。しかし志向だけでは十分ではない。政策というものは、その意図によってではなく、結果によって判断されるべきである。だが、現在の価格引き下げ闘争の結果は、指導部の幹部メンバーでさえ、この政策によって巨額の金を失ったのではないかという疑問を提起せざるをえないものである。「10億ルーブルはどこに行ったのか?」と同志ブハーリンは今年の1月に問うた。彼に続いて同じテーマについて発言した同志ルズタークは、「卸売価格と小売価格との差額はどこに行ったのか?」と問うた(1927年3月3日政治局速記録、20〜21頁)。慢性的な商品不足が存在するときに、卸売価格を無差別的かつ無器用な形で官僚主義的に引き下げても、その恩恵はほとんどの場合労働者と農民には届かず、国営工業が何億ルーブルも損失を被るだけで終わる。このような雲散霧消によって生じる卸売と小売の鋏状価格差――とりわけ私的所有者の手中におけるそれ――が非常に巨大であるため、この商業差益の一部を国営工業の手中に残すことは――正しい政策が存在する場合には――十分可能である。この数年間における経済的経験全体から導かれる不動の結論は、さまざまな不均衡をできるだけ早急に克服しなければならないこと、工業商品の生産量を増加させ、工業の発展テンポを加速させなければならないことである。これこそが、卸売・小売価格の真の引き下げと、とりわけ、昨年中は下降よりむしろ上昇傾向を示してきた原価の引き下げに至る基本的な道なのである。

 

ゴスプランの5ヵ年計画

(1926〜27年度から1930〜31年度)

 来たる第15回党大会の議事日程にも入っている国民経済発展の5ヵ年計画という問題は、当然にも党の注意の中心を占めるべきものである。ゴスプランの5ヵ年計画は、いまだ正式には承認されていないし、現在の形のままでは承認されがたいあろう。それにもかかわらず、そこには現在の経済指導部の基本路線が最も系統的かつ完全な形で示されている。

 この5ヵ年計画によると工業への投資額は毎年ほとんど増加せず(来年が11億4200万ルーブル、1931年には12億500万ルーブル)、国民経済の総投資額に占める割合はむしろ36・4%から27・8%に下落する。国家予算の資金から工業への純投資額は、本計画によれば同じ期間に約2億ルーブルから9000万ルーブルに下落する。

 工業生産高の年増加率は4〜9%と想定されており、このテンポは資本主義諸国が急速に成長する時期の成長率と同じである。土地・生産手段・銀行の国有化と中央集権的な経営管理の持っている巨大な長所が、すなわち社会主義革命の長所が、この5ヵ年計画にはほとんど反映されていない。

 工業製品の個人消費は、現在でもまったく貧弱なのに、5年間でたった12%しか増加しないことになっている。綿布の消費量は1931年には戦前の97%になることになっているが、これは1923年のアメリカの水準の5分の1である。石炭消費量は、1926年のドイツの7分の1、1923年のアメリカの17分の1になる。銑鉄消費量は、ドイツの4分の1弱、アメリカの11・5分の1になる。電力の生産量は、ドイツの3分の1、アメリカの7分の1になる。紙の消費量は5ヵ年計画の終わりでも戦前の83%である。すべてこれが10月革命から15年後のことなのだ! 10月革命の10周年記念に際して、このようなしみったれた徹底的に悲観主義的な計画を提出することは、実際には社会主義に逆行することを意味する。

 ゴスプランによって立案された計画によると、小売価格の引き下げは5年間でたったの17%であり、たとえそれが実現されたとしても、わが国の価格と世界市場の価格(わが国の価格より2・5分の1から3分の1も低い)との相互関係にほとんど何の影響も及ぼさないだろう。

 しかし、この取るに足りない価格引き下げにもかかわらず(しかも今のところ計画段階にすぎない)、計画によると、支払能力のある需要を満たすためには工業製品の不足が年4億ルーブルにのぼる。もし現在の法外な価格を5年間で22%削減するとしたら――これは現在の控えめな想定よりも大きい――、それだけでも10億ルーブルもの工業製品不足をもたらすだろう。したがって、需要と供給の不均衡は手つかずのまま温存され、それは小売価格の上昇の不断の源泉であり続けるであろう。5ヵ年計画は農民に対して、1931年の時点で、およそ戦前水準の工業製品を戦前の1・5倍の価格で与えると約束している。大工業の労働者に対しては、価格引き下げの根拠薄弱な想定を度外視したうえで5年後に名目賃金を33%増加させると約束している。需要と供給の不均衡は、ゴスプランの案によると、労働者が支払う家賃を現在の2〜2・5倍に、およそ年4億ルーブルも引き上げることによって根絶されることになっている。住民の富裕層では過剰な購買力が存在するにもかかわらず、ゴスプランの官僚たちは、労働者の実質賃金を削減することによってこの状況を改善しようとしているわけだ。労働者国家の重要機関が市場の均衡を回復するためにこのような方策を提案するとは、信じがたいことである! このような偽りの展望こそが、消費者をして外国貿易の独占の廃棄という破滅的な道に解決策を見出すよう否応なく駆り立てているのである。

 鉄道は今後5年間で新たに6000〜7000ヴェルスタ建設することが想定されているが、たとえば1895〜1900年の5年間に1万4000ヴェルスタも建設されたことに比べるなら、社会主義的工業化の観点からだけではなく、国の主要な地域の最も基本的な経済的要求の観点から見ても、恐ろしく不十分である。

 あれこれの側への逸脱を伴ったこのような展望が、わが国の経済発展を事実上指導している国家機関の実際の姿勢なのである。以上が、現在の指導部の路線の実像なのである。

 

ソ連と世界資本主義経済

 資本主義と社会主義という和解しがたく対立している2つの社会システムの間の長期にわたる闘争において、その帰趨を決定するのは究極的にはそれらのシステムにおける労働生産性の相互関係である。そしてこの労働生産性は、市場の条件のもとでは、国内価格と世界価格との相互関係を通じて測られる。レーニンが最後の演説の一つで、われわれの前にひかえている「試験――ロシア市場と、われわれが従属し結びつけられ逃れられない国際市場とが行なう試験」(レーニン『著作集』第18巻、第2冊、33頁)(2)について党に警告した時に彼が念頭に置いていたのは、まさにこの根本問題であった。それゆえ、われわれがどんなテンポでも、たとえ「亀の」テンポであっても、社会主義に向けて前進しそこに到達することができるなどという考え(ブハーリン)は、小ブルジョア的低俗さなのである。

 一国的に閉鎖された経済という屋根のもとで、資本主義の包囲から隠れていることはできない。なぜならば、まさにその閉鎖性ゆえに、この経済はきわめて緩慢に発展すること余儀なくされ、したがって資本主義の陸海軍の圧力(「干渉」)だけではなく、何よりも資本主義の安価な商品の圧力は、弱まるどころか強まることになるからである。

 資本主義諸国の技術がわが国よりも高度な場合には、外国貿易の独占は社会主義建設にとって死活にかかわる必要手段である。しかし独占が、建設されつつある社会主義経済を守ることができるのは、ただこの社会主義経済が技術や生産物の原価・品質・価格の点で世界経済にますます接近していく場合だけである。経済指導の目的は、経済発展のテンポと水準の必然的な低下という犠牲を払って閉鎖的な自足的経済を達成することではなく、反対に、最も高いテンポを達成することによって世界経済に占めるわが国の比重をできるだけ増大させることである。

 このために必要なのは以下のことである。わが国の輸出の巨大な意義を理解すること。輸出は現在、全体としてのわが国経済の発展から危険なまでに立ち遅れている(世界の商品取引量に占めるソ連のシェアは、1913年の4・22%から1926年には0・97%にまで後退した)。とりわけクラークに対する政策を変更すること。この政策のせいで、クラークの蓄積――それは現物による高利貸しといった性格を帯びている――が社会主義的輸出を掘りくずすことをが可能になっている。工業化を全力を尽くして促進し、経済の資本主義的要素に対抗して社会主義的要素を強化するという見地から世界経済との結合を発展させること。当面する時期においては、わが国の限られた蓄積を雲散霧消させるのではなく、まず何よりも最も手ごろで最も必要な機械の大量生産を保証することによって新しい生産形態へと徐々にかつ計画的に移行すること。世界資本主義の技術的成果を系統的に利用することによって、わが国工業を巧妙かつ慎重に補完し刺激すること。

 社会主義の孤立した発展や世界経済から独立した発展テンポを志向することは、全体の展望を歪め、わが国の計画的指導を脱線させ、世界経済に対するわが国の関係を正しく調整するための導きの糸を失わせる。その結果、自国で製造すべきは何で、外国から輸入するべきは何かを正しく決定することができなくなる。孤立した社会主義経済という理論を断固として拒否するならば、早くも次の数年のうちに、はるかに合目的的にわが国の資源を利用し、より急速に工業化し、より計画的かつ強力にわが国自身の機械製造を発展させ、より急速に就業労働者数を増加させ、実際に価格を低下させることができるだろう。要するに、資本主義の包囲の中でソ連を真に強化することができるだろう。

 世界的な結合が発展することのうちに、封鎖や戦争の際の危険性が潜んではいないだろうか? この質問に対する回答は、これまで述べてきたことから次のようになる。

 もちろん戦争に対する準備としては、われわれが切実に必要とする外国原料の備蓄を創出することが要求されるし、たとえばアルミニウム生産などのような切実に必要な新しい生産を、時機を失せず導入することが要求される。しかし長期にわたる本格的な戦争にとって最も重要なことは、工業をできるだけ発展させることによって、大量生産の能力と、ある生産から別の生産へと機敏に移行する能力とをもつことである。最近の歴史が示したように、ドイツのような高度に発展した工業国は世界市場と数千の糸で結びついていたにもかかわらず、戦争と封鎖によって全世界から一撃で切り離された時、巨大な生命力と抵抗力とを発揮したのである。

 わが国の社会構造がもつ比較にならないほどの優位性のもとで、この「平時」にわが国の経済発展を速めるためにわれわれが世界市場を利用することができるならば、われわれははるかによく準備し武装して、どんな封鎖やどんな干渉をも迎え撃つことであろう。

 どんな国内政策もそれ自体では、資本主義の包囲による経済的・政治的・軍事的な危険性からわれわれを解放することはできない。国内課題は、正しい階級政策、すなわち労働者階級と農民との正しい相互関係にもとづいてわが国を強化することによって、社会主義建設の道をできるだけ遠くまで前進することに帰着する。ソ連の国内資源は巨大であり、このことを完全に可能にしている。われわれは、世界の資本主義市場をこの同じ目的のために利用することによって、自らの基本的な歴史的利益を世界プロレタリア革命の今後の歩みに結びつけるのである。先進諸国におけるプロレタリア革命の勝利は資本主義の包囲網を打ち破り、わが国を軍事的な重荷から解放し、技術の分野でわが国を巨大な規模で強化し、都市でも農村でも、工場でも学校でも、わが国の発展のすべてを速めることであろう。そして、社会主義――すなわち、先進的な技術と、労働の支出と労働生産物の享受における社会の全成員の真の平等にもとづいた無階級社会――を建設する可能性をわれわれに与えるであろう。

 

資金源をどこに見出すべきか

 真の工業化をより大胆かつより革命的に解決することと大衆の文化のより急速な向上を勝ちとることは、社会主義独裁の運命がその解決にかかっている課題であるが、この課題を解決するための資金源をどこに見出すべきかという問題に対して、反対派は以下のように回答する。

 基本的な資金源は、予算・信用・物価の適正な運用を通じて国民所得を再分配することである。補足的な資金源は、わが国と世界経済との結合関係を正しく利用することに求められる。

 (1)ゴスプランの5ヵ年計画によると、国家と地方の予算は、5年間で60億ルーブルから80〜90億ルーブルに増加し、1931年には国民所得の16%に達することになっている。しかし、この割合は、戦前の帝政時代の予算が占めていた割合(18%)よりも小さいのである。労働者国家の予算はブルジョア国家の予算よりも大きな位置を占めることができるし、占めなければならない。もちろん、その際、予算が真に社会主義的なものになり、大衆の啓蒙教育のための支出を増加させることと並行して、わが国の工業化に対してはるかに多くの金額を投資するという条件が必要である。工業化の必要に対する予算からの純投資額は、来たる5年間に年5〜10億ルーブルに達することができるし、そうならなければならない。

 (2)現在の税制度は、農村の上層と新しいブルジョアジー一般の蓄積の増大に見合ったていない。必要なのは、(イ)私的企業からあらゆる種類の超過利潤に実効課税し、現在のような500万ルーブルではなく、1億5000万〜2億ルーブルを下らない額を徴収すること。(ロ)輸出を強化する目的で、農家の約10%を構成しているクラーク層および富裕層から、1926〜27年度に8〜9億プードに達した現物の穀物備蓄のうち1億5000万プード以上を借款の形で徴収すること。この備蓄の大部分は、農民の上層の手中に集中されている。

 (3)系統的に絶え間なく卸売価格と小売価格を引き下げ、卸売−小売の「鋏状価格差」を狭めるという断固たる政策を実際に遂行する必要がある。その際、価格の引き下げが何よりも労働者と農民の広範な需要に資する形でなされなければならない(その際、ただでさえ極端に低い品質を、現在行なわれているようにいっそう粗悪にするようなことはあってはならない)。この価格引き下げは、国営工業から必要な蓄積を奪うのではなく、主として商品量の増大、原価の引き下げ、間接費の削減、官僚機構の縮小によって遂行されるべきである。

 小売価格の引き下げ政策を、市場の条件により適合した形で、より弾力的に、より個別化した形で、すなわち各商品の市況を考慮に入れた形で実行するならば、現在は私的資本と商業的寄生者一般を養う源泉となっている巨額の資金を、国営工業の手中にとどめることができるだろう。

 (4)現在の節約体制は、昨年におけるスターリンとルイコフの言明によると、年3〜4億ルーブルの節減をもたらすはずであったが、実際にはまったく取るに足りない結果しかもたらさなかった。節約体制とは、階級的政策の問題であり、ただ大衆の直接的な圧力のもとでのみ実現できるのである。労働者は敢然とこの圧力を行使しなければならない。非生産的支出を年4億ルーブル縮減することはまったく可能である。

 (5)外国貿易の独占、外国からの融資、利権、技術援助の契約等々の手段を巧妙に用いるならば、部分的とはいえ追加的な資金を得ることができるし、より重要なことには、われわれ自身の支出の合目的性を大いに高め、新しい技術を自国に根づかせ、わが国の発展の歩み全体を速め、したがってまた、資本主義の包囲からのわが国の真の社会主義的独立を強化するだろう。

 (6)下から上までの人員の選抜の問題とそれらの人員の適切な相互関係の問題は、ある程度は財政上の問題である。人選のあり方が拙劣であればあるほど、より多くの資金が必要となる。官僚体制は、正しい人選と人員間の正しい相互関係に対立する。

 (7)経済指導部の「追随主義」は、その先見の名のなさ、調和性の欠如、瑣末主義、現実からの立ち遅れに対する罰として、実際には何千万ルーブルもの損失を生んでいる。

 (8)税金だけでは、ますます成長しつつある国民経済の需要を満たすことはできない。信用は、社会主義建設の目的のために国民所得を再分配する際のますます重要なテコにならなければならない。そのためには何よりも安定した通貨と健全な貨幣流通の体制が強化されなければならない。

 (9)より階級的に堅固な経済政策は、投機と高利貸の枠を狭めることによって、国家機関と信用機関に私的蓄積を動員することが容易になり、長期信用の形態で工業に対して現在よりもはるかに広範な資金調達が可能になるであろう。

 (10)ウォッカの国家専売は、もともとは一つの実験として、しかも専売収入の大部分を工業化に、何よりも金属工業の発展に向けることを前提として導入された。だが実際には、ウォッカの国家専売によって工業化は損失を被っただけであった。この実験が完全に失敗に終わったことを認めなければならない。ソヴィエト体制下におけるウォッカの国家専売は、ツァーリズム時代のように私的経済の観点からマイナスであるだけでなく、主として国営経済の立場からもマイナスである。欠勤の増加、ぞんざいな仕事、欠陥品の増大、機械の不具合、事故・火災・喧嘩・怪我などの増加――こうした損害が年間何億ルーブルにもなっている。国営工業がウォッカから被っている損害は、少なくともウォッカによる歳入全体よりも大きく、工業自身が国家から受け取る予算額より数倍大きい。できるだけ短期間(2〜3年)にウォッカの国家専売を廃止することで、工業化の物質的・精神的資源は自動的に増すだろう。

 以上が、歳入源をどこに見出すべきかという問いに対する回答である。工業化のテンポが遅れている直接の原因が資金不足にあるというのは本当ではない。資金は乏しいが、存在するのである。必要なのは正しい政策である。

 今回のゴスプランの5ヵ年計画は、「ネップのロシアを社会主義のロシアに転化する」任務とは根本的にあいいれないものとして断固として拒否し弾劾さるべきである。

 必要なのは、諸階級間の税負担を――クラークとネップマンにとってもっと重くなり、労働者と貧農にとって軽くなるように――変更することである。

 間接税の比重を引き下げなければならない。ウォッカの国家専売の制度を数年のうちに廃止しなければならない。

 鉄道輸送の財政を整備しなければならない。

 工業の財政を整備しなければならない。

 放置されて荒廃した林業を復興しなければならない。これは巨大な収入源になりうるし、なるにちがいない。

 通貨単位の無条件の安定を保証しなければならない。チェルヴォネツを安定させるには、一方では価格の引き下げ、他方では赤字のない予算が必要である。赤字を補填するための紙幣の増発を許してはならない。

 予算を厳格に合理化し、赤字をなくし、無駄なものや偶然的なものはすべて排除しなければならない。

 1927〜28年度の予算においては、防衛(主として軍需産業)・工業一般・電化・運輸・住宅建設・農業集団化の諸措置のための支出を著しく増額しなければならない。

 外国貿易の独占を脅かすあらゆる企図に対して断固たる反撃を加えなければならない。経済の技術力の増大と大衆の物質的状態の改善にもとづく工業化・電化・合理化をめざす確固たる路線をとらなければならない。

 

  訳注

(1)邦訳『レーニン全集』第32巻、487頁。

(2)邦訳『レーニン全集』第33巻、280頁。

 

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