第2章 労働者階級の状態と労働組合

 10月革命は、歴史上はじめて、プロレタリアートを大国の支配階級に転化した。われわれが生産手段を国有化したことは、人間による人間の搾取にもとづいている社会システム全体を社会主義的に改造(ペレストロイカ)するための、決定的な一歩であった。8時間労働日を導入したことは、労働者階級の生存の物質的、日常生活的、文化的な諸条件の完全かつ全面的なさらなる変革に着手するものであった。国が貧困であるにもかかわらず、われわれの労働法は、労働者に――これまでいかなる集団的な防衛手段も剥奪されていた最も後進的なグループも含めて――、最も富裕な資本主義国家でさえ与えたことがないし今も与えていないような法的保障を確立した。労働組合は、支配階級の手中における最も重要な社会的武器たる地位に高められ、一方では、他の状況においてはまったく接近できなかったような大衆をも包含する可能性を獲得するとともに、他方では、労働者国家の政策の全過程に直接の影響を及ぼす可能性を得るにいたった。

 党の課題は、これらの最も重大な歴史的獲得物をいっそう確実に実生活において実現していくこと、したがってまたこれらの成果を真の社会主義的内容で満たしていくことである。この途上における成否は、国内的・国際的な客観的諸条件だけでなく、われわれの路線の正しさと指導部の実践的能力によっても決定されるであろう。

 わが国が社会主義建設の道に沿ってどれほど前進したかを評価するうえで決定的なのは、生産力の増大とその中での資本主義的要素に対する社会主義的要素の優位性の増大であり、それは労働者階級の生存条件全体の改善と密接に結びついている。この改善は、物質的諸条件の領域(工業に雇用される労働者の数、実質賃金の水準、労働者向け予算の性格、労働者の居住条件、医療援助など)、政治的陣地の領域(党、労働組合、ソヴィエト、コムソモール)、最後に文化の領域(学校、書籍、新聞、劇場)などに示されなければならない。労働者が日々生きていく上で緊要な利益を後景に退ぞけ、「同業組合主義」なる疑わしい名称のもとに、そうした当面する喫緊の利益と階級としての全般的・歴史的な利益とを対立させようとする試みは、理論的に根拠がないだけでなく、政治的に危険なものである。

 プロレタリア国家が剰余価値を領有することは、もちろん、搾取ではない。しかし、まず第1に、わが国にあるのは、官僚主義的に歪曲された労働者国家である。肥大化し特権をもつ行政管理機構は、剰余価値の非常に多くの部分をむさぼり食っている。第2に、成長しつつあるブルジョアジーが、商業を通じて、鋏状価格差を通じて、国営工業で産出された剰余価値の一部を自分のものにしている。

 全般的には、この復興期に、労働者の数とその生存条件は、絶対的のみならず相対的にも、すなわち、他の諸階級の成長と比較しても向上した。しかしながら、最近の時期にこの過程に転換が生じたし、現在も続いている。労働者階級の数的成長とその状況の改善はほとんど停止してしまった。他方で、敵階級の成長は継続し、むしろ加速している。このことは必然的に、工場労働者の状態の悪化のみならず、ソヴィエト社会におけるプロレタリアートの比重の低下をも招いている。

 労働者の中のブルジョアジーの手先であるメンシェヴィキは、わが国労働者の物質的な貧困を意地悪い喜びをもって指摘し、プロレタリアートをソヴィエト国家に対立させようとし、ブルジョア的・メンシェヴィキ的スローガン「資本主義に帰れ」を労働者に受け入れさせようとしている。労働者の物質的状態の問題を正面から提起する反対派の主張のうちに「メンシェヴィズム」を見出して自己満足している官僚たちは、そのことによってまさにメンシェヴィズムに最上の奉仕をしているのであり、明らかに労働者をメンシェヴィキの黄色の旗のもとに駆り立てているのである。

 困難に対処するためには、それらを知る必要がある。勤労大衆が置かれている現実の状況に照らしてわれわれの成否を正確かつ誠実に検証しなければならない。

 

労働者の状態

 復興期には、1925年秋に至るまで賃金はかなり急速に上昇した。しかし、1926年に実質賃金のかなりの減少が始まり、1927年初頭になってやっと克服された。1925年秋における大工業の月賃金の平均は、モスクワ・ルーブルに換算して、29ルーブル68コペイカであったのに対し、1926〜27経済年度の第1四半期には30ルーブル67コペイカ、第2四半期には30ルーブル33コペイカであった。第3四半期には――予備的計算によれば――賃金は31ルーブル62コペイカであった。かくして今年の実質賃金は、おおむね1925年秋の水準にとどまったのである。

 もちろん、個々のカテゴリーの労働者や個々の地域(とくに首都であるモスクワとレニングラード)で賃金水準と一般に物質的生活水準が上述した平均水準より高いことは、疑いない。しかし他方で、労働者の非常に広範な層の物質的水準は、この平均的数字をかなり下回っている。

 それと同時に、あらゆるデータが、賃金の増大が労働生産性の増大から立ち遅れていることを物語っている。労働は強化されているのに、労働の悪条件は同じ水準にとどまっている。

 賃金の引き上げは、労働強度の増大に対する要求によってますます制限されている。中央委員会は、社会主義的な路線と両立しないこの新傾向を、合理化に関するかの有名な決議によって確認した(1927年3月25日付『プラウダ』)。第4回ソヴィエト大会もこれと同じ決議を採択した。このような政策が意味するのは、技術の発展(労働生産性の増大)のおかげで社会の富が増大してもそれ自体としては賃金のアップをもたらさないということである。

 労働者数の増加が弱いことは、家族内で働きに出ている構成員の数が減っていることを示唆している。ルーブルの実質価値に換算すれば、労働者家族の家計支出は、1924〜25年度以降減少している。家賃が上がったため、労働者は家屋の一部を賃貸しなければならなくなった。失業者も、直接・間接に、労働者の家計に負担をかけている。急増しつつあるアルコール消費は家計に打撃を与えている。以上の結果として労働者の生活水準は明らかに低下している。

 現在遂行されている生産の合理化は、解雇される労働者を吸収するに十分なだけの工業・輸送等の発展を伴わないならば、必然的に労働者階級の状態をいっそう悪化させるだろう。実際にも、「合理化」はしばしば、一部の労働者を「排出」し、他の労働者の物質的状態をも悪化させることに帰着している。このことは不可避的に労働者大衆の中に合理化そのものに対する不信感を惹起している。

 労働条件に圧迫が加えられるとき、最も被害をこうむるのは常に、不熟練労働者・季節労働者・女性労働者・若年労働者といった最も弱いグループである。

 1926年に、工業のほとんど全部門において、女性労働者の賃金は男性労働者と比べて明らかに悪化した。工業の3つの異なる部門の不熟練労働者の間では、1926年3月における女性の賃金はそれぞれ、男性の賃金の51・8%、61・7%、83%であった。泥炭業や積み下ろし作業などのような部門において、女性の労働条件を軽減するために必要な措置は、まだとられていない。

 若年労働者の平均賃金は、全労働者の賃金と比較すると、絶え間なく減少しつづけている。1923年にはその割合は47・1%、1924年に45%、1925年に43・4%、1926年に40・5%、1927年に39・5%であった(『1924〜25年度および1925〜26年度における青年の経済的状況の概要』)。1926年3月には若年労働者の49・5%は20ルーブル以下の賃金しか受け取っていなかった(中央労働統計局)。青年労働者の優先割当制度の廃止と割当制度の縮小は、青年労働者と労働者家族にとって重大な打撃となっている。若年失業者の数は顕著に増加している。

 農場労働。農村における賃金労働者約350万のうち、160万人の男女が農場労働者である。これらの農場労働者の20%のみが組合に組織されている。奴隷契約とも言えるような雇用契約に対する規制は、ほとんどなされていない。農場労働者の賃金はたいてい法定最低額を下まわっており、ソフホーズでさえしばしば例外ではない。実質賃金は平均して戦前水準の63%を出ていない。労働時間が10時間を下回るのはまれであり、事実上無制限である場合のほうが多い。賃金は不規則に支払われ、しかもはなはだ遅延して支払われる。農場労働者のこの悲惨な状況は、単に、後進的な農民国における社会主義建設の困難さの結果であるだけではなく、疑いもなく、実践の上では実生活においては農村の下層にではなく上層に主要な注意を向けている誤った路線の結果でもあることは疑いえない。クラークに反対するだけでなく、いわゆる「強い」中農にも反対して、農場労働者の利益を全面的かつ系統的に擁護しなければならない。

 住宅問題。労働者の標準的な居住面積が、都市住民全体の平均居住面積よりもかなり小さいのが通例である。大工業都市の労働者が住宅問題に関しては住民の中で最も恵まれていない。調査された一連の都市では、社会グループ別の居住面積は以下のような分布になっている。

 工場労働者は1人あたり5・6平方メートル、職員は6・9平方メートル、手工業職人(クスターリ)は7・6平方メートル、独立専門職は10・9、非労働分子が7・1平方メートル。労働者が最下位を占めている。そのうえ、労働者の居住面積は年ごとに狭くなっているが、非プロレタリア的分子のそれは広くなっているのである。住宅建設におけるこうした全般的状況は工業のいっそうの発展を脅している。それにもかかわらず、ゴスプランの「5ヵ年計画」委員会が提案している住宅建設の展望によると、住宅事情は、5ヵ年の終りには――当の委員会自身が認めているところでは――今よりもっと悪化しているのである。標準の居住面積は1926年の終りの11・3平方アルシン〔1アルシンは約71cm〕から、5ヵ年計画によれば1931年末には10・6平方アルシンに低下する。

 失業。工業化の成長の遅れは、何よりも失業の分野で最も病的な現われを示している。この失業は工業プロレタリアートの基本カードルをも巻き込んでいる。記録されている失業者の公式の数は、1927年4月には147万8000人で(『トルード』1927年8月27日付)、失業者の実数となると約200万人にものぼる。失業者の数は就業労働者の総数とは比較にならないほど急速に増大している。工業労働者の失業者数も急速に増大している。

 ゴスプランの5ヵ年計画によれば、わが国の工業はその5年間でわずか40万人強の常勤労働者しか吸収しないことになっている。これは、農村からの労働力の絶え間ない流入のもとで、失業者の数が1931年末には300万人を下らない量に膨れ上がることを意味している。このような事態の結果、浮浪児、乞食、売春婦の数が増大するだろう。

 失業者に対する社会保険の劣悪さは、失業者の側からのまったく正当な非難を引き起こしている。失業手当の平均額は11・9ルーブル(戦前の約5ルーブルに相当)である。労働組合からの援助金は平均して6・5〜7ルーブルだが、この援助金は、失業した組合員の約20%に支払われているにすぎない。

 労働法は実に多くの注釈をほどこされてきたために、これらの注釈のほうが労働法の条項の何倍もの数に膨れ上がっており、事実上、条項の多くを無効化してしまっている。とくに臨時労働者や季節労働者に対する法的保護は改悪されている。

 最近展開された団体協約カンパニアは、法制上の労働条件のほとんど普遍的な改悪と、賃率と出来高賃金基準に対する引き下げ圧力を特徴としていた。経済管理機関に強制的な仲裁裁定権が与えられたため、団体協約そのものが無に帰され、協約は双方の側の協定から一種の行政命令に変えられた(『トルード』1927年8月4日付)。

 労働者保護に対する企業側の費用支出はまったく不十分である。労働人民委員部の資料によると、1925〜26年度に大企業において、労働能力の喪失を伴う労災が労働者1000人当り平均97・6件もあった。毎年10人に1人の労働者が深刻な労災被害に遭っているのである!

 ここ数年の特徴として労働争議が急増しており、その大多数は、和解的な処置によってではなく、強制的な手段で解決させられた。

 企業の内部体制は劣悪になった。管理機関は企業の中で無制限の権力を確立しようといっそう努力している。労働者の採用も解雇も事実上、管理部の手に握られている。使用者と労働者とのあいだにはしばしば、革命前に見られたような関係が確立されている。

 生産協議会〔生産現場の問題を話し合う従業員の会議〕はしだいに無に帰しつつある。労働者が承認した実践的な提案の大半は、いまだ実行されていない。何らかの改善案が実行に移されても、しばしば労働者の削減につながっているため、労働者の一部には生産協議会に対する敵意さえ見られる。その結果、生産協議会にはわずかな出席者しかいない。

 文化と日常生活の領域では、学校の問題を強調しなければならない。労働者が子供に職業訓練のみならず初等教育さえも受けさせることが、ますます困難になりつつある。ほとんどの労働者地区において、学校の不足がますます深刻になっている。学校のさまざまな経費が両親の負担になっていることは、事実上、無償教育を廃止するものである。学校の不足とより若年者のための幼稚園網の不十分さゆえに、労働者の子供のかなりの部分は街頭で過ごさざるをえず、街頭を支配する悪党の餌食になっている。

 

労働組合と労働者

 第11回党大会によって指摘された「企業における労働条件の問題をめぐる一定の利害の衝突」(第11回大会決議)は、この数年間にかなりの増大を見た。それにもかかわらず、この数年来の労働組合運動に関する党の全実践(労働組合指導部の実践を含む)は、第14回党大会でさえ認めざるをえなかった次のような状況を組合にもたらした――「労働組合はしばしばその仕事の全体に対処することができず、一面性に陥った。労働組合が組織している大衆の経済的利益を擁護し、何としてでも労働者大衆の物質的・精神的な水準を向上させるというその最も重要で主要な任務を時に二次的なものに追いやった」。第14回大会後も状況は改善されず、いっそう悪化し、労働組合の官僚主義化がさらに一段と進行した。

 10の産別組合の指導機関を構成する被選出役員には、生産に従事している労働者や非党員の活動家の割合がきわめて少ない(12〜13%)。労働組合大会の代議員の圧倒的多数は、すでに生産現場から退いた人々なのである(『プラウダ』1927年7月23日付)。現在におけるほど労働組合と勤労大衆が社会主義工業の管理運営から遠く隔っていたことはない。労働組合に組織されている労働者大衆の自主行動は今では、党細胞書記と工場長と工場委員会議長(いわゆる「三幹部」)の協定に取って代わられている。労働者は工場委員会に不信の念を示している。工場委員会の全体集会への出席率は低い。

 労働者の不満は、労働組合にはけ口を見出せないので、内向している。「あまり積極的に活動してはならない! 一片のパンが欲しければ、あまり発言するべからず」――こんなことがごく普通に言われている(参照、『モスクワ委員会資料――拡大労働者協議会の総括』、『情報通信』30頁、など)。このような状況下では、労働者が労働組合組織を飛び越して自らの状況を改善しようとする試みが頻発するのは不可避である。このことだけでも、労働組合の現在の体制を抜本的に変革することは抜き差しならぬ課題となっている。

 

最も重要な実践的提案

 

   A、労働者の物質的諸条件に関して

 1、1日8時間労働を延長しようとするあらゆる目論見を根絶すること。時間外労働は、どうしても必要な時以外は認めないこと。臨時労働者の雇用を濫用したり、常勤労働者を「季節労働者」として扱うことを認めないこと。以前に出された法令に反して導入された、有害な職場における労働時間の延長をすべて取り消すこと。

 2、最も喫緊の課題は、賃金を少なくとも、達成された労働生産性の上昇に応じて引き上げることである。労働生産性の増大に平行して実質賃金を系統的に引き上げる方針を堅持すること。労働者のさまざまなグループ間の賃金を均等化させなければならない。その際、高賃金グループの賃金を切り下げることによってではけっしてなく、低賃金グループの賃金を系統的に引き上げることによって均等化すること。

 3、合理化の分野での官僚主義的でたらめを根絶しなければならない。合理化は、しかるべき工業の発展および労働力の計画的配分と密接に結びつけて、そして、労働者階級の生産力の浪費、とりわけ熟練労働者のカードルの濫費に反対する闘争と密接に結びつけて遂行されなければならない。

 4、失業の打撃を軽減するために、(a)労働者の受け取る失業手当額を、当該地域の平均賃金と実際に照応するよう算出すること。(b)失業の長期化を考慮して、手当の支給期間を1年から1年半へと延長すること。(c)保険料支払いのこれ以上の低下を許容することはできない。事実上の保険料未払いに対して真剣な闘争をすること。(d)社会保険基金を公衆衛生の必要に出費するのをやめること。(e)「被保険者に対する節約」と精力的に闘争すること。(f)実際に失業している労働者から、彼らが失業手当を受けとり職業安定所に登録する権利をさまざまな口実のもとに剥奪する可能性のあるすべての決定を廃棄すること。(g)失業給手当の増額をめざすこと。何よりも工業労働者から始めること。

 失業者をわが国の経済的・文化的な発展のために最も有効に活用しうるような長期的な公共事業計画を、広い視野で構想し慎重に作成しなければならない。

 5、労働者のための住宅事情の系統的な改善。住宅問題においても確固たる階級的政策を遂行すること。労働者を犠牲にして非プロレタリア分子の住宅事情を改善することは許されない。解雇され工場から追い出された労働者をその住居から追い出さないこと。

 住宅協同組合の健全な発展のために精力的な措置を講じること。それを下層労働者にとって利用可能なものとすること。労働者用に予定されていたはずのアパートを上層職員が占有するのを許さないこと。

 ゴスプランの住宅建設計画を、社会主義政策とは明白に矛盾するものとして拒否すること。次の5年間に労働者の住宅問題の改善に向けて決定的な転換が図れるよう、企業に対し、住宅建設への費用支出を増やすことと家計補助手当と貸付金を増額することを義務づけなければならない。

 6、団体協約は、労働者集会での見せかけでない真実の討論を経た上で結ばなければならない。工場の経営管理機関に強制的裁定権を与えている第14回党大会の決定を、次の党大会で取り消すこと。労働法は、労働条件の最大限ではなく最小限を規定したものとみなさなければならない。協約期間中は労働者と職員の数を削減しないという保証を団体協約の中に含めること(容認されうる例外は明文で規定さるべきこと)。生産ノルマは、最良の労働者ではなく平均的な労働者を基礎として、賃金協約の全期間に対して、算定されなければならない。いかなる場合においても、以前の協約と比較して労働者の状況を悪化させるような協約の変更は許されないことを承認すること。

 7、賃金・ノルマ設定部の活動を、労働組合と労働者のより強い統制のもとに置くこと。生産ノルマや出来高賃金率の絶えまない変更に終止符を打つこと。

 8、安全技術や労働条件の改善のための支出を増額しなければならない。労働者保護のための諸規制の不履行に対する処罰を強化すること。

 9、労働法に対するあらゆる注釈を再検討し、労働条件の悪化につながる注釈は廃止すること。

 10、女性労働者のために「同一労働同一賃金」を。女性労働の技能の格づけを引き上げること。

 11、無償の徒弟労働の導入は許されない。若年労働者の賃金引き下げに事実上つながる措置の導入も許されない。彼らの労働条件を改善するための措置を講じること。

 12、節約体制は、いかなる場合でも、労働者の生活上の利益を犠牲にするような形で導入されてはならない。労働者から取り上げられた「ささやかな特典」(託児所、電車の無料チケット、長期休暇、等々)を彼らに返還しなければならない。

 13、労働組合は、季節労働者の問題にもっと多くの注意を払わなければならない。

 14、工場労働者のための医療援助(工場付属の診療所や病院など)を拡大すること。

 15、労働者地区では、労働者の子弟向けの学校を増設すること。

 16、労働者協同組合を強化するための一連の国家的措置を導入すること。

 

   B、労働組合活動に関して

 1、労働組合の活動を評価するさいには、何よりも、労働組合が現在の経済的可能性の範囲で労働者の経済的・文化的な利益をどれだけ擁護したかその程度で決定されるべきである。

 2、労働者大衆の経済的・日常生活的・文化的な利益に関係する諸措置について判断する際には、組合組織内の共産党フラクションでの判断の結果を考慮に入れなければならない。

 3、労働組合は、すべての段階における選挙制・公開制(グラスノスチ)・報告制・責任制の原理にもとづいてその任務を遂行しなければならない。

 4、工業のすべての管理機関は、当該労働組合との、見せかけではない真実の合意にもとづいて形成されなければならない。

 5、産別労働組合の各大会(全ソ大会まで含む)において、また労働組合の被選挙機関(全ソ労働組合中央評議会を含む)において、生産に直接従事している労働者が過半数を占めるよう保証されなければならない。これらの機関の中の非党員労働者の割合を少なくとも3分の1に引き上げなければならない。

 組合機関の役員の一定割合を定期的に工業に戻して生産労働に復帰させなければならない。

 組合活動においては、無償の活動をより強化し、自発性の原則をもっと適用し、生産現場の労働者がそれに従事するようもっと鼓舞すること。

 6、労働組合組織の選挙された組合員が共産党員である場合、彼を党内の意見の不一致のゆえに解任することは許されない。

 7、工場委員会と労組地方委員会の経営管理機関からの完全な独立を保証しなければならない。労働者の採用と解雇、および2週間以上にわたって労働者をある仕事から別の仕事に配置転換すること――以上のことは工場委員会にすみやかに知らせた上で実施されなければならない。この領域における不当行為に対して闘争すること。そのさい、管理部の決定に対して、対応する労働組合と紛争処理委員会に訴える権利を行使すること。

 8、労働者通信員にはきちんとした権利を保証しなければならない。不正行為を暴露したために労働者通信員を迫害する者たちを厳格に罰しなければならない。

 労働者が批判したり独自の提案をしたり独自の投票をしたことで、直接ないし間接に、公然とないし偽装された形でその労働者を迫害することを、国家的な重罪として処罰する条項を、刑法の中に入れなければならない。

 9、生産協議会の監督委員会の任務を拡大し、生産協議会の決定をの実行を監視すること、および、その際、労働者の利益を擁護することができたかどうかを検証すること。

 10、国営企業でのストライキ問題については、レーニンが提案した第11回党大会の〔ストライキを合法化した〕決定が依然として効力をもっている。利権企業でのストライキに関しては、他の私企業の場合と同じとみなすこと。

 11、労働統計のシステム全体を再検討すること。現在の形式による統計は、労働者階級の経済上・日常生活上の状況について明らかに潤色された偽りの像を与えており、かくして労働者階級の経済上・日常生活上の利益を擁護するためのすべての活動をはなはだしく困難にしている。

 

 10月革命の10周年を前にして労働者階級が過酷な状況にあるのは、もちろん、究極的には、国の貧困、干渉と封鎖の結果、最初のプロレタリア国家に対する包囲せる資本主義の不断の闘争によって説明される。この状況を一撃で変えることはできない。しかし正しい政策がにもとづくなら、この状況を変革することはできるし、変革しなければならない。ボリシェヴィキの任務は、達成された成果――もちろんかかる成果は存在する――を自己満足的に賞賛することではなく、何がまだなされていないか、何をなすべきか、そして正しい政策にもとづく場合には何をなすことができるかという問題を断固として明確に提起することである。

 

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