2001
年のお知らせ&更新情報◆
(2001.12.24) ドイツ・ファシズム関係の続きです。今回アップするのは2本です。1本目は、ドイツ共産党の政策を一貫して正しかったと表明したコミンテルン幹部会の決議を批判した論文「ドイツの破局――指導部の責任」(1933年5月28日)で、2本目は、ドイツ社会民主党の屈服を画する1914年の8月4日とドイツ共産党の崩壊を画する1933年3月4日とを比較した論文「『8月4日』」(1933年6月4日)です。なお、今年の更新はこれで終わりです。今後しばらくは『ニューズレター』と次号の『トロツキー研究』の準備のため、ファシズム関係の論文のアップは中断します。今年このサイトにアップした論文・著作の数は61本です。最低、毎週1本という義務を自分に課してきましたが、何とか、平均すればこの義務を果たせたようです。来年もがんばります。では、また来年お会いしましょう。
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(2001.12.17) ドイツ・ファシズム関係の続きです。今回アップするのは、ヒトラーがドイツで政権を取ったときに赤軍を動員するべきだとした1年前のトロツキーの立場を正式に修正した二つの文献、「ドイツとソ連邦」(1933年3月17日)と「ヒトラーと赤軍」(1933年3月21日)です。◆
(2001.12.10) ドイツ・ファシズム関係の続きです。今回アップするのは、ドイツにおける新党の建設を訴えたトロツキーの転換主張に対して出されたさまざまな異論にトロツキーが反論した論文「ドイツ共産党の崩壊と反対派の任務」(1933年4月9日)です。◆
(2001.12.3) ドイツ・ファシズム関係の続きです。今回アップするのは、ドイツにおける公式共産党の崩壊を踏まえて、新党問題をはじめて提起した3通の手紙、「ドイツ共産党か新党か」(T〜V)(1933年3月12日、29日)です。◆
(2001.11.26)ドイツ・ファシズム関係の続きです。今回アップするのは、ヒトラーが選挙で勝利した直後に書かれた論文「ヒトラーの勝利」(1933年3月10日)です。◆
(2001.11.19)しばらく更新を怠っていましたが、久しぶりに論文をアップします。中断していたドイツ・ファシズム関係の論文で、「ドイツ・プロレタリアートの悲劇」(1933年3月14日)です。◆
(2001.10.30)すでに『トロツキー研究』および『ニューズ・レター』に掲載済みの論文を2本追加します。「アヴァス通信社とのインタビュー」(1937年2月19日)と「スペインの経験を通じた諸個人と諸思想の検証」(1937年8月24日)で、どちらもスペイン革命関係です。◆
(2001.10.24)アップ論文一覧の英語ページを新たにつくりました。◆
(2001.10.20)新アドレス以降後の最初の更新です。すでに『トロツキー研究』に掲載済みの2本の論文をアップします。どちらも初期の文学論です。1本目は「ゲルツェンと『若い世代』」(1901年4月22日)で、2本目は「イプセン論」(1901年6月3〜9日)です。◆
(2001.10.15) 祝! 独自ドメイン取得! というわけで、今日より、独自ドメインでの「トロツキー・ライブラリー」を開設いたします。これからもよろしくお願いします。なお、「お気に入り」および「ブックマーク」は変更しておいてください。◆
(2001.10.5)いよいよ「トロツキー・ライブラリー」は近日、独自ドメインを取得する予定です。来週から新しいアドレスで開業することになると思います。これからも末永くご支援お願いします。◆
(2001.10.1)すでに『トロツキー研究』で掲載している論文を2本アップします。1本目は、「ソ連経済の新路線――経済的冒険主義とその危険性」(1930年2月13日)で、ソ連による強行的な工業化と強制的な集団化をはじめて系統的に批判した論文です。2本目は、「『有色人種』プロレタリアへの接近」(1932年6月23日)で、南アフリカの黒人たちからの手紙について述べたものです。◆
(2001.9.19)9月11日のテロ事件を口実に、米軍による大規模な報復攻撃が予想され、刻々と戦争の足音が近づいています。人類はいったい何度同じ過ちと同じ犯罪を許せば気がすむのか? 今回、情勢の緊迫化にともなって、予定を変更し、トロツキーが1917年に書いたパンフレット『この忌まわしい殺戮はいつ終わるのか』(1917年8月)を急きょアップすることにしました。このパンフレットは、戦争の悲惨さを訴えるとともに、誰がいかなる目的で戦争を引き起こし、継続しているのかを明らかにするとともに、「社会民主主義」を名乗るヨーロッパとロシアの諸政党がこの戦争を支持し支えている姿を生き生きとした筆致で描き出しています。今回の報復戦争でも、イギリスのブレア労働党政権をはじめ、ヨーロッパの社会民主主義政党およびその政権は、アメリカの行動を支持する方向で足並みをそろえています。第1次世界大戦から90年近く経つというのに、人類の進歩は何とのろのろとした足取りで進んでいることでしょうか。◆
(2001.9.14)先日、ある方よりメールで、今回のテロ事件に関連して、当サイト収録の「テロリズム」にリンクさせてもらったとの連絡を受けました。そのようなリンクは大歓迎です。そこで、今回、この「テロリズム」をもう一度原文にもとづいて見直し、より正確な翻訳へと微修正をほどこしました。何度でも修正がきくのが、インターネットのよいところです。もう一度この機会に、この古典的論文をお読みください。◆
(2001.9.13)9月11日にアメリカの世界貿易センターと国防省にハイジャックした航空機を激突させて破壊するという前代未聞のテロ事件が起こりました。この種のテロリズムに対するマルクス主義者の態度は大昔から一貫しています。規模はまったく違えど、ロシアのマルクス主義者はつねに、エスエル(社会革命党)のテロリズムに反対してきたし、トロツキーはとりわけ、テロ反対の最も重要な理論家でした。後に彼は、スターリニストによるテロに対しても全力を尽くして闘わざるをえませんでしたし、彼自身がスターリンによるテロの犠牲者となりました。このサイトにはすでに、「スープの中のゴキブリ――アゼーフ事件の顛末」「テロとその党の破産」「テロリズム」という三つのテロ批判論文が掲載されていますが、新たに「エヴノ・アゼーフ」(1911年5月8日)をアップしておきます。これはすでに『トロツキー研究』第17号に掲載済みのものです。◆
(2001.9.9) 『唯一の道』(1932年)の後半部をアップします。今回で、ナチス勝利以前のトロツキーの主なドイツ・ファシズム論をすべてアップしたことになりました。ここで、しばらくドイツ・ファシズム関係のアップはお休みします。次号の『トロツキー研究』(特集 党統一のための闘争)の準備のためです。その代わり、すでに『トロツキー研究』および『ニューズ・レター』に掲載済みのものを時々掲載します。◆
(2001.9.2)いよいよ、ドイツ・ファシズム批判の第14弾として、『次は何か』に次ぐトロツキーのドイツ・ファシズム論の主要著作たる『唯一の道』(1932年)の前半部をアップします。後半部は来週にアップする予定です。お楽しみに。◆
(2001.8.27) ドイツ・ファシズム批判の第13弾として、「ドイツのパズル」(1932年8月)をアップします。同時に、すでにトロツキー研究所のサイトにアップしてある『トロツキー研究』第35号所収の5論文をいっきにこちらにもアップします。「ジェノヴァとウラジオストクにおける日本」(1922年4月11日)、「ソ連邦と日本――『大阪毎日』特派員・布施勝治氏との対話」(1924年4月24日)、「『大阪毎日』特派員の質問に対する回答」(1929年4月24日)、「日本の満州侵略と日ソ戦争の可能性」(1931年11月30日)、「破局に向かう日本」(1933年7月12日)です。来週には、『次は何か』に並ぶトロツキーのファシズム批判の傑作である『唯一の道』の前半部をアップする予定です。
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(2001.8.20) ドイツ・ファシズム批判の第12弾として、「反戦大会に関する手紙」(1932年6月13日)をアップします。◆
(2001.8.13)ドイツ・ファシズム批判の第11弾として、「ドイツとの戦争の可能性」(1932年4月15日)をアップします。論文の時期は少し前後しています。◆
(2001.8.5)ドイツ・ファシズム批判の第10弾として、「防衛のための統一戦線――社会民主党労働者への手紙」(1933年2月23日)をアップします。トロツキーの統一戦線論の中でも珠玉のものであり、かつ先進国革命論としても重要な文献です。◆
(2001.7.27)1ヶ月以上のブランクがありましたが、久しぶりに新しい論文をアップします。ドイツ・ファシズム批判の第9弾で、「決断を前にして」(1933年2月5日/2月6日)です。ヒトラーが政権入りした直後に書かれたもので、大詰めを目の前にした緊迫感の漂う論文です。◆
(2001.6.10)ドイツ・ファシズム批判の第8弾として、「ピウスツキ体制とファシズムと現代の性格」(1932年8月4日)をアップします。すでに『トロツキー著作集 1932』(上)に収録されていますが、今回、ロシア語の原文から訳し直しています。◆
(2001.6.2)ドイツ・ファシズム批判の第7弾として、「社会主義労働者党の創設と共産主義者の任務」(1931年12月14日)をアップします。短いですが、いちおう本邦初訳です。◆
(2001.5.27)「はじめに」でも書いていますが、本サイトの著作のコーナーには、ロシア語の原著がインターネット上にアップされている場合は、そこにリンクを張っています。リンク先である「ロシア革命の歴史から」には、少しづつ新しい著作がアップされており、今年になってからも、『わが生涯』と『スターリン』1巻、2巻がそれぞれアップされています。この調子でいくと、数年以内に、トロツキーの主要なロシア語著作がすべてインターネット上で利用できるようになるかもしれません。なんて素晴らしいのだろう!(●^o^●)◆
(2001.5.25)ドイツ・ファシズム批判の第6弾として、「『モンターク・モルゲン』誌とのインタビュー」(1932年5月12日)をアップします。短いインタビューのアップで、お茶をにごしてごめんなさい。とっても忙しいもので…。(;´Д`)◆
(2001.5.19)本サイト開設1周年の改築工事でへろへろに疲れて、10日ばかり更新を怠っていました。久しぶりに新しいものをアップします。今回、ドイツ・ファシズム批判の第5弾として、いよいよファシズムに関するトロツキーの主著『次は何か――ドイツ革命とスターリン官僚制』(1932年)を一挙アップします。すでに、『トロツキー研究』第34号に掲載済みですが、一部訳注を補強して、訳文もほんの少し改善しています。ついでにと言ってはなんですが、トップページの「トロツキー・ライブラリー」の題字を少しグレードアップ(?)しました。
V(^0^)◆
(2001.5.8)祝、トロツキー・ライブラリー開設1周年! 今日は、本サイト開設1年目にあたります。アクセス数は少ないけれど、着実にアップ論文は増えていっています。今回、1周年を迎えるにあたって、連休中に、少しサイトの改築工事をしました。すでにお知らせしておいたように、1930年代のみならず、1910年代および1920年代も「前期」「中期」「後期」の三つに分けることにしました。三つに分けたことにともなって、いくつかの論文のアドレスが変わることになります。できるだけ修正したつもりですが、ミスが残っていたらご指摘ください。また、長らく「建設中」であった1930年代中期の目次を作成しました。1930年代後期はまだ建設中です。なお、今回、改築工事したついでに、すでに『トロツキー研究』および『ニューズ・レター』で掲載済みの論文をいくつか、新しい訳注つきでアップしました。その一覧は以下のとおりです。
「
『超人』の哲学について若干」(1900年10月22〜30日)「
来るべき産業好況」(1909年11月21日)「
言葉から行動へ――国際主義者の合同問題によせて」(1917年6月28日(新暦7月11日))「
試練の時期」(1917年7月9日(新暦22日))「
われわれには平和が必要だ」(1917年10月19日(新暦11月1日)「
世界経済の発展傾向の諸問題」(1926年1月18日)「
一国社会主義の理論」(1926年12月12日)「
インドシナ反対派の宣言について」(1930年9月18日)「
5ヵ年計画を4年で?」(1931年3月)「
イタリアの反対派とスペイン革命」(1931年6月9日)「
アメリカにおける労働党の問題」(1932年5月19日)「
POUMの裏切り」(1936年1月23日)「
スペインにおける第4インターナショナルの任務」(1936年4月12日)「
国際書記局への手紙」(1936年7月27日)「
ジャン・ルーへの手紙」(1936年8月16日)◆
(2001.5.3)今日は憲法記念日です。改憲の風潮がきわめて強い昨今、歴史的ファシズムの問題を改めて学ぶことは、非常に意義のあることではないでしょうか。ということで(?)、ドイツ・ファシズム批判の第4弾として、新たに2本の論文をアップします。1本目は、トロツキーの短い手紙「ファシズムとは何か?」(1931年11月15日)で、これは本邦初訳です。2本目は、すでに『トロツキー研究』第34号に掲載済みである「ドイツ共産党の労働者党員への手紙」(1931年12月8日)です。ところで、あと5日で、「トロツキー・ライブラリー」開設1周年なのですが、それを機に、多少リニューアルしたいと思います。長らく「建設中」だった1930年代の中期の目次を完成させるとともに(後期はまだ)、1910年代、1920年代も、「前半」と「後半」の2つではなく、「前期」「中期」「後期」の3つに分けたいと思います。
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(2001.5.1)今日は、労働者の祭典メーデーです。というわけで、トロツキーのメーデーに関する論文「メーデーを前にして」(1909年3月27日)をアップします。すでに『トロツキー研究』第29号に掲載済みのものですが、今回アップするにあたって、若干訳を修正するとともに、訳注を増やしています。今年に入ってすでに13本の論文を新たにアップしています。4ヶ月で13本。もう少しアップ数を増やせば、だいたい毎週1本づつ論文をアップしている計算になります。今年からは、平均して毎週1本のテンポで論文ないし著作をアップしていきたいと思っています。
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(2001.4.26)また1週間が経ちましたか。というわけで、ドイツ・ファシズム批判の第3弾として、「国際情勢の鍵はドイツにある」(1931年11月26日)をアップします。第4弾はまた来週を予定しています。なお、第4弾をアップする前に、5月1日のメーデーの日には、メーデーに関するトロツキーの論文を1本アップする予定です。これから、毎年、メーデーの日には、トロツキーのメーデー論文をアップしようと思っています。◆
(2001.4.19)もうあれから1週間ですか。時が経つのは速いものですね。というわけで、ドイツ・ファシズム関係の第2弾として、「民族共産主義反対!――『赤色』人民投票の教訓」(1931年8月25日)をアップします。第3弾はまた来週に予定しています。ところで、今回のアップで、本サイトにアップされている論文・著作がトータルで100本に達しました。おめでとう!V(^0^)(自画自賛)。◆
(2001.4.12)すでに『トロツキー研究』第34号が会員・読者のもとに届いていると思いますが、そこで予告したように、第34号に掲載できなかった、トロツキーのドイツ・ファシズム関係の重要論文を少しづつ掲載していきます。第1弾は論文2つです。1本目は、このテーマに関するトロツキーの最初の論文である「コミンテルンの転換とドイツの情勢」(1930年9月26日)です。2本目は「生産の労働者統制について」(1931年8月20日)で、ドイツにおいては工場委員会がソヴィエトの役割を果たしうることを指摘しています。第2弾は来週を予定しています。お楽しみに。◆
(2001.4.8) すでにアップした論文のうち、いくつか重要なものに詳細な訳注を追加しました。『シベリア代議員団の報告』「根本問題――権力のための闘争」「平和綱領」『次は何か――総括と展望』「ヨーロッパとアメリカ」「スペイン革命」「ソヴィエト国家の階級的本質」「テルミドールと反ユダヤ主義」などです。今後も、少しづつ訳注つきの論文を増やしていきます。◆
(2001.3.26)『トロツキー研究』第28号にすでに掲載済みの論文「軍事理論かエセ軍事教条主義か」(1921年11月22日〜12月5日)を、詳しい訳注つきでアップしました。◆
(2001.3.9)過去の『トロツキー研究』に掲載された2つの論文、「ジュコーフスキー」(1902年4月19日)と「スープの中のゴキブリ――アゼーフ事件の顛末」(1909年3月22日)をアップします。◆
(2001.3.3)『社会主義へか資本主義へか』(大村書店)の付録に入っていた論文・演説・覚書を一気に4本アップします。1つ目は「経済問題に関する覚書」(1926年1月15日)、2つ目は「社会主義的蓄積の法則、計画原理、工業化のテンポ、そして無原則」(1926年5月2日)、3つ目は「シベリアについて」(1927年2月28日)、4つ目は「われわれは経済的独立を達成することができるか」(1927年3月19〜27日)です。大村書店刊の『社会主義へか資本主義へか』は非常に誤植が多く、早くインターネットに誤植訂正版を出さなければと思っておりました。また、数日のうちに、『トロツキー研究』に掲載済みのいくつかの論文をアップする予定です。◆
(2001.3.1)長らく更新を怠ってきましたが、久しぶりに新しい論文をアップします。すでに『トロツキー研究』に掲載済みの「予算と労働者階級」(1913年3〜4月)です。数日のうちにさらにいくつかアップする予定です。◆
(2001.1.26)「重要著作」のところに、英訳と並んでロシア語原文のリンク先を入れておきました。これで、ロシア語、英語、日本語それぞれの言語で見ることができます。また、英訳のリンク先も少し増やしておきました。このサイトの目標でありライバルである「トロツキー・インターネット・アルヒーフ」は着実にアップ論文を増やしていますが、こっちはなかなか進みません。がんばらねば。◆
(2001.1.13)ずいぶん遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。いよいよ21世紀です。21世紀にも生きるトロツキーの思想を今年もよろしく。今年も少しづつ、地道に、トロツキーの論文や著作をアップしていきます。なお、昨年の「お知らせ&更新情報」は別のページに移しました。また、昨年アップした論文と著作を一覧にしておきました。
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